第35話:地下6階視察1

翌日、セルバ家の馬車が出張所前に横づけされた。

出迎えたのは前日結局出張所に泊まったアドルフォで、モニカと冒険者達は準備に追われている。

馬車からはブルーノの他に予想していたアーシアと、なぜかステラに加えてオオカミも一頭降りてきた。

「ブルーノ様、ようこそ。2日続けて申し訳ありませんな」

「いや、こちらこそすまないね。アーシアが来ることは分かっていただろうが、ステラも来たいというのでね。オオカミは護衛役だよ」

灰褐色のオオカミがこちらをじっと見ている。普通のオオカミよりも大きいように思えるせいもあるだろうか、軽い恐怖を感じた。

ステラがその背をポンポンとたたくと、頭を横倒しにしてステラの腹から腰の辺りに頭をぐりぐりと押しつける。こういうところを見ればイヌのようでかわいげがあるのだが。

アドルフォが先導して出張所の中、会議室へと案内するとすでにモニカ達も待っていたようで、イスから立ち上がって礼をする。

ブルーノが手を上げてそれに答え、全員がイスに座ったところで会議の再開だ。アーシアやステラにも情報の共有は行われていたようで、前日にした話はすでに伝わっていた。

「待たせてしまってすまなかったね。それで、6階を見に行くという話だったね。案内はしてもらえる、安全は確保されるということで大丈夫だね?」

「はい、もちろん。彼らが先行して通路の安全を確認します。その後われわれも行くという段取りですな」

「わかった。よろしく頼むよ。いや、昨日アーシアにも言われてね。地下世界が本当にあるのならそれは見たくなって当然だと、行ってみたくなって当然だとね。それで契約内容の変更だったね、それもね、こちらとしては道具だとか、供与のままで構わないようだよ。それに発見したものを使うこともあるかもしれないと。それもアーシアに言われてね。当然だと。命を賭けている冒険者が必要だと判断するのなら使えるようにしておきべきだとね。それで成果の報告はしてもらえるのだろう? それならばこちらの変更は特に必要ないね。ただ中央の意向次第で情報公開はされる可能性があるのだけれど、それは構わないかな?」

詰まるところセルバ家としてはどれも問題はないということだった。

ただし、ダンジョン発見につき調査中、公開時期を待てという情報が中央から発せられる可能性はあるということだ。これについてはギルドも同様なので問題ない。

あとはギルドが一部発見物の使用を認めるかどうかだけなのだが、それについても結局のところ発見を報告しないのと同じ意味なので、信頼関係の維持のためにお互いに承知しておくという一文が入るかどうかだけだ。セルバ家が問題ないというのであればそれはもう構わないだろう。

クリストが代表して感謝の意を示し、モニカが作成しておいた新しい契約書の内容を確認しあって、サインをすれば完了だ。鑑定スクロールなどのギルド供給の消耗品に関してだけは買い取りという形になるが、これも問題なく合意した。

「これで大丈夫かな? 良さそうだね、うん、これで10階までは行ってほしい。行って、何があるのかを確かめてほしい。よろしく頼むよ」

ブルーノの宣言でこれで新契約は成立した。

「では6階に行こうか。話を聞いているうちに私も見てみたくなってしまってね。案内を頼むよ」

今日はここからが本番だった。


アドルフォもモニカも昇降機までは見に来たことがあった。

その時にはギルド職員が集団で動いたため、ラットたちもこちらを見るとすぐに逃げ出していたのだが、今回もまた10人にオオカミまでいる集団のため、最初の曲がり角からすでにラットは逃げ出していた。

昇降機のある隠し部屋に着くとフリアが解錠し扉を開ける。部屋の中、奥に昇降機が確認できた。その扉を開け、中にクリストたちが先行して乗り込むと、装置に鍵を挿入し起動する。すぐにガコンという音が聞こえ動き出したことが分かる。動いているところを見るのは初めてだったため、誰もが興味深そうにそれを見ていた。

