第7話 センセーの好き放題


センセーが幽霊になって、困った事がある。現在、古典の授業中。縁センセーに代わって、新しい女の教師が担当をしている。が、私だけは相変わらず縁センセーの古典授業を受けている。どういうことかというと――



「そこ、間違えてますよ。副詞の”な”と終助詞”そ”を使って禁止の用法が出来るんです」

「……」



私以外の人は見えないのをいいことに、授業中だというのに、私の背後にピッタリくっついて、古典の先生にかわって、ひっきりなしに縁センセーが解説をいれてくるからだ。



「物知らぬことなのたまひそ。ほら、次、鶫下さん当たりますよ。訳せますか?」

「……」

「はい、じゃあこの問題を――鶫下さん。読んで訳してね」



センセーは予知能力でもあるのか、次に私が当たるときに必ず教えてくれる。便利なような、どうでもいいような……。とりあえず、縁センセーが私にベッタリなこの状況。センセーと話しているのか、それとも現実に話しているのか――頭がこんがらがる時がある。だから、こんな致命的なミスをすることも……。



「物知らぬことなのたまひそ――物の道理をわきまえないことを言わないでくださいセンセー」

「んん?先生って言葉はどこにも出てないわね。それに、たまふが入っているから尊敬語で訳さないとね。正しくは――物の道理をわきまえないことをおっしゃらないでください、ね。惜しかったわよ」



フォローしてくれるセンセー。優しいな。私の後ろにいる鬼教師とは違って。



「古典はダメダメですね、鶫下さん」

「もう、センセーのせいでしょ!」

「つ、鶫下さん!?」



私のただならぬ怒気に、教壇に立っている先生が驚いた顔をして私を見る。周りの人も、私の頭がついに壊れたかと、椅子で動ける範囲めいっぱいまで、こっそりと距離をとっていた。




「鶫下さん、どうしたの?大丈夫!?」

「あ、はい……すみません……何でもないです」

「……ふふッ」



慌てる私を、背後からクスクス笑うセンセー。



「(あとで覚えてろよ……!)」



大体、家で大人しく待ってるんじゃなかったのかよ。なんで一緒に学校に来てんだよ!



「(だけど……)」



なんだか……幽霊になってから、センセーの笑う顔を、よく見るようになった気がする。



「なんですか?人の事をジッと見て」

「!(プイ)」



相変わらずな縁センセー。

やっぱり気のせい……なのかな?





「なあセンセー。誰かに入るってことは出来んのかよ」

「誰かに?ですか?」


「そうだよ」

「つまり、私に誰かに憑りつけってことですか?」


「ん……まあ、その……いや、何でもねーよ。忘れてくれ」



現在、お昼御飯中。私は中庭に出てベンチに座って購買で買ったパンを食べている。そんな私の横で、センセーは興味なさげに他の生徒の事を眺めていた。



「自分だけ私の姿が見えるのが、嫌ですか?」

「……いや、そんなことねーよ」



実際、嫌だ。だって授業中も変なこと言っちまうし、こうして飯を食べてる時だって「独り言喋ってる、怖いね」なんてヒソヒソ噂されながら横を通られる。私は元々怖がられたけど、最近は輪をかけて誰も近づかなくなった。だから、まあ、今更っちゃあ今更なんだけどな……。



「私はあなただけに私が見えていれば、それでいいと思っていましたが」

「!」



そのセリフは……なんかちょっと、ズルいぞ。



「そ、そーかよ」



ああもう、今日一日だけで、どれだけセンセーに振り回されるんだか……!



「(いや、勝手に振り回されてる私が悪いのか……)」



横に座るセンセーを見て、ため息をつく。だけど、センセーは私のことなんかお構いなしで……



「でも、私も何かを食べてはみたいですねぇ」

「その姿じゃ無理なのか?」

「さすがに無理ですね……」



私の持っているパンを見る。どこか物欲しそうな目が、私の良心をえぐった。



「も、もし食べられたとしても、私の食いかけじゃ嫌だろ?」



すると、センセーは首を振る。そして、



「嫌なわけないじゃないですか」

「!」



そんなことを、堂々と言った。



「あなたと間接キスなんて、毛ほども何も感じませんから」

「くっそ……言わせておけば……っ」



あぁでも、ダメだ。やっぱり私、センセーに振り回されている――



放課後になる。帰路に着く。私は、センセーからの質問攻めを受けていた。



「そういえば、最近思っていたのですが」

「うん」


「なんであなたの親ってあんなにクソなんですか?

私の爪の垢を煎じて飲ませたいくらいには、性根が腐ってますよね」

「え、なんだよいきなり……今更だろ」



ハハと笑うと、センセーの顔が歪んだ。



「あぁもう、イライラします。いっそ呪ってもいいですか?」

「え、私を?」


「鶫下さんの態度次第では、母子もろともです」

「意味わかんねーよ!」



パシッと叩くと、センセーの体に当たる。けど、なんか……。



「どうしました?」

「え、いや……なんかセンセー柔らかくなった?」


「それは……嫌味ですか?」

「は?」


「生前のカチコチだった私の教師姿よりも、幽霊になった今の方が柔らかい印象があるという、」

「ちょ、ちょっと待てよ!」



なんの話だよ!

すると縁センセーは「はあ」とため息をついた。



「こう見えて、悩んでいたんですよ。どういう教師になればいいか。堅物で行けばいいのか、生徒からキャーキャー言われるのがいいのか」

「(悩んでたんだ……)」



私の知ってる縁センセーは、教師そのもの、頑固一徹だったから。



「知らなかった……。センセーでも悩むんだな」

「二年目なんてそんなもんですよ。まだまだペーペーです」

「でも、縁センセーだけが私に寄り添ってくれたぞ。どんなベテランのセンセーだって、見て見ぬふりだったのに」



だからすげーよ、センセーは。私は、そんなセンセーの事を誇りに思うぜ。



「だから、センセーには……感謝してる」

「鶫下さん……!」



伝えたい事はたくさんあったのに、肝心な事は言えずに、オブラートに包んだ言葉だけが声に乗ってセンセーに届く。だけど、そんな言葉でもセンセーはめちゃくちゃ嬉しそーで……少し青白い肌が、やんわりとピンクに染まる。



「え、そんなに?」

「褒められ慣れてないんですよ……察しなさい」

「プッ」



照れてるセンセーが面白くて、クスクス笑う。するとセンセーが、フッと口元を緩めて、私の頭を撫でた。そして優しい目つきで、私を見る。



「たぶん、これを聞いたらあなたは怒るんだと思います。ですが、聞きます」

「なんだよ?」



センセーは頭をなでるのをやめて、立ち止まって私を見た。聞きずらそうに目線を下げた後、覚悟を決めたように、真っすぐ私を見た。そして――



「どうして、あんな酷い仕打ちを受けながらも、この家から出ていかないのですか?」

「!」



それはまるで、早く出ていけと言わんばかりの――そんな重みのある言葉だった。

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