第5話 絶対守る side 縁


最初は変な奴だと思った。荒くれものだと。進学校にわざわざ入っておきながら、上位を狙える頭脳を持っていながら、なぜ頑張らないのか。


他の先生たちは、入学した時こそ「難関大学を狙える優秀な生徒」と言う目で見ていたが、鶫下さんの態度を見ると、数日で誰も興味を示さなくなった。希望ある優秀な人材は、すぐに、手のかかる落ちこぼれへとレッテルを張り替えられた。


けど、俺は言いたい。それは、お前たちの色眼鏡に過ぎないと。気になって中学の時の鶫下さんを調べてみた。中学校にも話を聞きに行った。すると、先生方が口を揃えて言っていた。



――いい子だ。いい子過ぎるくらいだ。空気を読んで、いつも静かに行動していた



それが、今じゃ問題児?意味が分からないだろ。何かヒントが落ちていないかと思い、調べてみた。すると妹も同じ高校にいると知り――それからは、すぐに合点がいった。


家庭問題――鶫下さんが不義理な扱いを受けているのは、察するに難くなかった。根掘り葉掘り聞かれるのは嫌だろうと思ったが、ストレートに聞いた。そうしたらビンゴで、思わず同情してしまった。


だけど、俺は教師だ。


ただ憂いて生徒と一緒に嘆くだけでは、意味がない。鶫下さんのような生徒を救うのは、俺の役目なんだから。そう思って、課外活動も鶫下さんに合わせたものに強制的に変えたが……来た。鶫下さんは、確かに来た。どうやら課外活動には参加してくれるらしい。


だが――



「鶫下さん?」

「……あ、なんだ。センセーか」

「どうしたんですか、その顔の怪我」



鶫下さんの頬から首にかけて、大きなシップが貼られている。部位が部位だけに、貼るのが難しい場所もあるらしく、そこはシップの下から傷が露わになっていた。何か細長いようなもので殴られた痕、か?



「鶫下さん、これ……」



マジマジと見てしまった。すると、さすがに嫌がられ「用ないなら行くからな」と先を行ってしまう。



「(虐待の痕……初めて見た)」



されているかもな、と予想しなかったわけではない。むしろ大いにありうると思った。いつか鶫下さんは「五体満足がどうのこうの」と話していた。大げさなと思ったが……まさか現実に可能性があることだったとは。



「(しかし、大胆なやり口だな)」



児童相談所に通報されるとは思わないのか?



「(親が頭が悪いのか、それとも……娘が自分を庇うと親が過信しているのか。

いや、過信じゃなかったら?もし本当に、鶫下さんが親を庇っていたら?)」



こっちが動いても、親にもみ消されると一緒だ。



「先生~しんどいよーもうやめにしない?」

「まだ歩き始めたばかりですよ。しっかり歩きなさい」

「ゲー鬼~」



課外活動は始まっている。皆して山を登っている。他の生徒が今のように弱音を吐く中、鶫下さんは先頭にいた。辺りをキョロキョロ見回して、必死に探している。大樹という男を――



「(亡くなっている可能性の方が高いだろう。でも、遺体が見つかっていないということは万が一ということもある)」



期待半分、諦め半分。いや、諦めの方が大きいのかもしれない。だけど、あの時。大樹くんの話をしていた鶫下さんに、「可能性はないだろう」なんて言ってしまうと、彼女が壊れてしまう気がした。劣悪な環境の中で鶫下さんが生に縋りつける理由、それは大樹くんの存在でしかない。大樹くんが鶫下さんの中から消える時、彼女の心も消えてしまうだろう。もしくは、鶫下さんそのものが――



「(彼女はいつも強気だが……そんなの諸刃の剣だ)」



愛されない悲しさから人は逃げられない。今まで愛されなかった人が幸せになるには、やっぱり誰かに愛されるしかないんだ。



「大樹くん……君には生きていてもらわないと困るんだ」



ボソリと呟いた時。「ねーアレ危なくない?」と生徒が指をさした。その先には、崖の下を必死に覗こうとする鶫下さんがいた。



「鶫下さん!?」



急いで山の傾斜を登り、鶫下さんの傍に寄る。彼女は今にもバランスを崩し、落ちそうになっていた……ように見えた。けど、



「なんだよ、センセー。そんなに勢いよく来られたら危ないだろ」

「……え」



あっけらかんとした表情で俺を見る鶫下さんがいた。



「今、下に降りようと、」

「は?しねーよ。この下に穴が開いてんのか調べてただけだ」

「そ、そうですか……」



俺から視線を外して、鶫下さんは尚も下を見ていた。他の生徒は、まだまだ追いついてこない。今なら、聞けるか――?



