第36話:地下6階視察2

「‥‥とにかく10階です。10階ですよ。行けばわかります。行きましょう。行かないと駄目ですよ、これは」

「そうは言ってもな、でかすぎて手に負えないだろう」

「いいじゃないですか、大きい、どんとこいですよ。自力で10階に到達した冒険者にこの、この世界の探索の許可を出す、それだけですよ。自力で到達できないのなら許可しない。だってこのダンジョン、10階に来いって言っていますよ。来て、そしてその先にも来いって。自力で到達できないのならこのダンジョンで腕を磨けばいいんですよ。それだけでしょう?」

「そうなのか? まあそうなんだろうが、そうは言ってもな。正直に言うと俺も10階に行ってみたくなっているんだがな? 支部長の立場から言うと見つかっているものがすごすぎて怖いんだよ。ダンジョンだけならまだなんとか収まるような気もするが、この先がどう考えてもまずい気がするんだよ。とてもじゃないが、手に負えない気がしていてな」

ガラス壁の前でモニカとアドルフォが言い合いを始めている。

ギルド関係者としてはどうしても気になるが、それと同時に得られる物が想像を超えてきてしまっていて悩ましいのだろう。

それを見ていたステラがてってと通路を進み、先にある扉を開けようとする。

「あ、」

気が付いたフリアがその後を追う。

「えっと、イスがあるんですよね? あ、本当に輪になっている」

その部屋には花の置かれたイスが輪のように置かれている。それがどうかしたのか。

「いえ、確か隅にイスが積んであるって」

報告書にはそう書いてある。それがどうかしたのか。

「あれを出して並べたらよいのでは?」

なるほど。納得したフリアが手伝って部屋の隅に積み上げてあったイスを通路へと運んできた。立ったまま話すよりは少しは落ち着けるだろう。

「これはテーブルですかね? うーん?」

「それ、脚がないんじゃない?」

「あ、そういう。でもこれ下の部分くっついていますよ。ほら、あ、動きますね」

「お? お?」

そういえば確かもう一方にはテーブルの天板のようなものが立てかけてあった。

「ほら、こうして開いたら脚になるのでは? これも出して並べましょうか」

その天板のようなものを出してきて、裏側についている棒のようなものを開いていくと、確かに脚になり、それはきちんとしたテーブルに姿を変えた。

通路にテーブルを置き、その周りにイスを並べる。これで話し合うための会議室が完成した。

「良く気がついたな」

「わたしの子供の頃のテーブルってああいう脚でしたよ? 折りたためるんですよ」

「そうなのか? へえ、今はそういうテーブルがあるのか」

クリストが声をかけるとにこにこと返答がある。

フリアがイスを並べるとブルーノ、アーシア、それにアドルフォとモニカもそこに座る。あと1脚あったが、それはステラが座ればいいだろう。

そのステラがポーチから紙包みを取り出してテーブルに広げた。

「何だ?」

「クッキーです。おやつに必要かと思って」

準備の良いことだった。疲れた時には甘いものだ。

「あと水場もあるんですよね? お茶っ葉を持ってきているんです」

とても準備が良かった。

「いや良く入ったな?」

「こういうポーチって結構入るんですよ。あ、水場はそっちですか。水出しだと時間かかりますかねー」

てってと隣の物置へ移動していく。この場で一番落ち着いているのがステラではないだろうか。さっきまでくるくると良く回っていたのに元気なものだった。

「コンロを持ってきているから湯を沸かせる」

フリアも準備が良かった。

「あ、使ってもらっているんですね。どうです? このコンロ」

「いい。便利。でもこの中身がどうなっているのか心配。油? なくなったらどうすればいい?」

携帯コンロはとても便利なものだったが、その燃料が入っているという金属の容器は蓋もなく中身が見えなかった。減っているのかどうかも分からず、中身を入れることができるのかも分からず、扱いが難しい。

「あー、そうですね、そういう欠点がありましたか。これは交換です。容器の方は返してもらえればまた詰めますよ。んー、振って分かるような音もしませんね。燃え方が悪くなってきたら替え時と思えばいいのかな。これはちょっと考えます。それでライターはあります?」

「らいたー?」

「火を付ける小さい」

「あ、これ、これも便利」

「良かった。じゃあ着けますねー」

カチッカチッという小さな音の後に、火が付いたのがゴーという音が聞こえてくる。ステラは着火具の扱いにも慣れているのか手際が良かった。

「これ、便利なんだけどランタンに着けるときは難しい」

「ランタンですか、えーっと? あ、遠い?」

「そう、差し込んで、こう、操作するのが難しい」

「なるほどなるほど。やっぱり使ってもらわないと気がつかないものですね。えっと、これは操作する部分と火が着く部分が離れている、こう、長いものもあるんですよ」

「おお、それも欲しい」

「分かりました。用意しておきますね」

開け放たれた扉の向こう、水場での会話や物音が良く聞こえる。やはりステラは冒険のための道具に一役買っているのか良く物を知っていた。コポコポと湯の沸く音がすぐに聞こえてくる。

