第10話 神野くんのいない教室


神野くんがおばあちゃんと話している間、私は階段に隠れて、2人の話を聞いていた。



「ズズっ.......」



聞いてると、涙がどんどん零れていく。私がどれほど無知で、皆から守られていたのか、この時初めて知った気がする。


だって――知らなかった。今までおばあちゃんに後ろめたさがあって、足の話はなるべく避けてきたけど、おばあちゃん、あんな事があっても私の事を好きでいてくれてるんだ……。


それに、知らなかった。こんな私でも好きで居てくれる人が、こんなに心強い人ばかりだっていうことも……。



「か、の……くん……っ」



『小野宮にはもちろん喋れるよーになってほしいけどな……まぁ、そのままでもいいかなとも思うぜ俺は。だって小野宮――今のままでも充分かわいーだろ?』



「か、んの、くん……っ」



私のことをあんなに想ってくれて、私のことをたくさん考えてくれて――私、絶対に喋れるようになりたい。神野くんの期待に、応えたいよ……っ。



「莉子? そこにいるのかね?」



おばあちゃんの声が聞こえる。私は意を決して、階段を下りた。おばあちゃん、これからは沢山話そうね。今まで蓋をしていた思いも全部全部、言葉に乗せて伝えてたい。



「おば、あ、ちゃ……」

「莉子……少しは調子は良くなったか?」

「……うんっ」



おばあちゃんの元に駆け寄ると、おばあちゃんは私の頭を撫でてくれた。そして、



「莉子もやるねぇ。あんな男前を惚れさせるなんて」

「お、おば、あちゃ……っ!」


「ちょっと気に食わないヤツだが、あーゆー男は優しくしてくれるってもんさ。昔はじーちゃんも、」

「わかっ、わかっ、た……から!」



話し方はまだまだ流暢じゃないけど、おばあちゃんとの間に出来ていた溝が、少し埋まった気がする。


神野くん、ありがとう。今度神野くんに会ったら、たくさんたくさん、お礼を言いたい。神野くん、あなたに早く会いたいよ――



そして風邪が治り、ついに登校できる日。


ガラッ


期待を込めて教室を開け、中をグルリと見回した。だけど神野くんがいた席には、神野くんどころか……神野くんの机も椅子も、何もかもが無くなっていた。



「……へ?」



え? あれ?

ど、どういう事?


皆は普通に過ごしていて、いつもの光景と何も変わらない。ただそこに、神野くんがいないだけ。いない“ だけ”……?



「か、んの……くん…… 」



その一つのことが、今の私には重要な問題な気がして……来た道を急いで戻る。


神野くん、何処にいるの?


下駄箱に急いで確認しに行く。何を確認したかというと、ネームプレート。



「あ、った……っ」



するとそこには、「神野」という名前がきちんとあった。


よ、よかった……。これがあるってことは、神野くんはこの学校にいるってことだよね?転校とか、そんなことじゃないよね?



「 (あ、でも中身は空だ……) 」



下駄箱の中は何もない。まだ授業が始まるまでは時間があるけど……これから来るのかな?


下駄箱の前で長く立っていると、「あら」と声が聞こえた。どこかで聞いた声……。振り向くと、副委員長がたっていた。



「小野宮さん久しぶり。もう体調はいいの?」

「は……い……」

「そう、よかった」



ニコッと笑う副委員長は、綺麗な人。黒い髪がツヤツヤしていて、天使の輪が出来てる。



「あ、そこって」



副委員長は、私の奥にある物を目ざとく発見した。「神野」と書かれたネームプレートが、副委員長の目にハッキリ写っている。



「弟くん、元気にやってるかしらね」

「え……か、んのくん……ど、どこ、に……っ?」

「え、小野宮さん知らないの?」



何度も頷く私を見て、副委員長は「ビックリしないでね」と私に念押しした。



「神野くん、今だけ二年生のクラスにいるのよ。前々からウチの学校で“飛び級制度 ”の導入を進めていてね」

「と……び、きゅう?」



って、頭がいい人が一学年スキップして上の学年にいける、あの?



