1-1-13.四月十六日①

 今日も同じように船迫ふなさこ駅前で待ち合わせて、一紀かずきくんには彼の家までの道案内をお願いした。


志絵莉しえりさん、こんにちは」


 今日は昨日、一昨日とはまた違った格好をしてみたが、簡単に見つかってしまった。一紀くんのお母様とも会う予定だから、化粧でそれほど顔も弄っていないし、逆にこれで気付かれなかったら悲しすぎるか。


「こんにちは、一紀くん」


「今日はまた一段と可愛い格好ですね」


 一応、一紀くんの彼女はあの・・翠泉すいせんのお嬢様ということになっているから、今日は上品なお嬢様に見えるようにと思って着飾ってきた。パステル調の花柄の丸襟ワンピースは、ところどころにアクセントになる刺繍やレースがあしらわれていて、丈もしっかり膝が隠れるくらいまである。髪は気持ち毛先を内側に丸めて、サイドは片側だけ編んでリボンを結んだ。

 化粧は肌は白めに、唇を濃く、だけれど厚化粧感が出ないように、ナチュラルメイクの延長くらいを目指してみた。


「ありがとう。どう? お嬢様に見えそう?」


 なんて、あざとくスカートの裾を軽く摘まみ上げて、上目遣いで微笑んでみせる。すると彼も、優しく目を細めて微笑んだ。


「ええ、見えますよ。こっそりお城を抜け出したお姫様みたいです」


「あらあら、じゃあそんなお姫様をエスコートしてくださらない?」


 そう言って手を差し出せば、彼は恭しく頭を垂れて、その手を取った。


「かしこまりました、お嬢様」


 お姫様だって言ってるのに、これじゃあ令嬢と執事じゃないか。まったく、何の茶番をやっているんだ、わたしは。それが可笑しくて、自然と笑みが溢れた。



 何はともあれ、彼に案内されて彼の家に着いた。彼の家は五階建てのマンションの三階の一室で、一紀くんがドアの鍵を開けると、わざわざ玄関まで彼のお母様が出迎えてくれた。というより、お母様も息子の彼女に興味があったのだろう。どんな女を連れてくるのだろうと待ちわびていたに違いない。玄関に通されたわたしを上から下まで舐めるように眺め回しているのが何よりの証拠だ。


「あの……お邪魔いたします。わたし、上杉うえすぎ志絵莉と申します。一紀くんと、お付き合いさせていただいております。こちら、よろしければお召し上がりください」


 と、朝 駅前のデパートで買っておいたお菓子の包みを手渡した。一紀くんからは、お母様にも恋人ということで説明してあると聞かされていたので、この挨拶を考えておいた。むしろ、大学に入りたての息子の部屋に、恋人でもない知り合ったばかりの年上の女が一人で来る方が不審がられるよね。


「あらぁ~、ご丁寧にありがとうね。いつも息子がお世話になってます。ささ、どうぞ。後でお茶持っていくわね」


「お気遣いありがとうございます」


 彼の部屋は玄関のすぐ近くで、彼は先にわたしを部屋に通して部屋のドアを閉めると、部屋の外で何やらお母様と話していた。少しだけ聞き耳を立てると、余計なことはしなくていいから、というような主旨のことを彼が言っている。

 お母様としては、息子が家に彼女を連れてくるなんて初めてのことで、大層興奮していらっしゃるのだろう。当の息子は、身内に冷やかされるのはごめんだと思っているのだろうか。別に、これが俺の彼女だ、と堂々と自慢してくれてもいいのに。いまだに反抗期を抜けていないのか?


