1-1-2.四月十一日②

 わたしはいつものように、彼とテーブルを挟んだ向かいのソファに腰掛け、カバンを脇に置いた。

 すると、セレナさんが紅茶とお茶菓子を出してくれる。今日はマドレーヌ。濃厚なバターのいい匂いが漂ってきて、唾液が急速に作られていく。


「いつもありがとうございます」


「いえ、こちらはご主人様からのお気持ちですよ」


 お気持ち……? 客人にはお茶とお茶菓子があって当然だと思っているということだろうか。しかしセレナさんはそれ以上は何も言ってくれず、意味ありげにウィンクするだけだった。


「こら、セレナ。余計なことを言うな」


「申し訳ありません、ご主人様」


 珍しく少し焦ったような彼にたしなめられて、セレナさんは微笑ましそうに、でも上品に、緩んだ口元を隠すよう手で覆いながら彼の傍に控えていた。


 遠慮なく一つを口に運ぶと、しっとりとした食感とともに、濃厚な甘みが口いっぱいに広がった。少し苦い紅茶をすすれば、口に残る甘さと調和して、完食後の余韻に浸ることができる。


 しかしそろそろ、このわたしへのお客様待遇もどうにかならないものか。執事からもメイドからも気を遣われていると、なんだか落ち着かない。わたしは庶民だし、こんな生活とは縁がないのだから。それを言ったところで、なら慣れろ、とか言われそうだから、なかなか口にはできないのだが。


「それで、今日はどうしたの?」


「よくぞ聞いてくれた。これを見てくれ」


 彼は先ほど脇にどけた書類の束を、得意げにテーブルに広げて見せてくれた。まるで新しい玩具を買ってもらった子供のようだ。そのあまりにも整った顔に、愉悦の笑みをたたえている。


 ざっと目を通してみると、最近あった“連続殺人事件”についての資料と、それに類似した別の事件の資料と、“あにまる保育園”なる保育園の入園案内だった。

 資料に目を通すうち、“連続的殺人事件”と類似した最近起きたらしい事件の資料には、よく見慣れた名前の記載があるのに気が付いた。


「あれ、この事件の被害者、里脇さとわき先生の奥さんじゃない?」


「そうだ。それが、今日 環境科学が休講になった理由だ」


 里脇教授は環境科学の担当だ。奥さんが亡くなったなら、今日くらい休講にしてもおかしくはない。それに資料をよく見れば、事件が起きたのは今日だ。奥さんが亡くなった当日なら尚更、講義などできる精神状態ではないだろう。というか、今日起きた事件の資料がもう出来上がっているのか。さすが、仕事が早い。

 わたしが資料を見ながら感心しているのに気付いたのか、しゅうくんは得意そうに続ける。


「これまでに起きた四つの殺人事件。地域も犯人もバラバラだが、手口はまったく同じ。そして逮捕した犯人から聞き出した限りでは、それぞれの事件の犯人は共謀していたわけではないことがわかっている。手口まで公表はされていないから、先生が知らないのも無理はないがな」


 確かに資料を見れば、それぞれの事件自体はニュースで知っていた。しかしこれが、まさか同一の手口のものだったとは。


「共謀していなかったとはいえ、四件の事件の犯人たちには接点があり、保育園から高校まで同じ、いわゆる幼馴染だったようだ」


「なるほど。それで“連続殺人事件”ってわけ」


 資料によれば、今回 里脇教授の奥さんが殺害された事件は、通報から初動捜査の段階では『買い物帰りのところを中学生くらいの少年たちに囲まれ、暴行を受けた末に殺害された』とされていたが、その後の捜査で、犯人は一人で、被害者は鈍器のようなもので殴打され、一撃で殺害されていたらしいことが判明した。

 これまでに起きた四件の事件でも同じように、通報と実態が異なっており、事件の目撃者はいなかったそうだ。となると、この偽の通報をしたのは犯人自身なのだろう。これまでの事件は犯人はすんなり捕まったが、こうも同じような事件が続くとなると、実行犯とは別に黒幕がいる可能性も考える必要が出てきた、ということのようだ。


「実際のところ、これまで逮捕した犯人たちも、犯行を認める者もいれば否認する者、黙秘する者もいて、逮捕した犯人が本当に犯人なのかすら疑わしい部分も出てきている。なにせこの五件目だからな」


「どういうこと?」


「彼らの話では、幼馴染は四人だけだと言うんだ。その全員が既に捕まっている。口裏合わせをして誰かを匿っている様子もない。となれば――今回の事件を起こした五人目は誰だ?」