隠し部屋の入り口にはオオカミが腰を下ろしていたため、ラットの警戒などは誰もせずに昇降機に興味津々だ。

クリストがうなずくと装置の5と書かれたボタンを押す。昇降機がガコガコと動き出し、ゆっくりと床の穴に吸い込まれていった。これで5階にたどり着けるのだろう。しばらく待っていると再び縦坑のロープが動き始め、そうして昇降機の籠が姿を現す。今度は乗っているのはクリストだけだった。他のメンバーは予定どおり通路の安全確保のために残ったのだという。ブルーノ、アーシア、ステラとオオカミ、そしてモニカ、アドルフォと乗り込む。クリストを含め6人と1頭が乗ったため、さすがに籠の中は窮屈だった。

5のボタンを押すと再び籠が縦坑の中を下降していく。石組みの縦坑の中を降りていくという経験自体が初めてで、ここでも誰もが興味深く周囲を見渡していた。しばらく降り続けると下の方が明るくなり、そして部屋へとたどり着いた。そこにはカリーナが待っていて、その先の通路へと促す。カリーナが先導、最後尾にクリストが着いた。

降りてすぐ通路は正面と左との交差点に差し掛かり、正面がホブゴブリンやゴブリンのいる部屋だと説明を受け、そこで待っていたエディも一行に加わる。

皆が来るまで扉越しに部屋の中を確認していたそうで、ホブゴブリンたちとは目が合ってしまったため、今回はこれ以上近づくこともしないという。5階のこのエリアはその部屋にある鍵がなければ立ち入れないそうで、いずれはもう一度このホブゴブリンたちを倒して鍵を追加で1本入手するつもりだと話していた。


通路を左へ曲がり、しばらく進んだ先で丁字路に差し掛かる。そこにはフェリクスが待っていた。右へ行けばまた板鍵の必要な扉があり、その先が階段室だという。そこからも6階へ行けるのだそうだ。

そのフェリクスも合流して左へ進んだ先、今回の目的地を目指す。そこにも階段があり、そこを下りれば目的地になるということだった。

ここまでまったく魔物がいない。先行した彼らもこれまでこの通路では魔物を見ていないので、やはりこの通路に関しては安全だと考えられるということだった。それが分かってしまえば安心だ。今後また誰かが、それこそ中央の誰かが見たいと言い出すかもしれないのだ。その時にも今回と同じように案内できるだろう。

そうしてすぐに6階への階段にたどり着く。いよいよだ。いよいよ話に聞く地下世界を見ることができる。そう考えるとアドルフォもモニカも、もちろんセルバ家の面々も、興奮が隠しきれない。

先頭を行くカリーナが後ろを振り返りながら階段までの通路を進む。最後尾のクリストの前を行くステラもにっこにこだった。たまにオオカミの方を見て何か声をかけている。あいさつに行った時も冒険話に興味津々だったが、やはりこういったことが好きなのだろうか。だとしたらこの先で目にするものを喜んでもらえるだろうと思えた。

階段にたどり着く。6階がすぐそこだ。

階段を下りていく。その先で、6階の床が明るくなっているのが見えてくる。待っていたフリアが手を振っている。6階の床に下り立った。そしてフリアがあちらを、と手を差し出した方向へと全員が視線を向けた。

長い長い通路。ずっと先まで続き、あれは岩かがれきか、何かが積み上がっているようだ。確か報告にもあった。アーティファクトで呼び出した岩、そういうものがあるのだろう。左の壁には照明が並び、そして扉がある。物置と、そしてメモがあった部屋。

右の壁には、壁は、すべてガラスでできていた。透きどおった滑らかな一面のガラス壁。そこからは光が差し込み、通路を白く明るく照らしている。照明器具よりもこの光の方が強く通路を埋めていた。

ガラス壁の向こう側の世界は、今日は良い天気のようだった。


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空は青く、はるか遠くまで広がっていて果ては知れない。

ところどころに真綿のような雲が浮かび、その影を森の上に落としている。

森は広く、眼下の廃村のような場所からずっと、遠くの山々まで続いていた。ところどころに見られる線のような跡は道かそれとも川か。

連なった山々は緑に覆われたり、山頂付近が赤茶けた岩肌を見せていたりとさまざまだ。その山脈の途中には砦があり、砦から伸びる城壁をたどっていくと山の頂にそびえる黒褐色の塔の並ぶ城へとたどり着く。その城の右手には山肌を覆うようにして建物が並んでいた。

