1-2-9.四月二十日

 翌日も、わたしはしゅうくんの家に来ていた。今日が本当に、彼と過ごす実習前 最後の日。今日は改めて、“あにまる保育園”の概要から確認していく。


「まず、“あにまる保育園”は十八年前に設立された民営の保育園だ。そんなに老朽化もしていないながら、五年前に大規模な施設の改修が行われた。理由としては、最新の設備を導入することと、主に飼育に関わる部分の増築が挙げられていた。運営会社は株式会社 青空教室あおぞらきょうしつで、代表は片柳かたやなぎりょう。“あにまる保育園”の経営以外にも、病院や動物園、児童養護施設などいくつかの福祉的、教育的施設へ寄付を行っている団体で、主な収入源は株取引だそうだ」


「改めて聞いても、めちゃくちゃ怪しいというか、胡散臭い団体だよね。それで、“あにまる保育園”の特徴的な部分は、動物とのふれあいを軸にした新時代の情操教育、だっけ。これが実際には、特殊な死生観の植え付けではないか、とわたしたちは疑っているわけだ」


「“あにまる保育園”の教育方針が偶然特異な思考を植え付けてしまい、犯罪者を生み出してしまったという可能性も全くないとは言わないが、恐らくそうではないだろう。意図的にそうしているとなれば、“あにまる保育園”かその運営元の“青空教室”が犯罪に加担していると考えるべきで、非合法な手段を取ってくる可能性は充分に警戒した方がいい」


「そうすると、もし一日目で証拠を掴めそうでも深入りせずに職員の信頼を得たり、こいつらは無害だと認識させるところから始めて、最終日付近で行動に移した方がいいかもしれないね。最初は勉強熱心な学生のフリをして情報収集に徹するかな」


「もし決定的な証拠を掴んでも、それに気付かれてしまった場合、間違いなく先生を排除、抹殺しようとするだろう。その場合や、逆に先生の友人の誰かが人質にされるなど危機的状況に陥った場合の対策は考えているのか?」


 その状況はあまり考えたくはないし、できればそうならないように動きたいと思っている。だが、実際にそうなってしまった時に困るから、やはり事前に考えてはおかなければいけない。


「自分の身は自分で守るようにするよ。でも状況にもよるけど、ゼミの仲間が危ない時は、わたしが身代わりになるしかないかなと思ってる。その辺、萩くんからは何か案はある?」


「とりあえず、これを持っておくといい」


 と言って渡されたのは、指先に収まるような小さな四角い機械だった。特にカメラやマイクが付いている感じはしないが、真ん中に小さなボタンが一つ取り付けられている。


「これは?」


「簡易通信機だ。緊急時、何らかの形でスマホが使えないことがあった際に、外部と連絡が取れないと困るだろう。真ん中のボタンが押されると、僕のスマホに通知が来るようにしてある。もし身の危険を感じたら、これを押してくれ。僕がすぐに警察を向かわせる。それに、うちのグループのボディーガードも近くに配置しよう。それなら友人も含めて守れる可能性が高まる」


「ありがとう。じゃあ、一回押したらボディーガードの人、二回押したら警察、にしよう?」


「わかった」


「あと、ボディーガードの人は初日はいいよ。初日から派手に動くつもりはないし、ボディーガードの人も毎日は大変でしょ? それに行ってみないと空気感もわからないから、とりあえずまずは行ってみて、それからまた相談させて?」


 そう言うと、萩くんは苦々しい顔をしたが、やがて静かに頷いた。


「……わかった」


 わたしのことが心配なのだろう。それでも萩くんは、わたしの意見を尊重してくれた。


「昨日送った図面は、五年前に改修工事を行った際のものだ。つまりは現時点で最新のものになる。先生はこれを見てみて、どこか気になる部分はあったか?」


 敷地の半分ほどを園庭に費やし、二階建ての本館と、同じく二階建ての飼育小屋が二棟別にある。飼育小屋の裏には焼却炉と墓地があるようで、見た感じは不自然な点はないように思える。

