1-1-12.四月十五日④

「でも一度だけ、中学に上がる前くらいかな、お父さんが位牌みたいなものに手を合わせているのを見たことがあって、それで離婚とかではなくて、お母さんはもうこの世にいないんだなって思ったんだ。たぶんお父さんは今でも、お母さんが死んだことに向き合えていないんだと思う。だからわたしにも、そのことを話してくれないんだろうって思って」


「それでも、志絵莉しえりさんは自分のお母さんのことを知る権利も、資格もあるはずです。それなのにお父さんの勝手で教えてくれないなんて……そんなの酷すぎますよ」


 声を荒げるでもなく物に当たるでもなく、淡々とした口調の一紀かずきくん。それでもその静かな声の中には確かに怒気が含まれているように感じた。

 意外だった。この話に彼がどんな反応を見せるのか、興味があったと言えばそうだが、まさかわたしのお父さんに対して怒りを示すとは思わなかった。


「ありがとう。でもわたしは気にしてないから大丈夫。お母さんのことを知らなくても、ここまでちゃんと大きくなったし。それより今は、一紀くんが昔に会ったお姉さんにそっくりな人の話でしょう?」


 あまり話が逸れるとわたし自身が墓穴を掘ってしまいそうだったので、この話はここで切り上げて、強引に話を戻す。一紀くんが執着している昔に亡くなったお姉さんが、わたしのお母さんと無関係ではないのかもしれないけれど、それは今の段階ではわからないことだ。だから一先ず置いておいて良いことだと思う。


「そう……ですよね。すみません、勝手にムキになっちゃって」


「ううん、いいよ。ありがとう。それで、一般的に言えば、“生まれ変わり”って現象は見た目までは似ないんじゃないかな。魂みたいな、中身の部分にその人の面影があるって時に言うと思うし。見た目が瓜二つとなると、“生まれ変わり”というか……“クローン”?」


 さっきわたしが提示した“整形”という可能性よりは、“生き写し”という点には近いように思う。ただこちらの可能性の方が、現実味は薄い。


「“クローン”って、現代科学で可能なんですか?」


「できないことはないはずだよ。少なくとも人間以外では成功している例もある。ただ倫理的な問題で、人間の“クローン”を造ることは禁じられているはずではあるけどね」


 そう言っておいて、わたし自身も“クローン”という可能性は恐らくないだろうと思っていた。技術的に可能でも、社会的に“クローン”が生きていくのは不可能ではないか、と思うからだ。だからこそ、一紀くんがその“クローン”を見かけるということ自体が起こり得ないことだと思う。


「ますますわからなくなってきました……。でも、志絵莉さんの見立てでは、少なくとも別人ってことですよね。整形だとしても“クローン”だとしても。見た目が同じってだけで、同じ人ではないんですよね」


「まあ、今の段階ではそうとしか言えないかな。わたしもその人に直接会ったわけじゃないし、わたしの知らない未知のテクノロジーがあったりする可能性もあるけど、そういうのを全部抜きにしたら、そうじゃないかなと思うよ」


「ありがとうございます。……もし同じ人だったら、ずっとお礼を言いたかったんです。俺はその人のおかげで、今もこうして生きているわけですから」


 彼にとってそのお姉さんは命の恩人で、自分の代わりに死んでしまった人でもあるのだろう。だから心に引っかかり、忘れることなんてできない。彼の中で大切な存在で、彼女の分まで自分を大切に生きなければならない理由でもあるのだろう。

 そんな彼女と似ているわたしに出会って、こうして疑似恋人関係を築いて、彼は何を思うのだろう。忘れられない彼女のことを嫌でも思い出してしまうんじゃないか。わたしにその人を重ねてしまうんじゃないか。一紀くんはやたらとわたしを可愛いと言う。その言葉の根っこはもしかして、わたしじゃなくて、わたしを通してそのお姉さんを見ているんじゃないか。そんな風に思えてならない。


