1-1-5.四月十二日②

「というわけなんだけど、それでいいよね?」


 調査をお願いされたはいいが、肝心の取材許可が得られなければ潜入も何もない。それは一応、彼にも話しておかなければと思っていた。


「まあ、取材拒否されたら仕方ない。あまりしつこく突っつくとかえって警戒されるしな」


「……嘘つき。絶対裏で手を回してでも許可を取り付ける気でしょ。何やってるかは知らないし興味もないけど、別に隠さなくてもいいのに」


 わたしがそう少し不貞腐れたように言うと、彼は素直に謝罪した。わたしも確信があったわけではなかったが、図星だったらしい。


「いや……悪かった。そういう強引なやり方は先生は好かないかと思って。やるならこっそりやった方がいいかと思ったんだ」


 彼としてはこのまま諦めることになる方がよっぽど興が醒めてつまらない結果だろう。だから多少強引にでも進めるだろうとは思っていたし、わたしは別にそれでも構わない。あんまり無理し過ぎて各所に怒られないようにはしてほしいけれど。


「いいよ、別に。わたしは何も聞かなかったことにするから」


「そうだな……早ければ再来週いっぱいでどうだ? 伸ばせても二週間くらいだと思うが。学校へは特別課外活動の届け出を出しておくといい。補講かレポートで、講義を欠席してもチャラにしてもらえるんだろう?」


 もう強引な手を使う気満々じゃない。

 確かにうちの学科には“特別課外活動”という制度があり、課外活動中の講義はレポートの提出を以って免除となる。わたしもそれを使う気ではいたが、言うは易く行うは難しだ。レポートだって面倒なんだ。それにどうせゼミの他のメンバーから手伝いを求められる。わたしが持ち込んだ案件なんだから。でもそんなこと、大したことじゃないと言いたいのだろうな、彼は。


「……一週間でお願いします」


「わかった。そのように手を回しておこう」


 期間としては短いかもしれないが、それまでに時間はあるし、ある程度目星を付けてから臨めば何も成果を得られないということにはならないだろう。そのためには、できる限り事前に情報を集めておくしかない。


「そうだ。昨日 先生が言っていた、“あにまる保育園”の出身者がその後 犯罪に関わっていたかどうかを調べてみた。それがこのリストだ」


「え、昨日の今日で調べたの?! 本当に君は……仕事が早いね」


 こうした資料作りも誰かに任せているのではなく、自分でやっているそうなのだから驚きだ。

 しゅうくんの作ってくれた資料を見てみると、確かに犯罪率はわずかに高いように思えたが、目立って多いというほどでもないような気がする。


「このリストを作ってみて思ったのは、どちらかと言うと軽犯罪よりも殺傷事件の割合が多いということだったな」


「本当だ。逆に軽犯罪はほとんどないんだ。総合的な犯罪率ではなくて、殺傷事件の発生率を見ると異常さが際立つって感じね」


 そして実際に、“あにまる保育園”の出身者の殺人事件が四件続いた。この里脇さとわき教授の奥さんが殺された五件目の犯人も“あにまる保育園”の出身者かはまだわからないけれど、もしそうだとしたら、このデータは重要な手掛かりになるかもしれない。


「先生、今週の金曜日はシフトをお願いしていなかったが、できれば予定の追加をお願いできないか? 事前の推論立てをして、ある程度調査の目測を立てておこうと思うんだが」


「あー……その日はちょっと」


 内容的には合コンの方を断りたいが、向こうが先約ではあるし、彼女らを巻き込んだ手前、合コンの誘いだろうとお願いは断れない。あの場では考えておくとか言ったけれど、帰ってから参加する旨を愛淑あすみに連絡していた。だからわたしの中では“既に予定のある日”と認識されており、いくら彼の魅力的な誘いでも、受けるわけにはいかなかった。


