1-1-16.四月十六日④
「……すみません、恥ずかしいところを見せてしまって」
しばらくして落ち着いたのか、
「大丈夫、気にしないで。わたしも気にしてないから。それより、撮影会するんでしょ?」
全部話してもらった後に開催しても良かったが、それだと恐らく食後になってしまう。できればお腹が膨れる前にしておきたいと思ったので、気分転換も兼ねて提案してみた。
すると彼も少し気を取り直したのか、ありがとうございます、と微笑みを見せた。
ちょっと待ってね、と手鏡で前髪を整えて、服のしわを直す。
「よし、いいよ。どうしたらいい? ピースする? ハートの方がいい?」
なんて、顔の近くでピースしてみたり、手でハートマークを作ってみたりする。そんな様子を、彼はスマホのカメラで撮影していた。
「もう撮ってるの?」
「可愛かったので、つい」
そう言われると、文句を言う気にはなれないので困ってしまう。
それからは、一紀くんに言われるままにポーズを取ってみたり、照明を変えたり、場所を変えたり角度を変えたりして、撮影会は想像以上に盛り上がった。さながらグラビアアイドルにでもなった気分で、思ったより撮られるのも悪くないなと思った。
「いいですね。最高に可愛いです」
そうしてまた一枚。
「それもいいですね。最高を更新しました」
さらにまた一枚。
「ああ、いいですね。
一紀くんが撮る度に可愛い、可愛いと言ってくれるので、わたしも調子に乗ってついつい色々なポーズを取ってしまう。恐るべき幸福の循環が起きていた。
「ありがとうございました。おかげさまで、アルバムが志絵莉さんでいっぱいになりました」
「その中からホーム画面にするのを厳選するの?」
「そうですね。今夜たくさん悩んで決めます」
普通ならこんなことをされればどれだけわたしのことが好きなんだと思ってしまうところだが、彼にとっては“可愛い=好き”というわけでもないらしい。たぶん、犬や猫を見て可愛いと思うのと同じなのだろう。野良猫が通りかかった時、そいつを可愛いと思うかもしれないが、好きかと聞かれれば、それは少し違うだろう。
すると、ちょうど玄関のドアが開く音がした。お母様が帰ってきたらしい。荷物が多かったのか、息を切らしている様子が部屋のドア越しでも伝わってくる。
「手伝ってあげた方がいいかな?」
「いや、いいですよ。いつもあんな感じですし」
一紀くんはそう言うが、一応 扉を開けてお母様の様子を窺ってみる。案の定、いくつもの買い物袋が山のように玄関に置かれていた。
「おかえりなさい、お母様。わたしも何かお手伝いしましょうか?」
こんな時、何と呼べば良かったのかと思って咄嗟にお母様と呼んでしまった。奥様の方が適切だったかもしれないと、口にしてから気付いた。そのせいで、まあ! と一紀くんのお母様を無駄に喜ばせてしまったようだった。
「あらぁ~、ただいま、志絵莉ちゃん。でも大丈夫よ。志絵莉ちゃんは、一紀の相手してあげて」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えさせていただきます」
一礼してから部屋に戻ると、一紀くんがにやにやと微笑みを溢していた。
「志絵莉さん、その優等生キャラ、疲れない?」
「わたし、一応 本物の優等生なんですけど。偏差値七十超えてるんですけど!」
「こうして俺と接してくれている時の志絵莉さんとギャップがありすぎて、面白いです」
なんて、ついに彼は堪え切れないように笑い出した。
何も面白くないんだけれど。せっかく彼氏のお母さんにいい顔してあげようと思ってやっているのに。実は彼女がこんなに意地悪な女だなんて知ったら、お母様が可哀そうでしょうに。
「いつまでも笑い転げてないで、続きを話してくれない?」
わたしは一紀くんの隣に座り直して、置いてあった卒園アルバムをパラパラとめくっていく。改めて見ても、特に不自然なところはないように思える。まあ、こんなものからでも異質さがわかるようでは、もっと早くに誰かが気付いているだろう。
「どこまで話したんでしたっけ?」
「一紀くんがお姉さんラブってところまでかな」
