第6話 学校一の美少女の母親への挨拶
叔父さんと話した翌日。
俺は多分、人生で1番緊張していた。
どうしてかと言うと、だ。
「——初めまして。有彩の母、彩音です。娘がいつもお世話になっています」
俺がたった今、対面している相手が竜胆の母親だからだ。
普通に考えて、付き合ってもいない異性の母親に娘さんと同棲させていただきます、なんて挨拶をするシチュエーションなんて、世界中探したって俺以外に経験者いないだろ。
どんどん特殊経歴が増えていく。
しかも、昨日の今日で、だ。
こっちは急過ぎて全然覚悟が決まってないんだよ。
いくらなんでも事態が早急過ぎるだろと、文句を言いたくなるが、これには仕方のない理由があって。
竜胆の両親が引っ越すのは海外だ。
国内でも引っ越しは大変なのに、それが国外とあっては準備はもっと忙しいだろう。
なので、早めに話を済ませておくということになり、急遽俺の部屋にこうして招くということになったわけだ。
俺は緊張で強張った笑みを浮かべつつ、どうにか口を開く。
「は、初めまして! 竜胆さんのクラスメイトで友達をさせてもらってます! 橘理玖です!」
「同じく、りんど……有彩さんのクラスメイトで、同居人になる予定の高嶋陽菜です!」
陽菜と2人で頭を下げる。
頭を下げながら、俺はちらりと竜胆の母親を盗み見た。
母親だと黙っていれば、姉妹だと間違えられそうなくらい若々しい温和な顔付きに肩甲骨くらいまでの長さの黒髪で、身長は竜胆より少し低いくらい。
長々と語ったが、要約するとめっちゃ美人ってことだ。さすが、学校一の美少女の遺伝子。ぱねえ。
と、そのまま様子をうかがっていると、彩音さん(竜胆の母親だと長くて呼びづらいのでこう呼ばせてもらう)がなぜか俺の方をにこにことしながら見つめ返してきた。
「あ、あの……? 俺がなにか?」
「あ、ごめんなさい。いえ、有彩からいつもあなたのお話を聞いていたものだから、ついね」
「俺の話ですか?」
「ええ。有彩ったら毎日のようにあなたの話ばかりしてるのよ?」
「お、お母さん! 余計なことは言わないでください!」
「ええっと、それはなんか恥ずかしいような……ちなみにどんな話をしてるのかお聞きしても?」
「理玖くんまで!」
だって気になるし。
学校一の美少女が俺のことをどう親に話してるのか。
「そうですね。たとえば、印象的なのはクラスメイトたちから鈍器という鈍器を持って毎日のように追いかけ回されているという話とか……」
「本当にお恥ずかしい」
この話はここまでにしておいた方がよさそうだ。
俺はこほん、と咳払いをして、切り出す。
「そ、それでその……彩音さんは、竜胆が同棲することに乗り気だって聞いてるんですけど……」
「ええ。そうですね」
「その、どうしてなのか理由を聞いてもいいですか?」
これはただの同棲ではなく、異性との同棲。
普通なら、不安で仕方ないはずだ。
「そもそもの話になりますが、私は有彩を海外に連れて行く方が不安だったんです」
「お母さん? それってどういう……?」
「有彩は引っ込み思案で、人見知りです。今までずっと1人でいることが多くて、周りに馴染めなかった。そんな有彩が海外に行ったらどうなると思いますか?」
少し考えてから、俺は口を開いた。
「言葉が通じず、もっと孤立してしまうと思います」
俺の返答に彩音さんが頷く。
「でも、1人暮らしをさせるのも親として不安がありました」
「それは当然だと思います」
「事件や事故の面でもそうですが、なによりただでさえ交友関係がなく、頼れる人間が周りにいない有彩を1人にするわけにはいきません」
それも当たり前の考えだ。
俺が親でも懸念してしまう。
納得していると「ですが」と彩音さんが俺を見て微笑む。
「そこに現れたのがあなた、理玖君です」
「俺、ですか?」
「はい。いつも1人だった有彩がある日を堺にあなたの話をたくさんするようになりました」
多分、それはあの日、俺と竜胆が話すようになった日からだ。
ちらっと竜胆の様子をうかがうと、どこか恥ずかしそうにしつつ、なんだか居心地が悪そうだった。
まあ、自分がいる所で親からこんな話されるのは恥ずかしいだろうな。
「あの人付き合いの苦手な有彩が心を開いて、信頼を寄せている。たとえそれが異性でも、同棲を許可する理由なんてそれだけで十分ですよ」