「あの、鶫下さん」

「ん?」


「その怪我、母親からですか?」

「うん。そー」



あっけらかんとした返事。まるで自分の事ではないみたいだ。「そうですか」と言ったきり、黙ってしまった俺に鶫下さんは口を開いた。



「そーだ。スマホ壊れたから、もうメールできねーからな」

「え?なんで……まさか、壊されたのですか?」

「ちげーよ。トイレに落としちまったんだよ」



はは!と笑った鶫下さんだが……その横顔は悲しそうに見える。ただ落としただけではない。きっと。俺と公園に行くことが、鶫下さんの今の楽しみになっているはずだ。なのに、その手段であるスマホを、そんな簡単に手放すわけがない。



「何か理由があるんですね?」

「……ねーよ。それに、もう私に近づくのはやめといた方がいい」


「何でですか?生徒と話して何か不都合があるんですか?」

「……ちげーよ」


「なら――」



どうしてだ?

なんでだ?


昨日の夜まで、鶫下さんはいつもの調子で笑っていたじゃないか。なのに、なんでだ……?


すると鶫下さんが、下を探すのをやめて、振り返って俺を見た。そして、今まで見たこともないような悲しい顔で、笑った。



「だって、このまま私といたらセンセーの人生、めちゃくちゃになるぞ?」

「……は?」


「教師でいられなくなるかもしれない。そういう奴なんだよ、私の母は」

「なんですか、それ」



真剣にいうものだから、本当、なんだろうな。だけど、こんな事で引き下がっていたら、誰が鶫下さんを守るんだ。いつもそうやって誰かを守ってきたお前を、一体誰が守ってくれるんだよ。



「近いうちに、あなたの家に行きます。あなたのバカな母親と話をさせてください」

「そんなこと、出来るワケねーだろ。私が許さねーよ」


「鶫下さんにどうこう言われる権利はありません。これは学校とあなたの親との問題です」

「!」



自分が介入できない段階で話をされると、すぐ気づいたらしい。私に近づいて何かを言おうとした鶫下さん。だけど、急に動いて昨日の傷口に触ったのか、顔を顰めた後にグラリと大きくバランスを崩した。



「あ!」

「鶫下さん!?」

「く、くるな!」



足でなんとか支えていた体はどんどん崖の方へ傾いていき、ついに、彼女の両足が地面から離れてしまった。投げ出された鶫下さんは、空中を飛んで……このままでは、崖に向かって落ちる。



「くそっ!!」



気づけば夢中で走り出していた。俺は別に足が速いわけでも、身体能力があるわけでも、反射神経が良いわけでもなかった。でも、これが火事場のバカ力なのか――鶫下さんを助けたいと思ったら、俺は最大限に手を伸ばし彼女の手を握っていた。


パシッ



「え、センセ、!」

「っ!」



そして、鶫下さんをぶん投げるように、渾身の力で腕を回した。すると目論見通り彼女はふりこみたいに回って、こっちの地面に戻ってきた。あまりに大きな遠心力のため、鶫下さんは着地と同時に遠くへ投げ飛ばされた。すると、騒ぎを聞きつけていた教師が彼女をすぐにキャッチする。



「(よし――)」



そう安堵したのがいけなかったか、それとも、遠心力に敵わなかったか――俺の体はぐらりと崩れて、崖の下に落ちる。



「センセー!!?」

「っ!?」



俺は見るも早いスピードでぐんぐんと落ちていき――その時に覚悟した。こんな大の男が、高い崖の下に落ちて助かるわけがない。こんなところで人生が終わるのは意外だったが……一人の生徒を守れて己を誇りに思う。な、そうだろ。



「鶫下さん、あなたはきちんと生きなさい。そして、会うんだ――」



それだけ呟いた後、俺の意識はなくなった。痛いとも、苦しいとも、何の感情もなく。あるのはただ、鶫下真乃花という彼女の存在だけ。俺の体が静かに冷たくなっていく中、その存在だけが、俺の魂を揺さぶっていた。




縁 side end

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