第5話 神野くんの気持ち
それは涙した委員会から、数日経った日のこと。
「とりあけず笑え。ニコ!だ」
「に……に、こ……っ」
「ちげーよ。もっと可愛く笑えてただろ。なんだよ、その土偶みたいなツラ」
「 (ど、土偶っ……!) 」
前から苦手で、話をしないよう避け、バッタリ会わないように逃げ、極力接触がないようにと用心していた神野くん。
そんな彼と今、放課後の資料室で「秘密の特訓」をしています……!
机を合わせてお互い座る中、私は神野くんの顔をジッと見る。「ニコッと笑え」と言った神野くんのその顔こそが、子供が見たら震え上がるほどの迫力……。もちろん私も、震え上がるその一人……。目を合わせられるだけ進歩しているものの、神野くんの眼力を前には、イスごと一歩引いちゃうよ……っ!
「 (でも、それだけ必死になってくれてるんだよね……あの神野くんが、私なんかのために……) 」
委員会の日、神野くんの言葉に耳を疑った。だって、ビックリするよ……。私は今まで、神野くんに嫌われてるんだと思ってたもん。それが――
『俺がお前を変えてやる』
『特訓するぞ。コミュ障を治して、今日までお前を笑った奴を見返してやれ。それに話してぇだろ?友達とか……兄貴とかよ』
それを聞いた時、思わず思った。
「 (あ、王子様だって……思っちゃったんだよね。王子様みたいに、助けに来てくれたって) 」
思い出して、カーと顔が熱くなる。手をパタパタさせると、神野くんが「あちーのか」とすぐ察してくれた。
「う、ん……」
「ここ狭いから熱気が溜まりやすいんだよ。窓開くんじゃねーか?お前の横にあんぞ」
「あ……ほ、んと……だ」
この資料室は、本棚に隙間なく資料が並ぶだけの部屋。空いたスペースに、机2つがやっと入るほど。そんな中に熱量のある神野くんがいたら、一気に40度ほどいきそうな気がした。
ガタガタ
「 (か、硬い……っ!) 」
普段使っていないだけあって、窓の鍵は錆びている。硬くてビクともしない。見かねた神野くんが「ちょっとどけろ」と言って、自分の席から「ヨッ」と手を伸ばした。細長くてゴツゴツした指が、私の真横を通り過ぎる。
「 (私とは全然違う……男の人の手……) 」
思わず、ジッと見てしまった。
ガラッ
「っしゃ開いた。おー、風入るじゃねーか。って……なんだよ。手なんかジッと見て」
「え……や……あ、の……」
「言いたいことあるなら言え。まず口に出すことから始めろ」
「え、あの……じゃあ……」
男らしい手に見惚れていました――とは恥ずかしくて言えなかったので、
ムニムニ、ムニムニ
「手を触りたい」と誤魔化して、神野くんの手を揉み始めた私。
「なぁ……お前、楽しい?」
「た、たの……し……で、す……」
「そ、そうかよ……っ」
神野くんは怪訝な顔をするも、どこか少し嬉しそう……?も、もしかして、私のマッサージが上手なのかなっ?