「気持ちは嬉しいですけど……竜胆が大げさに言ってるだけですよ。現に、俺は大したことしてないですし」
謙遜のつもりじゃなくて、俺は心の底からそう思ってる。
ただ友達になって、友人として付き合っているだけでなにかをしたつもりになった気になんてなったこともない。
肩を竦めながら言うと、竜胆が「そんなことっ!」と声を上げたが、それを彩音さんが「有彩」と柔らかく制す。
「もちろん。いくら有彩が信頼してたとしても、私が顔を合わせてみて、おかしな人だと思えば、同棲なんて許さないつもりでしたよ。……ですが、こうして直接会って、その心配もなさそうだと思いました」
「……えっと、どうしてそう思ったのか聞いても?」
尋ねると、なぜか彩音さんが俺ではなく陽菜の方に視線を向ける。
「陽菜さん。あなたから見て、彼はどんな人?」
「優しい人です! とても!」
「では、次の質問。この同棲に関して、既にあなたはご両親に話を通していますか?」
「はい。昨日の夜の内に」
そう。
高嶋のおじさんとおばさんには、昨日の夕食を共にした時に同棲のことを伝えていた。
その結果は。
「ご両親は陽菜さんが同棲することについてなんと?」
「えっと、伝えた時は驚いてましたけど、すんなり納得して快諾してくれました」
そう、まさかの快諾である。
おばさんに至っては「なんだかドラマみたいで素敵ね! アオハルだわー」とテンション上がってた。
人の奇天烈な出来事をドラマ感覚で見ないでもろて。というか、アオハルって若者言葉を使いこなしてやがる。
「それは、理玖君が信頼をされている証拠でしょう。でないと、いくら幼馴染でも娘の同棲を許すわけがありません」
「はい、あたしもそう思います!」
「それに。理玖君がしっかりしてると思っているから、理玖君の親御さんもこうして1人暮らしを許してくれていると思いませんか?」
うんうん、と陽菜と竜胆が揃って頷く。
どうにも気恥ずかしくなって、俺はバツの悪い顔をしてしまう。
……まあ、確かに叔父さんはすげえ優しい人だけど、厳しいところはちゃんと厳しい人だから、もし信頼されてないのなら、1人暮らしなんて許可してもらえてないことは間違いないだろうけども。
それはそれとして、俺はこの話にどう反応すればいいんだ?
迷っていると、
「橘理玖君」
彩音さんに名前を呼ばれた。
その柔らかい声音の中に、真剣さを感じ取って、自然と背筋が伸びる。
「有彩はこう見えて、とてもずぼらでドジでおっちょこちょいで子供っぽいです」
「は、はい?」
「お、お母さん!? 急になにを言ってるんですか!?」
「この前なんか、ベッドの下から丸まった靴下が出てきましたし、夏場なんか風呂上がりの時は上にシャツだけ着て下は下着だけということも——」
「わー!? わぁぁぁぁぁあああああっ!?」
彩音さんの声を、顔を真っ赤にした竜胆の大声がかき消す。
マジか。家でもちゃんとしてるイメージがあったから意外過ぎる。
「もう! お母さん! 理玖くんに変なこと言わないでください!」
「そんな有彩ですけど」
すげえ。完璧にスルーした。
「有彩のこと、お願い出来ますか?」
真っ直ぐな彩音さんの瞳が俺を見つめてくる。
そんな顔されたら、もう、これ以上なんで同棲を許可してくれたのか、なんて疑問は些細なことに思えた。
だから、俺は。
「はい、任せてください」
どこまでも真っ直ぐ頷き返した。
そんな俺に、彩音さんは満足そうに微笑む。
それから、彩音さんに叔父さんの連絡先を伝えて、彩音さんは帰っていった。
この場に残されたのは、俺と陽菜と有彩の3人。
なんとなく、お互いがお互いの顔を見つめ合う。
こういう時、なにを言えばいいのか分からないけど、とりあえず。
「なあ、2人とも」
「ん?」
「なんですか?」
「改まってこういうこと言うのもなんか変な感じだけどさ」
俺は言葉を区切り、
「これからよろしくな」
そう伝えると、2人はお互いの顔を見合わせて、息を合わせるように、
「「こちらこそ!」」
こうして、俺たちの急な同棲生活は幕を開けたのだった。
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