第4話 俺が変えてやる*神野 斗真*


*神野 斗真*



『人形も、恋とかすんだな』



と言ったら、小野宮が泣いた。

俺が泣かせたってことになるよな?




「(はぁ、めんどくさ……)」




嫌味ではなく、本心を言っただけだ。人形って言われてる小野宮が、まさか恋するなんて思わないだろ。だからビックリして、あんな言葉になっただけだ。



「(まぁ少しだけ……腹が立ったっていうのもあるけどな)」



考えてみろよ。俺の前だと震えるか泣くか怯えるかしかしねー小野宮が、生き生きした表情で好きな奴を見てんだぞ。しかも、その相手っていうのが、



「(なんで俺の兄貴なんだよ。やりづれーだろーが、色々と)」



さっきまで教壇で、遅れてきたってのにイケシャーシャーと能弁だれていた委員長こと俺の兄貴――昔から、優しそうな兄貴と怖そうな俺で、見た目も中身も正反対の兄弟だった。


もちろん、見た目がいい方がよく褒められるに決まってる。兄貴はいつも、俺よりも周りに褒められて育ってきた。だからこそか、もともとの負けず嫌いも手伝って兄貴への反抗心はメキメキ育ち、俺はいつも兄貴をライバル視するようになった。


といっても、それは俺だけ。嫉妬の塊の俺とは違い、兄貴はお気楽なもんだった。いや、今も受験生だってのに、お気楽そのものだ。兄貴は昔から俺を可愛がり、うぜーほど構ってきた。さすがに最近は度を超えることはねーけど、高校になった今でさえ、俺の事を気にしてる感が満載なのが気に入らねー。


ガキのままじゃねんだよ。いつまでもちっせー弟の扱いすんのやめろよな――何度そう言っても、兄貴は垣根を越えてやってくる。あの時もそうだった。


新入生代表の挨拶。

教頭が電話越しに言ってた、



『君には心強い味方がすぐ側に居るだろう』



あれは、同じく2年前に新入生代表の挨拶をした兄貴のことだ。なにが「さすが神野くん!」だ。ふざけんな。俺と兄貴を同じ土俵に立たせんじゃねぇ。



『やったわ〜!新入生代表の挨拶ですって!さすがねぇ!』

『お〜斗真やるねぇ』

『今夜はお祝いよ〜!』



斗真やるねぇ、と言った兄貴は、もちろん俺の原稿を手伝おうとした。「起承転結っていうのがあってね」と小学生が教わるような内容から、手取り足取り俺に教えようとすんのも腹たった。だから、原稿は自分の力で書いた。兄貴が介入した挨拶なんて、ぜってー読みたくねぇ。


だけど、悪運は続く。


無事に新入生代表の挨拶が終わって一息ついた時だった。あみだくじで、交通委員を引いてしまった。俺はうなだれた。前夜に、兄貴が交通委員の委員長になったと家族に吹聴していたからだ。


ただでさえいい事ねーのに、同じく交通委員になった女子の亀井。俺があみだで決まった途端に、立候補してきた。「続かねーだろうな」と思ったら案の定だ。無駄に高い声がうるせーから辞めてもらって丁度いい――そう思っていたところに、代打の小野宮だ。


俺はまた、うなだれることになる。

あの小野宮かよ――ってな。


新入生代表の挨拶を代わってやったことに感謝もされねーばかりか(学校側が”俺が代わりに挨拶をしたと小野宮に話してねーから”って分かってるが気に食わねぇ)、いつも避けられ怯えられたら、こっちが無関心でいたくても嫌いになるだろ?しかも兄貴とセットで登場だ?俺には怯えた顔しか見せねーくせに、好きになった兄貴には我を忘れて夢中で見てる?



