第30話:地下6階2
階段を登り5階へ着いたら休憩だ。この先は予想できない。十分な休息を取って体力を回復させたところで探索を再開することにする。すでに手に入れてある板鍵を使い扉を開く。その先は照明があり通路の先まで見通せるようになっている。真っすぐに伸びるその通路を進み、途中の左への分かれ道も通り過ぎる。左へ進めば昇降機があるのだが、まだ戻る時ではないので今はいい。そうしてしばらく進むと目の前に6階への階段が姿を現す。これがもう1つの階段だ。さあ、この先には何が待っているのか。
さすがに慎重な足取りで階段を下りていくと、その先でも照明があることが分かる。6階の床が照らされているところが見えてきたのだ。階段を下りきった場所は正面と右が壁、そして左に通路が伸びていた。
先に左へ行こうとして角までたどり着いたフリアが一歩踏み出したところで立ち止まる。また何かおかしなものでもあったのだろうか。続いて6階に下り立ったクリストたちもまた、曲がり角で左へ折れ、そしてその先を見通したところで足が止まった。そこに広がっていたのはまったく予想もしていなかった光景だった。
通路はずっと先まで真っすぐに続いている。
左の壁にはところどころに照明があり、辺りを照らしている。そしてその光の下には扉が1つ、2つとあることが見て取れた。
その通路のはるか先、向こうの端の方には何か雑多なものが、あるいはがれきのようなものが積み上がっているように見えていたが、それが何なのかは近づいてみないとはっきりとはしないだろう。
だがそんなことはささいなことだった。問題は右の壁にあった。
右の壁は一面がガラスでできていた。ガラスだ。瓶などの容器や店舗の窓などに導入が進んではいるが、こんな、壁を全面、それもこんなにも長く伸びる通路の壁を全面だ、覆い尽くすような規模のガラスなど見たことも聞いたこともなかった。
そしてガラスである以上は、その向こう側が透けて見えるのだ。
今ではガラス窓は普通に見られるようにはなったが、だがこんなにも滑らかだっただろうか。こんなにも透きとおっていただろうか。触れてそこにガラスがあることがようやく分かる。光の反射があってガラスなのだとようやく分かる、そんな透きとおったガラスの壁だった。
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薄く光が差し込んでいる。
ガラス壁に近寄って見上げてみれば空は厚い雲に覆われ、ところどころで時折、白く輝くところが見て取れた。あれは雷だろうか。
視線の先、はるかかなたにはあまり高くはないのだろうが山脈がそびえ、その山脈のうちの谷あいになっている場所には砦のようなものがあった。そして砦よりも右手奥と言えば良いだろうか、山の一つの頂には白か灰か、そのような色をした巨大な城がそびえ立っていた。砦辺りからすでに城壁が山肌に沿って伸び、その城壁の先につながるような形で塔の立ち並ぶ城塞だ。雷の光が時折その壁を照らし出す、一種異様な姿だった。
眼下には森が広がっていた。
その森は右へ左へ、そしてはるか先の砦の方まで広がっていたが、ところどころには広い空間も開いているようだった。
恐らく森の中には町が、村があるのだろう。恐らく線のように木々がない場所は道なのではないだろうか。その道に沿うように、あるいはその道からほど近くに、建物の集まりのようなものが点々とあることが分かる。
規模に関してはここから見通すだけでははっきりとは分からないがきっと街道沿いの町や村というものなのだろう。
左の奥の方には建物の連なる町がはっきりと見て取れる。あれは白壁に赤茶けた瓦屋根と言って良いだろうか。美しい町並みのようで、この町はこの辺りでは一番大きそうだと想像された。
だが視線をちょうど下に向けたところにある町は様子が違った。黒い木材があらわになり、壁は崩れ、屋根は崩れ、通りにはがれきが散乱しているように見える。焼け焦げた町並み、そう言うのが正しいのだろうか。
その焼け焦げた町から右へと視線を向けると恐らく墓場だろうものも見えてくる。墓石は正しく並んでいるのか、それとも崩れ倒れているのか、ここからでははっきりとは見通せなかった。
森の中の道はどこからどこまで続いているのだろうか、やはりあのはるか遠くに見える城だろうか。その城の近くには町のようなものはないようだったが、だが、ああ、城から右へと視線を送れば山肌に張り付くようにたくさんの建物があるのが分かってきた。あれが城下町なのだろうか。
さらにその城下町からぐるっと右へ視線を送っていくと、黒く平らな面があることがわかる。もしかしたらあれは海か湖か、そういうものではないだろうか。