「……珍しいな。先生が僕の誘いを断るなんて。何か他に用事か?」


「うん、まぁ。合コンに行くことになってて」


「合コンだとっ?! そんなことのために、僕の予定を断ったのか……!」


 目を見開いてショックを受けている彼に、もはやニヤついた顔を隠す気もないセレナさんが追い打ちをかける。


「ご主人様は志絵莉しえり様が合コンで変な男に捕まらないか、心配されていらっしゃるのですよね」


「それは……! ……まぁ、そうだ。先生が性欲にまみれた低脳な猿どもにけがされるかと思うと……」


 意外と素直に吐露してくれた。合コンに対する偏見が過ぎるような気もするけれど、心配してくれているのは素直に嬉しい。とは言え、別にわたしは彼の恋人でも娘でもないのだから、そんな心配をされる謂われもないのだが。


「ご主人様、そうは仰いますが、志絵莉様だって年頃の乙女なんですよ? たまには殿方と淫らに溺れたい時だってあると思います。それに、志絵莉様はご主人様のものというわけでもありませんから。志絵莉様がどのような殿方とどのような関係を持ったとしても、志絵莉様のご自由ですよ?」


「いや別に、淫らに溺れたい時とかないんですけど……」


 変な誤解を生みそうだったので、セレナさんの言葉を一部訂正したが、彼女はいいからいいから、と微笑むだけだった。セレナさんの言葉で一気に絶望に突き落とされたようなご主人様を、完全に面白がっているらしい。


 ふと視線を彼に向ければ、泣きそうになりながら縋るように向けられる眼差しと交わった。

 どうもこのお坊ちゃんは、よっぽどわたしのことが好きと見える。でもたぶん、本人はその気持ちを自覚していないんだろう。そんなところが微笑ましくもあり、憎めないところでもある。


「萩くん、そんなに心配しなくても、わたしは今のところ彼氏を作るつもりはないから大丈夫だよ。それに、わたしを誰だと思ってるの? このわたしが低脳な猿ども相手に、そんな隙を見せるわけないでしょう?」


 わたしが大げさなくらい優しい口調で言うと、彼は救われたように顔をぱあっと輝かせた。こんな顔、わたしやセレナさんたちの前でしか見せないんだろうなと思ったら、どうしようもなく微笑ましく思えてしまった。


「そう……だな。先生のことを侮っていた。僕の先生なのだから、何も心配することはなかったな。少し取り乱して見苦しいところを見せてしまった。申し訳ない」


「ああ、大丈夫。気にしてないよ。推論立ては、また時間を作ってやろうね」


 普段なら怒るだろう子ども扱いしたような口調で接しても、素直にうんと返してくれた。これはだいぶ効いている様子。できるだけ、彼の前では合コンの話は避けるようにした方がいいかもしれない。


「じゃあ、わたしはそろそろ帰るね」


 席を立って玄関に向かおうとすると、彼はわたしの後についてきて、名残惜しそうに声を掛けてくる。


「先生、送っていかせるよ」


「ありがとう」


 言葉数が少なくなって、声にも覇気がない。自力で立ち直れるかと思ったけれど、なかなかそうはいかないか。


 彼は大人びていて頭もいいけれど、強がっているだけでまだまだ子供だ。どうも無意識のうちに、母親という存在を求めているような節がある。セレナさんに対する態度も、わたしに対する態度も、少しの甘えが内に含まれていることが多いように思う。


 親御さんは社会勉強のつもりだったかもしれないけれど、この家に連れてくる従者を選んだのは他ならぬ萩くん自身だと聞く。それについて詳しくは聞いていないけれど、わざわざ別荘に執事とメイド一人ずつだけ呼びつけて私服で三人暮らしをさせるのは、“幸せな一般家庭”というものへの憧れが少なからずあるのだろう。それを彼なりに作り出そうとした結果が、この家の状況。

 でも、執事の佐路さじさんもメイドのセレナさんも彼の従者であり、立場は下だ。この家では彼が絶対であることに変わりはない。それに高齢の佐路さんと年若いセレナさんでは曲がりなりにも夫婦には見えないだろう。だから彼はわたしを求めたのだ。自分と対等か、それ以上の大人という存在。そして自分を受け入れ、包み込んでくれる“母親”の代わりになれる存在として。

 それが歪んだ関係だとわかっていても、わたしは“母親”のように、わたしよりも小さな彼の震える身体を抱き締めた。そして、大丈夫――何の根拠もなくそう言いながら、彼の背を優しくさするのだった。

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