そんな時、神野くんが「お前さ」と口を開く。
「もう俺が怖くねーのかよ。前は、あんなに怖がってただろ」
「 (え!?) 」
神野くんの手から、サッと離れる。まさか、こんなド直球に聞くとは……さすが神野くん。心臓に悪い……っ。いや、そりゃ、あからさまな態度をとっていたし、鋭い神野くんなら気づくだろうけど……。
でも改めて、申し訳ない気持ちになる。神野くんからしたら、避けられてて良い気はしないよね……。
私がなかなか返事しないのを見て、神野くんは「本人を前には言いずれーよな」と笑った。
「ビビられんのは慣れっこだ。お前ごときで傷つかねーよ」
「……」
その笑顔が少しだけ寂しそうで、なんだか放っておけなくて……神野くんのワイシャツの袖を、キュッと握る。そして、
「こ、わく……ない……っ」
半分本音、半分強気で、そう答えた。
「なぁ……小野宮」
「っ!」
真剣な顔で、私を見る神野くん。握られていた袖をスっと引いて、私が見惚れていた長い指をこちらに近づけた。
パチンッ
軽い音と共に、おでこにピリッとした痛みが走る。
「い……た……」
おでこを触りながら見た神野くんの顔は、少しだけ怒っていた。
「俺のことが怖くないって?嘘つくな。うぜぇ」
「 (う、うざ……!?) 」
「そーゆー嘘はやめろ。たち悪ぃだろ」
「ご……え、と……」
「なんだよ」
「……」
ここで謝るのは、さっきの発言は「全部ウソ」と言っている気がして……嫌だ。謝りたくない。だって「半分怖くない」って思ったのは、本音だから……。
すると、神野くん。「心配すんな」と、優しい顔で私を見た。
「お前を見てたら、俺の事どう思ってるかくらい分かんだよ。全然怖くねーってのは嘘ってわかるし、会った時よりも怖がってねーってのも分かってる」
「す、ご……ぃ」
私の気持ちを、全て当ててくれる神野くん。神野くんに私の気持ちを誤解されていないことが分かって、ホッとする。
「今ホッとしたろ?」
「う、うん……」
「お前って分かり易いんだな。ずっと誤解してたわ」
そう言って、神野くんは柔らかく笑う。でも、でもね神野くん。
「 (誤解していたのは、私も同じなんだよ……) 」
今まで神野くんの表面しか見てこなかったけど……沢山話すと、神野くんのいい所がたくさん見つけられた。それが凄く嬉しいな。
「 (あ、そういえば……) 」
希春先輩は、今どうしてるんだろう。さすが兄弟……神野くんが優しく笑うと希春先輩とよく似てるから、先輩のことを思い出す。
『また笑った!』
希春先輩の顔も、そして声も、鮮明に覚えてる。会いたい、もうずっと会っていない気がするよ……。
「 (もしも希春先輩と沢山話せたら、もっと先輩のことを知ることが出来て、もっと……好きになるのかなぁ……?) 」
勝手に想像して、勝手に顔が赤くなる。またパタパタ顔を扇ぐ私を見て、神野くんは「忙しい奴だなぁ」と笑った。
「(神野くん、優しいなぁ)」
神野くんから、沢山の事を貰ってる気がする。私も、いつか何かを返したいな。でも、まずは……一人前の人間になれるよう、成長しないと……!
「 (ファイト、私っ) 」
「ブハッ」
意気込んでガッツポーズをした私の姿が目に入ったのか、神野くんは吹き出した。
「だっせー。お前なにやってだよ?」
「 (だ、ださい……!?) 」
変なツボに入ったのか、神野くんは机に突っ伏して笑っている。
「わ、らい……す、ぎ……っ」
「わりーわりー。はーおもしろ。お前、時々変なことするよな」
「 (変なこと……!?) 」
改めて言われるとショックで落ち込んでいると、
「バカ、褒めてんだよ」
机に突っ伏したままの神野くんが、自分の腕の隙間から目だけを覗かせて、そう言った。
「ほ、め……?」
「褒めてんだよ。さっきの“ うざい”ってのも、お前そのまま受け取りそーだから訂正するわ」
「え……」
「小野宮が可愛いことするから、つい意地悪でそー言っちまうんだよ」
「か、かわ……?」
聞けば聞くほど分からなくなってくるけど、どうやら怒られてはない、よね?ありがとうでも、ごめんねでもない時、どうやって返事をすればいいんだろう……?
何も分かってなさそうな私を見て「まぁ言っても通じねーとは思うけど」と神野くんは顔を上げた。
「色々忘れてもいーけど、これだけは覚えとけ。俺がお前にキツいことを言っても、それは本心じゃねー。ただ、からかってるだけだ」
「か、からかっ……て……」
「そ。ウゼーもダセーも本心じゃねーよ。お前にそんなこと思わねー。だから許せよ。な?」
「っ」
ず、ずるい……っ。聞きたいことも確認したいことも沢山あるのに、神野くんは「許せ」と言って、とろけるような笑顔で私を見てくる。
私の中の「神野くん」が、どんどん上書きされる。目の前にいる神野くんって、本当に私の知ってる神野くん、だよね……?
「じゃ、もう今日は解散するぞ。もちろんお前が “ バイバイ”って、ちゃんと口で言えたらだぞ」
「 (あ、あれ……?) 」
コロッと態度が変わった神野くん。今までの穏やかな雰囲気は一掃されて、いつものキビキビした神野くんに戻った。
ん? さっきの優しい神野くんは幻覚だったかな?