「弟くん、入学してからテストずっと一位らしくて、これは試してみるにはちょうどいいんじゃないかって……お試しってところね。とりあえず二週間」

「に……しゅ……」



私の中で「成績上位」という言葉が引っかかったけど……でも、それよりも。二週間、神野くんに会えない――その事実が、私の心を暗い色に塗り替えて行く。



「い、つ、から、はじま……?」

「昨日からよ。本人もブーブー言いながら机と椅子を移動させてたわ。移動してる時ちょうどすれ違ったのよ。下駄箱の移動は簡単なものだけど、机と椅子は流石に可哀想だったわ」

「あ……それ、で……」



それで机も椅子もなかったのか……。

それで、下駄箱の靴もないんだ……。

そっか、なんだ……。



「そ、か……」



すると、副委員長は私の顔を見て「寂しい?」と眉を下げて笑った。



「え……」

「なんか、そんな表情をしてるように見えたから。違ったらごめんなさいね」

「い、いえ……」



そこで予鈴がなる。すると副委員長は「じゃあね」と言って、自分の下駄箱に向かった。残された私は、まだ突っ立ったままで……



「か、んの……く、ん……二年、せ……」



副委員長が言っていた言葉を、少しだけ復唱する。なんだか、急接近した神野くんとの距離が、とっても遠くなったように感じた。



「あと、なん、にち……」



指を折って数える。そして一気に重たくなった足を無理やり動かして、神野くんのいない教室に戻った。


そして、一限目がやってくる。二限目も、三限目も――神野くんのいない教室には、いつもの時間が流れている。



「 (神野くん……元気かなぁ) 」



まるで遠くに引越しした友達を思うかのように、神野くんのことを考えてしまう。同じ学校にいるのに、前まで同じ教室で勉強していたのに、どうして離れ離れなんだろう……。


と、ここまで考えてハッとする。



「 (私、なんでこんなに寂しがってるんだろう。相手は“ あの”神野くんだよ……っ) 」



私の中の神野くんは、苦手な人で避けたい人で、関わりたくない人――だった。だけど、秘密の特訓もしてくれるし、不器用だけど優しい、ってことも知れた。そして、つい最近知ったのは……



「 (スケベ……いや、変態? なんか違う……え、エロいって事なのかな……?) 」



絆創膏は口で剥がすし、隙あらばキスしてくる事を、最近知った。保健室にいた時はしんどくて、うる覚えだけど……神野くんが薬を飲ませてくれた気がする。しかも、口で。その後も保健室で何回もキスするし、ウチに来た時もおでこにキスしたのも分かった。



「 (いちいち王子様みたいなシチュエーションでキスして来るから……。厄介なんだよね……っ) 」



神野くんからキスを受けると、自分がとても愛されてるようで。童話の中のお姫様のような気分になってしまって、戸惑うの……。


好き――とは告白されたけど。男の子からそんな事を言われるのは初めてだし、どう反応したらいいのか分からないもん……。

だから、色んな意味を込めて、最近の神野くんは「要注意人物」って思ってる。


怖くないし、避けたくないし、むしろたくさんお話したいけど……でも、気をつけなきゃ。



「 (私の初めてのキスが、あんな簡単に奪われたんだもん……。これから先も、用心しないと……っ) 」



そう意気込んだ時に、隣からチョンチョンと肩を触られる。ビクッと肩が跳ねて「ひゃぃっ」と小さな声で叫んでしまった。



「あ、ごめん! 驚かせた!」



謝ったのは、中島くんだった。



「なか……くん、ご、ごめ、なさ」

「いや、俺こそごめん!名前を呼べばよかったなぁ、失敗失敗」



三限目の休憩時間。そう言えば隣の席だった中島くんから、ほぼ初めて話しかけられる。


ちなみに、中島くんの反対側は神野くんの席だった。神野くんに怯えてた頃は、中島くんが壁になってくれたから、心の中で感謝してたっけ……。



「風邪引いてたんだろー? もう大丈夫?」

「う、うん……」


「そっか、よかった!」

「あ……」


「??」



「あ」で固まってしまった私を、中島くんは不思議そうな顔で見る。私は緊張で、手に汗をかいてしまっていた。


でも、私、がんばれ……っ!



