第8話 センセーなの?


「どうして、あんな酷い仕打ちを受けながらも、この家から出ていかないのですか?」



それは、誰もが抱く疑問だと思った。実際、私だって何度「逃げよう」と思ったか。だけど、出来なかった。



「~っ」



手をきつく握る。握った手が、少しだけ震えていた。



「何度も、思ったよ。もう無理、もう限界。もう――耐えられない。何度も、何回も、数えきれないくらいに」

「でも?」


「出来なかった」

「あなたのお母さんが、そうさせなかった?」


「いや、そうしなかったのは……自分自身のせいだ」



まるで催眠術のように、テンポよく言葉の掛け合いが進む。言わされているようで、自分で言っている。ずっと、誰かに聞いてほしかった「私の悲鳴」。私の体の中に、少しずつ酸素がいきわたるのが分かる。私は――まるでデトックスをしている気分だった。



「これは……なんていうか、経験した奴にしか分かんねーんだけどよ……。離れられないんだよ。この家から。母親から」

「あなた自身がそうさせている?」


「ってゆーか……うん。毒親に育てられると、そうなんだよ。巧みに心理操作されるっていうか。逃げられねーんだ」

「心理操作……」



センセーは手を口にもっていき、まるでどこぞの探偵かのような素振りを見せた。



「(でも、無駄だ)」



センセーは、毒親に育てられた事ねーだろ?最初に言ったじゃねーか。経験した奴じゃねーと、分かんねーって。



「センセーが浮遊霊なら、私は地縛霊ってことだよ」

「あなた、人を勝手に例えに使って……」


「まあ、私の心ってずっと死んでるみたいなもんだからな……あ」

「ん?」


「いや……例えがまずかった。死んでるなんて……」

「いいんですよ。本音で話してくれた方が、私も話しやすいですし」


「うん、ごめ……じゃなくて、ありがとう」



あぶねー。ごめんって言っちまうとこだったぜ。ごめんって言ったらセンセーは悪霊になるんだったよな。気を付けねーと……。



「でも、センセーのおかげで私はこの家から逃げようって改めて決意できたんだ。ありがとう、感謝してる。この家からは逃げるけど、戦うことからはもう逃げない。自分と向き合うことも、母と向き合うことも――逃げない。ちゃんと向き合う」

「そうですか……そうですか」



二回繰り返すセンセー。

なんだ?なんか、センセー……



「泣いてる?」

「冗談はおよしなさい」

「いや、ごめん。だよな、見間違いだよな」



ハハハ!と笑ってセンセーをバシンと叩く。すると、ちょうどその時「おねーちゃん?」と声が聞こえた。振り返ると、穂乃花がいた。



「おねーちゃん、なにやってるの?」



引いた感じの目……あ、これは……一人で喋ってた姿を見られてたな……。



「穂乃花……あー、うん。おかえり」

「おねーちゃんも……。って、ねえ、大丈夫?なんか一人で喋ってなかった?」


「き、気のせいだよ」

「でも……」



まだ不審がる穂乃花に「あ、母さんが手を振ってる」と嘘をついて、家を指さす。



「え、見えないけどな」

「もう家に入ったのかも。とりあえず行こ」

「うん」



大人しく私の横を歩く穂乃花。その際に「ところで私の話聞こえた?」と言うと、穂乃花は「しらなーい」と首を振った。良かった。どうやら話していた内容は、聞こえなかったみたいだな。



「なんか知られちゃマズイ事でもあるの?」

「あるわけないよ。そんな事」



顔色を読むのがうまい穂乃花にバレないよう、必死に取り繕う。穂乃花は「そっか」と言って先に家に入る。その後ろ姿を見て安堵の息をつく私を、



「……」



縁センセーだけが、静かにみていたのだった。





翌日、目が覚めると、センセーはいなくなっていた。今までは、どんな時だって私の傍にいたのに……。どうしたんだ、センセー。



「まさか、消えた?」



いや、なわけないか。だって、私の悩みが解決するまでは成仏できないんだから。



「じゃあ一体、どこに……」



ベッドの下を見ても、クローゼットの中を見ても、どこにもいない。



「全く、どこか行くなら書き置きの一つでもしておけっていうんだ。やべ、学校に遅れちまう」



センセーを探していたら、遅刻ギリギリだ。鞄を持って、朝ごはんが用意されていないキッチンを通り過ぎて学校へ急いだ。だけど――



「(結局、センセー現れなかったな)」



結局――放課後になっても、一度も姿を現さなかったセンセー。うーん。これは……さすがに心配になってきた。



「(気軽にまた会えるなんて思ってたけど……もしかして、違うのか?)」



学校から帰る途中、いつも深夜にいっていた公園を通りかかり、寄り道をする。ブランコに乗って、景色が揺れるさまを呆然と見ていた。



「センセー……どこ行っちゃったんだよ……」



弱々しい声で呟いた時。ザリッと、近くで足音がした。



「センセー!?」



ガバッと、勢いよく顔を上げる。きっとセンセーだ。そうに違いない。だけど――



「えっと……どちら様……?」



服も顔も泥だらけの、会ったこともない青年が、そこに立っていた。



「あの……?」



俯いた顔はよく見えない。私は座った態勢をいいことに、覗き込むように声を掛けた。すると、


バッ



「ひっ!?」



青年が、いきなり顔を上げた。

しかも、すげー速い速度で。



「ビッ……ク……」



りした――という言葉が出なかった。だって、目の前のその青年は……私をずっと見て離さない。私も、なぜだか青年に引き込まれる。いわゆるしょうゆ顔と言われる、大きな二重の目。高い鼻、そしてシュッとした輪郭。髪の毛は、センセーに似た茶色の髪だ。