目をこすって確認していると、神野くんに「俺を前にして睡魔に襲われるとは、良い度胸だな?」と派手に勘違いされた。
結局、神野くんの気に入る「バイバイ」になるまで20回ほどリピートした後、解散になる。でも、その時――
「このクラスに小野宮莉子ちゃんっている?」
「あ、委員長久しぶりです〜、亀井です〜。あの時はお世話になりましたぁ」
「うん、元気そうでなにより亀井さん。で、莉子ちゃんは?」
「んー? さっき神野くんと一緒に教室出て、それきりですよ〜? 最近妙に仲良いんですよねぇ。あの2人ぃ」
「そうなんだ……へぇ」
私が神野くんに「バイバイ」と連呼していた時、私のクラスに希春先輩が来てくれていたことを、私は知らない。そして希春先輩の心が、僅かにザワついたことも。
また、
「神野くんだけじゃなく委員長まで……なんで?あの子、委員会で何したの?」
ある女の子の心情が揺れ動いたのもまた、知らないままだった――
◇
「ん〜」
帰り道に考えていた。神野くんの言葉の意味が、理解出来なくて……。
『小野宮が可愛いことするから、つい意地悪でそー言っちまうんだよ』
『俺がお前にキツいことを言っても、それは本心じゃねー。ただ、からかってるだけだ』
かわいい……?
からかってるだけ……?
「 (考えても、考えても……) 」
神野くんの気持ちが、よく分からない。たぶん、もう私のことは嫌ってはない……はず。私が無口になると「喋れ」と怒られるけど……。でも前に比べると、全然。あんなのは、神野くんの「怒った内」に入らない。
「 (成長の見込みがあるって、思ってくれてるのかな? 私に期待してくれてるのかも……!) 」
だとしたら、こんなに嬉しいことはないよね……っ。よし、もっと頑張って特訓して、いつか神野くんに「よくやった」って言ってもらうぞ!
でも人生そう甘いこといかない。いい事の次は、当たり前のように悪い事がやってくる。
「ねぇ、小野宮さん」
「へ……?」
学校を出てだいぶ歩いた時。
後ろから声がかかる。
「 (どこかで聞いたことのあるような……) 」
振り向いて、驚いた。
だって、そこには――
「やっほー交通委員、頑張ってるー?」
「か、め……さ」
「亀さん? あははー! 何それウケる」
ビックリした……だって、いきなり亀井さんが後ろに立ってるんだもん……!心臓が、バクバクと早く動く。そのバクバクは、これからの嫌な予感も、感じ取っていたのかもしれない。
「ねぇ小野宮さん、交通委員どう?」
「ど、う……って……?」
「え、ビックリしたー! ちょっと喋れるんだね」
手を叩いて「すごーい」と言ってくれる亀井さんに、私の顔が少しだけ緩む。すごいって、褒められたのが素直に嬉しかった。だけど――
「喋れるんだねー、じゃあ話は早いね〜。単刀直入に聞くけどさ……どうやって神野兄弟を落としたの?」
「か……へ?」
「同じクラスの神野くんと、交通委員長の神野希春先輩だよ〜」
亀井さんは私の肩にガバッと細い腕を回してくる。彼女の腕に付いていたブレスレットが、私の頬を掠めて一瞬だけ熱くなり、そして痛み始めた。でも、そんなことはどうでもよくて……落とすって、何?
「ど、どゆ……こ、と……?」
恐る恐る、亀井さんの方を見る。そして、彼女の顔を見てしまったことを瞬時に後悔した。亀井さんはすごく笑顔だった。笑顔……なんだけど、怖い。怖いくらいに笑っている。
「ねー教えてよー。みんなの前では喋れないけど、神野兄弟の前だと饒舌に喋るのー? そういうテクー?」
笑ってる……けど、これは歓迎されていない。
この笑顔は、
「 (敵意だ……っ) 」
亀井さんといえば、部活で足を怪我したと嘘ついて、私に交通委員を委ねた人物。廊下で友達と話していた時は、私に申し訳ない気持ちもあったみたいだけど……
「ねー小野宮さーん? 早く答えてくんなーい?」
「っ!」
今の彼女を見る限り、私に申し訳なく思う感情は、どこにも存在しない。私を疎ましく思う嫌悪と、恨めしく思う憎悪で作られた「笑顔」。それだけだ。
「 (人はこんな時でさえ、笑顔を作ることが出来るんだ……) 」
足はガクガク震えて一歩も動けないくせに、頭だけは冴えてそんなことを思っていた。そして同時に、悲しくもなっていた。
「 (笑顔で話しかけられて、嬉しかったのに……) 」
亀井さんが私に話しかけてくれる時。
それは、私に何か頼み事がある時。
私が使えそうな時。
話しかけてメリットがある時。
ただそれだけ。
「〜っ!」
悔しい。まだ全然喋れないけど、全く会話も成立しないけど……でも、悔しい。一人のクラスメイトとして扱われなかったことが、悔しくて悲しい。私ってそこまでの価値しかないの?利用価値がなかったら、私はなんなの?