「あり、がとう……っ。し、しん、ぱい……してくれて」

「え……」



や、やった!

言えた!

言えたよ、神野くん!


実は秘密の特訓で少しずつ成果を上げていたものの、その実力を試す事がなかった。クラスの人とはほとんど話したことないし、話しかけられもしなければ、話しかける勇気もなかったから……。だから中島くんに話しかけられて、心配してもらえて……本当に嬉しい。


よかった。

お礼が言えて、良かったよ……。


安心していると、今度は中島くんが固まっているのに気づいた。


ん? あれ?

な、中島くん、大丈夫かな?


心配して、中島くんの肩をチョンチョンとつつく。さっきの真似っ子でやって見たけど……嫌がられる、かな……っ?


だけど中島くんは「おわ!」と叫んで、次に「ありがとうございます!」と私にお礼を言ってきた。



「 (な、なんでお礼……?) 」



不思議がる私に、中島くんは説明してくれる。その話の中に、神野くんの名前が出てきた。



「実は、神野に言われたんだよ。小野宮さんが登校してきたら話しかけてみろって。良いもんが見れるからって」

「い、いい、もの……?」



って、なんだろう……?

不思議がる私を、中島くんは真っ直ぐ指でさす。そして、「小野宮さんのことだよ」と笑って言った。



「俺、勝手に小野宮さんのこと“ 喋れない”って思ってたからさ。それを神野が否定したんだ。にわかには信じられなかったけど……いや本当! いいもん見られた!小野宮さん可愛すぎる!これからはどんどん話しかけるから、ウザイって思わないでね!?」

「え、あ、あの……っ」



中島くんのテンポについていけずに戸惑っていると「そうそう、これ神野から」と、中島くんは1枚の紙を私に渡す。手のひらに収まる紙は、半分に折られていた。隙間から文字が見える。まさか、手紙……?



「小野宮さん来たら渡してくれって頼まれた。あと、困ってたら助けてやってくれって。あ、それから、」

「 (え、まだあるの?) 」



中島くんにどれだけの仕事を押し付けたんだろう……と思っていると。中島くんは腰を浮かせて、私の耳元に近寄った。そして内緒話をするように、口元に手を添えて――



「あと、小野宮さんに絶対惚れんじゃねぇって、そう言われた。俺のだからって」

「……ん?」



げ、幻聴?

いやいや……え?



「小野宮さん、愛されてるねっ」



ウインクして私から離れていく中島くんを、引き止めて全て否定したかったけど……。会話をする心の準備が間に合わなくて、誤解をそのままにしてしまった。臨機応変に動けない「口」が、こういう時はすごく恨めしい……。だから、心の中で否定しておく。



「 (私は神野くんの物じゃないし、他に好きな人いるんだから……っ!) 」



これをいつか中島くんに直接言えるように、神野くんのいない間、頑張ろうと誓った。そして、手紙には何て書いてあったかと言うと……



『さすがに予習復習しねーとついていけねーから、俺が戻るまで特訓はオアズケ』



それだけ。神野くんらしくない、流れるようなきれいな字で書かれていた。



「 (お、オアズケって……私がすごく楽しみにしてるみたいな言い方……っ) 」



実際、特訓は中止と聞いて落胆したけど……それは特訓が出来なくて残念って思っただけで……。別に神野くんと会えなくて残念とは、思ってない、はず……。



「 (そうだよね?私……) 」



聞いても答えが返ってこない問いを、何度か自分にぶつける。その時――四限目のチャイムが鳴った。神野くんからの手紙はスマホのポケットに挟んで、なくさないように取っておく。捨てるのはなんか……ね。神野くんに悪い気がして……それだけ。



