第6話 センセーとの再会


縁センセーが、いなくなってしまった。

この世から。

私のせいで――



「真乃花さんは今日はお疲れでしょうから、詳しい事はお電話でお母さまの方へご報告させていただきます」

「はい、はい……っ」

「……」



教師一人と、母一人。二人は玄関で話をしている。掻い摘んで説明を受けた母は顔を青白くしていて、そして先生が帰った後に私を睨んだ。そして、パンッと、私のシップが貼られていない頬を叩いた。いや、叩こうとした。だけど――



「――」

「(あ、れ……?)」



一瞬、母が固まって……まるで時間が止まったようになった。だけど、次の瞬間。



「あら真乃花。帰ってたの?」

「へ?」


「随分泥だらけじゃない。どうしたのよ、部屋を汚す前にお風呂に入りなさい」

「う、うん……」



母の態度が変わった。急に。


なんだ?

なんで態度が変わった?


母がおかしいのはよくある事だけど……今のは明らかに変だ。だって、縁センセーの事は、まるでなかったことみたいになってる。


なんで?え、ショック過ぎて記憶が抜け落ちた?記憶障害?



「(なにが……どうなってんだ……?)」



分からない、けど、ここで母の言う事を聞かなければ、また叩かれる。今は、勘弁してほしい……。とりあえず、私はお風呂に入った。その間ずっと、母の言動に疑問を持ちながら。むしろ母が正しくて、縁センセーの事は悪い夢だったのではないかと、淡い期待を抱いたりもした。だけど、その期待は見事に打ち砕かれる。


だって――


ガチャ



「朝ぶりです鶫下さん。お邪魔していますよ」

「うん…………え?」



なぜかスーツ姿の縁センセーが、私の部屋で寛いでいたのだった。



「え、ん?」



目をぱちくりさせて、センセーを360度見る私。センセーは、不思議そうに私を見た。



「そんなに気になりますか?」

「逆に、気にならない奴なんていんの?え、ちょ……ってか、聞きたいんだけど」



私の詰まる言葉に丁寧に頷きながら、緑センセーは「どうぞ」と言う。



「緑、センセー……なの?」



すると、緑センセーは間髪入れずに「はい」と答えた。



「!」



緑センセーがウチにいる。しかも、すごく自然に……。いつも古典の辞書を持った緑センセーじゃない。だけどメガネは……あ、あるな。



「あの?もしもし」



センセーをマジマジと観察していると、しびれを切らしたセンセーが私の肩をポンと叩く。確かに感触がある。え、触れるの?



「幽霊……じゃないの?」

「幽霊ですよ?」


「じゃ、なんで触れるんだよ」

「随分、ハッキリ言ってくれますね」


「!」



珍しくセンセーの口元がひくついたのを見て、失言したと、私は自分の口を覆う。センセーは、誰のせいで幽霊になったと思ってるんだよ……。誰のせいで死んじゃったと思ってんだよ。他の誰でもない、私のせーだろ……っ。



「浸っているところ悪いのですが」

「悪いと思ってんならもう少し後で話しかけてくれよ……」



だけどセンセーは、もう待つ気がないらしく、私のベッドを背もたれにして、床に座った。ベッドに座らない律儀さが、何だかセンセーらしい。



「ハッキリ申し上げておきますと、私は死んで幽霊になりました」

「!」



やっぱり……。目の前に起きていることが現実なんだと、胸に鉛が重くのしかかる。



「センセー、ごめ、」

「ストップ」

「ぶごッ!」



私の話を遮って、あろうことか私の鼻の穴に両指を突っ込んだセンセー。え、汚くない?なにやってんの、この人!



「ドン引いたぞ、センセー……」

「あなたが人の話も聞かず謝ろうとするからです」

「え」



なんで、謝ろうとしてるって分かってんだよ……。



「謝ってもらっても困ります」

「……うん、だよな」



早々に自分だけ罪の意識を軽くしようとした事に、恥ずかしくなって赤面する。だけど、ここでまた「ごめん」なんて謝ろうとするもんなら、今度はどんなプロレス技が飛んでくるかもしれない。私は黙ったまま、センセーの話を待った。



「ようやく静かになりましたね。ここに座りなさい」



ここ――というのは、センセーの正面だ。私の部屋だけどな――というのは置いといて、大人しく従う。



「まず、あなたにお話ししないといけない事が三つあります」

「なんだよ」


「では、言いますね。

一つ、皆の記憶は操作しました。私の事は皆忘れています。

二つ、あなたの悩みが解決できないと私は成仏できません。

三つ、あなたが私に謝った瞬間、私は消えます。

いいですか?よく覚えていてくださいね。

くれぐれも忘れないでくださいね?」

「え、あ……はぁ……?」


「壁に貼っときましょうか」

「おいバカやめろ」



紙とペンを取り出したセンセーの腕を掴む。ひんやりとした温度に、一瞬、身が怯んだ。それに気づいたのか、センセーは私の拘束からやんわり逃れる。



「この私にバカと言うとは……」

「いや、だってそうだろ……。それに、二と三が矛盾してっけど……?」



ごめんねって謝ったら消えるのか?私の悩みが解決してないと成仏できないのに?すると混乱する私をよそに、センセーは「確かに」と嫌に静かだ。



「まあその時は悪霊になるんでしょうね。そして地獄行きです」

「悪霊?じ、地獄……!?」


「幽霊条例によると、です」

「(幽霊条例!?)」



得体のしれない物体に、ゴクッと息を飲む。だけど、緊張する私とは反対に、センセーは呑気な物だった。



「要するに、早く悩みを解決して私に”出ていけ”と言えばいいんです。謝るんじゃなくて、出てけ――と。私が聞きたいのは、その言葉だけです」

「ッ」



それだけ言って、センセーは立ち上がる。どうやら足はあるらしい。体も透けていないし、半透明じゃない。ただ話す声だけが、少し反響して聞こえるだけ。木霊しているかのような……。さっきも普通に触れたし。


ん、あれ?幽霊って、いわゆるスケルトンで、普通は触れられないんじゃないの?