言い返したい……。
亀井さんの思ってることは全て誤解だって、神野くんのことも希春先輩のことも、何でも無いんだよって言いたい。
それに――
私を助けてくれた人達を、そんな風に言わないで欲しかった。私のことは、どう思われても構わない。けど、私に手を差し伸べてくれた人達のことを、他の人の憶測で悪く言われたくない……っ。
あの二人のことを、悪く言わないで!
「あ、の……っ!」
「ん? なーに?」
「あ…………ぅ……」
でも、言えない……。私の口も体も、まだまだ全然、訓練が足りないよ……っ。
「く……し、ぃ……」
「え?なんか言ったー?」
「〜っ!」
悔しいよ、神野くんっ……!喋れない自分がこんなに嫌いになったのは、初めてだった。でも、その時――
コツッ
「分かるよ莉子ちゃん、“ 悔しい”よね」
「っ!?」
私達の前に、いきなり姿を現したのは……
「久しぶり莉子ちゃん。やっと会えた」
「き……は……っ」
さっき資料室で見た、神野くんと瓜二つの笑顔をする、
希春先輩だった――
「え!? 委員長!?」
「うん、亀井さんはさっきぶり」
驚いて顔を青くする亀井さんとは対照的に、希春先輩は余裕のある表情をして、亀井さんに手をヒラヒラさせていた。亀井さんは急いで私に回していた腕を離すと、今までの怖い顔とは正反対の……いつもの可愛らしい笑顔に戻る。
「2回も委員長に会えるなんて、今日はいい日ですね♪ では私はこれで。じゃあね小野宮さ〜ん」
脱兎のごとく駆けて行った亀井さん。つまり……逃げた?でも、逃げてくれて助かった……。
「 (よか、った……) 」
私の足は力が抜けてしまい、ペタンと地面に座りそうになる。だけど、それを希春先輩の手が阻止した。
ガシッ
「おっと、大丈夫? 莉子ちゃん」
「き……はる……せ……」
先輩の長くてしっかりした腕が、私を掴んで持ち上げる。大丈夫です、と自力で立つと、希春先輩は「座れる所を探そう」と、私の先を歩いてくれた。
「で、なに? 今の」
「え……」
移動中、私の方を向かないまま、希春先輩が尋ねる。
「亀井さんだよ。俺が見るに、とても仲のいい友達って感じじゃなかったよ?特に莉子ちゃんの顔。やばかった」
「や、やば……っ!?」
「うん、幽霊かってくらい青い顔してた」
「ゆ……れ……」
す、好きな人に「幽霊」と言われる私って……。ショックを受けつつも「亀井さんは何か勘違いをしているらしい」と希春先輩に伝えた。
「勘違い? あー、俺と莉子ちゃんが付き合ってるとか?」
「 (いやいや、全くそのようなことは!) 」
頭をブンブン振って否定する。すると希春先輩は「じゃあ」と言って、少しだけ考える仕草をした。
「莉子ちゃんと弟の斗真との、ラブな噂?」
「ら……!?」
今度は手と頭を同時に振って、「絶対違う」ことを主張する。神野くんとのラブって、何だかすごい言葉の威力……。じゃなくて……っ!
そう、希春先輩と言えば!