 少しして、一紀くんがお茶の入ったグラスを持って部屋に戻ってきた。


「お待たせしました。すみません、麦茶で。お嬢様なのに」


「いやいや、本当は別にお嬢様でもないから」


 実際、わたしはそうだ。わたしは父子家庭で、実家は賃貸アパート。高校も都立のギリギリ進学校と言えるかどうかというところだし。翠泉生の経歴としては、なかなかに異色だという自覚がある。それでも首席合格を果たしたわたしを見下すような器の小さな者は翠泉にはいない。翠泉は実力至上主義だから、目に見える形で示された結果こそが全てなのだ。


「お母様、随分驚いてたね」


「本当、志絵莉さんが彼女って言っても、なかなか信用してもらえなかったんですから。翠泉のあんな可愛い子、何て言って騙くらかしたんだ、なんて言われましたからね」


 もう既に疲れ切ったようにため息を吐く一紀くん。それを見ていると、何だか申し訳ない気がしてきてしまった。本当は恋人ではないと知ったら、お母様はどう思うだろう。息子にできたと思った初めての恋人が、実は息子を利用したいだけの女だったと知ったら……。わたしは恨まれても仕方のないことをしているのだろう。


「騙くらかしたのは、どちらかというとわたしの方だしね」


「何言ってるんですか。俺たちは共犯ですよ」


「……そっか、そうだね」


 わたしは、彼にわたしの都合を押し付けたと思っていた。実際、狡いやり方で彼を言いくるめたと思っているし、彼もきっとそれに気付いている。それでも彼は、わたしだけに押し付けなかった。この関係は、お互いが望んだ結果なのだと。

 だから、何気ない彼のその一言で、少しだけ気持ちが軽くなった気がした。


「さて、と。それじゃあ早速、お話 聞かせてもらおうかな」


 話題を切り替えて、ここに来た本来の目的を果たすことにする。わたしは鞄からタブレットを取り出して、ノートのアプリを開く。話を聞きながら、自分なりにメモをしていこうと思っていた。


「そういえば、情報提供の見返りは、何してくれるんですか?」


 想定外の彼の問いに、思わず轢かれたカエルのような声が出た。


「え゛……っと、……何してほしい?」


 ここまで来て、今更引き返せないわたしに対してその問いは、あまりに残酷が過ぎた。この状況では、何を要求されても断れない。それをわかっていて、このタイミングで聞いたのだろうか。彼の表情からその真意は窺えないが、非道な要求が飛んできそうにないことは、何となくわかった。


「俺、恋人の写真をホーム画面にしてみたいんですよね。後で、撮影会させてくれませんか?」


 予想よりはだいぶ控えめな要求だった。だがしかし、ここで「それくらいなら全然いいよ」なんて言えば、彼は自分の要求が“それくらい”なことなのだと感じるだろう。そうしたら、もっと難度の高い要求をされるかもしれない。余計なことは言わないに限る。


「ホーム画面にする写真を撮るんだよね?」


「そうです」


「じゃあ、いいよ」


 条件を確認されたことで、一紀くんはそこに疑問を持ったらしく、それをそのまま口にする。


「何ならダメだったんですか?」


「それはほら……こう、えっちな写真とかはちょっとね……と思って」


「いや、それはだって」


「写真撮るのは、ダメって言ってなかったから……」


 思い返すと、直接触れ合うことを主に禁じていたはず。だから例えば、卑猥な動画を送ってほしい、みたいな要求は禁止にしていなかった。そもそもハグもキスも許可しているわたしがそれ・・を禁止項目にした理由を考えれば、別に撮影は問題なかったから、それに触れなかったのだ。

 実際のところ、一紀くんが望むなら裸を見せてもいいし、その写真を撮らせてあげてもいいと思っている。本心ではわたしはそれ自体にそこまで抵抗はない。だからこの話題は、彼の意識を逸らすためにあえて出したものだ。


「まさかそんな写真をホーム画面にしないよね……? お母様がうっかり見ちゃっても大丈夫なものにしてよ?」


「わかってますって。でも、そっか……写真撮るのはダメじゃないのか」


「……とりあえず、今回はダメだからね?」


「本当にわかってますって。今回は」


 そう、これでいい。これなら少なくとも彼は、今回自分がした要求がわたしにとって程度の軽いものなのか重いものなのか、判断がつかないだろう。少なくともえっちな写真を撮られるよりは軽いものということしかわからないはずだ。しかし比較対象が極端だから、結局は程度の比較になっていないことに、恐らく彼は気付かなかっただろう。

