1-1-14.四月十六日②

「“あにまる保育園”は一応、提携している獣医の先生がいるんです。だから病気やケガをしたら治してあげることもできる。だけど、あくまで自然な姿でのふれあいを目指していたから、獣医の先生は動物たちの容態を診てはくれるけれど、治してはくれなかったんです。自然界では、治してくれるお医者さんはいない。でもこのままだと動物はずっと痛くて苦しいまま。なら、どうする? という問いかけを子供たちにしたんですよ」


 そこで出た結論が、楽にしてあげることだって言うのだろうか。それを、大人が子供に決断させていたと言うのか。


「それ、何で問題にならないの……?」


「実際はどうかわからなかったんです。俺たちにされたのは、その問いかけだけ。その後に動物が死んじゃっても、それは誰かが手に掛けたのかどうかまではわからなくて。でもそこで伝えられたのはそれだけじゃないんです。自然の生き物は簡単に死んでしまう。強い生き物は弱い生き物を食べて生きているし、病気やケガをしても治せない。だから道端で死んだ生き物を見かけるかもしれない。その時は、そっと土に帰してあげなさい、と言われていたんです。そうして、死んじゃった動物はみんなで埋めてあげてました」


 そう話す一紀かずきくんは、その教育の恐ろしさに気付いていないのだろう。だからそんなうっとりした顔で、良い思い出として話してくれるのだろう。

 段々とわかってきた。“あにまる保育園”から何故殺傷事件の犯人が生まれるのか。だけど、まだ証拠は何もない。それを示す証拠がなければ、わたしの言葉はただの妄言でしかない。


「その、動物が死んじゃうことって、結構あったの?」


「そうですね。普通に飼育されている動物に比べれば、治療をしないので寿命を全うできない子が多かったんだと思います。俺が通っていた時でも、半年に一回くらいは死んじゃっていたような気がします」


 明らかに多い。寿命の短いハムスターでも、普通に飼育していれば二年は生きてもおかしくない。そりゃあ、騒がしい子供たちに触れあわされて、ストレスまみれだったかもしれないけれど、半年に一回のペースで飼育している動物が死んでいくなんて、それは異常だ。単純に、治療をしないから、という理由で説明が付くものでもないだろう。


「へぇ、じゃあ結構動物の入れ替わりも激しかったんだ」


「言われてみれば、そうですね。でも、俺が保育園に入った頃にちょうどやってきた子が卒園する間近で死んじゃった時は悲しかったですけど、見送ることができて良かったなと思いましたよ。卒園したらもう保育園に行くことはないでしょうから、死んじゃったとしてもわからないですし。この手で埋めてあげられて良かったです」


「それってもしかしてさ、昨日言ってた一紀くんを助けてくれたお姉さんが死んじゃった時のこともあって、そう思うの……?」


 そうであってほしいと思った。わたしは、一紀くんはそちら側・・・・ではないと信じたかった。

 一人前とは言わないけれど、ちゃんと気遣いもできる彼が、わたしを可愛いと言ってくれる彼が、酔ってわたしの膝の上で子供みたいに寝ていた彼が――将来的に犯罪者になるかもしれないなんて、思いたくなかった。


「そう、ですね。あのお姉さんが死んじゃう時、傍に居てあげられたのは俺だけだった。お姉さんの家族とは連絡が取れなくて、お姉さんを大事に思う人は、お姉さんの最期に傍に居てあげられなかったんです。そしてお姉さんの最期の言葉も、俺なんかが聞いてしまった。本当はきっと、もっと他の誰かに言いたかったことが、いくらでもあったはずなのに」


「最期の言葉?」


「はい。“大丈夫だよ、わたしは死なないから。また会える日まで、元気に生きて、待っていて”、と。それが俺に向けた言葉なのか、他の誰かに向けた言葉なのかはわからなかったんですけど」


 だから一紀くんは、“生まれ変わり”を考えたのか。しかし……確かにそのお姉さんの言葉も謎だ。死なないと言いながら、結局は一紀くんの目の前で死んでしまっている。自分が助からないだろうことも、自分でわかりそうなものだけど。