『その顔……やっぱり知らなかったんだな。さっきお前の世話焼いてた交通委員長。そいつは――俺の兄貴だ』
『 (どうして教えてくれなかったんですか! 希春先輩〜っ!!) 』
神野くんと兄弟だったこと――
これを本人から聞いた時の衝撃は忘れないよ……っ。
すると、全てを見透かしたように希春先輩は「アハハ!」と笑って、いつの間にか自販機で買っていたジュースを私に渡した。
「はい、莉子ちゃんの分」
「へ……?」
「斗真と兄弟だって黙ってたお詫び。今日莉子ちゃんのクラスに謝りに行ったんだけどいなくて。諦めて一人帰ってたところに莉子ちゃん見つけてさ。声かけようとしたら、亀井さんが先に話しかけちゃったんだよ」
「 (そ、そうだったんだ……) 」
委員会でコケた時と同じで、また情けない姿を見られちゃったなぁ……。恥ずかしさで俯きながら、希春先輩からジュースを受け取った。
「それで、大丈夫? 真面目な話、莉子ちゃんが傷ついてないか心配してるんだけど」
「しん、ぱ……?」
「そりゃするよ。それに怒ってやりたかったね。頑張ってる莉子ちゃんに何言ってるんだってね」
「 (頑張ってるって、希春先輩の目にそう写ってるんだ……) 」
それだけで、救われた気がした。だって今までの私は、助けを待ってばかりで、自分から動こうとしてこなかった。でも神野くんと一緒に、今は自分の力で頑張ろうって思えてるから……
「 (その決意が希春先輩に届いてたっていうだけで、もう満足しちゃったよ……) 」
亀井さんから言われたことは傷ついたし、嫌な思いをした……でも、また希春先輩と会えた。亀井さんと会って立ち止まって話をしていなかったら、希春先輩と会えなかったかもしれない。亀井さんに色々言われてなかったら、こうやって、じっくり話をすることもなかったかもしれない。
「 (不思議……。好きな人に会えただけで、嫌なこと全てをポジティブに変えられる……) 」
恋って、魔法だ――
「あれ? 莉子ちゃん。ほっぺどうしたの?」
「あ.......」
そう言えば、痛い.......。さっき亀井さんが腕を回した時に、彼女についてたブレスレットが当たっちゃったんだ。
「ひっ、かい.......ちゃっ、て.......」
「そっか、痛そう」
やっと座れる所が見つかり、私が先に座った時――先輩が私の頬に手をやる。ツツツと触られると、ピリッとひりついた。
「あっ、い……た」
「わ! ご、ごめんね!」
顔を赤くして離れる希春先輩。手だけ離せばいいのに、なんで体ごと遠くに行っちゃったんだろう……?
「コホン……赤い線が入ってるよ? 少し血も滲んでる」
わざとらしい咳払いをしながら戻ってきた先輩は、何やらカバンの中をゴソゴソし始めた。「あったかな〜」という先輩のカバンから、「受験生のための数学」という「受験生シリーズ」の本が数冊入っているのが見えた。
「 (そっか、先輩は3年生だから今年は受験だね……) 」
急に悲しくなって、俯く。先輩から貰ったジュースの周りに水滴が、まるで泣いているようにポトポト垂れていた。先輩は、県外の大学に行っちゃうのかな……。
「莉子ちゃん?」
「!」
「大丈夫?」
「だ、だい……じ、ぶ……で、す」
「そっか」
座っている私を覗き込む、希春先輩。「じゃあ貼るね」と言って上げた右手には、絆創膏が握られていた。
「これ、ネコの絆創膏。可愛いでしょ〜前コンビニで見つけて、つい買っちゃったんだよね」
ご機嫌な希春先輩は、慣れた手つきで私の頬に絆創膏を貼る。ピンクのそれは、私の蒸気した頬に上手く馴染んだ。
「じょ、ず……で、すね」
「昔から斗真の世話係だったからね〜。アイツの体に何枚の絆創膏を貼ったか」
「ふ、ふふ」
「その名残かなぁ。今も可愛い絆創膏を見ると、つい買っちゃうんだ。斗真には怒られるけどね。“ もういらねーだろ、こんなの”ってね」
「あ〜……」
神野くんなら言いそうだなって、そう思った。さっきまで一緒だったせいか、自然に神野くんの声で再現される。
「はい、これ! もう1枚あげるから、明日も貼るんだよ」
「え……」
「目立たない透明タイプ〜ネコのイラスト付き。余ってるんだ、貰ってやってくれる?」
