第8話 雨と熱
交通委員の初仕事の日――それは「神野くんと初めてキスをした日」へと変わった。
「 (キス.......された.......神野くんに) 」
交通委員の仕事が終わり、無事に学校へ戻ってきた私と神野くん。走ったからか、雨に濡れたからか.......。いや、それともキスされたからかな.......?私は一限目が始まる前から熱を出し、現在は保健室のベッドで横になっている。
「 (あの神野くんと.......キス.......) 」
昨日の絆創膏もなかなかのインパクトがあったけど、今日はその比じゃないよ.......。何回も「キス」という単語を思い浮かべては、体が熱くなっているのを感じる。そりゃ、熱も下がらないわけだ.......。
「 (でも、柔らかかったな.......神野くんの唇.......) 」
保健室の天井を見ながら、自分の唇をフニッと触る。
「 (この唇が.......信じられないよ.......) 」
まるで思春期の男子みたいに、頭の中はそればっかりになってる。私、いつの間にこんな、はしたない子になっちゃったんだろう.......。
「 (そういえば、神野くんは大丈夫だったのかな.......私よりも濡れてたけど) 」
2人手を繋いで走った時、神野くんは私に傘をさしてくれていて、自分には向けなかった。私も傘を持ってるから、それをさせばよかったのに、
『貸せよ。傘なんて持ってたら、お前絶対コケるだろ』
『こ、こけ、な.......』
『いーから。これ被って走ってろ』
バサッと、自分がきていたシャツを惜しみなく脱いで私の頭からかけた。神野くんは幸いにも黒のインナーを着ていて裸にはならなかったけど、でも、あの薄着で雨に打たれたら、絶対に風邪引くと思う.......。
そんなことを考えていた時だった。
ピンポンパンポーン
「1年の神野斗真、至急B棟2階会議室まで着なさい」
「.......え?」
今の、神野くんの事だよね?
神野くんの名前だったよね?
聞き間違いではなかったと思う。
でも、なんで?
先生の声ではなかった。あれは――
「だ、い.......じょ、ぶ.......かな.......」
心配で、むくりと起きる。カーテンを少しだけ開けると、先生はいなかった。
「.......すこ、し.......だけ.......」
おぼつかない足を地面につける。なかなかスリッパが見つからず足をバタバタしている間に、飾ってある時計を見た。
「 (10時30分.......ちょうど休憩時間) 」
じゃあウロウロしても、紛れるから平気かな.......。私はフラフラしながら、保健室のドアを開ける。すると案の定、廊下にはたくさんの生徒がいた。
「 (ここから会議室までって結構ある.......。けど、がんばるぞ.......迷わずに行ければ、) 」
と意気込んだところで、私は方向音痴だし、前も会議室に行こうとして迷った事があったんだった.......。
「こ、こ.......ど、こ.......?」
完璧に、迷ってしまいました.......。
もうとっくに休憩時間は終わってる。だから、教室の前を通る時は、しゃがんで窓から見えないようにして移動中。だけど、そんなことを熱ある体にしていたら、しんどいわけで.......