『(気に食わねー)』



俺が無性にイライラするのに、時間はかからなかった。だから言った。



『人形も、恋とかすんだな』



小野宮が恋したっていう驚きと、積み重なった俺のイライラが混じる。悔しいなら言い返してみろよ、その口でな。そんな苛立った俺に、立て続けに兄貴が言った、あの言葉。



『莉子ちゃんに、触らないでくれるかな』



小野宮が泣いた時、俺は小野宮の涙を拭おうと手を伸ばした。だがその手をヒラリとかわし、俺より先に小野宮に触ったのは――兄貴だ。まるで兄貴に負けたようで、更に苛立つ。けど恨めしく兄貴を睨んだ時に、運悪く小野宮と目が合っちまった。



『……っ!』

『(あ、やべ)』



別に小野宮を睨んだわけじゃねーんだけど……。その時の俺の顔は普段より一層怖かったらしい。兄貴の腕のせーで片方しか見えない小野宮の目が、恐怖に揺れたのが分かった。兄貴の腕の中で小さくなった小野宮を見る。



「(小野宮とは、口喧嘩も出来ねーんだな)」



ふと、そんなことを思った。


睨んだら終わり。

言葉で攻撃したら終わり。


会話も心も、キャッチボールなんて出来やしねぇ。ケンカすら、あいつにとって「勝ち負け」は度外視だ。いかにコミュニケーションを図らず敵前逃亡するかしか考えてねぇ。



「(例え恋したって、人形は所詮人形ってことか)」



お前、兄貴を好きになったってどうすんだよ。頑張れねーだろ。どーせ傷つくだけだろ。なんで好きになっちまったんだか――



「(はぁ、考えるの止めた。アホらし)」



まぁいーや。

どうせ俺の知ったこっちゃねーしな。


2人が会議室を出た後――しばらくして委員会は解散になった。


あ? 帰ってこねーじゃん。何やってんだよ、アイツら。


小野宮が座っていた席を見ると、アイツの筆箱と配られた資料がある。一日に何回筆箱をなくせば、気が済むんだか。



「 (はぁ。めんどくせー) 」



委員会が終わったら直で帰ろうと鞄を持ってきたが……教室に戻ってアイツの机に筆箱と資料を置いとくか。渋々立ち上がった、その時。



「莉子ちゃんって誰?」



見ると、さっきまで兄貴の代わりに司会進行をしていた副委員長が立っていた。兄貴の自由奔放な一連の行動にご立腹らしく、会議中は終始イライラした説明ぶりだった。そして、その苛立ちは健在らしい。眉間に皺を寄せて、俺を兄貴に見立てて鬼の剣幕で話す。



「……知らねーよ」

「知らないわけないでしょ。莉子ちゃんはあなたの隣に座ったんだから。あなた達一緒のクラスよね?」

「だからなんだよ」



一緒のクラスだからって仲良く手ぇ繋いで遊んでるとでも思ってんのか、この女。むしろ知らねーことだらけなんだよ。特に、小野宮に関してはな。



「委員長が一人の女子にあんなに肩入れしたこと、今までないって言ってんの」

「兄貴の女関係なんて知らねーし知りたくもねーよ」


「莉子ちゃん、委員長の何なの?」

「それを俺に聞いてどーするわけ」


「興味があるから聞いてんでしょ」

「(うざ……)」



興味があるってなんだよ。委員長と副委員長の関係ってだけで、他にはもう何もねーだろ。秘書にでもなったつもりかよ。ん? まさか……



「なぁあんた、兄貴が交通委員になったからマネして交通委員になって、兄貴が委員長になったから副委員長になったわけじゃねーよな?」



副委員長は見た目は地味だが、話を聞いていると何故か亀井が頭をよぎる。俺目当てで交通委員になって勝手に辞めていった、声が高くて派手なあの亀井だ。だから半分本気、半分カマかけて言ったに過ぎない言葉だったが、