 隠し扉や隠し収納の類が造れるほど余裕があるようにも見えないし、あとは実際にこの間取りがその想定通り使われているのかというところか。


「あるとすれば、ここに描かれていない地下室があるとか、かな」


「だろうな。“お見送り”の話を聞いて、この図面を見て、二人きりの空間を作るとしたら地下が怪しいと僕も思った」


 地下室を造るなら“あにまる保育園”を設立した際に造っただろうし、今回の図面に載っていなくても不思議はない。


「地下室があるんだったら、やっぱりこの第二飼育小屋の下? 焼却炉の作りが詳しくわからないけど、地下室と焼却炉が繋がっていれば、地下室で死んだ動物をそのまま焼くことができるからね」


「その前提だと、地下室の換気を封じれば、焼却炉から漏れる一酸化炭素を利用して動物を意図的に弱らせることができる。そうでもしないと、半年に一度のペースで飼育している動物が死ぬなんて考えにくいだろう」


 確かにその可能性はある。わたしは動物を弱らせているのは、“あにまる保育園”と提携しているという獣医かと思っていたが、その両方であるかもしれない。


「この地下室に追い立てられたらマズいんじゃないか? 後ろは焼却炉、出入り口を封じられれば一酸化炭素中毒だ。先生としては、どう考えている?」


「逆に、出入り口が複数ないか、出入り口以外に地上に通じる部分がないかを現地で探したいかな。もしそれらがなさそうだったら、正直お手上げかな。素直に助けを呼ぶしかないと思う」


 だから、そうならないように立ち回らなければ。ゼミの皆にも、できる限り普通に実習に参加してもらって、気付いたことがあれば報告を受ける形にしようと思っていた。今回の事案は特に、皆にも積極的に動いてもらうには危険過ぎる。


「先生自身は、何か護身武器を携帯しなくて大丈夫か?」


「逆にそれが見つかった時、わたしが言い逃れできないでしょ。わたしはあくまで、知り過ぎてしまった一般人という、被害者でいたいんだから」


 武器を持っていたら、まるでそうなることを予見していた、計画的な行動だと思われてしまう。それでもし取り逃がしてしまったら、わたしは彼らに敵対する勢力の一人だと認知されてしまうだろう。知り過ぎた一般人でも、“知り過ぎる”程度によっては消される可能性もなくはないだろうが、少なくともわたし個人だけで済むはずだ。もし一味だと思われたなら、わたしと一緒に実習に来た愛淑あすみ美祝みのり莉世りせも狙われるかもしれない。他にもわたしのことを調べ上げて、親しい人を片っ端から疑って標的にするかもしれない。


「わかった。だがくれぐれも、無茶はしないでくれ」


「ここまでさせておいてよく言うよ。でもまぁ、わたしも死にたいわけじゃないから、無謀なことはしないようにするよ」


 できるだけ、ね。という言葉は、口には出さず、心の中に留めておいた。


 すると萩くんは、何やら改まって何かを話したいらしく、こちらをじっと見つめてくる。が、口を開こうとすると、またきゅっと結んでしまってなかなか話してくれない。そんなに言いづらいことなのだろうか。お構いなしに何でもずけずけ言う彼にしては珍しい。

 やがて、ようやく決心がついたのか、今度こそ声に出して話してくれた。


「もし、この件が上手く片付いたら……先生に会わせたい人がいるんだ」


 この状況でそれを言うか。完全に死亡フラグじゃないか。わたしに死ねと?

 だが、そんなに言いづらそうに会わせたい人がいると切り出されると、わたしも少し構えてしまう。彼がここまで気を張る相手となると、彼よりも立場が上の存在なのだろう。最も考え得るのは、彼のご両親のどちらか、または両方か。


「と言っても、会ってくれるかはわからないんだが……」


 ふと、昨日の佐路さじさんの言葉を思い出す。会わせたいのは母親だろうか。萩くんは自分の成果を母親に示したいのだというが、わたしをその証人にしたいのだろうか。


「わかった、いいよ。じゃあまずは、この件をちゃんと片付けないとね」


 わたしがそう言うと、彼は安堵したようにほっと息を吐いたかと思うと、突然くしゃくしゃに顔を歪めた。


「……ありがとう、先生」


 それを見て、誰よりも早くセレナさんが彼の元へ駆け寄って、わたしと彼の間を遮った。セレナさん自身の身体で彼を覆い隠し、わたしから彼の姿が見えないように。

 彼が鼻をかむ音が聞こえてくるので、彼の身に何が起こっているのか想像はできるが、彼が信頼しているわたしであってもその姿を見せないようにするセレナさんの行動には、思わず言葉が出なかった。