さらに右へと視線を進めると、墓場よりももっと向こうにちらりと城壁のようなものが見えた。こちら側にも城壁があるということは複数の城があるのか、それとも領地を守るための外側の城壁だろうか。もしかしたらこちら側の城壁のどこかから遠くの砦、そして城へと道が続いているのだろうか。
ぼうぜんとガラス壁の外を眺めていると、何かが下から上へ、空へ向かってパッと移動していった。それは弧を描いて森の上へと向かって飛び、さらに城の方へと去ってそのまま小さくなっていく。
よく見れば森の上を何かが飛び交い、森へ出たり入ったり、あるいは町らしき場所へ出たり入ったりといったことを繰り返している。
鳥か、あるいは飛ぶ魔物か。
しばらく見入っているとまた眼下から何かが上がってくる。それはガラス壁の下で一度壁に足を置いて止まり、また壁を蹴って向こうへと飛び去っていった。
今度ははっきりとその姿を確認できた。
ライオンの体にワシの頭と前足、そして翼を持った魔物、グリフィンだった。
ピューイという鳥の鳴くような音が聞こえた。
良く耳を澄ませてみれば風の吹く音や、木々のたなびく葉擦れの音、そしてはるか遠くの雷鳴が聞き取れる。
今まではまったく気がつきもしなかったが、どうやら向こう側の音が聞き取ることができるようだった。
グリフィンは森の上を滑空すると、木々のない開いている場所へ降り立つのかそこへと姿を消していった。
そして今度は左手の上空、遠くからいくつかの鳥のような形に見えるものがこちらへ向かってくることが分かる。
近づいてくるとその一見鳥かと思えた姿はコウモリのようにも見え、そして頭はトカゲのようでもあった。その姿のものが3つ、空を滑るように飛んで来る。
目の前に来る、そう思ったところでその鳥たちの上に黒い影が射し、そのうちの1体の上へすぐさま赤茶色をした大きな塊が覆い被さるように降ってきた。
ギーとかギャーとかいう声は襲われた鳥のような魔物の声か。
襲いかかったのは先ほどのグリフィンのようなライオンの体、だがグリフィンとは違いライオンのたてがみを持つ人のような顔付きをした頭、そしてドラゴンのような翼があった。マンティコアだ。
マンティコアは捕まえた鳥のような魔物に長い尻尾を何度かたたきつけると、満足したのか大きく翼を羽ばたかせて宙に浮く。そして太い足で抱えるようにした鳥の体にそのままかぶりついた。飛びながら食べるつもりなのだろうか。ガッとかガブッとかいう音は実際に聞こえている音だろうか。目の前で食べなくてもいいのにと少し思う。
そうしてガッガッと幾度かかぶりついていたマンティコアが、不意に顔を上げて向こうを見る。城の方角か、何か別の魔物でもいるのか。
上空の厚い雲が大きく白く輝いた。
森の上で雲が下方向へと膨らみ、何かがそこを突き抜けるように飛び出してくる。黄色い、いや、黄金色の巨大な姿。長い首、長い尾、大きく羽ばたく巨大な翼。雲間からその巨体へとつながるように稲妻が幾本も幾度も走る。
その黄金色の巨大な魔物がこちらを向く。
マンティコアが足から鳥を取り落とし、その鳥は眼下の崩れた町へとただ落ちていった。
鳥を落としてしまったことには気がつきもしていないのか、あるいはそれどころではないと察したのか、マンティコアが頭をめぐらし、左を見、右を見、下を向いて、さああの崩れた町へ逃げなければというような表情を見せた。
だが、そんなことは許されなかった。
巨大な黄金色の魔物は明らかにマンティコアに狙いを定めていた。
首がこちらを向き、そして羽ばたくと、波打つような動きで瞬く間に距離を詰めてくる。
迫り来るにつれ見えてくる頭には2本の角が左右に伸び、そしてひげのようなものが幾本も後方へとなびいていた。
その巨体は眼前まで迫ると頭を上へと持ち上げ、大きく複雑な動きを見せた翼によって体勢を変えたのか立ち上がったような格好へと移行する。そして巨大な後ろ足が突き出された。
足は惑うことなくマンティコアをとらえ、そのままズドンという激しい音をさせたのかさせなかったのか、そんなことは全く気がつきはしなかったのだが、ガラス壁へとたたきつけられる。果たして衝撃でガラス壁は揺れたのか、揺れなかったのか。分からない、分からないが思わず手は壁から離れていた。
半ばつぶれたようにひしゃげたマンティコアの体をそのまま巨大なかぎ爪で握ると、もう一方の後ろ足でガラス壁を蹴り、今度はドンというはっきりと大きな音をさせて身をひるがえすと、森の上へと移動し、そして大きく羽ばたくと上空へと昇っていった。
その姿は瞬く間に小さくなり雲間に飛び込んでいく。その後はまた厚い雲は時折白く輝く先ほどまでとまったく同じ姿に戻ったのだった。
