1-1-3.四月十一日③

「まず根本的に、今回実行犯となった者たちは一部の思想、価値観が一般人とは異なっていた。現時点ではまだ具体的にどこがどうとは断言できないが、少なくとも常識的な価値観から逸脱している部分があることは間違いない。これは取り調べ中を含む彼ら自身の発言の端々から確認できる。その思想、価値観の根源になっているのが、恐らくこの“あにまる保育園”だ」


 一応パラパラとパンフレットをめくって眺めてみるけれど、特別不審な点はないように思う。他の保育園と異なるとすれば、動物を飼育しながら情操教育に取り組むという先鋭的な方針だろうか。


「さっき、四人は保育園からの幼馴染って話だったよね? つまりその四人が通っていた保育園が、この“あにまる保育園”ってこと?」


「そうだ。思想や価値観に影響を与えるのは外部の特殊な環境である可能性が高い。その上 幼少期ともなれば、より根源的な部分に影響を受けているだろう。彼らが特殊な価値観を備えることとなった原因は恐らく、この特殊な情操教育の中にある」


 幼い頃からの動物とのふれあいが後に殺人犯を生み出すって……そんなわけはないと思うけれど。というのは一般的な見方だ。しゅうくんが言いたいのは、“あにまる保育園”が行っているという情操教育は、本当に情操教育なのか、ということだろう。


「“あにまる保育園”で情操教育を受けた者が、後に犯罪者になった割合ってどれくらいなんだろう。それを調べたら、大々的に調査する名目にはなるんじゃないの?」


「いや、それくらいでは警察は動かないだろう。それだけでは、卒園生が犯罪者になった原因が“あにまる保育園”にあるという根拠は薄い。卒園した後どんな人生を歩むかは、それぞれ次第だからな。例えば、私立校の中でも特に学費の高い学校に通うために、経済的に無理をして破綻する家庭が増え、本人やその家族の自殺や離婚、犯罪の率が上がるとしたら、それはその学校のせいだと言えるか?」


「それは……確かにそうとは言えないか」


 それに、仮に警察が調査に入って何も証拠を見つけられなかった場合、風評被害による営業妨害だと逆に訴えられかねない。可能性があるかも、という段階ではそれだけのリスクは負えないか。


「そういうことだ。だから現状、疑いの目は“あにまる保育園”には向きづらい」


「それじゃあ結局、“あにまる保育園”の謎は謎のままってこと?」


 それなら何故、わたしをわざわざ呼び出してこんな話をしたのだろう。そんなの決まっている。わたしに調べろと言うのだ。それはわかっていたが、あえてとぼけたフリをして聞いてみたのだった。


「僕が何を言いたいか、先生はもうわかっているんだろう? それをわざわざ、とぼけてまで僕に言わせるなんて。先生も言わせたがりだな」


「お願いすることがあるんなら、ちゃんと言われなきゃやらないからね? 当然でしょう?」


 こんないかにも危なそうなことに首を突っ込むなんて、正気の沙汰じゃない。こんなことはプロに任せるべきだ。

 でも本当は、わたしだって真実を知りたい。自分の手で真実に辿り着きたい。正直、わたしの方からこの件について調べると申し出てもいいくらい。けれど、それじゃあダメだ。そんなの彼の思い通りにされたみたいで何だか負けた気がするし、わたしは大人として、彼に最低限の礼儀を押し付けなければいけない。それが、彼のためだ。


「先生、この“あにまる保育園”で実際に何が行われているか、調べてきてくれないか?」


 律儀に身体ごとこちらに向き直って言われたのでは、さすがに無下にするわけにもいかない。自分から彼にそう言わせたわけだし。

 と言っても、調査か……。どう理由を付けて乗り込むか、考えないとな。


「わかった、いいよ。だけど、見返りはちゃんともらうからね?」


「構わないぞ。何がいい?」


 何がいいか聞く前から即答するとは。わたしが非常識な見返りを要求しないと信じてのことだろうか。それとも、どんな見返りを要求されたとしても叶えることができるという傲慢か。

 見返りはもらうと言っておきながら、今のところ肝心の中身は考えていない。どれだけ大変な目に遭うかもまだわからないことだし、できればリスクに合ったリターンを要求したい。


「そうだなぁ……成果に応じて、後日相談ってことで」


「わかった。誓約書でも書いた方がいいか?」


「いやいや、そこまでは求めてないよ。口約束でいいでしょ、わたしたちの間柄なら。それに、証人もちゃんといることだし」


 佐路さじさんもセレナさんも彼の家の者だし、いざとなれば彼の味方にはなるのだろうが、間違ったことを推し進めてまで彼を守ろうとするだろうか。たぶんするだろう。彼らの忠誠心は本物だ。だからわたしの言う証人・・には何の意味もない。でも形式上、彼を納得させるには必要な言い分だった。


「わかった。この資料は改めてデータで送っておく。扱いには充分気を付けてくれよ」


「わかってる。進展があれば、また教えるよ」


「事件の方は僕の方で調べておく。こちらも何かあれば連絡を入れるようにしよう」


「ありがと」


 これが、わたしの家庭教師としての仕事。

 基本日給三万円、交通費別途支給。出来高に応じて別途追加報酬あり。今は曜日を固定にしているけれど、一応 一週間前にはシフトを話し合って決めているし、どうしても忙しければ電話だけでもいいと言ってくれている。融通は利きやすいし、百花ももかの言っていた通り、圧倒的に割のいい仕事ではある。……彼のこのお願い・・・を除けば。


「……それで、例の件・・・は考えてくれたか? そろそろ答えを聞かせてほしいんだが……」


 前々から萩くんに頼まれていた件か。これに関しては萩くんも慎重を期していて、わたしも安易に決められるものではないと思っていた。だからまだ答えを保留にしていて、だけれどいずれは決めなくちゃいけないとは思っていた。


「答えを急かすなら、答えはノーよ。イエスと答えてほしいなら、わたしが自分で答えを出すまで急かさないで」


 わたしの強い物言いに、彼はわずかにたじろいだように見えた。きっとこれまで、彼の思い通りにならないことなんてなかったのだろう。だからわたしがどんな答えを出すか、不安でもあり、少しの興もあるのだろう。

 彼のそういうところが可愛くもあり、嫌でもある。素直になればいいのに、と思ってしまう。


「……悪かった。前向きな検討を期待している。暗くなってしまったし、帰りは送りを出そう。政守まさもり、頼めるか?」


 かしこまりました、とわたしが断る前に佐路さんがガレージに向かっていってしまったので、渋々送ってもらうことにした。結局いつも帰りは送ってもらっているので少し心苦しくはあるが、せっかくの厚意を無下にするのも申し訳ないと思った。


「またな、先生。今日は早めに来てもらったから、特別報酬を出しておく」


 わざわざ玄関まで見送りに来てくれた彼は、ぶっきらぼうにそう言うので、わたしはさも不機嫌そうに言い返す。


「そういうのいいって。素直にありがとうって言えないの?」


 わたしが怒っているのかもしれないと思ったのか、彼は戸惑い気味に、恥ずかしそうに視線を彷徨わせながら、ぼそりと呟いた。


「……ありがとう」


「はい、よくできました。じゃあまたね、萩くん」


 ちゃんと素直に言えた彼の頭を撫でてやると、睨みつけるような、でも名残惜しいような視線を向けられるだけで、抵抗はされなかった。

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