1-1-11.四月十五日③

「えっと……それで、この後はどうするんだったっけ?」


 結局聞けずじまいだった質問を再度繰り返すと、そうでした、と彼もいつもの調子に戻った。


「特にこれといった予定はないんですけど、ちょっとお話とかできたらなぁって思ってて」


「そっかそっか、いいよ。わたしこの辺はあんまり詳しくないんだけどさ、どこか座れるところとかあるかな?」


「今の時間、駅前に行っても混んでいるでしょうからね……。少し歩きますが、いい場所があります」


 打てば響くように返ってくるな。一紀かずきくんも言葉にしないだけで、色々考えてくれているんだろう。それをもっと自発的に気遣えたら、一人前の彼氏になれるだろうに。


 彼に連れられて大通りから一つ道を入っただけで、辺りの風景は様変わりしたように閑静な住宅街に移り変わる。栄えているのは駅前周辺だけなのだろう。歩道も整備されていないような、車がすれ違うのがやっとという広さの道を行くが、車通りもほとんどなく、すれ違うのは遊び帰りの子供たちばかり。

 一紀くんがさりげなく車道側を歩いてくれて、それでも道は狭いから、わたしは彼の腕に縋るようにくっ付いて歩いた。


「わっ、し、志絵莉しえりさん?!」


 案の定、一紀くんはわたしの急な距離の詰め方に驚いたようだったけれど、拒絶はされなかった。


「……嫌だった?」


「いえ、びっくりしただけで……。こういうの、なんか恋人っぽいですよね」


「何言ってるの。恋人・・、でしょ?」


 わたしが軽く脇を小突くと、そうでしたね、なんて彼は微笑んでみせる。そのどこかぎこちない微笑みは、緊張からくるものなのか、はたまた別のことが頭にあるのかは、今のわたしにはわからなかった。



 少し歩いたところで、さっきよりも少し開けた通りに出た。片側一車線ずつで、歩道にはガードレールが付いていて、道沿いにはちょっとした居酒屋やコンビニもある。


「着きました」


 一紀くんの足が止まったのは、“船迫ふなさこ東公民館”と表示のある二階建ての建物の前だった。


「ここは夜九時半まで開いていますし、この時間なら人もほとんどいないんで、ちょうどいいかなと思いまして」


 入ってみると、一階は窓口があって、そのまま開けた空間にイスと丸テーブルが並べられているだけだった。壁際には賞状やらトロフィーが飾られている。二階には貸し会議室などがあるようだ。

 一紀くんの言っていた通り、人はほとんどいなくて、わたしたちはそのテーブル席の一つに着いた。


「……志絵莉さん、何て言うか、手馴れてますよね」


「え、そう見える……?」


 意外なことを言われたと思って苦笑いを向けると、逆に一紀くんに驚かれてしまった。失言をしてしまったと思ったのか、少しおろおろと焦っているようにも見える。


「え、あれ、違うんですか……?」


「違うっていうか……これまで付き合った人とも長続きしなかったし、手馴れてるとはちょっと違うかなぁって」


「志絵莉さんは、前にもお付き合いしたことはあったんですね。ああそっか、それで彼氏なんて……って思ったんですか?」


 わたし、誰とも付き合ったことがないと思われていたのか。しかし一紀くんは、昨夜わたしが話したことを思い出したのか、一人で合点がいったように、それでいて確認を取るように尋ねてきた。


「まあ、そんなところかな。わたし、人を好きになったことがないんだ。これまで付き合ったのも、全部向こうから告白されて付き合ったの。結局、すぐに向こうがわたしに耐えられなくなって、別れたいとか言われちゃうんだけど。だからこう言うと悪いけど、一紀くんのことも、別に好きじゃないんだ」


「それは大丈夫ですよ。最初からそのつもりで一緒にいますから」


 それなら良かった、と安堵すると、一紀くんの眉が少し下がった気がした。

 わたしは彼のことを好ましく思っているけれど、それは恋愛の好きじゃない。それをわかってくれている。そして、わたしがこんなに馴れ馴れしく接しても、彼はわたしを好きにならない。勘違いして恋をしたりしない。わたしが“恋人ごっこ”をしていることも、理解してくれている。それだけで、わたしはこんなにも居心地がいい。


「昨日、本当に好きになった時は正直に話すって約束をしたでしょう? あれはね、わたし自身のためでもあるの。この関係が終わるとしたら、それは君のことを好きになった時だったらいいなって。もしいつか、わたしにも誰かを好きになることができたら……と思ってね」


 これは本当は話すつもりはなかったけれど、雰囲気に流されて言ってしまった。わたしのこんな素直な部分をさらけ出すなんて、らしくない。でも彼になら、見せてもいいと思えた。

 けれど、きっとこの夢は叶わない。わたしは彼を好きになれないだろう。いや、本当の意味で誰も愛することはできないんだろう。そもそもわたし自身が、わたしのことを愛せていない。何者かもよく知らないわたしのことを、わたしは愛せるようになるのだろうか。

 感情の部分と理性の部分で思うことが食い違う。そんなわたしに振り回されて、彼も可哀そうだ。同情する。だけれど、もしそれでもわたしから離れず傍にいてくれたなら、いつかは彼に振り向いてあげられるのだろうか。


「志絵莉さん……意外とロマンチストなんですね」


「意外って……、わたしのこと何だと思ってたの?」


「うーん……腹黒お姉さん?」


 端的ではあるが、的を射ている気もするのが少し悔しい。


「ひどいなぁ。中身は純情少女なのに」


 不貞腐れたように言うわたしに、一紀くんは、そうだったらいいですね、なんて他人事のように返してくる。その様がちょっとだけ憎らしくて、わたしは無言のままじとっとした眼を彼に向けた。