「 (はぁ、ちょ、ちょっと休憩) 」
どこだか分からない廊下に、座り込んでしまう。
「ば、か.......だな。わ、た.......し」
神野くんはとっくに教室に戻ってるかもしれない。いまさら行ったって、いない可能性の方が高い。けど、足が止まらなかった。
「(少し休憩したら、立ち上がって、それから.......)」
頭の中で計画していた、その時だった。
「莉子ちゃん?」
聞き覚えのある声に、思わず振り向く。すると、そこには、
「やっぱり莉子ちゃんだ! でも、どうしたの?そんなに顔を赤くして、それに.......わ、すごい熱!」
「き、きは.......せ、ぱ.......」
ノートや教科書を持った希春先輩が、私の目の前に立っていた。
「莉子ちゃん、保健室行こう! しんどかったんだね、背中に乗って!」
「や、あ、の.......」
その保健室から忍び出てきました、とは言えず.......。だけど、このままだと、連れ戻される.......!希春先輩に嘘をつくのは嫌だったけど、会議室に忘れ物をしたと嘘をつき、何としてもそこへ行きたいと伝えた。
すると――
「ん〜わかった。じゃあ、俺がおんぶするよ。いい?」
「あ、ある.......け、ま.......」
「無理だから!」
少し怖い顔をしている希春先輩。当たり前か.......こんな無茶してる私に、きっと呆れてるよね.......。
でも、希春先輩の背中は大きくて.......。その大きな背中にしがみつく体力は残ってなくて.......。結局、お姫様抱っこで移動をすることになる。これは目立って大変なことになる.......と思っていたら、察してくれたのか希春先輩は、
「この間の亀井さんのこともあるから、なるべく目立たないルートを通っていくからね」
と笑ってくれた。私のこと重いだろうに、そんな所まで気をつかってもらって.......先輩には頭が上がらない。だけど、希春先輩は「実は俺もね」と真剣な顔になった。
「これから会議室に行こうとしてたんだ」
「え.......」
「ちょっと気になる事があってね。あ、莉子ちゃんは、忘れ物が見つかるといいね」
「.......は、ぃ」
まさかだけど、希春先輩も、神野くんのことが気になって会議室へ?聞きたいけれど、聞けない。私はモヤモヤした気持ちのまま、神野先輩に体を預ける。
「ごめんね、俺の荷物持ってもらっちゃって」
「い、え......」
希春先輩が持っていた荷物は、私が持っている。じゃないと、私を抱っこできないから.......。希春先輩はちょうど自習だったらしくて、職員室に分からない所を質問しに行く所だったらしい。
「 (ん? あれ?) 」
でも、さっき「会議室に行こうとしてた」って言ってたよね.......あれ? 聞き間違いだったかな?
そんなことをグルグル考えていたら、希春先輩が「そろそろ着くよ」と教えてくれる。
「初めて会った時みたいだね。あの時も、俺と莉子ちゃん、一緒に会議室に行ったもんね」
「そ.......で、すね.......」
そういえば、そうだったなぁ。随分前の事のように思えるけど、私が希春先輩と初めて会った日だ。そして、私が希春先輩を好きになった日。
希春先輩を好きになったから、私は「今のままじゃなくて変わるんだ、頑張ろう」って思えたんだよね.......。
「 (懐かしい) 」
余韻に浸っていた、その時。希春先輩が「しー」と私にジェスチャーを送る。
見ると、会議室の扉の前。
着いたんだ.......!
「 (でも、なんでシー?) 」
希春先輩は私を降ろして、耳を近づけるように合図を送る。言われた通りにすると.......。あ、聞こえる。人の話し声.......二人?でも、篭っていて、誰が誰だか分からないな。
そう思っていると、希春先輩が私の耳元で囁いた。
「副委員長と斗真だね」
「!?」
そっか、放送で斗真くんを読んだのは、副委員長だったんだ!でも、2人きりで何の話なんだろう.......。
私と希春先輩は、ドアを少しだけ開けて目と耳をフル稼働した。すると、二人のこんな会話が聞こえた。
「で、話は戻るけど――あなた、本当にキスしてたの? 小学校からクレーム入ってるのよ。バッチリウチの制服も見られててね」
「それで、何で俺がピンポイントで呼び出し食らうんだよ」
「あの時間にあの場所にいるのは交通委員しかいないからよ」
この会話を聞いた時に、来なければよかったと、心の底から思った。なんで、わざわざ来ちゃったんだろう。これじゃあ、飛んで火に入る夏の虫だ.......。
私と正反対の反応をしたのは、希春先輩だ。
「斗真、女遊び激しいんだねぇ。朝からキスとか、すごいよね」
ね、莉子ちゃん!と、面白そうに言われても、当の本人がここに居るんだから、全く笑えなかった。むしろ、顔は赤くなるばかりで.......。
「え、あれ? 莉子ちゃん? ちょっと、なんかさっきより顔が赤いけど、大丈夫?」
「は、はは.......」
「.......」
下手くそな愛想笑いを、希春先輩はどう見ただろう。希春先輩に、どうか気づかれませんように。どうか、神野くんのキスの相手が、私だとバレませんように.......!
