3-1
「おはようございます。ただいまグリニッジ標準時で午前十時となっております」
標準的なアクセントでアナウンスAIが通知する。私は目を開けると、ベッドから起き上がる。
惑星に縛り付けられるほどの重力は久しぶりだ。地球の重力はもっと重いのだろう。今更適応できるのだろうか。
備え付けの洗面台で顔を洗う。相変わらず無機質な部屋だ。一人用のテーブルと椅子に、壁にとりつけられたベッド。
そしてこの鏡のついた洗面台。高さが足りないので少しかがまないと使いづらい。
「本日の予定はグリニッジ標準時午前十時三十分より身体検査、午前十一時より……」
「分かってる」
優秀な人工知能は沈黙する。私の声の調子や表情を読み取って何が適切か判断するのだ。人間のように。
私は顔をタオルで拭くと自動ドアをくぐり、検査室まで向かう。最初は迎えが来ていたが、私が要らないと伝えると遅れでもしない限り迎えは来なくなった。
検査室のドアの前でIDカードをかざすと、検査室の中では見知った顔、遺伝子工学の研究者だという男が待っていた。
「おはようございます、ケン博士」
ケンと呼ばれた研究者はおはよう、とだけ返事をする。そのヘーゼル色の目は早く検査に入りたいと言っているようだった。
私が彼の前に置かれた椅子に座り、血管の色が見える腕を出すと、ケンは無言で私に針を刺し、血を抜いていく。
「何か分かったのか?」
「何も分かってないよ。メトセラの子ら計画と別の技術らしい、くらいしか」
ケンは自らに施された処置の名を踏まえ、呆れたように近況を語る。大昔のSF小説の名が付けられた計画は、人間の老いを減速させ、寿命を三倍程度に引き延ばすことを成功させた。
八十年が二百四十年になる程度で、何が嬉しいのか。ともかく、あと千年もしないうちに全人類がラザルス・ロングの仲間入りも夢じゃない。
私の体から離れた血液は管から小さな機械へ入れられる。その機械に搭載されたAIが血液の状態を表示してくれる。
「とりあえず、君の体内に含まれている未知のナノマシンだが、状態が変化している様子はない。
これが何なのかは研究中だけれど、デオキシリボ核酸の情報を書き換えるってのは分かってる。
君が老化しないのも、どんな損傷からでも再生できるのも、DNAがそう書き換わってるからだ」
狂ってる、正気の沙汰とは思えない、とケンはため息をつく。彼はどのように遺伝子が書き換わったか、何が遺伝子を書き換えたのかを研究している。
そうした立場からすれば、本来有り得ないようなゲノム編集と、その状態で生存している私は気味が悪いのだろう。
メトセラの子ら計画はあくまでもアンチエイジングであり、人間の情報を書き換えるものではない。
「で、君は本当にこの技術のこと分かってないの? 手詰まりとしか言いようがないんだこっちは。
もし、君の身体に関係する物質が地球外で発見されたら、生身で取りに行ってもらうからな」
分かったら出ていけ、とケンは私に退室するよう促した。ひどい態度だ。だが、ケンのことは嫌いじゃない。
むしろ永遠に目がくらむことなく、私をおかしな生態と見てくれるのに安心感を覚える。
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