1-2-2.四月十七日②

 講義が始まって少しすると、まさかの講義中に彼からメッセージが送られてきた。


〈さっきはすみませんでした。変なお願いしちゃって〉


 やはり、彼のさっきのメッセージには彼の意思とは別の何かが介在していたらしい。状況を推察するに、一紀くんが謝るようなことではないと思うけれど。


〈どうせわたしと付き合うことになったって言っても信じてもらえず、証拠を出せとか言われて、本当に彼女なら自撮りの一枚くらい簡単に送ってくれるだろ? なんて、わたしの自撮りが見たいだけの取り巻きに言われたんでしょう?〉


 そんな様子が目に浮かぶようだ。一紀くんのことだから、そう言われると断れないだろうし、わたしに助けを求めるように、言われるままにメッセージを送ってきたってわけだろう。


〈せっかくだから、目一杯可愛くしてみたよ〉


 恐らく一紀くんの取り巻きは、一紀くんが彼女にこう言ったら彼女はどんな写真を送ってくるだろう、というのを見て、彼とわたしは今どれくらい進展しているのかを推察するのだろう。彼女がこんなあざと可愛い写真を送ってきたら、取り巻きたちはどう思うだろう。彼氏に可愛く見られようと必死な、彼氏のことが大好きな彼女に見えるだろうか。


〈全部合ってますけど、正直引きます〉


〈ごめん、引かないで〉


 さっき同じ理由で引かれたばかりなんだ。これじゃあ傷が癒えるどころか、塩を塗り込むようじゃないか。


〈っていうか一紀くん、今 講義中じゃないの?〉


 ふな大の時間割は知らないけれど、どこも大体同じだろう。わたしが講義中ということは彼もそうなんじゃないかと思って、こんなに話続けちゃったら迷惑かもしれないから、一応聞いてみる。一年生は単位も少ないだろうし、もしかしたら暇なのかもしれないけれど。


〈講義中ですよ。早めに謝罪しておいた方がいいと思ったので、こっそり送ってます〉


〈わたしも講義中だけど、こっそり送ってる笑〉


 迷惑だったらここで話が切れるかとも思ったが、そういうわけでもないらしく、普通にメッセージを返してくる。


〈お嬢様校にあるまじき悪い学生ですね〉


〈お互い様でしょ? 残念だけど、お嬢様校でも真面目に聞いてる子の方が少ないからね〉


 自分で言っていて恐ろしくなる。真面目に講義を聞いていないのに、国内の女子大では最高峰の偏差値なのだから。下手をすれば、教授の方が学生についていけないんじゃないかとすら思う。だからか教授も、講義の邪魔をする者はともかく、講義を聞いていない学生をいちいち咎めない。


〈あの〉


 一紀くんが珍しく、呼びかけだけのメッセージを送ってきた。まだ何か話したいことがあるのだろうか。これから長めの文を書くから少し間が空いてしまうが、気を留めておいてほしいという意思の表れなのだろう。そんなに伝えたいことがあるのか。一体何だろう。


〈ん、何?〉


〈もし志絵莉さんさえ良かったら、今後もちょくちょく自撮り送ってもらえると嬉しいです。どうせSNSに自分の写真なんて上げてないんですよね?〉


 一応、彼にはわたしのSNSのアカウントをいくつか教えてあるが、確かに個人が特定できるようなものは載せていない。というか、そういうアカウントもあるにはあるが、彼には教えていない。ちょっと見せられないような内容も投稿しているし。


〈よくわかってるね。でもどうしてわたしの自撮りなんか欲しがるの?〉


〈可愛い彼女の自撮りが欲しいのは、そんなに不自然ですか?〉


 そう真っ直ぐに言われると、無性に恥ずかしくなってくる。一紀くんは本当にわたしのことが好きじゃないんだろうか。その可能性はないのだと自分で断じておきながら、そう思ってしまう。


〈わかった。いいよ〉


 そこでわたしはふと、気になったことを聞いてみる。


〈一紀くんさ〉


〈何ですか?〉


〈わたしの顔、好き?〉


 さっきの愛淑とフミヤくんとの話を聞いて、一紀くんもやっぱり顔より体なのかもしれないと思うと微妙にショックだったので、そうではないことを祈りながら返事を待った。


 少し考えていたのか、先生に当てられたのかはわからないが、少し時間が空いてから返事があった。


〈可愛いとは思いますよ〉


 ……これはどういう反応なんだろう。好きとは言ってくれないのか。こういう時は、文面で会話するのは不便だと感じる。面と向かって話していれば、視線や仕草、わずかな表情の変化から読み取れる情報もあるだろうに。


〈まあいいや。もうそういうことにしとく〉


 ここで好きと言ってくれないのは何故なんだろう。あんなに可愛い可愛いと言ってくれて、今も可愛いとは言ってくれている。だけれど、この顔が好きかと聞かれると、そうは答えない。可愛いとは思うけれど好きではない。それは成り立つのだろうか。わたし個人が好きかどうかじゃなくて、顔が好みか聞いているだけなのに。