「……そんな話してました?」
怪訝そうな顔をされるが、そんな話はしていたと思うけれど。多少盛ってはいるかもしれないが。
「せっかくだから、そのお姉さんの事故のことも教えてよ。もしかしたらその人、わたしのお母さんとも関係があるかもしれなそうだから」
「わかりました」
保育園の帰り道、お母さんがふと目を離した隙に、一紀くんはふらふらと勝手に歩いていってしまったそう。そして信号が赤だったことも気付かずに横断歩道を渡ってしまい、信号待ちをしていたお姉さんが道路に飛び出す形で一紀くんを歩道に引き戻したが、お姉さんは交差点を曲がってきた車に
交差点を曲がってきた車もすぐにお姉さんに気付いてブレーキを踏んだようで、どちらかというと撥ねたわけではなく、巻き込むような形で車の下敷きにしてしまったらしい。警察や救急がやってくる前にお姉さんは死んでしまっており、結局一紀くんはお姉さんの身元はわからないままで、葬式にも行けなかったそうだ。
今もこうしてそれなりのマンション暮らしをしているということは、お姉さんの遺族から賠償請求などはされなかったのだろう。
話を聞きながら、タブレットで当時の事件でそれらしいものを探してみるが、見つからない。地元のネットニュースくらいにはなっていそうなものだが、何もない。不自然なくらいに。わたしの探し方が悪いのだろうか。こういうのは専門の人にお願いした方がいいかもしれないな。
「というか、四歳の時のこと、よく覚えてるね」
「なかなか鮮烈な出来事でしたからね。逆に忘れられませんよ」
それは確かにそうだろうけれど、過去の記憶は年月が経つごとに脚色されていくものだ。良くも悪くも。特に一紀くんはお姉さんに執着し、その記憶を美化している可能性がある。考えたくはないことだが、本当は一紀くんがお姉さんを道路に突き飛ばして轢かれるように仕向けた、ということも充分にあり得るのだ。
一紀くんが繰り返し思い出しているのは、お姉さんが死ぬ場面だ。その前の経緯はもう忘れてしまい、想像で補っている可能性もある。そう考えれば、一紀くんの記憶が都合の良いように改竄されている可能性も全くないとも言い切れない。
そしてもし彼がお姉さんを死へ導く行動に出ていたのなら、彼をその行動に駆り立てたのは、“あにまる保育園”なのかもしれない。
「横断歩道には、お姉さんが先に信号待ちをしていたんだよね? 一紀くんはそこで初めてお姉さんと会ったわけだ。その時点では、お姉さんと何か話したりした?」
「いえ、確か……その時お姉さんは、誰かと電話していたんですよ。最初は俺にも気付いていなかったんじゃないかと思います」
「電話、か。お姉さんの身元はわからなかったんでしょう? 誰と電話してたんだろう」
「お姉さんの身元がわからなかったのは、少なくとも俺と俺の両親には、です。警察はわかっていたかもしれません」
だとしても、何も伝えられていないのか。普通なら一紀くんのご両親は、息子を助けてくれた代わりに命を落としてしまったお姉さんの遺族に何らかの気持ちを表明したいはず。葬儀に呼ばれてもおかしくない。でもそうならなかったのは、遺族の意向なのだろうか。
一紀くん一家と関わりたくない、情報を何も教えないでくれ、と遺族が言ったなら、警察はそれを尊重するだろう。では、遺族は何故そうした? 道路に飛び出したクソガキの顔も、そのクソガキの面倒を見れない親の顔も、見たくないと思ったのか。一紀くんのせいでお姉さんは死んだ。一紀くんが憎い。そう思っているのだろうか。
何か腑に落ちない。何か引っかかる。でもそれが何なのか、今のわたしにはわからない。推察するには今はまだ情報が足りない。
そしてそのお姉さんと、わたしのお母さんの関係もまだわからない。そのお姉さんの素性がわかれば、お母さんのことも知れるかもしれないのに、なかなか手が届かない。
「逆に志絵莉さんは、お母さんのことで覚えていることとかないんですか?」
「わたしの記憶では、お母さんは最初からいないんだよね。小さい頃はお父さんから産まれてきたのかと思ってたもん」