「っっっ!」



副委員長が隠すこともせず俺の目の前で真っ赤になったのを見て、持っていた小野宮の筆箱を思わず落としてしまう。



「は……マジ?」

「な、何がよ!」



この状態でまだ隠し通せると思っているのか、副委員長は手をパタパタさせ「今日は暑いわね」なんて言ってる。



「……ハッ」

「何よ、そのバカにしたような笑い方!」


「いやあんた、見かけによらずかわいーんだなって思って」

「は!? か、かわ……っ!?」



一通り照れた後、副委員長はしばらく考えて「見かけによらずって何よ!」と怒ってきた。いや、やっぱあんた面白ぇよ。



「小野宮も、あんたぐらい分かりやすかったらな」

「小野宮って……莉子ちゃんのことよね?」

「(やべ、口に出てた)」



これ以上は面倒くさそーだから、早めに教室に行くか。筆箱と資料を持ってすぐそばのドアを開けようとした、その時だった。


ガシッ


副委員長が俺の腕を掴む。地味な見た目してスゲー力なんだけど。何だよこの女……。



「いてぇ、放せ」

「私、一応先輩よ?」

「……何の用ですか放してください」



こんな恐喝する先輩がいてたまるかよ。



「なんすか。兄貴の情報なら何ももってな、」

「違う、莉子ちゃんのこと」

「……小野宮?」



なんでアイツが?副委員長が手を離したのを確認して、俺も向き直る。副委員長はさっきとはうって変わって、神妙な面持ちをしていた。



「弟くん、莉子ちゃんのこと嫌いでしょ?」

「は?」


「見てれば分かるのよ」

「……嫌いだよ」



前は「気に食わない」程度だったけど、今日で一気に「嫌い」になった。苦手な俺との距離はそのままで、でも、好きな兄貴との距離は近づきたい。小野宮に自分本位に「俺」を値踏みされたようで、イケすかねぇんだよ。



「嫌いを嫌いで返しちゃ悪ぃのかよ。アイツ、俺の事キライだぞ」

「本当にそう?」

「見れば分かんだろ」




あんなオドオドした態度されて喜ぶ奴っていんの?嫌われてるって思うのが普通だろーがよ。でも副委員長は「私ね分かるの」と言った。その目は俺を見ていない、どこか遠くを見つめてる感じ。なんだ?



「あんた訳あり?」

「人を値引き商品みたいに言わないでくれる? ま、目立つ神野兄弟には分からないわよね。地味な女の境地なんて」

「境地って……でも、アンタも地味そうな割には楽しくやってんじゃん。小野宮とはちげーよ」



安心すれば?と言った後、お腹にグーパンチが飛んでくる。もちろん、副委員長からだ。「な!いってぇ……」と少しだけうずくまる俺を無視して、副委員長が言った。



「同じなのよ。私と莉子ちゃん」

「同じ……?」


「私は中学の時に、莉子ちゃんみたいに喋れなくて、いつもオドオドした女の子だったのよ」

「それが今じゃズケズケ物言う図太ぇおばさんに、」



もちろん、そこでもう一発コブシが来る。と同時に「副委員長ーちょっと」とお声がかかった。



「はーい、今行くわ!じゃ、覚えておいて弟くん」



副委員長は、今度こそKOされて壁にもたれている俺に捨て台詞を吐く。



「地味子がオドオドしてるのってあなたにだけ? もっと周りを見なさい。地味子はね、皆が怖いの。皆が敵に見えるの。暗闇に一人、ポツンと取り残された気持ちになるの。でもね――そこに一人。たった一人の“ 誰か”が手を差し伸べてくれるだけで、地味子って案外逞しく変われるものなのよ」

「で……言いたいことは?」

「何もその“ 誰か”が委員長じゃなくて、あなたでもいいんじゃない?って話よ」



そして副委員長は、呼ばれた方に小走りで向かった。その姿を、まだジリジリ痛む腹をさすりながら見る。



「くそ、あの女……」



今の話、ようするに、



「兄貴が小野宮を甲斐甲斐しく世話してる間に二人がいい雰囲気になるのが嫌だから、阻止してくれってことかよ……」



まぁ実際、小野宮は兄貴のことを好きになったし、副委員長が焦るのも分かる。が――今の兄貴のポジションを俺がしろって?小野宮が迷ったら部屋まで送ってあげて、小野宮が泣いたら別室で慰めてやれって?



「アホらし。考えるのも行動するのも時間の無、だ……」



その時、さっきの副委員長の言葉を思い出す。



『たった一人の“ 誰か”が手を差し伸べてくれるだけで、地味子って案外逞しく変われるものなのよ』



とは言うが、兄貴が介入したところで小野宮は変わらねーんじゃねーの?「あの」小野宮が副委員長みたいに変われるか? 今の姿からは、全く想像出来ねーよ。



「それとも、俺が世話焼きゃ何か変わるって言うのかよ」



頭の中で、ニンマリ笑った副委員長が「そうそう!」と相づちを打つ。胡散臭い笑顔に、ハッとさせられた。



「いや、ねーな。なにバカなこと言ってんだ俺は」



正気に戻り、筆箱と資料を今度こそ教室に持っていく。話の元凶だった小野宮が、そこにいるとも知らないで。




その後――教室で小野宮とバッタリ会い、直ぐに帰ろうかと思ったが止めた。副委員長の顔がチラついたっていうのもあるが、俺が泣かしたままっつーのも後味悪ぃからな。けど俺が謝ると、変なことになってきた。



『あ、り……が、と』

『(……は?)』



小野宮がおかしい。まず俺に礼を言ってきた。その次に笑った。俺に向けて。



「(は? いや……ちょっと待てよ)」



お前、俺の事キライなんだろ?苦手なんだろ? 距離とりたいんだろ?