「それで一紀くんは、もしかしてわたしがそのお姉さんにそっくりだったから、付き合ってくれたのかな?」


「もしかして……嫉妬ですか?」


 なんて、少しニヤニヤしながら言う一紀くん。ちょっとした意地悪のつもりだったのに、全く効いていないどころか腹立たしい返しをされるとは。何か今日は、調子狂うな。


「な……っ!? ち、違うし! 一紀くんがわたしとの関係を受け入れたのって、その人のことが知りたかったからだったりするのかなって思ったの! だからもしかして、わたしって、もう用済みなのかな……と思って」


 思っていることをそのまま話したつもりだったが、それってつまり嫉妬なんじゃないかと思ったら、この場から消えてしまいたくなるような恥ずかしさが込み上げてきた。


「最初は確かに、志絵莉さんを見てあの人のことを思い出しました。でも、志絵莉さんは全然違いました。似ていたのは見た目だけです。カッコよくて、優しくて、聡明で狡猾で意地悪で。それにこうして近くでよくよく見ると、似てはいますけど、志絵莉さんの方がずっと可愛いですよ」


 またこの子は……恥ずかし気もなくそういうことを言う。打算なんかなくて、本心で言っているのだろう。途中 何か、悪口みたいなの混じっていた気がするが。でも、それなら安心した。ちゃんとわたし・・・を見てくれているなら、これからもこの関係を続けていける。


「……ありがとう。こんな意地悪なわたしで悪いけど、これからも仲良くしてね」


「ええ、もちろんです」


 すると、愉快な音楽とともに、まもなく閉館時間になることを告げるアナウンスが流れる。気付けばすっかり話し込んでしまっていた。


「明日もあることですし、今日はこの辺でお開きにしましょうか。駅まで送っていきますよ」


「ありがとう」


 公民館を出ると、また彼と腕を組んで、同じ道を並んで歩く。さっきよりも空は暗く、人工灯の白々しい明かりが目立つ。どことなくひんやりと湿気たような夜の匂いがして、身体が火照ったような錯覚を受ける。


「明日、お家にご家族は居るの?」


「母が居るはずです。途中で買い物に出掛けたりはあるかもですが、基本的には居るはずです」


 どうやら一紀くんは、家で二人きりになるのかどうかをわたしが心配していると思ったらしい。そういう答え方だ。わたしとしては、一紀くんの両親からも話を聞きたかったので、結果的には居てくれた方がありがたいのは間違いではないのだが。


「ご両親が家に居ても居なくても、何か間違いが起きるなんて思ってないよ。一紀くんはちゃんと約束を守ってくれるって信じてるから」


「随分とプレッシャー掛けてきますね……。志絵莉さん、本当に意地悪です。今だってこんなにくっ付いて誘惑して……この関係を続けたいのか辞めたいのか、どっちなんです?」


「別に誘惑してるつもりはないんだけど? でもおかげで確信持てたから良かったよ」


 そうか、一紀くんはこうしてくっ付くのを誘惑だと捉えたのか。それはつまり、こうしてわたしと密着することで、少なからず彼の理性が揺らいだということなのだろう。

 一体何が決め手になっているのだろうか。知っておいて損はない情報だけれど、直接は聞きづらい。安直に考えるなら、彼の腕に押し当たっているわたしの胸だろうか。それか、匂いを近くで嗅いで、とか。それともこのシチュエーション自体が、彼の性癖に刺さっているとかもあり得るか。他には何があるだろう。わたしの予期しないことが、実は彼にとっては誘惑だと感じていることもあるだろう。それを知りたい。そのためには、何度もこうして密かに仕掛けてみるしかないのだろうな。


