第4話 センセーに膝枕



――今日は残業で遅くなるので行けません。決して一人で出かけないように

――はいはーい



スマホに表示されている、メールのスレッド画面を見る。まるで新婚の夫婦のように見えなくも……ないよな?まあ、そんな事でニヤける私じゃねーけどさ。



「おねーちゃんさ、最近何かいいことあった?」

「……え?」



現在、家族三人で夜ご飯中。私の顔を見る穂乃花。私を訝しげに観察している。



「最近、夜になるとソワソワしているし。その割には、いつも早く寝るじゃん?前までずっと夜更かししてたのにさ。何かあったわけ?」

「……」



さすが穂乃花……この子の前だと、ウソも何もかも身ぐるみはがされそうだな……。隠し事を悟られないように――縁センセーとの事を知られないように――私はウソをつきながら、ご飯を進める。



「最近、授業が忙しいんだよ。課題も多いし」

「ふーん。さすが受験生。一年生とは違うんだねぇ」

「うん、模試も増えてきてるしね」



ふうん、と私に興味を無くした穂乃花に代わり、今度は母が口を開く。その顔は、不機嫌そうに、眉間にシワが寄っている。今は、機嫌が悪いらしい。



「真乃花、あなた一体どこの大学を受けるの?」

「まだ、決まってない……」


「決まってないのに勉強を頑張っても意味ないんじゃない?」

「……そうだね」


「それに、バイトしながら大学の授業費なんて払えるの?」

「え――?」



授業費?

大学の授業費?

私が一人で払うのか?


驚いた顔をしていると、母が眉間のシワを更に深めた。



「なに?もしかして、親に払わせようと思ってる?冗談はよしてよ。だって、大学生ともなれば、もう大人でしょ?自分のことくらい自分でしてよね」

「……そう、だよね」



心の中で「いや親が払えよ」と思ったけど、ここでそんな事を口にしようものなら、母がブチ切れるに決まっている。そしてその矛先は私に向かってくるんだから、何も言わないのが己のためだ。



「自分で管理できる範囲の大学を目指すよ」

「そうしなさい」

「うん……ごちそうさま」



ガタッと席を立つ。お皿を洗い、拭いてしまって……自室に戻る。その時。



「ねーママ、私バカだから、きっと私立大学になると思うけど、どうしよう?」

「その時はママとパパが学費を出してあげるに決まってるじゃなーい」


「そっか、だよね。ありがと、ママ!」

「ふふ」


「(……あほクサ)」



私がまだ近くにいることを知っているのに、よくもそんな話が出来るな。穂乃花はいいよな。だって、どのレベルの大学にしても「とりあえず」は行けるもんな。金さえ払えば入れる大学なんて、その辺にゴロゴロある。


逆を言えば、金がない私は――



「大学じゃなくて仕事探しをするか」



はあ、とついたため息は誰にも聞かれなくて……。それがまた、より一層の虚しさを引き立てる。



「(センセー、今日は公園に来ないって言ってたな)」



だけど、会いたい。

無性に、会いたい。



「(会ってなにを話すってわけじゃねーんだけど……でも、今日このまま家にいたら、私はきっと潰れてしまう)」



お弁当と同じで、妹には出し惜しみなく出されて、姉の私には出されない大学の授業費。描いていた未来が、大きく歪んだ。大学こそは自由があって、そうして好きな勉強が出来て……



「ふー……やめやめ」



甘い考えを持っていたのは私だ。私はいつだって、最悪の予想をして生きていかないといけなかったのに。



「(期待してこうやって裏切られた時が、一番堪えるからな……)」



もう期待はしない。

もう、これで最後にする。

大学は……どうするかは後で考える。


だから、今は――



「センセー、会いたいなぁ……」



あの変な羅列をしたホクロを見たい、なんて……そんな変な事を思った。




「ま、センセーは来るわけないけどね」



深夜0時。公園に来て30分が経過しているけど、ま、こねーよな。こねーってスマホに連絡来てたし。



「それで来る方が、逆に怖いけ、ど……?」



その時、公園の近くが眩しく光った。あれは……車のライト?



「え、いや……まさかな?」



この辺りはあまり街灯がないから、目と鼻の先に車があったとしても、それが先生の車かどうかは分からない。眩しいと思っていたライトは、私を一瞬だけ照らすと、瞬時にパっと消えた。そして、バタンと音が聞こえる。


ん?人が降りて来たのか?カツカツと、急いで歩いている音がする。



「しかも、こっちに近づいて――?」



その時だった。


バシッ



「こら、悪い子」

「え、縁センセー!?」



私の手を掴んだセンセー。それは確かに、縁センセーだった。



「え、え?な、なんでここにいんだよ!?」

「私のセリフですよ。今日は行けないといったし、あなたにも行くなといいましたよね?」

「き、聞いたけど……」



今何時だと思ってんだ!?