「 (なんだか、変なの) 」



離れてる時の方が、神野くんのことをたくさん考えてる。それが変で、何だかおかしくて……私はスマホに入った紙を見て、クスッと笑った。




――その日の夜、自分の部屋で交通委員の資料を見ていて、あることに気づく。



「 (明日、私当番なんだ!しかも、神野くんと一緒!) 」



明日の日付と見守りをする場所、そして2人のペアの名前。そこに「神野・亀井」と記されていた。亀井さんと委員を交代したのが急すぎて私の名前を直せなかったと、希春先輩が言っていたのを思い出す。だから、「亀井」と書かれてある所が、私の当番。



「 (ということは、明日……明日は神野くんに会えるんだ!) 」



テンションの上がった自分にハッと気づく。そして、深呼吸して落ち着いた。



「 (違う違う。落ち着いて、私……!明日神野くんに会ったら言うことを、頭の中でまとめておこう) 」



1.風邪の時に送ってくれてありがとう。あと、おばあちゃんと前より仲良くなれたのは神野くんのおかげだよ


2.私はあなたの物じゃないからね。私が他に好きな人がいるって知ってるよね!?


3.キスばかりしないで。あと、不用意に近づかないこと!




こ、こんなものかな?でも神野くんを前にして、この内の何割を伝えられるか……。まだ会ってないのに既に緊張してるんだよっ?


がんばれ、私!

気をしっかり!


気を引きしめるために、自分の頬をパンっと叩く。すると、ちょうどおばあちゃんが部屋を訪ねてきて、私の摩訶不思議な行動に目を丸くした。



「莉子、何やってんだい」

「き、きあ、い……いれよう、かな、って……」



おばあちゃんこそ、どうしたの?

すると、おばあちゃんはスマホを持って「教えて欲しいんだ」と困ったように言った。



「えぬえすえず、ってのが、さっぱり分からん」

「もし、かして……エス、エヌ、エス?」

「ほほ、それそれ」



前に設定した時に「ワタシはこんな物使わん」って言ってたのに。「使い方教えて」なんて、どうしたんだろ?



「だれ、と……つか、うの?」

「ふふふ、内緒だ」

「ふぅん……?」



まぁおばあちゃんが楽しそうなら、いっか。分からない所を教える。すると、その後に、



「莉子、にこーと笑え」



と急に言われたので、両手を膝において笑った。


パシャッ



「そんなに畏まらんでも……お、でも見ろい。天使が写っとるわ」

「お、おばあ、ちゃん……っ」



天使なんて……恥ずかしすぎる。それに、いきなりの写真も!けれどおばあちゃんは私のことはお構い無しで、鼻歌を歌いながら部屋を出て行った。



「じゃあの、莉子。おやすみ」

「お、やすみ、なさい」



な、何だったんだろう……。不思議に思いながらチラッと時計を見ると、もう21時。明日は早いし、もう布団に入ろうかな。



「あし、た……」



天気は晴れかな?

制服にシワついてないよね?

ハンカチとティッシュはもう入ってるし……



「って」



違うからっ。いつの間にか、遠足の前の日みたいな確認してるし……。



「 (変なこと考えずに、もう寝よう) 」



病み上がりの登校は、やっぱり少し疲れていて……私はすぐに、眠りに落ちた。そして――晴天で、次の日を迎える。




「では各自、ポイントに向かってください」



今日も副委員長の号令で皆が散らばる。幸いにも前と同じ場所だったから、今日は迷えず行けそう。一人で……。



「 (神野くん、遅いなぁ) 」



集合時刻になっても神野くんは現れなかった。移動してる今でも……。



「 (蒸し暑い……皆はいいなぁ。自転車なんだもん) 」



この前は雨だったから徒歩だったけど、晴れた日は自転車を使って移動するみたい。


そう言えば、神野くんもそんなこと言ってたっけ。前と同じ場所を歩いていると、色んなことを思い出す。スピードが速い車に水溜まりの水を掛けられたこと、神野くんに抱きしめられたこと。それに、キスも……。



「 (もう、考えるの禁止!) 」



暑さも手伝って、私の顔はカッと赤く、そして熱くなった。いつものように手をパタパタさせていると……



「小野宮」



後ろから、私を呼ぶ声――



「(神野くん!) 」



急いで後ろを振り返る。


やっと来た!

