第9話 センセーと同居

「あら、おかえり。海木くんに真乃花。一緒だったのー?」

「ただいまーおばさん」

「……」



は?


母に「海木」と呼ばれたセンセーを連れて、部屋の隅で尋問する。



「ちょっと、何がどうなってんだよ!」

「記憶をちょちょいと操作したんですよ。私にかかれば朝飯前ですよ」

「そーゆーことじゃねーんだよ!」



混乱する私をよそに、センセーはピースをして説明をした。



「単刀直入に言います。私の名前は今日から”海木”(かいき)です。そしてあなたの家に同居させてもらっている設定です。明日から学校に行きます。同級生です。以上です――何か異論は?」

「大ありだよ!」



何がピースだよ!

全然よくねえよ!


混乱する私をよそに、センセーはグーパーと、手を動かして眺めている。



「今じゃんけんして遊んでいる場合かよ!」

「失礼な。そんな幼稚な事はしませんよ」



そう言って、「お腹すいた」と部屋の隅から移動して、椅子に座るセンセー。私よりもこの家に馴染んでいる。



「(なんか、すげー負けた気がするんだけど……)」



圧倒的な敗北感が、私を襲った。



「今日はハンバーグよー。今日ほのちゃんの帰りは遅いから、私たちだけで先に食べちゃいましょ」

「はーい」

「……わかった」



テーブルの上に並ぶ料理たち。



「(あぁ……今日もか)」



それらを見て、頭が冷えた気がする。



「(大きなハンバーグが乗っている皿が三つ。そして……まるで失敗作のような欠けたハンバーグが少しだけ乗っているお皿が一つ)」



もちろん、前者は母と穂乃花と海木だ。後者は――私。それが当たり前だと思って母は配膳するし、それが当たり前だと思って私も受け取る。



「さ、食べてね」



私のご飯は、今日も失敗作だった。それは、まるで、私そのもののようで――



「(泣くな、今更だろ……)」



それでも少しだけ、目に涙がたまった。その時だった。



「俺はこんなにいらないよ。真乃花くらいの量がちょうどいい。おばさん、変えてもいい?」

「え、でも……育ち盛りなのに、それだけの量で足りるの?」

「部活してるわけでもないし、足りるさ。むしろ充分だよ。それに、俺より真乃花だよ。すごく痩せてる。もっと食べなきゃ」



センセーは自分のお皿を持って、私の席まで来る。そしてコトンと、私の前に綺麗な形のハンバーグを置いた。



「……いいよ」



母が見ているんだ。こんな事、許されるわけない。だけど――私がズイと押し返したお皿を、センセーは負けじとまた私の方へ寄こしてくる。そしてグイッと私の肩を持って、後ろに引っ張った。すると自ずと私の背中は伸びて、前を向くようになる。いつもは母と穂乃花を視界に入れまいと、下を向いていた私の世界。今日は、久しぶりに部屋を見渡すことが出来た。



「海木くん?どうしたのかしら?真乃花がいらないって言ってるんだから、そのハンバーグはあなたが食べ、」

「そ、そうだよ……私は、いいからさ」

「……」



同調する私を、センセーが黙って見る。そして無言のまま、私の肩に置く手に、グッと力を込めた。



「(センセー……あったかいな……)」



肩から伝わるセンセーの手の熱――それは再び下を向きそうになる私に「負けるな」と、喝を入れてくれているみたいだった。



「(今はセンセーが隣にいる……一人じゃない……っ)」



センセーが、頑張れと私に言ってくれている。私も、その期待に応えたい――



「……ありがと、もらうね」

「うん」



それ以上は何も言わず、私のお皿を持って自分の席へ帰るセンセー。私は、このまま前を向いていたら涙がこぼれそうで……それを母に見られるのが嫌で、ずっと下を向いていた。