そんな姿を見ていると、妙な気分になる。妙なって言うか……どこか胸がザワザワする。



「(ゴクッ)」



変な奴だって思われるかもしれないけど……でも、聞きたい。この人のことが、なぜか気になるから――



「(よしっ……!)」



思い切って、聞いてみることにした。



「ねえ、どこかで会った事……ある?」



震えてしまう声を抑えながら、振り絞った声で、私はこんなことを聴いた。いや、バカげてるよ。だって、こんな人知らねーし、ボロボロな格好してるし。


だけど、わけわかんねーんだけど……この人の目から、逃げられない。あなたは、一体だれ――?



「あの、なんか喋れば?」

「あ、じゃあ一言だけ。私です」

「……」



あなたは一体だれ?――その答えは簡単だった。姿かたちは違えど、その喋り方。真面目そうに見えて、どこか不真面目な……ちぐはぐな雰囲気。間違いない。



縁センセーだ。



「あの、え……何してんの?」

「あなたが言ったんじゃないですか。体、借りて来たんですよ」


「は?」

「憑依しました。いや~よく適合しているのか、体が軽いです!」



今まで無表情だった青年――センセーは、急にニコニコ笑った。よほど憑りついたのが軽快らしい。いつもよりも陽気な先生に、私は肩透かしを食らう。だけど、そんな私を意に介さないのがセンセーだ。



「どうですか?新しい私は」

「……よく、似合ってる……って言えばいいのかよ」

「まあ、そういうところです」



未だブランコに座ったままの私に、手を差し出すセンセー。その手も、汚れて真っ黒だった。



「この体、誰の?」

「あなたが心配することないんですよ」


「犯罪とか……手を出してねーよな?」

「残念ながら、それは幽霊条例に反していまして……大丈夫。合法ですよ」


「……あっそ」



でた。得体のしれない幽霊条例。それを出されちゃ、私は黙るしかない。



「(ま、信じるしかないか)」



センセーの手を握り、立ち上がる。いつものように冷たくない、温かい手。近くにいた子供が「王子様とお姫様みたーい」と私とセンセーを見て頬を染めている。



「え、センセー、他の人にも見えんの?」

「見えますよ。だって生きてる人間に憑依してるんですから。体は生きてる人間、中身は死んでる私。そんなとこです」

「へ、へぇ……」



本当に合法なのか――ちょっと気になった。ってか、なんで今更そんな事?私だけ見えてればいいなんて、そんな事いってたじゃん。すると、センセーが私の表情をくみ取ったのか頭を撫でた。



「これで、あなたが独り言を話しているとは、誰も思わないでしょう?」

「(あ……)」



そこで、初めて分かった。センセー、私のために憑依したんだ。



――なあセンセー。誰かに入るってことは出来んのかよ



「(私が一言、漏らしただけなのに……)」



それなのにセンセーは気にして、そして、また私の隣にいてくれる。



「(優しすぎんだろ、センセー)」



胸がキュッと締め付けられる。ドキドキが、重なっていくのが分かる。



「なんで……ここまでしてくれんの?」



すると、センセーが私を見る。黙って、ただ見つめてくる。なんか……心臓に悪ぃ。



「――この前、妹さんに怪しまれたでしょう。あなたが一人で喋ってるのを。もしも私が原因で更に家庭内でコトが大きくなるのも嫌ですし。私のせいで私の生徒が辛い目に遭うなんて、御免ですからね」

「そう……そっか……」



なんだ、ちょっとだけ残念。

ん?残念ってなんだ!?



「(分かんねーよ。でも……)」



――私のせいで、私の生徒が辛い目に遭うなんて、御免ですからね



まだ私のことを「生徒」だって思ってたのかって……それが何となく嫌だった。だけどセンセーは、そんな私の事を不思議そうに見て「ずっと突っ立って何してるんですか?」と無粋に聞いてきた。



「帰りますよ」

「……」



見た目は誰か分からない人。だけど、中身はセンセー。



「(センセーじゃないのに、センセー……か。本当、変な感じだ)」



さっき「どこかで会ったことあるかな」って疑問に思ったけど……そりゃ、中身がセンセーなら、そう思うのも無理ないか。私の勘は正しかった、ということだ。



「そのイケメンくんを早く解放するためにも、私は早く悩みを解決しないとな」



そう言うと、センセーは少し黙った後に頷いた。



「――その通りですね」



呟くようにはいた言葉。その横顔が、なぜだか少しだけ寂しそうに見えて……。



「センセー?どうかしたのかよ」

「いや……頑張りましょうね」

「おう!」



二人で公園を出る。その姿を見ていた、さっきの子供。私たち二人の後ろ姿を見て、こんな事を言った。



「あれ?影が一つないよー?王子様のほうー」



その言葉は広い公園で誰にも拾われないまま、空へと消えていった。


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