「(そんな無防備に笑っていーのかよ)」



さすが「人形」と言われるだけあって、小野宮の顔は整っている。中島なんかに言わせれば「笑顔かわいすぎ!!」ってところか。だから、なのか。



「か、のく……?」

「……あ?」



恐らく「神野くん」と言った小野宮は、自分の顔をトントンと指で押した。次に、その指で俺を指す。


ん? 顔? なんかついてんのか?


近くの窓に自分の顔を反射させる。写ったのは、顔を赤くさせた俺の顔。


シャッ



「っっ!?」

「あ……わりぃ」



思わずカーテンを閉めた。いきなりでビックリしたのか、窓際にいた小野宮の肩がビクッと跳ねる。謝りながら冷静になる。いや、なろうとした。だってそーだろ。



「(小野宮の顔が可愛いくて赤面したとか、ありえねーだろ……!)」



また頭の中で副委員長のニンマリ笑った顔が浮かぶ。くそ、あの女と話したせーで頭が上手く働いてねぇ。小野宮も小野宮で、俺に話しかけようとさっきから機会を伺っているように見える。なんでだよ、お前、いつも俺と目さえ合わせねーだろ。それが、なんで、俺と話せるのが、嬉しそうなんだよ。



「なぁ、小野宮」

「な、に……?」


「お前、いま楽しんでる?」

「たの……ん?」


「いや言い方変えるわ。お前……もっと俺と話したいか?」

「……」



我ながらバカな質問をした。これじゃ俺が自意識過剰なヤツだ。けど、なぜだか聞いておきたかった。大人しく小野宮の答えを待つ。すると――



「は、し……い」

「あ?」

「はな、し……たい……!」



目をキラキラさせて答えた小野宮に、俺の目と思考が吸い込まれた。



「そ、そーかよっ……っ」

「?」



くそ、失敗した。やっぱり聞くんじゃなかった。俺の中で小野宮の存在が嫌でも大きくなったのが分かる。笑った顔、目を輝かせた顔――それらが脳内で、交互に再生されていた。



「(こいつは、ついさっき俺が“ キライ”と確信したヤツだぞ。なのに、おかしいだろ)」



気になるなんて変だろ。小野宮からは嫌われてんだぞ。なのに、なんでだよ。自分で自分が分からなくなって頭を抱える。やっぱりあの時、副委員長に毒されたな。くそ、副委員長め。



「か、の、くん」

「あ?」



まだ遠慮がちに笑う小野宮が、俺を呼ぶ。そしてカバンから2つの飴を出してきた。嬉しそうに、その一つを俺に渡してくる。差し出された手は震えていた。やっぱり俺が怖いのか?


いや――半分は合ってて、半分は違うか。副委員長の言葉が、頭をかすめる。



『地味子がオドオドしてるのってあなたにだけ? もっと周りを見なさい。地味子はね、皆が怖いの。皆が敵に見えるの。暗闇に一人、ポツンと取り残された気持ちになるの』



「(きっとコイツは)」

「ど……ど、ぞっ」

「(この手を俺に拒否されるのが、怖ぇんだろーな)」



あー…………くそ。

副委員長、でけー貸しだからな。


小野宮から飴を受け取る。小さくて細くて白い小野宮の手ごと、俺は飴を掴んだ。そして――



「小野宮、俺がお前を変えてやる」



自覚したくねぇけど、もうきっと足りねぇんだ。さっきの顔だけじゃ俺は満足しねぇ。貪欲で悪かったな。負けず嫌いで悪かったな。けど人形って言われてるコイツの仮面の下がどうなってんのか、気になって仕方ねぇんだよ。


だから、見せろ。



「特訓するぞ。コミュ障を治して、今日までお前を笑った奴を見返してやれ。それに、話してぇだろ?友達とか……兄貴とかよ」



俺が小野宮を見て、小野宮もまた、俺を見る。「兄貴」という単語を使って顔が歪んだ俺とは反対に、その時アイツの顔は――



「……〜っ」



眩しいくらいに、輝いていた。




*神野 斗真* end

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