〈どういうことです?〉


〈一紀くんのえっち〉


〈もしかして心理テストか何かしてました?〉


 彼の回答がちょっとだけショックだったので、わたしは彼に少し意地悪をすることにした。よくわからない返しをしたまま、これで放置しようと思う。後になって可哀そうに思えてきたら、何かしら連絡してあげよう。



 今日の講義が一通り終わって、一度 家に帰ってからしゅうくんの家に向かった。

 今日はようやくバイトの日。この週末に得た膨大な情報を萩くんに提供し、来週までには“あにまる保育園”攻略のための作戦を考えなければいけない。


 しかしその前に、釈明しなければならないことがあった。


「待っていたよ、先生」


 チャイムを鳴らすと、珍しく佐路さじさんではなく萩くんが直接 出迎えてくれた。彼もずっとこの日を待ちわびていたのだろう。その割に、ちっとも嬉しそうではなくて、むしろ機嫌はすこぶる悪そうではあるが。


「こんばんは、萩くん」


「……こんばんは」


 わたしが努めていつも通りに振舞うので、萩くんも調子を狂わされたようにぶっきらぼうに挨拶を返してくれた。


「……聞きたいことは山ほどあるが、先に先生の話を聞こう」


 わたしを居間に通してくれて、彼はいつものリクライニングチェアに腰掛けた。セレナさんもどうぞ、といつものようにお茶を供してくれたが、その笑みは少し引き攣っている。佐路さんも、心なしかいつもより距離があるように感じる。二人とも、どこか虫の居所が悪そうな主人の顔色を窺っているのだろう。

 二人を早々に安心させてやるためにも、わたしもいつも通りソファに座って、彼の求めている話を先にしてやることにした。


「結論から先に言うと、彼は彼氏じゃないよ。彼とは合コンで出会って、ビジネス恋人になるようわたしから持ち掛けたんだ。話してみれば、彼も普通じゃなさそうな感じがしたから、案外上手くやれそうな気がしてね。だから表向きには彼氏ってことにしてるけど、本当の彼氏じゃない。それは彼自身も了承してくれているし、一線を越えないよう約束もしてる」


 萩くんはまだ納得できたわけではないらしく、憮然とした表情を変えずに質問を挟んだ。


「あの場で僕に彼氏だと紹介したのは、僕を先生にとって本当の関係を明かしていい、近しい関係の人物だと思わせたくなかったからか?」


「不審がられて追及されるのも面倒だからね。萩くんの素性ややっていることだって、あんまり広く明かしたいことじゃないでしょう? だから彼には、あくまで普通の大学生としてのわたししか見せてないんだ」


「それが“一応、彼氏”に含まれるニュアンスというわけか」


「まあ、うん。萩くんならそれで察してくれるかなって思ったんだけど……ごめんね、通じなかったみたいで」


 あれで通じろという方が酷だということはわたしもわかっている。だけれど、彼の立場やあの場の状況を鑑みれば、彼が冷静であればわかっていたのではないかと思う。彼がそれくらいの思考力を持ち合わせていると、少なくともわたしは思っている。

 しかし事実としてそれで伝わらなかった、いや、彼が冷静になれなかった以上、わたしは考えを改める必要がある。彼はわたし個人に関わることには、冷静に思考することができない可能性がある。それこそ人並み程度に思考力が落ちてしまうのだと。


「先生は彼氏を作るつもりはないと合コンの前に言っていた。その言葉を違えるはずはないと思っていたから、別に大して心配はしていなかったけれどな。確かにそこまでの内容は汲み取れなかったが、何らかの事情があることは薄々わかっていた。このタイミングで先生が恋愛にうつつを抜かすとも思えない。だが、さすがに先生も僕を買い被り過ぎだ。僕はまだまだ先生の頭脳には到底及ばないんだ。だから、先生の思惑までは気付けなかったよ」


 やけに饒舌になるじゃない。強がっているのか謙虚なのかもよくわからないし。ただ少し機嫌は戻ったらしく、口元には笑みが浮かんでいた。佐路さんやセレナさんもそれを感じ取ったのか、二人の緊張の糸も少し緩んでいた。


「まあでも、わたしのプライベートなんだから、萩くんにとやかく言われる筋合いはないよね? 別にそのせいで萩くんからのお願いができなくなった、なんてわけでもないんだし。むしろ思いがけず成果があったんだから、感謝してもらいたいくらい」


「成果? その偽彼氏から何か情報が得られたのか?」


 仮初だとしても頑なに彼氏とは認められないらしく、わざわざ“偽”を付けて呼ぶあたり、完全に受け入れられてはいないようだ。それでも話は少しずつ軌道修正ができて、“あにまる保育園”の方へ向かっていく。これでこのまま一紀くんの話は終わりにしよう。


「なんとわたしの彼氏、“あにまる保育園”の卒園者だったんだよ」


 その一言だけで、萩くんの興味は一気にその話に傾いた。さっきまでの仏頂面が嘘のように、目を輝かせて、組んだ足を解いて身を乗り出してくる。

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