 別に彼相手にそこまでの駆け引きをする必要もないのだろうが、今回は状況が状況だ。わたしはどうしても“あにまる保育園”の情報を手に入れなくちゃいけないから、何を要求されても断れない立場なのだ。一紀くんは、わたしがそこまでの立場にあることはわかっていないだろうから、それこそどんな要求でもしかねない。裸を見せても構わないというのは、自ら進んで見せたいわけではなくて、最悪そうなったとしても構わないというだけの話だ。できる限り避けられるならそれに越したことはない。


「それじゃあ改めて、話を聞かせてもらってもいい?」


「わかりました。えっと、何から話せばいいですかね」


「そうだなぁ……卒園アルバムとか、ある?」


 確か……と部屋のクローゼットを開けて奥を漁り出す一紀くん。クローゼットの中にあるのは服だけかと思いきや、下の段に置かれた衣装ケースの裏に謎の空間が見えた。そこにはどうやら普段は使わないものが置かれているようだが、同時に隠したいものを隠せる場所でもあるんじゃないかと思い、わたしは咄嗟に視線を逸らした。


「あ、ありました」


 クローゼットの奥から戻ってきた一紀くんは、埃を払いながら卒園アルバムを机の上に置いて、クローゼットの中の配置を戻した。


 改めて卒園アルバムを持ってわたしの隣に座った彼は、わたしにも見えるようにそれを開いてくれた。

 写真で見る外観は普通の保育園とそんなに変わらないように見える。異なるとすれば、やはり動物の存在で、園庭に飼育小屋があったり動物が遊ぶであろう遊具があったりすることくらいだろうか。

 職員の数は少し多い気がするが、子供に加えて動物の面倒も見るということを踏まえれば、それほど異常とも思えなかった。


「あ、どれが俺かわかります?」


 園庭で撮った園児の集合写真があって、前列に座る子供はウサギやモルモットみたいな動物をそれぞれ抱えている。さすがに抱えられなかったのか、手前をウコッケイのような鳥が横切っているのがシュールな絵面だ。

 保育園の頃ってそれこそ今から十五年くらい前だし、顔つきだって変わるだろう。当てろというのは無理がある。とは言え、今の顔から時間を巻き戻した姿を想像して、それと写真とを比較する。そうすると意外にも、当てはまるのは一人だけだった。


「これかな?」


「え、何でわかったんですか? 心読みました?」


 当たっていたらしい。自分でも驚きだ。


「何となくだよ。さすがにそういう心の読み方はできないって」


「いえ、志絵莉さんならやりかねないと思いまして」


 わたしを何だと思っているんだろう……。


 “あにまる保育園”で主に飼育されていたのは、ウサギ、モルモット、チャボやウコッケイのような幼児と同じくらいの大きさの動物や、ハムスターやモモンガ、ハリネズミのような小さな動物で、その他には水槽で熱帯魚のような魚も飼育していたそうだ。


「懐かしいなぁ……。そういえばこの後、“ちゃみりん”死んじゃったんだよね……」


 “ちゃみりん”というのは、写真の一つに写っていた茶色い毛のウサギだそうだ。動物の名前は、やってきた時に園児が相談して決めるのだという。


「病気になっちゃって。みんなで“お見送り”したなぁ。でも今考えるとあれは、安楽死だったんだなって思いますけど」


「え、どういうこと?」


 保育園とは相容れない単語を耳にして、わたしは思わず食いついた。

 “お見送り”が安楽死のことだとすると、それをみんなで、と彼は言っただろうか。まさかそれが、“あにまる保育園”の情操教育の正体……?

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