1-2-8.四月十九日③

 少し時間も押していたが、遅れないようにしゅうくんの家にやってきた。彼はすっかり機嫌を戻したようで、普段のふてぶてしさが戻っていた。


 セレナさんが運んできた今日のお茶菓子は、色とりどりのマカロン。それに合わせて、わたしのためにあらかじめ少し冷ましておいてくれた、少し渋めの紅茶が淹れられる。


「ありがとうございます」


 セレナさんにお礼を言うと、彼女はにこりと微笑んで後ろに控えた。それを待っていたかのように、ようやく萩くんが口を開いた。今日は珍しく、膝の上にノートパソコンを広げている。


「よく来てくれたね、先生。今日は早速 本題に入ろう」


 今日は無駄話なしで話を進めるらしい。それもそうだ。来週の月曜日からいよいよ“あにまる保育園”での実習が始まる。それまでに残された萩くんとの時間は、今日と明日の二日だけ。この二日間である程度方針を固めておかないと、せっかくの機会を無駄にしてしまいかねない。


「先に、例の五件目の事件のことだ。こちらは進展があった。悪い方向に、だが。新たな被害者として、里脇さとわき克載かつのりの娘が殺害された。彼女は結婚していて子どももいて、今は横浜で暮らしていた。里脇克載に関わる人物が連続して殺害されたことも含め、妻は船迫ふなさこで、娘は横浜で殺害と、犯人は明確に標的を定めて犯行を行っている。これは四件の“連続的殺人事件”にはなかったことだ。このことから、警察はこの五件目を“連続的殺人事件”から切り離し、単独の事件と断定して捜査をすることになった」


「だけど、奥さんが殺された時の手口は“連続的殺人事件”と同じだったんでしょう? 別の事件って決めつけちゃって大丈夫なの?」


「それは僕も考えた。というより、今回娘が殺された際は誤情報での通報ではなかったし、そもそも妻と娘を殺害した犯人が同一かどうかも定かではない」


 とは言っても、警察がこの五件目を切り離すだけの根拠があったのだろう。妻と娘を殺した犯人が同一である可能性が高く、かつ四件の殺人事件とは無関係であるとする根拠が。


「まだ事件に関与した証拠はないが、この二件の事件の当日に同じ人物が事件現場付近で目撃されている。はっきりとではないが、周辺の監視カメラにもそれらしい人物が映っているから、確度の高い情報と考えていいだろう。警察はその人物を重要参考人として、手配することにしたようだ」


 これで容疑者は二人目。未だ失踪中の里脇教授が自分の妻と娘を殺害した可能性と、同じ現場で目撃された人物の犯行の可能性。本当にその二択と絞ってしまって大丈夫なのだろうか。


「現場の状況は場当たり的な犯行に見えるが、実際にはかなり計画的だ。犯行を目撃されない場所、時間、監視カメラの位置も把握していて、証拠もほとんど残していない。ただふらっと現れて殴り殺しただけの犯行ではない。そこも以前の四件とは明らかに異なる。だから僕としては、この目撃された人物が犯人とは思えない。これだけ慎重で用意周到な犯人が、両方の現場周辺の監視カメラに映るなんてミスを犯すとは思えないからな」


「その人の素性はわかってるの?」


「名前などを特定できたわけではないが、容貌はな。二十代女性、身長は160センチ前後。目撃証言と監視カメラの映像からAIが作ったモンタージュがこれだ」


 と、萩くんがノートパソコンの画面を見せてくれる。そこに映っていた画像に、わたしは思わず言葉を失った。わたしの顔に、あまりにもよく似ていたのだ。

 そんな馬鹿な。わたしは現場には行っていない。わたしが目撃されることはあり得ない。萩くんがこの人物が犯人だと思えないなどと希望的観測を漏らしたのは、これが原因か。もしかして萩くんも、わたしを疑っているのだろうか。


「驚いただろう? 僕もこれを見た時は驚いた。だがよく見てほしい。この人物は先生よりも髪が長く、胸下くらいまであったようだ。そして口元にほくろがある。このほくろは目撃証言で共通していたため、印象的な特徴のようだ。そのほくろは先生にはない。だからこの人物は先生ではない。それは警察もわかっているから安心してほしい」