それにしても考えておく、用意しておくという言い方だった。手際の良さも含め、一役買うというよりもステラが主導しているかのようだった。

「あ、カップ」

フリアがお茶を入れるのに必要なカップがないことに気がつく。

「大丈夫です。ここに何と折り畳み式紙コップというものが。‥‥、これほぼ使い捨てなのに原価がとっても高いっていうどうしようもないものなんですけど、今日はちょうどいいので使いましょう」

そういうものがあるらしかった。

「ではこのハーブ入りティーバッグをお湯に投じまして、3分か4分か5分か、まあ色がつけば良いでしょう。待ったらカップに注いで完成です。ティーバッグはグリーンティーもありますから、もう一つお湯を沸かしましょうか」

何とも準備も手際も良かった。これで貴族のご令嬢か。

「ところで気になっていたのですが、この剣とか弓とかは?」

「あ、あ! 忘れてた!」

そうだった。この物置には置いていった物があったのだった。

「すまん! 完全に忘れていた!」

入り口の前でぼうっとしていたクリストが慌てて部屋をのぞき込む。

入って左側の壁際には確かに前回そのまま置いていったゴブリンの使っていた武器があった。

「そのままか、そのままだな。数も合っている。ってことは、この部屋は。おし、鍵はない。やっぱりそうなったか」

うん? という表情でステラがクリストを見ていた。

「いやな、この部屋に置いてあった鍵が1本しかないってのが気になってな。ダンジョンの中の物は復活するはずなんだが、どうやらこの部屋は違う、復活がないってことでいいらしい」

これでこの部屋は物を置いていっても良い部屋として確定した。ここに荷物を置いていっても消えることはないということは、下層探索の拠点として使えるということだった。

「お茶が入りました。さ、テーブルでお話にしましょう」

ステラに促され、クリストもフリアも通路に戻る。

テーブルに並んだ面々はそれぞれにガラスの向こうを眺めていた。

「あれ、もうクッキーないじゃないですか」

「あ、いや、すまないね。落ち着かなくてね」

「まだあるからいいんですけど、食べ過ぎてはダメですよ」

ステラがまたしてもポーチから紙包みを取り出してテーブルに置いた。中身は今回もクッキーのようだったが、いったいどれだけポーチに詰めてきたのか。

「お茶はこちらがグリーンティー、すっきりしていて少し渋いです。こちらハーブティー、甘くてほんの少し酸っぱくてほんの少し苦いです。どちらもノッテの森で採れた材料を使っていて家でも飲んでいるので安心ですよ」

「ノッテの森で? こんなものが採れるのかい?」

どうやらブルーノは知らなかったようだ。

「グリーンティーは山際にお茶の木を見つけて、あ、お茶の木っていうのは紅茶と同じですよ。同じ種類です。それでハーブティーの方はほぼ薬草ですね。はいどうぞ」

自分もイスに座るとそういってお茶を勧め、自分はハーブティーの方を手元に置いた。

湯気とともに香りが辺りに漂っていく。

クリストも近くにあったグリーンティーだというものを手に取り口を付けた。少し青臭い気もしたが、確かにすっきりとした味わいでほんの少し渋さも感じる。高ぶっていた気持ちを落ち着かせるのに合っているようと感じた。


「さて、せっかく現地に全員いるんだ、真面目な話をしよう」

時間の経過のおかげか、それとも茶を飲んだおかげか、落ち着いたらしいアドルフォが切り出す。

「問題ってほどでもないな、この、向こう側をどう考え、どう対処するかってことだ。俺としては10階到達は達成してほしいと思っている。そうしないとこの世界が本物かどうかも分からないからな。で、どうだ? 行けるということでいいのか?」

問われたのはもちろんクリストたちだ。その返答は決まっていた。

「もちろんだ。俺たちは10階へ行く。それで見てくるよ、これが本当のことなのかどうか見てこよう」

「よし、そういうことでいいだろう。それで、さっき聞こえたんだが、物置でどうとか」

「ああ、置いていったゴブリンの武器がそのままだった。少なくともあの物置の中に置いた物は変わらないってことでいいんじゃないか」

「そうか、ということはここに荷物を置いていくのか?」

「そうするつもりだ。ここを起点に行けるところまで行くってのを繰り返してルートを作っていく。回収したものもここに置いていくからな。この後もう一度ホブゴブリンどもの所から板鍵と、それと昇降機の鍵も取ってくる。そうすればあんたらもここまで来られるだろう? 回収したものはそのまま持っていってもらっていいぞ」