「(さっき前を見ろって言われたけど……今だけは、いいよな?)」



そして下を向いたまま……震える手で、ハンバーグに手をつけた。すると、そんな私を見ていた母が、思い切り顔を歪めて私を見た。



「まあ、この子は……ほんと卑しいわね」

「……っ」



親が子に向けるべきではない態度・言葉。今まで浴びるほど受けて来たけど、いつ聞いても慣れないな……。だけど、どんどん委縮する私に、助け船が出された。


もちろん――センセーだ。



「おばさん、言葉が過ぎるよ。聞いていて、いい気分じゃない」

「あら、本当?ごめんねぇ」

「(センセー……また守ってくれた……)」



嬉しい……センセーがいてくれて良かったって、今心の底から思えてる。もしも一人だったら……考えたくない。昨日までの私を、思い出したくない。



「(センセーがいてくれて、よかった……)」



真ん丸なハンバーグを、箸で割く。ズボッと刺した瞬間に、中から肉汁が溢れ出た。いつもなら、そんな事ない。欠けたハンバーグから、肉汁は出ない。だけど、今日は……違うみたい。



「(おいしそう……っ)」



肉汁みたいに、私の目から涙が出る。それは、しばらくやむことはなかった。



「(センセー……ありがとな)」



美味しいハンバーグ。零れる涙、必死に笑みを堪える口元。感情がグルグル回って忙しなかった晩御飯は、あっという間に過ぎていった――



晩御飯後、私とセンセーは、私の部屋に集まっていた。



「すみません、あまりにもゲスかったので、つい」

「そーだけどさ……あんな光景が初めてってわけじゃないだろ?」

「……すみません」



センセーが幽霊になってから、ずっと私のそばにいたから、私が母から受けた仕打ちを知っている。だから、さっきの事だって見慣れた光景だろうに……。今日に限ってどうしたんだ?すると、センセーは珍しく申し訳なさそうな顔でこう言った。



「私の姿は、今は誰にでも見えます。それに、私から発言することも行動することもできます。その状態でありながら、あなたがあんな仕打ちを受けているのに、ただ見ているだけなんて……私には無理でした」

「!」

「すみません……」



私に一礼して謝るセンセー。

め、珍しい……本当に、どうしたんだ。



「いや、それはもう、いいんだけど……。こっちこそ、センセーは助けてくれたのに、こんな言い方ないよな」

「いえ。あまりあなたを庇うと、私がいないところであなたがどんな反撃を受けるかを想像していない、軽率な行為でした。今後は気を付けます」

「そ、そんな……」



いや、そんなに謝ってくれなくてもいいんだけど……。なんかこっちが悪いことした気分になるじゃねーか。



「とりあえず顔上げろよ。な?」

「はい」



するとゆっくりと顔を上げたセンセー。背中を真っすぐにした状態に戻った、その時。



「まあ、次もあんなことされていたら、きっと私は黙ってないと思いますがね」

「……反省してんのかしてねーのか、どっちなんだよ」



呆れた。やっぱり変なセンセーだ。見ると、センセーは海木の顔でやんわりと笑った。



「ッ!」



その笑顔に、見た目はセンセーじゃないのに、心臓が跳ねた。


ドキドキしてる……?

私、変だぞ……!



「はぁ……」

「どうしました?」

「いや、何でもねーよ」



ため息一つ。家でこんななんだから、明日学校に行ったらどうなることやら。



「じゃあな、おやすみセンセー。今日はありがと」

「いえいえ、では。おやすみなさい」



バタンッ


私に別れを告げて、センセーは部屋に戻って行った。どうやらセンセーの部屋も用意してあるらしい。いつの間に……。



「(そんなことより)」



少しだけ、気になることがあった。帰り際に、センセーはまた手をグーパーしていて……ジャンケンがしたいわけじゃないよな?じゃあ、なんのために?



「(そんなに憑依した体のフィット感がいいのか?だから、憑依できた嬉しさを噛み締めてる?)」



いや、そんなわけないか……ってか、なんだよ。体のフィット感って。



「(まあ、センセーに限って深刻なことは考えてないか。縁センセーだしな)」



深い推理は一蹴し、もう気に留めない事にした。



「(はあ、お腹がいっぱいだと、すぐ眠気が来るんだな)」



まだ寝ていないのに夢見心地な私。今の私、ぜってー浮かれてるな……。パンッと顔を叩いて、緩みを戻す。そして、明日の学校の準備に取り掛かった。

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