 ほっと胸を撫で下ろすと、だとすればこの人物は誰なのかという疑問が湧いてくる。それは萩くんも同じようで、何か心当たりはないかと聞いてきた。


 心当たり、か。わたしによく似た顔立ちの、わたしと同じくらいの年頃の女の人……最近どこかでそんなような人に会ったって話を聞いた気がする。


「あ、お姉さん。一紀かずきくんが見かけたっていう」


「先生の偽彼氏が、昔助けてもらった人によく似た人に最近会ったという話か?」


 機嫌は直っても、一紀くんの呼び方はそのままらしい。


「そう。その人、わたしによく似ているらしいんだよ。顔も年頃も。合コンの次の日に会った時、最近見かけたって言ってたから、それってもしかして里脇先生の奥さんが殺された日だったんじゃない?」


 一紀くんが特別遠出をしてなければ、見かけたのは彼の家も大学もある船迫で見かけたはず。里脇教授の奥さんが殺されたのも船迫。偶然の一致とは思えない。


「その人と先生は無関係……かどうかもわからないのか。何か素性を調べる手掛かりはないのか?」


「手掛かりになるかはわからないけど、話を整理するね。まず十五年前に一紀くんが助けてもらったお姉さんが、わたしによく似た人だったらしいんだ。そして、その時のお姉さんによく似た人と最近会ったらしい。だからその人も当然わたしによく似てるってことだよね。で、あとお父さんの話では、わたしはお母さんによく似てるらしいんだ。本人と見間違えるくらいに。つまり、十五年前のお姉さんも、一紀くんが最近見かけたお姉さんも、わたしのお母さんも、みんなわたしにそっくりらしいんだよ。……どう思う?」


 普通に考えれば、親戚、となるのだろう。だが肝心のお母さんのことがわからないから、調べようがない。せめてお母さんのことがわかればそこから親族を辿ることもできそうなのに。


「先生は、母親の顔は見たことはないんだったか?」


「うん、残念ながら。名前が“志乃しの”ってことはわかったよ。戸籍上の“加藤かとう観怜みれい”が本当のお母さんではないみたい」


「本来なら母方の親族を洗いたいところだが、そうもいかないみたいだからな……。先生、貴女はいったい、何者なんだ……?」


 そんなことをわたしに言われても、わたし自身がそれを知りたい。


 お父さんは、お母さんの血のことをひどく気にしているようだった。もし一紀くんを助けたお姉さんも、最近見かけたお姉さんもお母さんの親族だったなら、彼女らもお母さんと同じ血を引く者ということになる。その場合、彼女らもお母さんと同じように特別な存在ということになるのだろうか。

 仮に、わたしのお母さんのような、存在自体が国家機密みたいな人だったとしたら、警察はその人を捕えてきちんと裁くことができるのか。何だかこの国の闇に関わってしまいそうで、これ以上の深入りは躊躇われる。

 その反面、そんな大それた秘密を知りたい、暴きたいという好奇心も同じくらいある。恐らく萩くんも同じなのだろう。だけれど、わたしはともかく彼は立場というものがある。築島つきしまグループの跡取り息子である彼が、国の秘密を暴いてしまうなんてことがあれば、築島グループ全体がただでは済まない可能性がある。萩くんは、そこまでわかっているのだろうか。いや、わかっていないはずはないと思うけれど、その背に背負っているものの重さを、真に理解しているのだろうか。


「でもそうすると、これ以上はわたしたちもお手上げじゃない? 里脇教授か、その一紀くんが見かけたっていうお姉さんのどちらかを確保できない限り、この件は先に進まないでしょ」


「そう……だな。僕たちは“あにまる保育園”の方から真相に近付くことにしよう。こちらから思わぬ手掛かりが出るかもしれないからな」


 さすがにこの件から全面的に手を引くということはないか。


 “あにまる保育園”が何らかの悪であることは間違いないと思うが、正直わたしは、今回の事件と“あにまる保育園”が直接的に結び付くかと言われると、そこには疑問がある。

 先の四件の殺人事件は“あにまる保育園”との関わりもあるだろう。全くないとは言い難い。ただこの里脇教授の事件は、どうも別の思惑が裏にあって起こった事件ではないかと思っている。ただ根拠はない。直感的にそう思うだけだ。何か異質で、引っかかる。その何かを見つけるに至っていないから、萩くんを説得できるだけの論理を組み立てられない。それがもどかしかった。