 自分だって真相はまだわかっていないくせに、萩くんはクイズの出題者にでもなったみたいに楽しそうに話してくれる。こういう時の彼は本当に生き生きしている。


 それにしても、何だかなかなかややこしくなっているみたい。表面的に捉えるならば、恐らく警察の捜査に間違いはなくて、ここ四件の事件は間違いなく解決したと言っていいのだろう。しかしこの五件目をどう扱うかに困っている。黒幕、模倣犯、新たな可能性……。人というのは、辻褄が合わなくなると途端に余計なことを考える。


「……もしかしてだけど、警察は三、四件目あたりが起きた時点で幼馴染のことに気付き、真っ先に疑いをかけて捜査したんじゃない? それで都合よく彼らが犯人であるような証拠が出てきちゃったから、やっぱりねと思って逮捕した。でももっと慎重に捜査していたら別の犯人が浮かび上がったかもしれないって、今更になって心配になったりしたのかな?」


「さすが先生だ。やはり貴女を選んだ僕の目に狂いはなかった」


 俄然 嬉しそうに笑みを溢す萩くん。その笑みは幸福というより恍惚で満ちているようで、どこか不気味に思えた。


「その可能性も頭によぎってはいるんだろうな。だからこうして、僕の元に情報を流してでも秘密裏に解決したいと望んでいる」


「うへぇ、やっぱりまた裏ルートの情報筋なんだ……。あんまり巻き込まないでよ」


 詳しく聞きたくないから聞いていないけれど、彼は時折こうして怪しいルートから情報や依頼を引っ張ってくる。そんなことをしているから、彼の一族が経営する築島グループは警察と癒着しているとかって週刊誌に書かれるんだよ。

 わたしは直接的にグループの庇護を受けているわけではないのだから、いざという時はトカゲの尻尾切りをされるに決まっている。あまり悪いこと・・・・には関わりたくない。


「そんなこと言って……先生だってわかるだろう? この溢れる好奇心を抑えることができないということを。先生だって、この謎の真相に迫りたくてうずうずしているんだろう?」


「不謹慎な言い方するね……。でも、否定はしないよ」


「ふふん、そうだろうとも。それで、先生はこの事件についてどう思う?」


 またいつものやつが始まった。彼は何故だか、わたしの頭脳が彼に匹敵する、いやそれ以上だと考えているらしい。中学生相手にそんなことはないと言ってしまうのは悲しいが、彼は普通の中学生と同じ尺度では測れない、生きている世界が違う人間だ。幼い頃から英才教育を受けてきただろうことを思わせる明晰な頭脳を、わたしは嫌というほど実感させられてきた。

 それなのに、だ。彼はこうしてわたしに意見を求め、時には答えさえ委ねることもある。怜悧れいりでありながら未熟な彼の頭脳の支えに、わたしがなれる、なっていると彼は思っているのだ。そしてそれこそが、彼がわたしを“お気に入り”としている理由の大部分なのだろう。

 いい迷惑、というには少々傲慢かもしれない。わたしだって彼とこうして関わることが嫌なわけではない。むしろ楽しいとも思う。普通のバイトをして、普通の大学生活を送っていたら一生味わえないような経験をさせてもらっている。だから彼のワガママ・・・・にも、真剣に付き合ってあげなければと思っていた。


「わたしとしては、この一連の事件そのものが、偶然起きたことなんじゃないかと思う。いや、偶然というには作為的すぎるんだけど、そうじゃなくて、少なくともそれぞれの事件の犯人は実際に犯行を行って、自分の意志で犯行に及んだんだと思う。誰かの指示で、誰かが選んだ人を殺させられたわけではないと思う。そういう意味で、そこに黒幕は存在しないんじゃないかな」


「と言うと、そういう意味でなければ黒幕はいると?」


 手元の資料に視線を移して興味深そうにわたしの話を聞いていた彼は、ニヤリとしながらこちらを見上げてくる。


「そうだね。犯行に至るまでの間に、何かしらの心理的誘導を受けた可能性はあると思ってる。同じような思考に至りやすい者を選別して、催眠、洗脳のような誘導を掛けて人を殺すよう仕向けた者がいる可能性はあるんじゃないかな。それが偶然、五件のうち四件は幼馴染になっただけで、五件全てがこの黒幕によって心理誘導を掛けられた者による犯行……だったりするかなと思うけれど」


「素晴らしい。さすがは先生だ。僕もそう思う。それで、これだ」


 そうしてようやく、三つ目の資料に話が移ることとなる。“あにまる保育園”のパンフレットだ。

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