右手はるかかなたに見えるものは湖かはたまた海か。水がたたえられ対岸が見えない。そしてその湖か海かのようなものの手前では森が途切れ草原なのか黄緑のような色をした平地が広がり、そのなかを線のような恐らくは道があちらこちらと走っている。その途中途中には町か村か、そのようなものもあるようで、そして水辺の高台になっている所には白い屋敷か城かというような大きな建物が建っていた。

左手も遠く森が途切れる場所があり、その向こう側はやはり草原か。そして山の方から続いているだろう線は太く、大河のような幅広の川となっていた。

川の向こうでは草原が徐々に茶色く変わり、さらに白く変わっていく。その向こうにも見える山が白くなっているところを見るとあれは雪だろうか。

右手の手前側にはちらりと城壁のようなものが見えるが、左手側には見えない。いったいどこまでの広さがあるのだろう。

遠くには城を頂く山脈、青く輝く水面、雪をかぶった山々。空には太陽が輝き地上と同じように昼間の明るさを持っている。その明るさの下で見るこの地下世界の果ては見通せなかった。


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「‥‥でかすぎるだろう」

言ったのは誰か。アドルフォか。ガラスに張り付くようにしてその向こう側の世界を見つめている。ここにいる誰もが似たようなものだった。唯一ステラだけが両手を握りしめて上に突き上げ、くるくると回っている。楽しそうで何よりだった。

「今日は遠くまでよく見えるね」

「ああ、前回はドラゴンに気を取られて良く覚えていないんだが、こんな形になっていたんだな。さすがに今回は道だとか町だとかも分かりやすい」

「ドラゴンはいないわよね?」

「いないな。ああ、メモにもあったろう。今日は城の上にドラゴンが見える」

「今日は、か。そっか。今日はドラゴンがいない日なのね」

このどこかに住処でもあるのだろうか。

それにしても今日は天気のとおりに穏やかなようだ。森の上を飛び交う魔物も数が少ないように感じる。

「ねえ、下のあの、廃村って言っていいのかな。何かいるね」

「うん? ああ、あー、確かに何か動いているな、何だ?」

焼け焦げて崩れた建物の並ぶ廃村のような場所を動くものがいる。良くある例を上げればアンデッドが分かりやすいだろうか。廃虚にはつきものの魔物ではあるが、今はアンデッド向きの空模様でもない気がする。

「使いますか?」

ステラがそう言って持っていたポーチから長細い筒を取り出して渡してきた。

「単眼鏡、望遠鏡どっちで言うのが普通なんでしょう。遠くを見る道具です。こっち側からのぞいて、真ん中のこの部分を動かしてよく見えるように調整してください」

望遠鏡ならば知っているが、あれは天文台や船に設置して使うのが常道でもっと大きい。これは手のひらに乗るくらいの大きさしかなかった。

受け取ったクリストが細い方に目を当てて下をのぞき込む。

「ん? ぼやけて良く見えないな」

「調整しろって言われたでしょ」

そうだった、と言いながら中央の輪の部分を回す。

「お、見えてきた。いいなこれ、よく見える‥‥なあ、ハグに見えるんだが?」

そう言われて受け取ったカリーナがのぞき込む。

「そうね、ハグに見えるわね。手に籠を持って何かを集めている。あら? 慌ててそっち、そっちの方へ移動していったけれど――え、」

「どうした? あー? 馬か? 馬のように見えるが」

「‥‥ユニコーン。ユニコーンよ」

カリーナはクリストに望遠鏡を押しつけて壁際に移動した。

「この間はドラゴンを見て、今日はユニコーン」

「楽しいですか?」

問うてきたのはステラだった。手に望遠鏡を横に2本つなげたような道具を持っている。

「そうね、楽しいわね――このどこかに、ドルイドの魔法の秘密があるかもしれないのね」

カリーナはドルイドの魔法に興味があった。この森かそれとも町か城か、どこかに失われた魔法のヒントがあるように思えていた。

じっと向こう側を見るカリーナに納得した様子でうんうんとうなずくと、ステラは遠くを見る道具を目に当ててまた向こう側を眺め始めた。


「ギルドとしてはどう思うのかね?」

ブルーノがぼうぜんとした顔を取り繕うこともせずにアドルフォに訪ねた。

「どうもこうも、いや、何というか、どうしたらいいんですかね?」

2人そろってぼうぜんとした顔を見合わせてしまう。

その隣ではモニカが張り付いたガラスから離れることができずにいた。何かが見えたと聞こえればそちらを見、また何かが見えたと聞こえればそちらを見、興味が尽きることはなかった。