もうてっぺん超えてるんだそ!?



「まさか、今まで仕事かよッ?」

「そうです。悪いですか?」

「いや、別に悪かねーけど……」



すると縁センセーはため息をついて「明日ですよ」と言った。



「明日、課外活動があるでしょう?それの最終チェックをしていたんですよ」

「あーあのクソつまんなさそうなやつ?」



言うと、センセーはギロリとこっちを睨んだ。



「(ヒッ)」



メガネが光って、怖さ倍増だ。



「鶫下さんも、明日その課外活動に出るでしょう?」

「いや、サボろうかと思ってたけど?」


「なんでですか、出なさい。そのためにせっかく用意したんですから」

「そのために?って、何のために?」


「……本当は」



縁センセーが語ってくれた内容は、こういう事だった。本当は、課外授業は近くの海に行って……ということらしかったが、私が大樹の話をしたのをきっかけに、急遽、神池山を散策することにしたらしい。他教員が渋る中、センセーは頭を下げてまで説得に回ったとか……。



「神池山って……」

「大樹くんの事を思ってです。探しに行く絶好の機会になるでしょう?」

「……そんな事を考えてくれてたんだな」



ちょっと、いや……かなり嬉しい。するとセンセーは眼鏡を外して、目を瞑った。



「いくら疲れてるからって、立ったまま寝るなよ」

「違いますよ。目が疲れたんですよ。ずっとパソコンと向き合っていましたから」


「パソコン?」

「海へいく資料はもう出来ていたんですよ。けど、私が直前になって変えたものですから……一から作り直しです」


「他のセンセーに手伝ってもらえば、」



するとセンセーは「はぁ」とため息をつく。



「慈善事業じゃないんですよ。教員って。自ら変更を申し出た自業自得の私が、助けを呼んではいけないんです」

「そんな……」



自業自得っつったって、もとはと言えば、私の事を思ってだろ?それなのに、一人で頑張って、一人でなんとかしようとして、こんな時間まで頑張って……。



「バカじゃねーの?」

「は?今なんと?」

「ちょっと来い!」



グイッとセンセーの腕を掴む。そして強引に連れて来たのは、公園の中にあるベンチ。そこにまず私がドカッと座り、次にセンセーを見た。


ポンポン



「ほら、ここに寝転がりな」

「は?あなたの太ももに?私が?寝転がる?」

「そーだよ!早くしろ!」



真顔で聞き返してくんな!照れんだろ!


私のためにそこまで疲れさせてしまって申し訳ないから、疲れてるなら少しの間休んでもらおうと思って……そう思っただけなんだけど。


何かまずかったか?私の太ももに頭をのっけろって言ったのがまずかったのか!?



「そ、そんなに嫌なら、もういいよ。忘れろよ」



センセーは動かないし、私の恥ずかしさも限界を越えそうだ。だから立ち上がろうとした、のに――



「じゃあ、ちょっとだけ責任を取ってもらいましょうか」

「え」



ポスっと、センセーの頭が落ちて来た。私の太ももの上に。



「あー気持ちがいいですね」

「それは肉付きがいいっていいたいのかよ?」

「違いますよ。むしろ鶫下さんはもっと食べないさい。やせすぎです」



ふん、と鼻で一蹴する私に、センセーが控えめに聞いた。



「お弁当、やっぱり作ってもらえそうにないですか?」

「……無理だろ」


「どうしても、ですか?」

「今日、言われた。私の大学にかかる費用は一切出す気がないらしい。高校卒業したら、もう大人と同じなんだとよ。けど、妹のためなら、もしも私立大学に行く事になっても、全額負担するんだと」


「クソですね」

「ぷ、そうだな」



縁センセーのド直球すぎる言葉に、吹き出した。普通、自分が担任してるクラスの親を「クソ」呼ばわりするか?



