第31話 桐島和仁、恋に落ちる

 車内で他愛のない会話をしていると、あっという間に旅館へと着いてしまった。

 俺たちは仕事の邪魔をしないように、手短にお世話になる柏木の親戚の人たちに挨拶を済ませ、男子と女子に別れて、部屋に案内された。


 室内は趣のある和室。

 身近にあるように思えて、普段暮らしているのは洋室だし中々縁遠い気がする。


「わー……いい部屋だね」

「ああ」

「こんな所に泊まれるなんて、柏木さんにはきちんと感謝しないとだね」


 まあ、それは本当にそうだ。

 予約の融通を利かせてくれた上、通常料金よりも少し安くしてくれていたりもするわけだし。


「おいのんびりしてねえで早く準備しろよ。遅れるだろ」


 ドサリ、とやや乱暴に鞄を置いた和仁がやたらと急かしてくる。


「遅刻常習犯のお前にそんなこと言われたくないんだが?」

「どうしたの和仁? そこまで焦るような時間でもないはずだけど」

「馬鹿野郎! 天音さんをお待たせするようなことがあってはならねえんだよ! オレは先に行ってるからな!」


 ドタドタと慌ただしく、和仁が部屋を出ていく。

 せっかくの和室なのにあいつのせいで台無し感すら出てくるわ。


「時間には余裕があるけど、僕たちももう行こうか」

「まあ、そうするか」


 このあとの予定としては、天音さんの案内で観光をすることになっている。

 長距離の移動で疲れただろうから、少しゆっくりしてから入口に集合ということになっていたのだが、和仁のせいでのんびりする時間もありはしない。


 ってかあいつ、なにも荷物持たずに行ったが、財布とか持ってんのかね。

 まあ、俺には関係のないことか。



「あれ? お前らも早く出てきたのか?」


 旅館の入口に降りると、女子陣も既に集まっていた。

 

「うん。部屋でのんびりしてるとなーんかうっかり寝ちゃいそうだったから」

「ああ、分かる」


 陽菜の言う通り、実際、俺たちもそれが怖くてこうして出てきたわけだからな。

 

「和室って安心しちゃうので、気が緩んでしまいますよね」

「有彩ちゃんって和室とか似合うよねー。羨ましいなー、和風美人。わたしも黒髪ロングにしよっかなー」

「鳴海さんは今のままで十分可愛らしいと思いますよ」

「お、嬉しいこと言ってくれるねー」


 柏木と有彩の会話を聞いていると、


「お。皆揃ってるね! 時間より早く動けるなんて感心感心」


 天音さんが従業員用のスペースの暖簾を潜って出てきた。


「当然です! 時間を守れてこそ紳士! 天音さんをお待たせするわけにはいきませんから! オレが1番早く来たんですよ!」

「おおー偉い偉い! ご褒美におねーさんがよしよししたげよう」


 和仁の頭を撫で回す天音さん。

 なんていうか、こう、近所に住んでたら憧れの対象になる気安いお姉さんって感じだ。

 

「んじゃ、ちょっと早いけど行きますかー」


 最後に和仁の頭を軽くぽんぽんっとしてから、天音さんは駐車場の方に歩いていく。

 それに付いて行こうとして、和仁が立ち止まったまま動かないことに気付いた。


「おい、どうした?」

「——……せ」

「は? なんて?」

「——今すぐオレに婚姻届を寄越せと言ってるんだ!」

「和仁!? どうしたの!?」


 和仁の狂言染みた叫び声に、遥が目を剥く。

 ……こいつ、もしかして。


「マジで惚れたのか?」

「ばっ!? こんな公衆の面前で惚れたとか言うんじゃねえよ! 恥ずかしいだろ!」

「公衆の面前でいきなり婚姻届がどうとか叫び出すことはお前の中で恥に該当しないのか」


 どんな価値観してんだ。


「え、そうなの和仁?」

「……ああ」


 和仁が静かに頷く。

 まさかとは思ったが、マジでそうだったのか。

 ふーん、和仁がマジ惚れなぁ……。


「——おーい男性陣! 早く来ないと置いて行くぞー!」

「あ、すみません! すぐに行きます!」


 和仁が返事をし、走り出そうとする。

 その背中に、俺は声を投げかける。


「なあ、和仁」

「あ? なんだよ?」

「まあ、なんだ。……頑張れよ」

「……おう、サンキュ」


 ぶっきらぼうな呟きを残して、和仁が今度こそ車の方へ走っていく。

 さて、俺も行くとしますかね。……ん?


「どうした、遥。驚いた顔して」

「いや、理玖が和仁のことを素直に応援するなんて思ってなかったから、ちょっとびっくりしちゃって」

「ああ、まあ……いつもなら罵倒してるところだろうし、そりゃ意外か」

「うん。正直、今回もそうなのかなって思ってたから」


 あまりにもはっきり言われ、俺はつい苦笑を零す。

 

「まあ、あいつは確かにクズでゲスでカスでバカでどうしようもないほどに救いようのないゴミ野郎だが」

「一言多いどころじゃないくらい装飾したね」

「……本気で好きって言ってるものをバカにするなんて野暮、さすがにしねえよ」


 これを本人に直接言ったりも絶対しねえけど。

 頭をかきながらぶっきらぼうに言うと、遥が俺を見て微笑む。


「理玖のそういうところ、本当にカッコいいと思うよ、僕」

「……からかうなよ」

「照れなくてもいいのに」

「あーうっせえうっせえ! ほら、俺たちも行くぞ!」


 からかってくる遥から逃げるように、俺は車に向かって走り出した。

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