5-1
訓練は終わり、シャワーで全身を洗い流した後制服を着替えると、ヤンは私の部屋の前に立っていた。私のことを待っていたのだろう。
「お疲れ様」
「久しぶりだな、何をしに来た」
「アレックスがどんな理想を見せてくれるのか、見に来たってところかな。あの集落にいた時からもう二万年くらい経つっけ。
その間に俺も色々考えてさ。確かに、人間は争い続ける方がましな未来を作れるのかもしれないし、死なない統治者なんて愚物でしかないかもって思えるようになった。記憶は戻らなかったけれど」
仮に思い出せない記憶が、鍵のかかった箱で、その箱を開ける鍵の持ち主がいるとしたら、なかなか良い仕事をしている。
「そうか。だが俺の答えは変わらない。お前に手を貸さないし、お前の手を借りるつもりもない。仕事を邪魔しないでくれ」
「もちろん、邪魔する気はない。けどさ、この二万年の中で、エンキが人類の発展を喜んだ理由が分かるようになった気がするよ。
何だか嬉しいね。自分がずっと見守ってきてる存在が頑張ってるの」
やはり私のことなどなにも理解していない。分かりきっていたことだが、腸が煮えくり返る。
「"シン"、俺と上手くやっていきたいのなら二度と俺を分かった気にならないことだ。どいてくれ」
かつて"星の人"つまり、流れ星の方から来た人を表した二文字で目の前の怪物を呼ぶと、私は彼を押しのけ部屋の中に入った。
「ヤンって奴には会ったか?」
翌日。私の血を抜きながら愛想の悪い研究者はそう尋ねる。
「昨日の訓練の時に一緒になった。知り合いなのか?」
この男が雑談を仕掛けてくるとは思えない。ヤンの正体に気付いているのだろうか。
「いや、知らない。昨日挨拶に来たが、気に食わん。お前に似ていて」
「それはないと思うが」
具体的にどこが似ている、と言われるのは耐えられなかったのですぐに言い返す。ケンからすれば、むきになった私が面白かったのか、なるほどと呟き
「同族嫌悪ってやつか。お前にもそういう感情あるんだな」
「俺だって好き嫌いはある」
「気味悪いのは変わらないが、俺たちと似たところもある、か。相変わらず変な生き物だな」
ケンはそう言い終えると、次に口を開いたのはナノマシンに損傷はないという業務連絡だった。
今日も訓練だ。昨日と異なるのは、ゴールが木星ではなく土星になったくらいか。そのため往復回数も減らされる。
土星の環の外縁部が今日のゴールだ。本当はもっと宇宙空間を漂っていたいが、今の私はネオヴィクトリアの探査機にすぎない。
火星を発つと、かつての小説の中でミネルヴァがあったのだろう辺りを通り過ぎていく。
仮に火星と木星の間に人間が住めるような惑星があったらどうなるか。考えるだけでも恐ろしい。ふと、脳波通信が入る。
「定期連絡。こちらヤン、異常はありませんか?」
「こちらアレックス。異常なし」
昨日の件について、ヤンは何も言ってこなかった。互いに、出会ったばかりの同僚を演じ続けている。
「昨日は……ごめん」
プライベート回線からの通信だ。宇宙は何も語らない。何かを語るのは煩わしい組織とそこに属する人間だけ。
「何のつもりだ。火星を離れてまで、お前と話し合うつもりはない」
「確かに俺には君が何を考えているのか分からない。君が人間だった時から。だから、勝手に理解した気になってしまった。申し訳ないことをしたと思ってるんだ」
「ならば二度とあんなこと言わないでくれ」
ヤンの返答を聞くより前に通信から離脱する。いくら対話を繰り返したところで私と尊敬していた彼が分かり合える日が来るとは思えない。
何に対して敏感で、何に対して鈍感かが、違い過ぎる。
土星までとなると少し距離は増えているが、それでもそこまで時間がかかるわけでもない。まもなく土星の環に触れられる。
かつては連星と思われていたリングに覆われた惑星は、私を見ても表情一つ変えない。このまま何もかも捨てて遥か彼方の惑星に行ってしまうのも悪くないだろう。
友人の故郷を探しに行くのも良い。辿り着くころには、恒星の一部かもしれないし、この銀河系はアンドロメダに出会っているかもしれないが。
土星が目前に迫ってくる。何と美しいのだろうか。地球から見た光り輝く姿もそうだが、宇宙空間に佇む姿もまた雄大さを感じさせる。
それだけの存在感を出しながら、どこかつかみどころのない、まさに神秘だ。
私は宇宙を形作るものに目を奪われ、肝心の通信に気付いたのは、随分と時間が経ってからだった。
「やっとつながった。アレックス、こちらヤン。今すぐ引き返せ。目標地点をとうに過ぎている!」
叫ぶような声。我に返ると、土星を通過して天王星を目指しているのかと思うほどだった。
「申し訳ない。今すぐ戻る」
私が火星に到達すると、訓練の中止が言い渡された。
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