サボるのかと思った!

心配した、会いたかったんだよ。

私、お礼を伝えたくて――


何を言おうか、頭にたくさんの言葉が浮かぶ。だけど、そこにいたのは、



「やぁ、莉子ちゃん」

「き、はる……せん、ぱい……?」

「うん、ビックリさせてごめんね。初めて苗字で呼んでみちゃった!」



神野くんと同じ苗字を持つ、希春先輩。その姿を見て、私は初めて、自分が勘違いしていることに気づいた。



「神野、って……き、はるせん、ぱいの、こと、だったん、ですね……?」

「うん、そうだよ。昨日、斗真も確認に来たよ〜僕だよって言っといた」


「そ、そうなん、ですか……」

「……残念?」


「え!?」



希春先輩は眉を下げて笑った。私は「とんでもない」と、頭をブンブン横に振る。すると希春先輩は「よかった」と安心した顔をして、私の横を歩き始めた。


もう広い道なので、2人並んで歩いても危なくない。希春先輩は車道側を歩いている。



「もう元気そうだね。風邪引いた時はびっくりしたよ」

「お、お騒がせ、しま、した……」

「ううん、元気になってよかった」



ニコッと笑った希春先輩を見て、あの日のことを思い出す。そうだ……私が倒れる前、希春先輩に知られちゃったんだ。神野くんと私がキスしたってこと――



「 (でも希春先輩が何も言わないってことは、気にしてないってことだよね?) 」



それなら安心。キスのことを「本当なの?」って聞かれても困るもん……。すると希春先輩は「そういえば」と言って、私の方を見る。



「斗真とキスした?って聞いたら、困る?」

「……え」



それは、いつもニコニコした希春先輩ではなくて、真剣な眼差しをした希春先輩。纏ってる雰囲気が、いつもと違っていた。一方の私は、突然の質問に固まってしまう。



「え……と……」

「否定しないってことは、本当なのかな?ごめんね、踏み込んだ質問しちゃって」


「い、いえ……」

「前も言ったけど、アイツに何かされたり泣かされたら、いつでも俺に言ってね。斗真のヤンチャぶりは昔からだから……兄貴として、ちゃんと叱るからね」



そう言いながら、私の頭を撫でる。温かな体温に、なぜだか少しだけ、泣きそうになった。すると希春先輩はそんな私を知ってか知らずか、「もう一個聞きたいことがあるんだ」と話を進める。



「もう、いっこ……?」

「うん。今日の交通委員の名簿のこと。“ 神野”って、本当は斗真のことだけど、俺が斗真に嘘ついて今日、俺がここに来たって言ったら……困る?」

「……え?」



希春先輩が?

な、なんで……?

斗真くんに嘘ついてまで、ここに来たかったって事?



「 (どうして?) 」



分からなくて、頭の中がこんがらがって、上手く言葉が出てこない。そんな私を見た希春先輩が「困ってるね」と、また眉を下げて笑った。その顔は、先輩の方がよほど困ってる顔に見えて……私はひどく、申し訳ないことをしている気になった。



「 (私、先輩にいつも助けて貰ってばかりなのに、今はその逆で……私が先輩を困らせちゃってるのかな……) 」



心が痛い。先輩は、私を変えてくれるきっかけをくれた恩人だから。私の好きな人、だから……。



「 (そうでしょ? ね、私……) 」



希春先輩に「困ってません」と伝える。希春先輩は驚いた顔をしたけど、でも静かに「ありがとう」と笑った。それは大人のするような笑顔で、戸惑っている私の心を、簡単に見透かされている気がした――


そうこうしていると小学生達の登校時間になり、私と希春先輩はそれぞれ見守りをする。そして時間通りに終わり、学校へ戻ってきた。希春先輩も自転車は持っていなかったから、太陽に照らされて、二人とも汗をかいている。