「なるほどな、それなら食料だとか備品、持ってきて置いていくか。その方が楽だろう」

「いいな、それは助かる。その代わり俺たちはほとんど地上には戻らないが、構わないか。よし、その方針で行こう」

物置で物品のやりとりができるのならば別に地上に戻る必要はないのだ。必要な物があれば都度書き置きでも置いていけば良い。それで連絡も取り合えるだろう。

「大丈夫なのかい? 私はよく分からないのだが、ダンジョンに潜りっぱなしでも良いものなのかな」

「構わんでしょう。それが1カ月でも2カ月でも、まあ大げさな言い方だが、駄目ってことはない。契約にも地上に必ず戻ってこいとは入っていない。報告をすることってのはあるが、それは地上でやる必要はないんですよ」

直接言いたいことがあればどちらかが待っていれば良いことだった。

何日ものあいだ物置に変化がまったくなくなったら、その時には何かあったと判断すればいい。

「ただな、心配していることはある。どうもな、このダンジョンは俺たちを見ている気がして仕方がないってことだ。いろいろと都合が良すぎるんだよ。どうにも準備万端で俺たちを出迎えて、そして先に進ませているように感じるんだ」

「どういうことだ?」

「まず魔物だな。数はそこそこいるように感じるだろう? だがな、俺たちが探索した範囲に対しては間違いなく少ない。特に通路で出くわすやつが少ないんだよ。普通はもっと乱雑なもんだ。でたらめな場所にいるものなんだよ。それが数が少ない上に待っていたかのように動いている。それにな、部屋にいるやつだって大した数じゃないうえに、どうにもこっちが来るのを待っていたように配置されているんだ。だいたい部屋の奥の中央付近だ。部屋中をうろうろしているとかって雰囲気じゃない。グールがラットだスネークだを食っていたところなんてまさにそれだな。俺たちが来るのを待っていて食べ始めないとあんな都合良くはいかないだろう。このダンジョンは俺たちに合わせて動いている」

最初から不思議ではあったのだ。部屋の魔物が通路に出てこない、通路の魔物がこちらに合わせて動き始める、こちらが危険な状況に陥らないような数に調整され、そして動き方もシンプルで複雑な状況が起きにくいようにされている。

2階のアニメイテッド・アーマーや5階のホブゴブリンのような待っているタイプが典型的なパターンだろうが、それだけではない。このダンジョンの魔物には意図があるだろうと感じさせた。

「でだ、俺たちは今ダンジョンの中でこんな話をしているわけだが、なあ、ダンジョンがこの話を承知した場合、どうなると思う?」

「‥‥調整が入るということか?」

「その可能性がある。6階に下りてすぐの場所は見た。そこは変えてこないかもな。だがその先は分からない。数が増えるか雑多な動きが増えるか、行ってみれば分かるさ」

「難易度は上がると思うか?」

「上がるだろう。こんな話をしているからってだけじゃないぞ。そのヒントは散々見せられた。上の階でもな、明らかに合っていない魔物がいることがあった。ああいうのは下層で出す予定のやつを試していたんじゃないかと思っている。ゴーストはまあ置いておくとして、アニメイテッド・アーマーだとかクオトア、ジャイアント・トード、ジャイアント・コンストリクター・スネーク、見ていないところにもいたかもな。そういうやつだ。上の階の終盤で出たやつは下の階の序盤で出る、そういうパターンなのも分かっている。そこに混ざる毛色の違うやつはテストだろう。6階のグールがそうだと思っているよ。あれはアンデッドを使うための準備だろう。だからこそ1体だけで出てくるんだ。それに罠もな、たまに危ないやつが混ぜられていてな。あれも使いたいやつを少しずつ試している感じがする。昇降機の位置を見ても、ここで一区切りなのは間違いない。本番はここからなんだろう」

さすがにBランクは良く見ている。

こうなるとやはり、今すぐにダンジョンの情報を広めるのは控えた方がいいだろう。10階に行くことはもちろん目標になるが、それ以上に6階7階の状況が見たかった。それ次第では本当に5階までと制限しての公開も検討する必要が出てくる。


「私はね、これ以上はもういいだろうと思っているんだ。ここから見えるものは確かにすごいとは思うけれどね、どう受け取ればいいのかまったく分からない。これ以上は私の理解を超えてしまっている」