今はもう地上では情報があふれ、完全な未開の地などほとんどない。山を越えて北の魔物のはびこるといわれる魔人の国を目指すか、それとも海を越えて見果てぬ大地を目指すか、もう冒険を求める場所は手近な場所には残っていないのだ。

それがこうして目の前に広がっている。冒険の書の中で、物語の中でしか見たことも聞いたこともないような舞台が用意されているのだ。これに興奮せずにはいられなかった。

「ねえ、城の上に何かない?」

アーシアが目の上にひさしのように手を当てて城の方を見ている。

それを聞いたアドルフォやブルーノも遠くを見るように目を細めた。クリストが望遠鏡を使い、城の上の方をのぞく。

「ドラゴンかと思ったが、違うな。何だ? 何か、塊が浮いているな。岩のような、上が平らになっているのか?」

アドルフォに請われ望遠鏡を手渡す。

今度は受け取ったアドルフォが望遠鏡をのぞき込み、城の上を眺める。

「なあ、冒険の書の何巻だったかな。あっただろう、天空の」

「天空の城か。8巻だな、ペガサスに乗って行くところが好きだ」

答えたのは一番冒険の書を読み込んでいたエディだった。勇者が空の上にあるという天空の城を目指してペガサスに乗って空を飛ぶ場面は有名なのだ。

「空があって雲があってそして天空の城だと? 地下じゃなかったのか? どうなっているんだ」

遠すぎて望遠鏡でも判然とはしないし、そこまで大きいものにも見えなかったが、空に何かが浮いていることは分かった。

「ついでに向こうの水面も見てもらえるかしら。さっきから出たり消えたり、何かいるのよね」

「ああ、いますね。何でしょうね、ヘビみたいな?」

アーシアに声を掛けられてアドルフォがそちらに望遠鏡を向ける。

同じように道具を使って見ていたステラもそれに気がついていたようだ。

「水中から浮かび上がってくるヘビか、シーサーペントとかナーガとかか?」

「いやここから分かるくらいの大きさだと違うだろう。サーペントにしろナーガにしろ、そこまででかくはないはずだ」

クリストとエディが言い合っている。

アドルフォが水面を見始めてすぐ、確かにヘビのように細長い何かが浮かんでまたすぐに沈んでいった。

「確かにヘビのようにも見えたが、もっとこう、ドラゴンのような」

「海か湖か、水の中にいるヘビのようなドラゴンのようなって、何でしょうね。グラーキ、アイダハル、セルマ、ストーシー、ガルグイユ、リヴァイアサン。何でしょうね?」

同じように水面を眺めていたステラが言う。

「いやいやいや‥‥いや、な?どれも伝説の魔物だぞ?」

水中にいる伝説の魔物というものはそれなりに数がいる。それにあれが本当に魔物かどうかもわからないのだ。今は答えようがなかった。いずれにせよ、ここから見て分かるものではないのだ。いつか誰かがあの近くまで行って、そして実物を見ることができれば確定するだろう。

ふっ、と目の前に大きな影が差し、それが森の上を城の方へ向かって流れていった。

鳥かと思って見上げたそこには確かに翼を広げた鳥が一羽飛んでいたが、それは雲の上を飛んでいた。その影は雲と同じように大きかった。

「‥‥ルフ、ルフだ」

ルフもまた物語の中に登場する、神々がドラゴンに匹敵する生き物として作り出したとされる巨鳥だ。

森の上を飛び、そしてその巨大な鳥は山々の向こうへ降るようにして消えていった。その影は山頂にそびえ立つ城を覆い尽くすほどに大きかった。

ふぅとかはぁといったため息ばかりが聞こえる。最初のハグなどかわいいものだ。伝説の魔物が次々に現れる向こう側の世界に、誰もがぼうぜんとしている。そんな中で腰に手を当ててくるくると踊るように回っているステラがとても楽しそうだった。

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