これは本当に、しばらくの間はそう思っていた。学校で妊娠や出産のことを学ぶまでは。志絵莉にお母さんはいないんだ、なんて言われて育ったもんだから、女の人からしか産まれないと知って、お父さんと大喧嘩したのを覚えている。それでも結局、お父さんは頑なにお母さんのことは話してくれなかったけれど。
「仮にお父さんから産まれていたとしても、お相手がいるはずですよね?」
それってもし実現していたら、わたしは男同士の間の子ってこと……? つまりお父さんが他の男の人と――。
「……ちょっと、嫌な想像させないでよ」
一紀くんも同じ想像をしてしまったのか、すみません、と気まずそうに視線を逸らした。
「でも、お父さんが志絵莉さんにお母さんのことを隠したがっているのは、本当にどうしてなんでしょうね。お母さんの死を受け入れられないってだけで、そこまで頑なになりますかね? 長くとも、亡くなってからもう二十年近く経っているはずですし」
最初、お父さんはわたしを通してお母さんを見ているんじゃないかと思っていた。だけれど、お父さんはちゃんとわたしを見ていて、お母さんとは別人だと認識しているらしいこともすぐにわかった。お父さんは、わたしはお母さんによく似ているとは言うが、それでもお母さんとは違うんだということを実感するみたいに、ふとした瞬間に悲しそうな顔をよくしていた。
大人になったわたしにも話してくれないなんて、お母さんのことで何かわたしに後ろめたいことがあるのだろうか。そう思ってしまっても仕方がないだろうに、それでも頑なに話さないのは、どんな事情があると言うのだろう。
「一紀くんは、どう思う? どうしてお父さんは話してくれないんだと思う?」
一紀くんは少し考えて、口を開いた。ところどころつっかえながら、慎重に言葉を選んで話してくれた。わたしの身内のことだから、軽率なことは口にできないと思ってくれたのだろう。別に何を言ったって怒りはしないのに。わたしがそういう人だって、薄々一紀くんだって気付いているだろうに。それでも相変わらずそうやって気を遣ってくれるのは、その度に嬉しいと思えた。
「もしかしてですけど、志絵莉さんが知ってしまうとつらい思いをしてしまう秘密が何かあるから、とかですかね。でもたぶん、志絵莉さんのお父さんは、奥さんのことを愛している。でなきゃ、お母さんによく似ている志絵莉さんを大事に育てないはずです。なら例えば、お母さんが世間的には悪であったとか、何か社会的に許されないことをして、でもお父さんはそんな奥さんを愛し続けている。かと言って、それを娘に話して娘も同じようにお母さんを愛してくれるとは限らないですし、ひどく悲しむかもしれないし、傷付けるかもしれない」
「お母さんが死んだのは……自殺、ってこともあり得るのかな、その場合。確かに、それなら話しづらいかもしれない……」
でも、存在ごと隠すっていうのはどうなんだろう。名前も教えず、顔写真すら見せないのは……調べさせないため?
するとまた、玄関のドアが開く音がした。お母様は家にいるはずだから、これはお父様だろうか。
「わ、本当に父さん帰ってきた」
一紀くんが苦々しい顔をすると、遠くからお母様の声が飛んでくる。
「お父さん、先にお風呂入っちゃってー」
挨拶しに出ていこうと思ったが、そんな間もなくお父様の足音は一紀くんの部屋の前を通り過ぎて、どこかへ行ってしまった。さすがに風呂場に押しかけてまで挨拶するのははしたない。また後でにしよう。
「一紀くんは、お父様とは仲悪いの?」
「悪いってわけじゃないんですけど……家に彼女が来てるなんて、絶対揶揄われるじゃないですか」
あー……仲良いってことね。
しかしこれで役者は揃った。お父様からもお母様からも聞き出せる。ついでに、ご両親の前だと一紀くんも言うことが変わるかもしれない。そうして彼の本心を確かめることもできる。彼の言うことをどの程度信用していいのか、確認しておいた方がいい。この情報は、わたし一人だけのためのものではないのだから。
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