「ちょっと待っててね」



そう言い残して私から離れた希春先輩が、少しして戻ってきた時――その手には、二本のジュースが握られていた。



「お疲れ様、どうぞ」

「あ、ありがと、ござ、ます……」



受け取ると、ひんやり気持ちいい。暑さからの開放感に、私の顔はだらしなく笑ってしまう。



「あ、お、お金……っ」



財布を出そうと、急いでポケットに手を入れようとすると……


パシッ


希春先輩に、腕を掴まれてしまう。



「奢りだからいいよ。気にせず飲んでね」

「で、でも……」


「本当にいいんだ。ごめんね、の気持ちも入ってるから」

「ごめ、んね……?」



意味の分かっていない私を見て希春先輩は申し訳なさそうに笑い、自分の顔の前で両手を合わせた。



「さっきの話、ウソなんだよ。今日は元々、俺が当番だったんだ」

「え?」

「でも、やっぱり紛らわしいから……来月からは分かりやすいように作るね!」



だから、ごめんね――


希春先輩は、また私の頭を撫でた。何度も、何度も……。まるで、頭と手がくっついて離れないように。離れがたいように。



「 (希春先輩?) 」



だけど希春先輩は手を離すと「じゃあまたね」と三年の下駄箱に行ってしまう。



「……」



希春先輩の後ろ姿から、なかなか目が離せなくて、その場に留まる。


希春先輩、何か変だったな。

何かあった?

でも、どこも調子悪そうじゃないし……。



「(こういう時、あの副委員長さんなら何か分かるのかな……)」



希春先輩といつも一緒にいる副委員長のことを思い出す。勘が鋭そうで、ビシバシ物を言う、カッコイイ人。



「 (少しずつでいいから、私も副委員長さんみたいに喋ってみたいな) 」



そうしたら、希春先輩の様子が変な時も「どうしたんですか?」って、遠慮なく聞けるのにな。副委員長さんの事を考えていたら、なんと副委員長さんの声が聞こえてきた。しかも、放送で。


ピンポンパンポーン



「一年小野宮莉子、至急B棟2階会議室まで来るように。繰り返します――」



え、呼び出し……何で!?



「え、な、なん……え、わ、たし!?」



訳が分からなくて狼狽える。時計を確認すると、一限目まであと10分しかない!



「 (し、至急って言ってたし、とりあえず急いで会議室まで行かなきゃ!) 」



私の方向音痴は筋金入りだけど、もう二回も行ったし、たぶん大丈夫!



「 (あとは走らないようにダッシュして……あ〜違う、それじゃあ走ってるよ!)」



頭の中がグルグル……

足もガクガクしてきて……



「 (し、しんどいっ) 」



あぁもう、私が、

一体私が何をしたって言うの……っ!



「はぁ、はぁ……つ、着い、た……っ」



小走りで移動をして、何とか会議室まで来れた……。よかった、後は副委員長と話をするだけ。そして一限目に間に合うように、ここを出ればいいんだ……。



「すー……はー……」



深呼吸をして……

よし、入ろう……っ。


ガラッ



「し、しつれ、い……します……」



ペコリと頭を下げる。その後、教壇へ目をやると……副委員長の姿はなかった。と言うか、誰の姿もない。



「へ?」



あ、あれ?

私、場所間違えた?

もしかしてここ、会議室じゃない……!?




「 (な、名前!確認しなきゃ!) 」




ここが本当に「会議室」なのか確認しなきゃ――向きを変えて廊下に出ようとした、その時だった。


グイッ



「きゃあ!」



いきなり手を引っ張られて、思わず体勢を崩す。今まで走ってきたせいか、足に力が入らなくて転びそうになった。だけど――


ギュッ



私は、大きな腕に抱きとめられる。

それは、よく知った感触。

よく知った体温。


そして――



「相変わらずだせーな、小野宮」



私を乱暴に呼ぶ、よく知った声。顔を上げる。すると目の前には、久しぶりの神野くんがいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る