「センセーって、皆に見えてんの?」

「いえ、あなただけですよ」


「なんで、私だけ……?」

「なんでって……」



センセーは私をチラリと見る。そして少しだけ口元を緩めたかと思うと、



「そんなの、内緒ですよ」



それだけ言って、また真顔に戻ったのだった。



「っ!」



そんな幽霊センセーにドキドキしてしまった私……かなり不謹慎だ……。

自分で自分に凹む……。そんな自分が嫌になって、ベッドに顔を押し付けた。



「なあ、センセー」

「なんですか?」


「謝るのはダメってことだろ……それは、うん。なんとか頑張る」

「それはありがたいですね」



表情を崩さずに、ただ頷くセンセー。学校で見ていた姿と同じ。公園で会っていた時と同じ。センセーは何も変わらない鉄仮面センセーで、変わらずに私の傍にいてくれる。


なのに――その命の灯は……ない。その事実を少しずつ、センセーを前にして、やっと実感できてきて……。涙が、少しずつ目にたまっていく。



「じゃあセンセー。謝らないからさ、今だけ、その……。ちょっとだけ寝てもいい?」

「……もちろん」



もちろん――


センセーのその声を聞いて、私はすぐにベッドに塞ぎこむ。そして、すぐに泣いてしまった。いくらベッドに顔を押し付けているからと言って、嗚咽が漏れれば、それはすぐ横にいるセンセーに聞こえるわけで。階下に聞こえないように、そしてセンセーに聞こえないように――努力していた私の頭を、センセーは黙って優しくなでた。



「(冷たい手だな……)」



「幽霊になった」って言われた時、また会えたっていう喜びと、本当に先生はこの世界からいなくなっちゃったんだっていう思いと……。それが悲しくて、辛くて、申し訳なくて……。どんなに償っても、償いきれない。



「ひく……ッ」



すると私の泣き声に交じって、

「すみません――」

センセーから、そんな言葉が聞こえた気がした。



「(ズリーなぁ……)」



人には謝るなって言っておいて、私にそんな風に謝るのかよ……。それに、センセーが謝ることじゃねーだろ。



「バカやろー……っ」



その日、私は泣いて、泣いて……泣き続けて。そして、ついには涙も枯れ果てたという時に、朝日が昇った。センセーは、ずっと私の傍にいて離れなかった。ベッドに押し付けた顔を上げることはなかったけど、雰囲気で分かる。センセーはずっと、私の傍にいてくれた。



「(いつまでも……こんな情けない姿を見せらんねーよなぁ)」



グッと、体を持ち上げるために手に力を籠める。髪の隙間から周りを覗くと、やっぱりセンセーは傍にいた。私を、真剣に見つめていた。



「……センセー」

「なんですか?」

「いや……ただ、ありがとう」



きっと一人だと、今もずっと前を向けなかった。でもセンセーがいてくれたから……いてくれるから。私はまた、立ち上がれる。それに――



「(一番泣きたいのはセンセーなんだから、私が泣いちゃダメだろ)」



センセーが横にいる限り、私は、胸を張れる生き方をしないといけない。



「(いつまでもメソメソするな、前を――見るんだ)」



心を入れ替えないといけない。まず私がしないといけないこと。それは――



「センセー、私に協力してくれる?」

「もちろんです。そのために、こうして傍にいますから」

「お、おう……」



まるで執事がお嬢様にいうかのようなセリフに、少し戸惑う。恥ずかしさから少しだけ温かくなった私の手を、オズオズとセンセーに差し出した。



「私は絶対、センセーを成仏させる。私の悩みを解決する」

「分かりました。では――あなたの悩みを、改めて聞いてもいいですか?」


「うん。私の悩みは――大樹を見つけて、この家から逃げること。

それだけだ」

「了解」



先生が、私に手を出した。大きな手だ。


ギュッ


ガッシリと握りあう、私とセンセーの手。温かくて、冷たい手。混じる温度。その温度に、少しだけドキドキした私の心臓。だけど――時計を見たセンセーが、一言。



「授業に遅れますよ?」

「あ、やば」



さすが教師。どんな時であれ、時間には厳しかった。



「じゃあな。センセー。学校に行ってくるよ」



振り返ると、センセーの後ろ姿が見えた。両耳の後ろにホクロがあって……幽霊になっても、それは変わらないことに、どこか安心感を覚える。



「ん?どうしました?」

「いや……いってきます!」

「はい、いってらっしゃい」



そのやり取りに、少しだけ顔が緩む。



「(挨拶をすると、いい気分になれるんだな)」



バタン


ドアが閉まって見えなくなるその時まで、私はセンセーの姿を見つめていたのだった。

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