2-1

 更新世の終わりに近い時代。人々は獣を狩り果物を採り生きながらえていた時代。私が生まれたのは歴史の中に残らなかった集落だ。


家の外に一歩出てみれば後にユーフラテスと名付けられた川を一望できる。狩りのため私と同年代の男たちは集落の出口へ集まりだすが、私が呼ばれることはない。


「おはよう、"賢い人"」


"賢い人"、かつての私はそう呼ばれていた。集落での生活に現代のような名は必要ない。求められたのは、その人の特徴や役割だけだ。


「おはようございます。"首長"」


 "首長"とは言っても私と同年代にしか見えない青年は満足そうに笑う。私のいた集落では、"首長"は特別な存在だった。この大きな川やところどころに根を張る木々、青や黒、星々を見せ、時に川を狂わせる空、全ての自然に認められ、永遠にこの集落をまとめる権利を得ている。


 これは比喩表現ではない。事実、"首長"は村一番の老人が少女のころから変わらず長で在り続けている。


「今日は話し合いの日だ。覚えていると思うけど、"星の人"が君のことを楽しみに待っていてね」


「今すぐ行きます」


 私は左足を引きずりながら歩き出す。"星の人"が今日、どんな話をしてくれるのかと楽しみで仕方がなかったから。


どこまでも広く、不可視のものに殺されることも珍しくないこの世界を、少しずつ解き明かせるような気がする。"星の人"の話はそれくらい興味深い。


 成長による損傷でおかしくなってしまった足の痛みも忘れて"星の人"の住む家の前に辿り着く。


「いらっしゃいますか?」


私が地下へつながる入口の前でそう呼びかけると、"星の人"はわざわざ出てきてくれた。


「いるよ。もう来てくれたんだ。まだ皆狩りに行ったばかりだよ」


 "星の人"は呑気にそう語る。一見普通の若者だが、この男は"首長"がまだ別の名で呼ばれていたころからの長命で、彼と同じ存在らしい。


私ほどではないが背が高く、祭祀用に使われる石のように鮮やかな青の髪はどこか異質な存在に見える。


「今日はどのような話をしてくださるのでしょう」


 確か前回はこの大地に働く力の話だった。前回の話を踏まえた考察も話したいので、今回の話を先に把握し、より考えを深められないかと思考する。


「今日は前回の続きと、この大地の外側、この空の向こうには何があるのかを俺の覚えている範囲で語っていこうと思うよ」


 今日外で話をする理由は空の話だから、と"星の人"は続ける。"星の人"についていくと、儀式に使用される広場に到着した。


周囲をシャーマンの家が囲み、中心部には何度も何度も図形が描かれ、供物が置かれたおかげで土がむき出しの地面に色とりどりの光が混じっている。


「まずは前回までの復習。この大地は球体で俺らがこうして立っていられるのはグラヴィティというこの丸い大地の中心へ向かって働く力のおかげ。ここまでは大丈夫そう?」


"星の人"の講義が始まる。彼の視線を追うように地面へと目を向けると、"星の人"の白い足と私の土色の足が地面についている。当たり前の出来事も世界を支配する見えない秩序によって形作られていることを改めて実感する。


「質問です。私が上へ向かって飛べば地面に引き寄せられる。槍を投げれば地面に刺さる。どうして地面でちゃんと止まることができるのでしょう。グラヴィティというものが本当にあるならば、我々は大地の中心まで地面を突き破りながらむかってしまわないのでしょうか」


 知らない概念が流れ込んでくる。すると新しい概念で説明しきれないことが現れる。自分なりに仮説は立てたものの、どれも正しいとは言えそうにない。


「流石。良い質問だ。今日はその解説もしておこうと思ってたし。簡単に言ってしまえば、ノーマルフォースという力が働いているから、ってことになる」


知らない概念。"星の人"の生まれた場所で作られたのだろう秩序が私の中に流れ込む。


「このノーマルフォースってのは簡単に言うと、個体が持つ物体を押し返す力だ。だから……」


「地面が今私たちを大地の中心とは反対側に、同じだけの大きさの力で押し返している。よって我々は大地の中心に連れていかれずに済んでいる」


 "星の人"が掌をぶつけて何度も音を出す。人を褒めたたえるときに決まってこの動作をするのだ。


「その通り。君はやはり優秀だ。"賢い人"の名に恥じないね」


「力の無い者は生き残れない。それがこの大地だと、あなたが教えてくれました」


"星の人"はこの世界を支配する法則について大量の知識を持っている。元々言葉も通じない他所者だった彼が"首長"に続く立場を有しているのは知識ゆえだ。私には狩りをするだけの力はない。であれば生き残る方法は一つだけだ。


「そうだね。いつかは力の無い者が生き残れる世界を作りだせると思うけれど、道のりは長そうだ。じゃあ、今日の話に入ろうか。今日は昼の星と夜の星についての話をするよ」

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