心の中で祈っていると、希春先輩が「そういえば」と、何かを思い出したようだった。
「今日って、莉子ちゃんの初陣だったよね?」
「!!」
その言葉で顔を更に赤くした私を、希春先輩は「黒」と見たらしい。希春先輩の驚いた顔が、私の目に鮮明に飛び込んでくる。私は私で、こんな私を見られたくなくて、ドアから離れて、走って逃げた。
いや、逃げようとした。
でも、
バタンっ
目はグルグル回って、頭はグワングワン揺れて、呆気なく倒れてしまった。
「莉子ちゃん!!」
希春先輩の驚いた声が廊下に響き渡る。もちろん、会議室の中にいた2人も、先輩の声を聞きつけて慌てて出てきた。
ガラッ
「小野宮!?」
「あら、委員長も」
神野くんの大きな声が、私の耳に届く。重たい瞼を何とか開くと、今まで見たこともないような必死の形相になっていた。
神野くん.......
神野くんは平気なの?
あんなに濡れて.......私より薄い服で、私よりたくさん雨に打たれて.......。
「莉子ちゃん、保健室まで行くからね。もう俺の荷物離していいから。お姫様抱っこするよ。もし俺に掴まれるなら、掴まって」
希春先輩の声なんて、こんなに近くに聞こえる。私はまた、この声に助けられちゃった.......。そう思っていたら――
「離せ。俺が行く」
「斗真.......いいよ、俺さっきも莉子ちゃん抱き上げてたから」
「.......なら余計だろ。交代だ、俺がする」
希春先輩が私の腕を触った時.......神野くんが先輩の腕を掴んだ。互いに真剣な声色で、どちらが私を保健室に運ぶかで揉めている。
これ、現実なのかな.......?
夢見心地でフワフワする。調子が悪くてしんどいのに、なぜだか幸せな気分になった。
「 (希春先輩が“ じゃあ斗真お願いね”って言わない事が.......嬉しい) 」
大切に扱われてるような、そんな気がした。2人が拮抗状態に陥ったたころで、副委員長が口を開く。
「じゃあ弟くん、小野宮さんを運んで行ってあげて」
「お、分かってんじゃねーか」
「副委員長、裏切ったね.......」
両者が正反対の反応をして見せた所で、今度は、副委員長が希春先輩の腕を掴んだ。
「さっきの話、聞いてたんでしょう?なら、続きを話すから残って。交通委員長としてね」
「.......分かったよ」
そう言われると何も言い返せないのか、希春先輩は神野くんに「任せたよ」と素直に譲った。「うるせー」と神野くん。全く重そうにする素振りは見せず、私をお姫様抱っこする。
そりゃ、本当は希春先輩が良いけど、でも体が本当にしんどくなってきた.......。もう誰でもいいので、私を早くベッドに寝かせて.......。
そう思っていたけど、
「薬飲んだのか?」
「ま、だ.......」
「保健室ついたら絶対飲め。もし飲まねーんなら口移ししてでも飲ませるからな」
「っ!」
保健室に着いた時、私の安全って守られるのかな.......と、一抹の不安に駆られる。
「 (あぁ.......やっぱり希春先輩が良かった.......) 」
私と神野くんが保健室に向かった後――希春先輩と副委員長は向かい合って立っていた。先に口を開いたのは、副委員長だ。
「さっきの会話聞いたでしょ? 今朝、交通委員がいるべき場所でキスしてたのは、あの二人よ」
「.......何となく分かってたよ」
「それで――どうするの?」
「どうって?」
「委員長として何か手を打つの?それとも、神野希春として.......?」
「言ってる事が分からないよ」
元気はないけどニコリと笑う希春先輩に、副委員長も口をとざす。反対に、喋り始めたのは、希春先輩だ。
「俺も副委員長に聞きたいことがあるんだよ」
「なに?」
「俺が昨日確認した時、莉子ちゃんは斗真とペアじゃなかったはずだよ。なのに、なんで2人が一緒のポイントにいたのかな」
「.......」
「斗真に何か言われた?」
「.......言ってる事が分からないわ」
副委員長はフイと顔を逸らす。希春先輩は「君っていつもそうなんだから」と苦笑いをして、床に広がった教科書たちを拾ったのだった。
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