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目の前で繰り広げられた出来事に反して、今は通路には静けさだけが広がっていた。
そのなかでゴンッという軽い音がして、それに気が付いたクリストがどうにか左を向くと、エディが額をガラス壁に当てて下を向いていた。
気になって周囲を見渡してみるとフェリクスは反対側の壁に背を当ててぼうぜんと上を向いている。カリーナとフリアはと見れば2人そろって、並んだ格好でこちらも反対側の壁際にしゃがみ込んでしまっている。
「なあ、俺たちは何を見ているんだと思う?」
クリストの問う声に答える者はいない。
自分では何を見たのか分かってはいるのだ。ただその見たものを理解できない、したくないと思ってしまっているのだ。
通路に再び静けさが戻る。誰もが見たことを言葉にするための時間を必要としていた。
「ゴールド・ドラゴン、たぶんゴールド・ドラゴンだと思う。それもあの大きさ、エインシャント・ゴールド・ドラゴンじゃないかしら。本の中でしか見たことがないわ」
静かさを打ち破って膝を抱えたカリーナが言う。
ゴールド・ドラゴン。伝説の魔物だ。倒されたという記録はない。もっと言えば実物を見たという公式の記録もない。ただ伝説の魔物として本の中にだけ存在する魔物だった。しかもエインシャントとなれば、その存在は勇者が自著の中で記した、問答を交わしたという物語の中にしか見つけることができない。
クリストもまた、エディと同じように額をガラス壁に当てる。
「これが10階なんじゃないのか」
そのエディから聞こえる声が、正解のように思える。恐らくは皆が同じ意見なのだろう。クリストも小さくうなずいた。
「下の、この森は確かに地下10階くらいだと思える。だが、高さはどうだ? 今いるのが6階だ。あの雲の高さはどうなんだ? ドラゴンがその雲に入っていったってことはもっと上があるってことだろう。それはいくら何でもおかしいだろう?」
それでも疑問は上げなければならない。10階だと思ってしまってはいても、それではおかしいのだ。
「確かにそう言われるとおかしいが、なあ、これが地下世界ってやつなんじゃないのか」
地下世界、という概念は物語の中にあった。
地下の洞窟や迷宮ではない、地上と同じ景色がもう一つ地下にもあるという発想だ。これもまた勇者が自著の中で語っている。
「勇者の冒険の書だっけ、読んだな、僕も。地下世界は何巻だったかな、確かにあったよね。読んだよ」
クリストも読んだことがあった。
洞窟を深く深く潜っていった先に見つけたという地下世界、その物語だ。
「何となく分かっては来たわよね、ダンジョンはこれを見せたくて私たちを誘ったんでしょう」
カリーナの感想も当たっているだろう。
3階で見つけた5階へ戻るというメッセージを頼りに5階を探索した。見つけた階段は普通に探索していても見つけられるもので、そんなものではないだろうとさらに進んでこの場所へたどり着いたのだ。あれほどはっきりと怪しい場所を示し、そしてそのために必要な物も示して見せたのだ。ダンジョンがという言い方が正しいのかどうかは分からないが、やはりここを見せたかったのだろう。
「あのね、今はまだ実現していないけれど、空間魔法っていうものがあるのよ。それにね、こう、場所と場所の間の空間をなかったことにしてつなげてしまおうっていう発想があって、理論自体はあるのよ」
カリーナが両手を使って、手のひらを向かい合わせて両手を広げてこう、閉じて手のひら同士を合わせてこう、というような説明をする。
「つまりあれだ、上が高すぎるのはダンジョンだからで片付けてしまえってことだな。階段を下りるうちに思っているよりも深く潜っていたってことだ」
「そう、そういうことよ。不可能ではないと思う。理論自体は立てられるわ」
「よし、カリーナがそこまで言うってことは本当に可能だと思っていいってことだ。ダンジョンだからそれがこの段階でできたってことだ。だったらエディが言ったように、この下が、あれが地下10階だろう。これを見せて、そうして言っているんだろう。10階に来いってな」
「そうして言うんだろう。あのはるか向こうに見えているあそこ、城へ来いってな」
あり得そうな話だった。
このダンジョンは冒険者を誘っている。
もっと潜れ、もっと先へ進め、そしてその先にあるものを見ろ、驚けと言っている。だったら10階の先はこの地下世界の探索なのだろう。一番わかりやすいのはあの城だが、町があり墓があり湖があり、他にもいろいろなものがありそうだった。
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