申し訳なさそうに笑う先輩が、なんだか可愛くて「はい」と返事をして貰う。宝物にしようかなと思ったけど、明日も先輩とバッタリ会うかもしれないし……これを貼ってたら先輩喜びそうだから、貼って学校に行こうかな……っ。
「よかった、笑った」
「え……」
隣に座った希春先輩が、いきなりそう言った。そして「心配してたんだ」と、私の頭を撫でる。
「委員会の時から、莉子ちゃんが一生懸命に頑張ってる気がして。でも、さっきの亀井さんの言葉に、ポッキリ折れちゃったんじゃないかと思ってね」
「 (希春先輩……) 」
「莉子ちゃんは強いね。さすが激務と言われる交通委員の一員なだけある!」
「ぷっ……ハハ」
なんですか、それ――優しい希春先輩。久しぶりに会った希春先輩も、やっぱり大好きだった。
「そうだ、元交通員の子が迷惑をかけちゃったから、委員長の俺にお詫びをさせてほしいな」
「お、び……?」
「そう」
コクリと頷いた希春先輩。その顔に浮かぶのは、いつもの優しい笑み。だけど……希春先輩が亀井さんのお詫びをしなくても、いいよね? それは絶対に違う気がする。希春先輩は、そんな事をしなくていいはずだもん。お詫びはいいです、と言おうとした私。
だけど――「ストップ」と、希春先輩が、私の口の前で大きな手のひらを見せた、
「お詫び、なんてカッコつけちゃったけど……。ウソ。ほんとはね、」
「……」
希春先輩は、少しだけ顔を逸らした後。少しだけ照れ臭そうな顔で「あのね」と、再び私と目を合わせた。
「明日も、一緒に帰らない?」
「……へ?」
「そう言いたくて、カッコつけて”お詫び”なんて言っただけなんだ。本当は……莉子ちゃんと一緒にいたいだけだよ」
「っ!」
先輩からの、お誘い? そんな幸せな事が、あってもいいの?嬉しくて、信じられなくて……顔を赤くして口をパクパクさせてしまった。
分かってる。頭の中では、きちんと分かってる。
きっと今日の亀井さんの様子を見て、明日も私が嫌がらせを受けないよう。そういうボディーガードの役目を果たすべく、希春先輩が「一緒に帰ろう」と言ってくれたんだって。きちんと、分かってる。
だけど――やっぱり嬉しい。幸せをかみしめながら、「悪いですよ」と何とか伝え、首を横に振った。
私の考えている事はお見通しなのか、希春先輩は「いいんだよ」とカバンを持って立ち上がる。そして、まだ座っている私に手を伸ばした。
「俺の思ったことが俺の希望だから、莉子ちゃんさえ良ければ、叶えてやってよ」
「っ!」
そう言われると、断るわけにもいかず……
「お、ねが……ま、す……っ」
頷いた後、希春先輩の手をとって立ち上がる。今、手を引いてくれたのだって。初めて会った時、スルーせずに声を掛けてくれたのだって。全部ぜんぶ、希春先輩が……どうしようもなく嬉しかった。
「き、はる……ぱい。あ……がとう、……ます」
「ふふ、お礼を言うのはこっちだよ。明日もよろしくね!」
「は、い……っ」
希春先輩の隣は、やっぱり居心地が良くて。その後、和気あいあいと話をしていたら――自分でも驚くくらい、すぐに家に着いたのだった。
次の日――
私はいつも通り登校した。亀井さんのことは気になるけど、でも、いつも通り避けてかわしてみよう。ただ、いつもと違うところが一つだけ。それは、頬の絆創膏。
「 (ね、ネコちゃん……) 」
クリアだから目立たないと思っていたけど、遠目から見ると、ネコのイラストだけが頬に貼りついてるように見える。大きさは小さめだけど、見る人が見たら「?」てなるに決まってる。
あ、でも……私を見る人はいないから、大丈夫だよね?安心して教室の中に入り、いつも通り授業を受ける。案の定、誰も私を見ないし気にしない。昨日あんなことがあった亀井さんでさえ、私の事を視界に入れなかった。
「 (ね、ほら。大丈夫) 」
そう安心したのが放課後。
そして、
「おい、なんだそのふざけたネコ」
そう尋問を受けているのが、資料室にいる今……。さすがマンツーマンの対面で座っていると、神野くんも嫌でも気になるらしい。私の顔を見るやいなや「お前さ」と喧嘩のごとくふっかけてきた。
「朝から気になって仕方ねーんだよ、はがせ」
「 (え、朝から?) 」
あれ? 神野くん、てっきり今絆創膏に気づいたと思ったけど……あれ?もしかして、朝から私の事を見ていてくれたの?