「自分で“美”を付けないのは謙虚でいいと思いますが、俺は付けていいと思いますよ」


「なんか釈然としない持ち上げられ方だなぁ」


「それより、志絵莉さんに聞きたいことがあったんです」


 面倒くさくなったのか、強引に話を切り替えられた。元々話したいことがあると言っていたのは一紀くんの方だし、だるがらみもこのくらいにしておこう。


「真面目な話なんですが、志絵莉さんは、人って死んだ後はどうなると思いますか?」


 真面目な話と言いながら、実にファンシーな話題だ。一紀くんはわたしに何を求めているのだろう。何を答えてほしいのだろう。質問の意図が不明瞭だったので、とりあえず率直に思ったことを答えてみた。


「あまり考えたことないな。誰かが死ぬところに立ち会ったこともなければ、自分が死ぬところを想像したこともないし。どうしてそんなこと聞くの? 真面目な話ってことは、オカルト的な話とか、哲学的な話がしたいわけじゃないんでしょう?」


「さすが志絵莉さんですね。話が早くて助かります。……俺は、ある人の死に立ち会ったことがあるんですが……その人に最近また会ったんです。いや、厳密には違いますね。その人に“生き写し”の人に会った。それって“生まれ変わり”ってやつなのかなと思って。そうでなかったら、どうしたらこの現象に説明がつくんだろうって思って……」


 彼の神妙な顔つきから、どうもそれが他人の空似とか、勘違いというわけではなさそうだということは容易にわかった。

 一紀くんは“生まれ変わり”というスピリチュアルな可能性を考えたみたいだから、わたしは現実的な可能性を考えてみることにした。


「その人が亡くなったのは、結構前なの?」


「そう、ですね。えっと……十五年くらい前だと思います。その人はたぶん、当時二十代くらいだったんじゃないかと」


 その姿に“生き写し”ってことは、今も当時と同じくらいの姿をしてるってことか。一卵性の双子の可能性を考えたけれど、今も若いままだとするならそれは違うだろう。ではその人の子供という可能性は……ないか。いくら親子と言っても、“生き写し”とまでは似ないだろう。同じ理由で歳の離れた兄弟という可能性もない。


「可能性があるとするなら、あえてその人の姿と同じになるよう整形してる、とか?」


「なるほど……それが一番現実的にあり得る可能性かもしれないですね。でも、何のために……」


「参考までに聞くけど、その人ってどんな人なの?」


 一紀くんはその人に何らかの執着を見せている。十五年前と言えば、彼がまだ三~四歳の頃。その頃は、彼が“あにまる保育園”に通っていた可能性が高い。無関係ならいいが、どうも何か引っかかる。


「その……何と言いますか……」


「ああ、ごめんね。何か言いにくかったらいいよ」


 いや、むしろ言いにくい理由がわからない。ここまで話しておいて、わたしには言いにくいことって何だろうか。その人との関係に、何か後ろめたい部分を含むのだろうか。


 言い淀んだ彼が少し言葉を考えるように視線を他所にやって、やがてゆっくり口を開いた。


「似てるんです。……志絵莉さんに」


「……え? わたしに?」


 さっきの話を聞くと、中身の話をしているわけではないのだろう。まさか最近会ったその人に“生き写し”の人というのは、わたしのことなのか……?


「すみません、ちゃんと話しますね」


 一紀くんの話を整理すると、十五年前に交通事故で自分を庇ってくれた女の人がいて、その人はそのまま一紀くんの目の前で死んでしまったそうだ。しかし十五年経った今、十五年前とほとんど変わらない姿で彼女を見かけたらしい。その後、わたしに出会ってその人とわたしがよく似ていたので気になっていたそうで、ただわたしとその人は別人だと気付いたみたいだが、全くの無関係ではないだろうと思っていたそうだ。それくらい似ているらしい。


「申し訳ないけど、わたしは全然心当たりないなぁ。わたしの容姿はお母さん似らしいんだけど、お母さん、たぶんだいぶ前に死んじゃってるみたいだから、何か関係あってもわからないし……」


 お父さんはそれこそ、お前はお母さんによく似ている、“生まれ変わり”みたいだって言っていたな。

 わたしによく似ている一紀くんを助けたお姉さんと、わたしによく似ているわたしのお母さん。これは偶然……? 十五年前となると、わたしは五歳くらいか。その頃の記憶はもう曖昧だけれど、お母さんはもういなかった気がする。お母さんが死んじゃったのは、いつだったんだろう。


「あの、死んじゃってるみたいっていうのは……本当のところは知らないんですか?」


 一紀くんに鋭いところを突かれた。そんなところまで話すつもりじゃなかったのに、気を許しすぎてしまっている。それが何故だか自分でもわからないけれど、本当に話しちゃいけないことは話さないように、気を付けなければ。


「うん、そうなんだよ。物心ついた時からお父さんしかいなくて、お父さんは何を考えているんだかお母さんのことを何も教えてくれなくてね。お母さんの写真も見たことないから、どんな顔だったのかも知らないんだ」


 だから、力になれなくてごめん。

 わたしは今、どんな顔をしているのだろう。わたしは気にしていないことだから、彼にも気にしてほしくないから、何でもないように笑ってみせたはずだけれど。どうして一紀くんは、そんな悲しそうな顔をしているんだろう。

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