 しかしそのお姉さんとの話を鑑みると、まだ断定はできないけれど、一紀くんの歪んだ死生観はもしかすると、“あにまる保育園”に起因しないかもしれない。“あにまる保育園”のやっていることはもちろん正しいこととは思えないし、それで殺傷事件の犯人が生まれるのも理解はできる。だけれど、一紀くんがそれに当てはまるかと言われると、彼は彼でまた特殊な体験をしているから、何とも言えないところだと思う。

 きっと、今まで彼はその特殊な死生観を指摘されたことはなかったのかもしれない。それに気付いているのはわたしだけなのかもしれない。だとすれば、彼が道を違えないようにしてあげられるのは、わたしだけなのかもしれない。


 わたしは、彼をどうしたいのだろう。彼にどうなってほしいのだろう。


「だから、もし志絵莉しえりさんが死んじゃう時は、俺が傍に居られたらいいなと思います」


 なんて、一紀くんは笑ってみせる。無邪気な子供みたいな笑顔で、そこには悪意など欠片もなかった。


「わたしは一紀くんが死んじゃう時は、どうにかして助かる方法はないか、必死に探すと思う。一紀くんは望まないかもしれないけど、少しでも長く生きていてほしいし、一緒にいたい。と、もし君のことを本気で好きになった時は、思うと思う」


 実際にそうなったことがないからわからないけれど、わたしはきっと、大切な人を生かすことを諦めないし、死ぬことを受け入れないと思う。それは想像でしかなくて、わたしにとっての大切な人が誰なのかもよくわからないけれど、それでもきっとわたしならそうするだろうという確信があった。

 そしてきっと、今の一紀くんなら、本気でわたしを愛してくれたとしても、死に瀕したわたしを諦めてしまうんだろうとも思った。いや、本気で愛してくれたならこそ、そうするのだろうと思った。わたしのことを想うが故に、最善の選択をする。自分の望みよりも、わたしにとって一番良いと思えることを選択するのだろう。そして彼の中ではそれは、自然死なのだろうなと思った。それが彼の思う、理想の姿なのだろう。

 

 彼が薄情なわけじゃない。彼には彼の考えがあって、思いがあって、理想とする姿がある。それが、わたしと違うというだけだ。彼にも感情はある。だからこそ彼は葛藤している。自分の理想と感情が食い違っていることに。でなければ、彼の理想通り、何の手の施しようもなく死んでいったお姉さんにここまで執着しないはずだ。

 彼は自分の代わりに死んだお姉さんに、自分のせいで死んだお姉さんに、罪悪感を覚えている。もう一度会えたらお礼を言いたいのは、感謝しているからだけではない。自分のその罪悪感を拭いたいからだ。重傷を負ったお姉さんが自然の摂理に従い死んだのに、“生まれ変わり”だなんて非自然的なことを期待するのは、彼がまだ、彼女の死を受け入れられていないからだ。


 彼はわたしと同じなんだ。本当の意味で、人を好きになったことがない。心から他人を愛せたことがない。恐らく自分すら愛せていない。だから、本当に愛するものを失う時に、彼が理想通りに動けるはずがないと、彼の感情がそれを許さないと、想像し、理解することができないのだ。

 彼はわたしのことも愛していない。だから、わたしが死に瀕したとしても、言葉通り傍に寄り添って死を見届けてくれるのだろう。そしてきっと、わたしの死は彼の心に引っかかり続ける。お姉さんの死と同じだ。彼が本当の意味で誰かを愛せるようになるまで、それは延々と繰り返されるのだろう。