ブルーノが盛大にため息をついた。

農業一本でやってきたセルバ家としてはあまりにも出てきたもののスケールが大きすぎた。ダンジョンは確かに面白いと思うし稼げるとも思う。しかしそこから見つかったものが大きすぎたのだ。

「それにね、これは、これは一つの国があるようじゃないか。こんなものがセラータの地下から出てきたなんてことになったら、どうすればいいんだ? ここには人はいるのか? いたらどうすればいいんだ? 地上は安全なのか? ドラゴンは地上に出てきたりはしないのか? 本当に大丈夫なのか?」

あー、という表情でアドルフォが天を仰いだ。

確かに領主としてみれば危険性の方が先に来るのだろう。ダンジョンから魔物が地上に出てきたという話は現状ではない。だがそれは現状ではというだけで、絶対にないかと言われたらそれは分からないとしか答えようがなかった。

それに、そう、メモを書いた人々は地下世界から来たのだ。だとしたら、この世界には人がいるのだ。今も人がいるのだとしたら、それはどういう扱いになるのだろう。地上に上がることはできるのか? だとしたら地上の人々との違いはあるのか? だとしたら地上に出た場合はセラータ地区の住民ということになるのか?

そもそもだ、この地下世界は国内という扱いでいいのか? リッカテッラ州に含まれるのか? セラータ地区の一区画になるのか?

「兄様、私は報告を中央に送って、判断を仰いだ方がいいだろうと思っているわよ。さすがにこの規模になってしまっては私たちだけで決めることはできないわ」

「中央にかい? その場合管理は中央に」

「権利はちゃんとセルバ家で握って。管理に人を出してもらってもいいけれど、そこはちゃんとして」

「ああ、ああそうだね。うん」

「恐らく誰か視察に来るというでしょうから、ここを見せて、メモを読んでもらって、ああ、教会はダメね、うまく話を持っていかないと。それで10階を目指しているという話をするのよ。そうなると恐らく確認のためにも軍を出すという話になると思う、10階に軍を出すって。見てもらえばいいじゃない。別に私たちは困らないと思うわよ」

む、と口を結んだブルーノが考え込む。中央から視察が来るところまでは考えていたし、管理も中央に投げてしまいたかったが、軍も来るというような話になるのだろうか。それは少し問題なような気がした。

「いいんじゃないかしらね、軍が来るくらい。攻略しに来るかもしれないし、競争みたいになるかもしれないけれど、いいんじゃないかしら。私としては冒険者で、うちと直接契約している形になる彼らに先に10階まで行ってもらって、それでそこにセルバ家の旗でも立てておきたいところだけど」

ね、とアーシアが隣りのステラに声をかける。当のステラは話を聞いているのかどうか、横に座ったオオカミの首筋をわしゃわしゃと揉んでいた。


ギルドとしてもこの規模の大きすぎる問題は中央に話を持っていくことにはなる。恐らく人が来ることになるだろうし、視察もするという話になるだろう。

それでも今は公式の契約書をすでに作ってあって、それに基づいて冒険者が10階を目指していると言えるのだ。土地とダンジョンの権利者はすでにセルバ家で、管理者はギルドのミルト支部となっているのだ。

では今のうちだ。今のうちにできるところまでやっておくしかない。

「それじゃ俺たちは今からホブゴブリンどもを倒しに行ってきますよ。それでこのエリアの鍵が手に入るし、さっき見たところ昇降機の鍵も復活していたからそれも手に入る。両方ともギルドに預けるよ」

「そうだな、それは頼む。すぐ終わりそうか」

「大した問題じゃない。今回は遠慮なしだからな、挟み撃ちの形にして最初から魔法をばらまく。俺たちは最後に突っ込むだけの簡単な仕事だ」

そう言ってクリストたちは5階へと上がっていった。

モニカもイスをオオカミの隣に移動させて背をなでている。今は休憩の時間ということでいいのだろう。

ガラス壁の向こう側では少し雲が増えてきたのか、空の覆われている範囲が広くなっていた。時折鳥か獣の声が聞こえる。危険は何も感じられず、穏やかな時間だった。

言ったとおりクリストたちはすぐに5階から戻ってきた。ケガも疲労もないように見え、クリストは手に専用エリアの板鍵と昇降機の鍵、さらにホブゴブリンの部屋にあった宝箱から出たという宝石を持っていて、それらをまとめてアドルフォに渡した。

どうやらこの場所でやることはこれで全てのようだった。

これからは10階を目指すための探索が始まるのであり、セルバ家やギルドはそれを支援するための準備をここ6階の物置に置いていくようにする。いよいよダンジョン探索の後半戦が始まろうとしていた。

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