第2話 お前が知らないだけ*神野斗真*




*神野斗真*



ガタッ



「(あ、転んだ)」



会議室の中から、さっきまで見えていた小野宮の姿が消える。どうやら、その場で転んだらしい。



「(はぁ……。しょうがねーなぁ……)」



俺は席を立つ。悪い噂しか飛び交っていない会議室の中を、早足で歩いた。


可哀想

コミュ障

話せない


ネガティブな言葉が、色んな場所から、俺の耳に入ってくる――


なぁ小野宮、

お前の耳にも、届いてんだろ?

お前、3ヶ月前から、なんも変わってねーんだな。



俺が初めて「小野宮莉子」という人物を知ったのは、入学式より前だ。入学式を三日後に控えた、ある日。自分の部屋にいたところに、スマホを片手に持った母親が、もう一方の手で扉をノックした。



『斗真ーちょっといい?』

『あんだよ』


『高校からね、電話なの。あんたにって』

『は? 高校から?』



まだ入学してねーのに?


意味が分からないまま、母親のスマホを受け取る。母親の方が焦っているのか、少しかすめた手が、ジットリ汗をかいていた。触れた所を自分の服でなすりながら、電話に応える。



『もしもし』

『あぁ、神野くん! 神野斗真くんだね⁉』

『はぁ……、そうですけど……』



電話口のおじさん(後に知ったが、教頭だったらしい)は、いやに慌てた声をしていた。母親は、話しの内容が気になるのか、ずっと俺の前に立っている。出ていけよ――と、シッシッと手で払ったが、首をブンブン振って「ちゃんと聞きなさい」と言わんばかりの、険しい顔をした。


ハァ。

見られながら電話するとか、めんどくせぇんだけど……。



『で、なんの用?』

『(なんの用ですか?って聞きなさい!)』

『……なんの用、ですか』



早速めんどくせぇ……。けれど教頭は、俺のことなんてお構い無しな口調で、まくし立てるよう話し始める。



『じ、実は、入学試験で首席だった子に、入学式の新入生代表の挨拶を任せていたんだが……。今になって”出来ない”って連絡が入ったんだよ!』

『はぁ……』


『それで、その〜直前だし、言いにくいんだが、式に穴を開けるわけにはいかんし、試験で2位だった神野くんに頼もうということに、なってだね』

『はぁ!?』



新入生代表の挨拶!?

なんで俺が!?



『嫌です』

『そ、そんな神野くん! 君だけが頼りなんだよ!』

『どう頼まれても、嫌です』



じゃ、と言って電話を切ろうとした所に、母親の手がニュッと入ってきた。そして、素早く自分のスマホを俺から取ると『ぜひお願いします!やらせて下さい!』と、勝手に返事しやがった。



『な、勝手に!』



スマホを再び渡された時は、電話の向こうは歓喜に溢れていて、俺の声は全く届いてないようだった。



『――校長! やりましたなぁ!』

『――さすが神野くんだ!』


『き、聞いちゃいねぇ……!』



母親も既に俺の前からいなくなっていて、1階にいる家族に報告していた。



『やったわ〜! 新入生代表の挨拶ですって! さすがねぇ!』

『お〜、斗真やるねぇ』

『今夜はお祝いよ〜!』



既にクラッカーの「パーン!」という音が響いている。本当、誰も俺の話を聞いちゃねぇな……。



『それでだな、神野くん!』



まだ興奮状態にある教頭が、電話口に戻ってきた。



『重ね重ね申し訳ないんだが、原稿をだな、用意してもらわんといかんのだ』

『は? 原稿?』


『挨拶の原稿だよ。代々、学校が用意するのではなく、新入生に自ら考えてもらってきてるんだよ』

『はぁ……?』



そんなの、簡単だろ。



『首席が今日まで出るつもりだったんなら、首席が考えた原稿があんだろ。それを渡してもらえりゃ、』

『(言葉遣い‼)』

『……それを渡してもらえると、有難いんですが』



いつの間にか俺の前に戻ってきていた母親に、鬼の形相で注意される。いや、怒りたいのは俺だっつーの……。けど『それが』と教頭は、またもや言葉を濁す。



『す、捨てたらしいんだ。原稿』

『……は?』



今、なんつった?