「本当、センセーって見た目はきっちり型にはまった教師なのに、蓋を開ければハチャメチャだよな」

「私は教師ごっこをするために教師になったのではありません。生徒と向き合うために教師になったのです」

「生徒、か」



少しだけ落ち込む自分に気づく。

ん?なんで落ち込んでるんだ?私。


センセーはそんな私に気づかなかったらしく、「さて」と頭を上げた。先生が離れていくと、今まで当たらなかった箇所に風が当たって、冷たくて気持ちいい。



「枕をどうもありがとうございました。疲れが少しだけとれた気がします」

「素直に少しだけ言うな」

「失礼」



メガネをスチャとかけて、センセーは車の方へ歩き出す。


帰るのか?まあ、そりゃそうか。もうそろそろ夜中の一時だもんな。



「センセー、ありがとな。私、明日絶対に行くから」

「!」



私の前を歩いていたセンセーが驚いたように振り返る。そして、どこか安心したように顔の表情が緩んで――



「待っていますよ」



それだけ言って、車に乗り込んだ。あ、おやすみって、言わなきゃな――そう思ったのに、私の体は動かないまま。だって、だってさ、あの堅物教師が、さっき、



「笑った……」



すげーいい顔で笑うんだぜ?レア過ぎて言葉も何もかも、引っ込んじまった。


一方のセンセーは、車のエンジンをかけて、そのまま出発……かと思いきや、ウィーンと窓を開けた。そして――



「おやすみなさい」



私がしたかった挨拶を、軽々としてのける。



「お、おやすみなさい……」

「お、今日は正しい挨拶が出来ましたね。おりこーです」



そしてまた、ニコッと笑う縁センセー。



「なあ、なんか悪い物でも食べた?変だぞ」

「大人は疲れ切ると変なテンションになるんですよ。悪しからず。

では――」



ブロロ


そして、静かにこの場を去って行った。車のライトが見えなくなるまで、ずっと見送る。だけど、ほどなくして――


ピロン



「ん?メール?」



開けると、縁センセーからだった。



――深夜に短いズボンで出歩くのはやめなさい



それだけのメール。だけど、私の心が満たされるには、充分だった。



「あったけーな……」



さっきまで冷え切っていた心がポカポカする。さっきまで家で凍えてた心が、縁センセーといることで完璧に溶けた。センセーって、すげぇ。いや、縁センセーだからこそ、か?



「ま……帰るか」



明日は課外活動に出ねーといけないしな。



「……待ってろよ、大樹」



気を引き締める。明日、私は大樹に少しだけ近づけるんだ。見つけたい、会いたい。頑張ろう――そう思って、家の扉を静かに開ける。だけど、その時。



「おかえり~」

「!?」



玄関の扉を開けると、真っ暗な中に母が立っていた。私は思いもよらない出来事に「ヒュッ」と息を飲んだまま動けない。



「こんな夜中にどこに行ってたの~?しかも嬉しそうな顔しちゃって」

「……別に……散歩」


「散歩~?これが~?」

「!」



コレと言った時に母が私に見せたのは、自身のスマホ。そこにうつっていたのは……膝枕をしている私とセンセーの足。



「(よかった。後ろから撮ってるから、ベンチの背もたれでセンセーの顔までは見えていない)」



瞬時にそれだけの事が分かると、妙に強気になれた私。この母に、センセーの情報を渡さずに済んでホッとしているからだ。



「この男の人はだーれ?」

「ちょっとした知り合い。それだけ」


「ふーん……」

「ちょっとトイレ!」



私は急いで中へ入る。そしてトイレに着いた途端、自分のスマホをトイレの中にボチャンと落とした。



「ちょっと!真乃花!!」



母がトイレのドアをドンドンと叩いている。

こわ、ホラーかよ……!



「(落ち着け、私……落ち着け)」



強気と弱気が交差する、この瞬間。心臓がバクバクと音を立てて、息が上がる。あまり息を乱すと過呼吸になってしまうから、慎重に呼吸しなきゃな……。



「(過呼吸になったところで、誰も助けてくれないから……っ)」



スーハ―


私は長い息を吐いて、トイレからスマホを取り出してどこを押しても光らない「故障したスマホ」になった事を確認して、ドアのカギを開けた。同時に、再びスマホをトイレの中に入れる。そして「あー!」と大きな声を出した。ドアが開いて、鬼の形相の母と目が合ったのは、ちょうどこの時だった。


ガラッ



「ごめん、漏れそうになったから急いでたら……スマホ、落としちゃった」

「真乃花、あなた……!」



母の手には、父が帰ってきた時しか使われない靴ベラが握られている。それをこの後どうするのかは――嫌と言うほど分かった。



「(けどセンセー、私、明日は絶対に行くから)」



ギュッと目を閉じる。



「(私は、こんな事で負けはしない)」



バシッ


その日の夜は、とても長く感じた。

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