 そしてそこに罪悪感を持てなくなった時、きっと彼は平気で他人を見殺しにできてしまう人間になる。目の前にあるまだ助けられる命を、死へと導く死神になる。


「……少し、休憩しましょうか。暗い話になっちゃいましたし」


 考えすぎて、少し顔に出ていたかもしれない。普段は気を付けているはずだけれど、彼に悟られるくらいとなると、少し油断し過ぎたかもしれない。


 わたしは隣に座る彼の頭を抱え込み、自分の胸元へぎゅっと抱き寄せる。彼は抵抗せずに身体ごとこちらに預けてくれたので、そのまま身体ごと抱え込んだ。


「志絵莉、さん……?」


 一紀くんから戸惑いの声が漏れるが、放さずに抱き締める。息ができないほど締め付けてはいないはずだから、苦しくはないだろう。


 わたしは今、とても悪いことを考えている。わたしだって結局は、自分を満足させるため、愉しませるために他人を利用している。それは相手を愛していないからできることだ。愛していたら、もう少し大切に扱う……と思いたい。どちらにせよ、他人を愛せていない今のわたしは、関わる人間全てがわたしを満足させるために存在していると本気で思っているのだ。

 それは彼も例外ではない。だからわたしは、彼との関係を刺激的にする一つの目標を決めた。それは、彼に愛想を尽かされる前に、彼に本気でわたしを愛させること。その愛にわたしが応えられなかったら、彼にはつらい思いをさせてしまうだろう。それでも、彼にとって価値のある経験になるはずだ。


「色々話してくれてありがとうね」


「いえ、それは別にいいんですけど……。すみません、訳わかんないことばっかり言って」


 自分の価値感がどこかおかしいことには気付いているのだろうか。わたしの反応に違和感を覚えて、それを感じたのだろうか。もしそれで彼に不快な思いをさせていたら申し訳ないな。


「何言ってるの、楽しいよ。……でも、あんまり話したくないことだったら、話さなくてもいいからね」


「大丈夫です。こんなこと、誰かと話す機会もありませんでしたから。志絵莉さんには、ぜひ聞いてほしいです」


 恋人がいたことはないと聞いたが、交友関係はどうだったのだろう。合コンに呼ばれるくらいだから、それなりに上手くはやっていたんだろうけれど、彼から友人の話が出てくることはあまりないな。

 “あにまる保育園”に関わる話だけじゃなくて、彼のその後の人生についても聞いてみてもいいかもしれない。彼の場合は少し特殊だが、その幼少期の特殊な経験がその後の人生にどう影響したのか、気にならないと言えば嘘になる。好奇心や興味本位で他人の人生を知りたいと思うのは、あまり褒められたものでないことはわかっているが、それがわたしの性分なのだから仕方がない。


「わかった。じゃあ、いっぱい聞かせてもらうね」


 それはそうと……、とわたしは一度言葉を区切ると、どうしました? と一紀くんが顔をわたしの胸に埋めたまま視線を上げる。

 こうして見ると、母親に甘える少年にしか見えない。彼はわたしに可愛いと度々言ってくれるけれど、彼だって可愛らしい。申し訳ないが、今のところ彼を可愛いとは思っても、カッコいいと思ったことは一度もない。


 そんな彼に、わたしはできる限り優しく微笑んで問う。


「おっぱいの感触はどう?」


 すると、彼は気恥ずかしそうにみるみる顔を赤くしていったが、素直に感想を吐露してくれた。


「……思ったより、硬いです。もっと柔らかいのかと思ってました」


「それはそうだよ。ブラ着けてるからね。がっかりした?」


「いえ、そんなことは……」


 とは言いながらも、彼の微笑みは取り繕ったようにぎこちなく見えた。期待を下回っていたのは間違いないらしい。それでもこの体勢を続けるというのは、服越しでもそれなりの満足感が得られるからなのだろう。


 すると、ノックの音がしたと思ったらすぐに部屋の扉が開けられた。一紀くんのお母様だった。お母様は今のわたしたちの状況を見て、大げさに驚いたように開いた口に手をやった。


「あら……! お邪魔しちゃってごめんねぇ……。お母さん、買い物行ってくるけど、盛り上がり過ぎないように……ね?」


 などと、意味深に目配せしてくる。絶対何か勘違いしているな、この人。

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