「確信って、何のですか?」


「たぶん君は、あの約束がなかったとしても、わたしに手を出したりしない。わたしがどんなに誘惑しても、わたしがいいと言わない限り、必死に自分を抑えるんだと思う」


「それは……確かに、たぶんそうだと思います。……というか、やっぱりわざと誘惑してたんじゃないですか」


「しょうがないじゃん、意地悪したくなっちゃうんだから」


 そう開き直ると、彼は呆れたように苦笑いを浮かべた。

 赤信号の横断歩道の前で足を止めると、不意に名前を呼ばれて、わたしは彼の方を見上げる。すると彼もこちらを見下ろしていて、やけに顔が近いなと思っていたら、そのまま物理的な距離はどんどん縮まっていき――触れた。ほんのわずかな間だけ、まるで吸い寄せられるように、唇と唇が。


「これは、いいって言ってましたよね?」


 想定外の出来事に目を見開いたわたしが何か言う前に、彼はわたしの反論を封じ込める。その屈託のない笑顔が憎たらしい。

 確かに言った。ハグもキスもすると。わたしがいいと言ったことだ。わたしが意地悪をするから、意趣返しのつもりなのだろうか。悔しい。ムカつく。ああもう、本当に今日は、調子が狂う。


「言ったけど……こんなところでする? 普通」


「人通りも少ないですし、誰も見てないですよ」


「そういう問題じゃ……まあいいや」


 彼にはそんなこと、できないと思っていた。彼を見上げて、その大きさを初めて意識した。少年みたいで可愛いと思っていた。彼にはそんな度胸はないと決めつけていた。そうしたらいつの間にか、隣にいたのは一人の“男”だった。でもそれも一瞬で、今はもう、少年に逆戻り。ああ、良くないな、こういうの。本当に良くない。


「……怒ってます?」


「怒ってない。ばか」


「……怒ってるじゃないですか」


「怒ってないってば」


 どうにも信じてもらえないので、仕返しとばかりにわたしからもキスを仕掛けてやろうかと思ったが、できなかった。先を越されてしまったせいで、彼の顔を見ると気恥ずかしくなって、躊躇ってしまった。


 そのまま何となく口数が減って、もどかしい沈黙が流れていく。何か言おうにも、沈黙を破るだけの思い切りがなく、沈黙が続けば続くほど言葉を掛けづらくなる。


 結局、無言のまま駅まで着いてしまった。彼の腕から離れたわたしは、彼と向かい合って、抱き着いた。わたしの方から抱き着いたのに、彼の方が大きくて、包み込まれてしまう。わたしの方がお姉さんなのに、これじゃあわたしの方が子供みたいだ。


「……本当に、怒ってないから」


「……うん。今日はありがとう」


「こちらこそ。誘ってくれてありがとうね」


 一紀くんも、わたしの背を抱いてくれる。こうしていると、本当に恋人みたいだ。


 今日一日は意識的に恋人っぽく過ごしてみたが、案外悪くないかもしれないと思ってしまった。まあ、それもいつまで続くかわからないけれど。でも、今日という日が楽しい一日だったのは間違いない。いつまで続くかわからないからこそ、彼と過ごす一日一日を大事にしていかなきゃいけないな。こうしてわたしのワガママ・・・・に付き合ってくれている、彼のためにも。


「また明日。おやすみなさい、志絵莉さん」


「おやすみ、一紀くん」


「気を付けて帰ってくださいね」


「一紀くんもね」


 そうしてようやく身体を放して、わたしたちはそれぞれ帰路に就いた。



 帰りの電車に揺られながら、わたしはしゅうくんに事情を説明しておこうかと思ったけれど、メッセージの上で説明すると言い訳臭くなってしまう気がして、打ちかけのメッセージを消した。

 だけれど何も言わないのも申し訳ないので、事情は会って直接話すとだけメッセージを入れて、その代わりにセレナさんには詳細を連絡しておいた。わたしのせいで彼の機嫌が悪くなってしまうかもしれないけれど、セレナさんなら上手くやってくれるだろう。

 それに一紀くんから情報が得られれば、彼の機嫌も少しは上向くかもしれない。だからこそ、明日は少しでも多くの成果を持って帰らなくては。

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