「そろそろ時間か……。先生、後で送っておくが、“あにまる保育園”の改修時の図面を入手したから明日までに目を通しておいてほしい」


「わかった。ありがとうね」


「それじゃあ、また明日。よろしく頼む」


 珍しく、萩くんは自発的にわたしに頭を下げた。彼も何か、この事件に懸ける思いがあるのだろうか。どうしても引き下がらないのは、彼なりにこの件を解決したい理由があるのだろうか。


 

 いつものように佐路さじさんに送ってもらう車の中で、今日は少しだけ佐路さんと話をした。萩くんの話だ。


「萩様は焦っておられるのですよ。成果を出せなければ、ご自身の価値がなくなってしまうと思っておられるのです」


「そんなことないのに。もう充分成果を挙げていると思いますけどね」


「ええ、その通りでございます。ですが、こうして好き勝手に警察の情報を閲覧し、本家の人間を通してですが警察関係者と内密にコンタクトを取ることが許されているのは、お母君のおかげなのです」


 萩くんのお母さん、か。そういえば、彼の両親の話はあまり聞いたことないな。お父さんが築島グループの代表ってことは知っているけれど、お母さんはどんな人なんだろう。家柄的にも、お父さんに釣り合う人なんだろうな。


「お母君は警察関係者に広く顔が利くお方で、幼い頃の萩様にも英才教育を施してくださいました。今の萩様があるのは、間違いなくお母君のおかげなのです。ただ、お母君も多忙なお方ですから、萩様のために割ける時間は多くありません。そのためにも萩様は、自分がお母君にとって有用な人物であることを示すことで、お母君との時間を取り戻したいのです」


 佐路さんの話にはところどころ不透明な箇所が見られるが、それでも言葉のニュアンスから伝えようとしてくれている。恐らく、彼にはこの発言自体、許されたものではないのだろう。


「だから力になってあげてほしいってことですか? 佐路さんに言われなくてもそのつもりですよ。見ていて危なっかしいですからね、あの子」


「恐れ入ります。また、このことはくれぐれも内密にお願いいたします」


「ええ、もちろんです」


「感謝いたします」


 そう言われてしまうと、わたしだけこの件から手を引くわけにもいかなくなる。わたしが彼を置いていってしまったら、彼は余計に強引で無茶な行動に出かねない。せめてわたしが歯止めにならないといけない。



 家に帰ると、ちょうどお父さんから連絡があった。わたしの置手紙を読んでくれたらしい。別に小分けにして送ってくれてもいいのに、わざわざ一回にまとめて長文で送ってきた。


〈ご飯ありがとう。美味しかったよ。それから昨夜はごめん。本当に酷いところを見せちゃって、志絵莉にも嫌な思いをさせたと思う。これに懲りて、少しお酒は控えるようにするよ。制服の件、変な誤解をしてしまったかもしれないけれど、あの制服は志乃さんのものだよ。志絵莉しえりが卒業してから、懐かしくなってずっと取ってあったものを引っ張り出してきたんだ。それから加藤さんは、志乃さんの親友だ。志乃さんの代わりに志絵莉を産んでくれた恩人でもある。でも、加藤さんには関わらないであげてほしい。あくまで産むことを代わってくれただけの人だ。志絵莉にとっては産みの親になるけれど、志絵莉のお母さんは志乃さんだから、自分のことをお母さんだと思ってほしくない、だから関わらせないでほしいというのが加藤さんとの約束なんだ。勝手なことを言ってごめん。志乃さんのことはいずれ絶対話すから。それから、僕も志絵莉とお酒を飲める日を楽しみにしてるよ。誕生日も祝ってあげたいけれど、今年は彼氏と過ごすのかい? またいつでも帰っておいで〉


 色々ツッコミたいところはあるが……加藤さんがそう言うのなら、わたしは彼女に関わらないようにしようと思う。本当は加藤さんに話を聞ければお母さんのことがもっとわかりそうだけれど、彼女にも彼女の生活があるだろうし、今更わたしが出ていってそれを壊すわけにはいかない。

 お母さんの代わりに産んでくれたっていうのは、お母さんはわたしを産めるような身体じゃなかったのだろうか。もしや、お父さんが繰り返し言ってきたお母さんの血というのは、体質のことなのだろうか。


 それに、あの制服がお母さんのものだったとしても、それを取ってあることも、懐かしくなってわざわざ引っ張り出してきたことも、ちょっとキモい。引っ張り出してきて、どうしたのだろう。……あまり想像したくないな。

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