す、



『捨てたぁ⁉ もうないってことかよ!』

『もう形も残ってなくて、覚えてもなくて、どうにもならないらしい。だから悪いんだが、神野くん。一から原稿を作ってきて欲しい。頼む!』


『頼むったって……』

『大丈夫! 君には心強い味方がすぐ側に居るだろう? なんとかなる! 先生は信じている!』


『誰だよ、それ』

『じゃあ頼んだよ! 入学式の日に1時間早く職員室に来てほしい! 待ってるからね!』


『まっ!』



ブツッ、ツーツー



『……』



切られた。母親も、満足そうに俺からスマホを取って、部屋から出ていく。かと思えば、直ぐに戻ってきて、



『はい、原稿用紙代♡』



そう言って、小銭だけ渡してきた。

本当に、俺がすんのかよ……。



『首席……、会ったら覚えとけよ……!』



その後すぐ、その足で原稿用紙を買いに、コンビニに行った。


その時――肌寒い季節というのに、浅い川の中で暗そうな女が、バシャバシャと水遊びをしていた。



『なんだ……あれ……』



助けようかと思って近づいて行ったが、「げ……げ……」とブツブツ言っているのに気づいて、後ずさる。



『完璧に、ヤベー奴じゃん……。ほっとこ』



原稿もあるしな――



『はー、めんど……』



なんせ、あと3日しかない。



『はー、ダル……』



なんでウチの母親は、あんなに耳がいいんだよ……。スピーカーにしてなかっただろ……。



『はー……』



そして入学式当日。


なんとか原稿を完成させ、言われたように1時間早く職員室に来て、教頭と話をする。「本当にごめん」と何度も言われたが、俺が謝ってほしいのは――首席、ただ一人だ。一言文句いわねーと、気が済まねぇよ。


その時、他の先生が「失礼しますね」と横から入ってきた。教頭に用があるらしい。



『教頭、休み連絡入りましたよ』

『ちょっとごめんね、神野くん。うん? 新入生の子?』


『はい。小野宮莉子さんです』

『あぁ、首席の子か……』


『……』



は?

いま、なんつった?「首席」?



『教頭、今の名前って……』

『あ、あぁ……その……すまんな。本来なら小野宮さんが挨拶をするつもりだったんだが……どう転んでも、あの子には無理だったようだな。体調不良で休みだ。風邪らしいよ』

『か、風邪……』



しかも、女だったのかよ……。だが、俺が項垂れるのはまだ早い。次に耳にしたのは、信じられねー言葉だった。



『それで神野くん、重ね重ね申し訳ないのだが、実は小野宮さんには、新入生代表の挨拶は割愛したと話していてだね』

『は?』



なんだよそれ。

ってことは、首席は俺が代わりに挨拶したこと知らねーのかよ?



『なんでだよ、普通に腹立つんだけど』

『すまない! でも、ここであの子に心理的負担を増やすと、もう登校してこないんじゃないかと心配していてね……』


『登校拒否? 土壇場で仕事を放り投げるような強者が、そんな脆いメンタルの持ち主には思えねーけど』

『うーん……。でも、そのなぁ……』



なにか言いたいことがありそうな顔だ。教頭の額に、汗が光る。首席ってのは、頭はいーが相当な問題児なんじゃねーの?



『首席……じゃなくて小野宮って奴、そもそも何で挨拶を断ったんだよ?』



それが一番の謎だ。やりたくないからと言って、学校側も「はいそうですか」と頷くわけもねーだろ?すると教頭は「うーん」と俯く。


そして――



『あの子は特別だからねぇ。

人と話せないんだ。極端にね』



聞き間違いかよ。

そう思った。



『は? そんな理由?』



人と話せないといっても、限度があんだろ。そんな小学生みたいな理由で……。そんな、小学生みたいな理由で、



『新入生代表の挨拶――神野斗真くん』

『はい』



『『『キャアアア!』』』

『『『カッコイイー!』』』

『『『王子ー! クール王子ー!』』』



俺の高校生活は、一気に騒がしいものになってしまった……。首席に、俺の高校生活を変えられたようなもんだ。



『斗真くん、あの、好きです……』

『わりぃ、無理』



こんな煩わしい事、何回も繰り返さなくて済んだのに。


首席のせいだ。

小野宮って女のせいだ。


だけど、俺の思っている「小野宮」は――実際に見ると、全然違う「小野宮」だった。



『入学式の時から風邪ひいて学校来られなかったけど、やっと会えたなー。みんなー、小野宮莉子だ。これでクラス全員揃ったぞ。写真撮るか!』


俺が、その時に見た小野宮は――色白の肌、大きな目、艶のある長い髪、口はりんごみてぇな、赤い色。クラスの奴らは、息を飲んで、小野宮の姿を見ていた。男子なんかは顔を赤くして、一体何人が一目惚れしたんだよ。