 彼も相当 精神が疲弊しているらしい。最近の彼は、確かにどこか普通ではないと思っていたが、ここまでとは思っていなかった。昨日 佐路さんが話をしてくれたのも、彼が限界に近いことを伝えるためだったのかもしれない。

 彼だってまだ十三年しか生きていない子供なのだ。大人びているから普段は意識しにくいが、本来ならまだ親に甘えていたっていい年齢だ。できないことに無責任に弱音を吐いて、誰かに縋ったっていい年齢だ。彼自身がそれを望まないなら、周りの大人がすべきことは、彼がそうなってしまいそうな時、彼が理想の自分で居られるようにそっと手を差し伸べてやることなんじゃないだろうか。

 甘やかしているわけではない。倒れそうになった子を、そっと支えてあげるだけだ。


 この件を片付けて、早く彼を楽にしてやりたい。そして彼の母に、良い報告ができるようにしてやりたい。その気持ちは以前よりも確実に強くなっていた。


「大丈夫だよ、萩くん。わたしを誰だと思ってるの? このわたしがどれだけ頼れるお姉さんなのか、一番わかっているのは萩くんでしょう? だったら、あとはわたしを信じて待っていなさい。ちゃんと期待以上の働きをしてみせるから」


 すると、セレナさんの身体を隔てて、くぐもった声が聞こえてくる。よくよく見れば、セレナさんの背に回される、まだ成長途上の逞しい手が見える。嗚咽交じりの声で何かを訴えかけてくるが、とても言葉として聞き取れるものではない。


「それじゃあ、今日はもう帰るね。また月曜日、帰りに寄るか電話するかするから」


 そう言って佐路さんにアイコンタクトを送ると、佐路さんは萩くんに一言断って、わたしを送るために車の用意をしてくれた。彼は特に言葉を返してくれなかったが、セレナさんが顔だけこちらに振り向いてウィンクを投げて寄越したので、たぶん大丈夫ということだろう。



 萩くんは確かにわたしを気に入っている部分はあるが、セレナさんにあんなにも甘えているところを見せられると、少し思うところもある。こんなことを思いたくはないが、彼も“お姉さん”が好きなんじゃなかろうか。セレナさんのことをそういう対象・・・・・・として見ているわけではもちろんないと思うが、そうではなくて、年上のお姉さんに甘えたいという願望が強いということだ。

 もちろん、その根底にあるのは充分に母親に甘えられなかった寂しさやその反動なのだろうけれど、こうして精神が参ってしまっている時ほど人間の本性というか、根源的な願望は表に出てしまうものだ。そうして現れたのが“あれ”だと言うのなら、萩くんも“お姉さん”が好きなのだろうと思わずにはいられなかった。


 一紀くんもそうだが、単なる“お姉さんフェチ”というのと違って、もっと歪んだ、偏愛的な感情がそこには潜んでいるように思う。そして彼らはどちらも“お姉さん”という存在に対して執拗なこだわりを見せる。

 彼らにとって“お姉さん”という存在は、大袈裟に言えば神格化された存在で、彼らの思想、価値観において強い影響力を持っている。わたしは彼らから“お姉さん”として認められており、つまりわたしの言動、一挙手一投足は、図らずとも彼らの人生に強い影響を与えてしまうのだ。


 二人とも、こんなたった一人の小娘に人生を左右されるなんて、馬鹿じゃないのかと思う。もしわたしがとんでもない悪女なら、彼らを破滅させることだってできるのに。

 幼子のように無防備で、無警戒で、素直。純粋な彼らは簡単に悪意に染まってしまうだろう。他の“お姉さん”が彼らを黒く染めてしまわないように、せめてわたしの色で塗り潰してあげよう。それが彼らのためであると信じて。

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