「 (みんなが私を無関心の中、みんなが関心を寄せてる神野くんが、私を……? なんか贅沢だなぁ) 」
「ふふ」と笑ったのが、更に神野くんを刺激したらしい。
「剥がせって、そー言ったんだよ」
「……い、や」
「嫌ってお前……」
神野くんは諦めたのか、私に迫った姿勢をやめて、ドカッと椅子に座る。ちょっと怖かったけど、でも、この絆創膏は剥がしたくないな……。お風呂に入るギリギリまで、つけておきたい。
「で、何かあったのかよ」
「え?」
神野くんが窓の外を見ながら、私に聞いてきた。今日は初めから窓を開けていて、涼しい風が入っている。外で部活をしている人たちを、神野くんは意味もなく、ただ目で追っていた。私の答えを、静かに待つように――
「 (あ、そっか……) 」
その姿を見ていると、何故だか分かる。神野くんが私の絆創膏に朝から気づいた理由――私が、亀井さんを気にしてオドオドしていたからだ。私の些細な変化も見過ごさないでいてくれる……神野くんは、どんな時も私を応援してくれてるんだね。
「 (ありがとう、神野くん) 」
風でなびく髪を押さえながら、ゆっくり答えた。
昨日亀井さんに話しかけられたこと。
亀井さんが誤解しているようだったこと。
その訂正が出来なかったこと。
喋れない自分が嫌で、悔しかったこと。
ゆっくり、亀よりもゆっくり話す私を、ただジッと聞いてくれる神野くん。亀井さんが「何に」勘違いしているか、その内容は伏せた。神野くんが聞いていて楽しい話ではないし……。それに、希春先輩と会ったことは伝えたけど、この絆創膏を貰った事は伏せて伝えた。
そして、全て話終えると。神野くんは「そーかよ」と言って、今度は私の方を見た。
「お前、なにか隠してるだろ」
「え……」
その顔は、少し怒っているようだった。
「な、に……か?」
って何?
分からないふりをしても神野くんには通用しないらしい。肩肘ついて、恨めしく私を見つめている。
「お前の話の中で分からねーことが2つあんだよ。一つ、亀井になんて言われたのか」
「 (ギクッ) 」
「お前が話さねーってことは、俺関係で何か言われたんじゃねーの?元々、亀井は俺目当てで交通委員に入ったくらいだしな。大方、俺とお前が仲良くしてんのが気に入らねーんだよ」
「あ……たり……」
神野くんってエスパーなの?
的確すぎて、花丸の解答だよ……。
でも神野くんの勢いは止まらず、私の伏せておきたい部分についても、核心を突いてきた。
「二つ、その絆創膏。誰からもらった?」
「 (ギクッ) 」
心なしか、さっきよりも顔が怖い……。「怒ってる顔してるなぁ」ってさっきも思ったけど、今はその比じゃない。
もしかして、神野くん……この絆創膏の持ち主に、気づいてる?私が予測した、その時だった。
「あ、莉子ちゃん〜! そんな所にいたー」
窓の外から、聞き覚えのある声。
それは――
「 (希春先輩!) 」
外にいる希春先輩が、資料室の小窓から私を見つける。ここ二階だし、この窓小さいし……なんでそんな所にいる私を見つけられたのか、希春先輩の凄さにビックリだよ……。
そう、今日は先輩と一緒に帰る日。神野くんの欲しい物を教えてもらう条件にって希春先輩が……でも、きっと先輩は、私に気を遣って「一緒に帰ろう」って言ったんだと思う。
けど、希春先輩……
「 (タイミングが、凄く悪いです……っ) 」
希春先輩をスルーする訳にもいかず、ぺこりとお辞儀をして「これからむかいます」と口パクで伝える。もちろん希春先輩は一度で口パクの内容を理解出来なかったようで、「?」と頭を傾ける。私は何度も口をパクパクさせ、必死に伝えようとしていた。
そんな時――
ジャッ
カーテンが壊れたのかと思うくらい重たい音がして、そして、私の視界は遮られた。目の前にはカーテン。そのカーテンを閉めたのは……
「か、んの……く、ん?」
「はぁ……だから嫌なんだよ」
苦い顔をして呟いた、神野くん。
「 (物凄く、怒ってる気がする……) 」
このカーテンを開けてはいけない――
神野くんから出るオーラが、私にそう伝えてくる。
ガタッ
神野くんは自分の席から離れ、私に近寄る。そして私のすぐ真横に来、机にドンと乱暴に手を置いて、神野くんの端正な顔を近づけた。そして前髪と前髪が当たるくらいの距離まできて、
それから、
「お前が悪ぃんだからな」
「え――」
一言呟いて、私の頬にその唇を当てた。そっちは、ネコの絆創膏が貼ってある頬。そこは、ネコの絆創膏が貼ってある位置。その場所に――神野くんのキスは落とされた。
「 (え……や、わらかい……唇?え、神野くんの?な.......なんで??) 」
神野くん――?訳が分からなくて、頭が回らなくて、ただ戸惑う。肝心の神野くんは、まだ私の頬にキスしたままで……って、あれ?