でも、違う。



『ほら小野宮、一言挨拶な!』

『……』

『ん⁉ 小野宮どうした!腹 でも痛いのか⁉』



俺は、違うことを思っていた。



『小野宮って、人形みてーな奴だな』



可愛いとか、綺麗とか。そんな事じゃねぇ。喋らねーんなら、人形と同じだ。



『人形? あぁ、ほんと、人形みたいな可愛さだよな、小野宮さん! あとで声かけちゃおっかな〜』

『可愛いくて”人形”っつったんじゃねーよ』


『なんだよ。先越されたくないからって、嫉妬すんなよ〜』

『アホか。ちげーよ』



この時期に既によく喋っていた中島が、隣の席で鼻息荒く話している。緊張で話せない、とでも思ってんのか?


ちげーよ。

あれは、そんなんじゃねーよ。



『一言文句言ってやろーかと思ったけど、やめた。失せたわ』



だって、そうだろ。

人形に新入生代表の挨拶は、できねーよ。


もう水に流した。

それで終わり。


そう思っていたが……。


俺が「人形」と言ったばかりに、小野宮はあちこちで「人形」と呼ばれるようになっていた。いい意味でも、悪い意味でも。いずれ誰かが「人形」って言っただろ――と思うが、俺の言葉のせいで小野宮がヒソヒソ悪く言われんのは、気分わりぃ。


ま、でも――



『斗真くんの事が好きです!』

『無理』



小野宮も、俺の高校生活を変えたんだ。お互い様のよーなもんだろ。


――が。


なんの縁があったのか、一緒に交通委員になっちまった……。3ヶ月前から何も変わってねー小野宮に対して、無性に苛立って、



『何もしゃべらねーんなら帰れば?

あんた、ここにいる意味ねーし』



って言っちまったし……。すぐに委員長に注意されて、それきりになったが、あの時の顔面蒼白な小野宮は、今にも倒れそうな程だった。



「(はー。マジでこいつと一年一緒かよ……)」



小野宮はいつも以上にどんくせーし、いつにも増して暗……



「ん?」



一瞬、目を疑った。あの小野宮が、顔を上げて、きちんと前を向いていたから。


あれ?

さっきまで、顔色悪くして震えてたよな?



「(交通委員のこと、好きなのか?)」



1週間もすれば、この委員会で地獄を見ると思うけどな。まだ現実を知らねーのか。



「(かわいそうなや、つ……)」



そこまで思って、すぐ。現実を知らないのは、俺自身だと気づいた。


小野宮の大きな目は、いつも以上に開かれている。顔も、いつもより血色が良くて、一点を見つめて、微動だにしない。その一点とは――



「よーし、じゃあ今月の担当表を配るよー。各自が担当するポイントの場所、集合時間、男女の名前が書いてある。先月みんなに選んでもらったあみだくじだから、公平も公平だよ〜」

「……」


「あ、莉子ちゃんの名前はなくて、亀井さんの名前で印刷してあるんだ、ごめんね〜。急なことだったから。亀井さんの名前があるところが、莉子ちゃん担当だからね! よろしくね〜」

「っ!」



急に名前を呼ばれて、小野宮の肩が大きく跳ねた。大声で名前を呼ばれて、注目される事を嫌がるかと思いきや、リズム良く小刻みに、何度も小さく頷いている。



「(あぁ……、なるほどな)」



俺が間違ってたわ。こいつ、交通委員が好きなんじゃねぇ。本当に好きなのは――



「なぁ、お前さ。

委員長のことが好きなんだろ?」



俺はその時、初めて知った。



「へ……っ?」

「!」



人形だって恋するんだって、俺の目の前で赤面してる小野宮を見て、初めて知ったんだ。


*神野 斗真* end


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2024年11月9日 19:00
2024年11月10日 19:00
2024年11月11日 19:00

不器用な神野くんの一途な溺愛 またり鈴春 @matari39

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