なんか長くない?
それに、くすぐったい?
頬に当てられた唇が動いているような……
「 (神野くん、本当にキスしてるの……?) 」
僅かに違和感を覚えた、その時だった。
ビリッ
「あっ、痛っ……!」
突然、頬に電気が走る。と言っても、もちろん雷に打たれた訳じゃないし、ケガをした訳でもない。でも、確かに痛い。この痛みは、なに――?
「か、んの……く……?」
頬を押さえたまま、神野くんを見る。神野くんは既に私から一歩引いていて、彼の全体がよく見えた。そう、だから見つけてしまった。神野くんが唇に挟んだ、ネコの絆創膏を――
「あ」と私が言うよりも早く、神野くんは自分の手に絆創膏を移す。そしてグシャリと握り閉めて、そのまま、持ってきていたカバンに手をかけた。真っ直ぐ扉に向かっている所を見ると、どうやらこのまま帰るらしい。
椅子に座ったまま放心状態になっている私は、彼を引き止めることも追い払うことも出来なかった。ただ頬に手を当てて、神野くんの後ろ姿を見る。
どうして――?
私が言うかわりに、神野くんがその言葉を吐いた。
「どうしてって、俺がお前に聞いたら、答えてくれんのかよ」
「……え?」
「言えよ。どうして兄貴を好きになったんだ」
「そ、れ……は……」
さっき「何があった」と聞いてくれた時は、いくら私がゆっくり話しても、ずっと待っていてくれた。けど、今回は違うみたい。
「ばーか……冗談に決まってんだろ」
「えっ」
「聞くわけねーよ、そんなこと」
そして一度も振り返らずに、神野くんは扉の取手に手をかける。だけど……ドアを開ける、その一瞬のことだった。
「俺なら、お前に絆創膏なんて貼らねーよ。お前を守る。傷一つ付けさせねぇ。だから……早く俺を見ろよな」
その時に振り返った神野くんの顔は、無理やり絆創膏を剥がされた私の頬の色と、とてもよく似ていた――
バタンッ
「……へ?」
一瞬のことだった。もう帰るとばかり思っていた人から、あんな言葉を聞かされて……あんな……まるで王子様がお姫様に言うかのような言葉を……神野くんが、私に?だとしたら.......いや、でも、本当に?
さっきから、同じことを繰り返し思っている。
あぁ、もう……っ。
「 (神野くんこそタチ悪い……。あんな冗談言われちゃったら、ウソでも考えてしまうよ……) 」
頭が熱くなって、机におでこをくっつける。私の体温が、机に浸透していくのが分かった。
「 (希春先輩……もうちょっとだけ待っててください、お願いします……) 」
神野くんが、あんな歯が浮くようなセリフを言うなんて、明日は嵐に違いない――そんなことを思いながら、その後、やっとのことで合流した希春先輩。
「莉子ちゃん顔真っ赤だよ、どうしたの?」
絶対言われるだろうなと思っていたセリフをまんまと言われ、思わず天を仰ぎみる。すると空一面に、どんより雲。神野くんという嵐がスピードを上げて私に近づいているようで……私は更に、赤面したのだった。
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