第5話


 殺してる?


 彼女の足元を見ると、氷の針のようなものが突き刺さった蟻が連なっていた。


 なにこの死の道。


 これはシェリーシャちゃんがしたことなのか。唖然としていると、近くにあった蟻の巣穴から、蟻が這い出てきた。すぐに氷が割れるような音が響いて、地面から突出した氷の針が

蟻に突き刺さる。


 シェリーシャちゃんは明らかに死んでいるであろう蟻をじっと見ている。


「な、なんで、殺したの、虫嫌い?」


 虫が嫌いなのだろうか。問いかけるとシェリーシャちゃんは無言で首を横に振った。「ん」じゃなかった。


「好き、だから」

「好きすぎて殺しちゃったかぁ……」

「……」


 シェリーシャちゃんがまた首を横に振る。


「殺すの好き」

「なるほど殺すのが好きかぁ」


 どうしようか。この子の殺意の衝動。奴隷商人の罪は重い。


「これ、置いてきましょう。危ない、危なすぎる‼」


 カーネスが顔を青くする。カーネスもカーネスで危ない。危ない人間しかいない。危険人物人口密度が高すぎる。


「こういうの前から興味あったの?」

「店長そんな素人モノの導入みたいな質問してないで置いて行きましょうよ‼ 騎士団に引き渡しましょう」

「引き渡すわけにはいかないよ、っていうかいかなくなっちゃったよ」


 危険思想を持った子供を対象として、犯罪の抑止力の研究が実施されるかもしれない。


 姉が言っていたことだ。姉は「倫理的に問題がある」と懐疑的な立場だったけど、ここ最近新聞で、研究が始まっているとの記事があった。さらに、「危ない子供だから」という理由で、研究者から迫害される事例もあり、現在政治の場で活発な議論が行われている、とのことだった。


 つまりこの子は騎士団に預けると研究対象として扱われ、なおかつ迫害を受ける可能性がある。


 私は、魔力が一切ないと分かったとき、身体の隅々まで調べられた。皆悪意はなく、私の為、そしてこの世界の為に検査していたけど、楽しいことじゃない。


「……シェリーシャちゃん」

「……」

「お姉さんと一緒に行こうか」

「こういうの出来る?」


 彼女はそう言いながら蟻を殺す。カーネスは「血迷わないでください店長‼」と私にしがみついてくるけど、それを制止し私は頷く。


「大丈夫、出来るよ」



 謎の殺意衝動を持つシェリーシャちゃん。このまま騎士団に連れていくと研究をされてしまうだろう。一方で、彼女の殺意衝動をそのままにしていても、殺す対象が蟻から人間になるだけだ。


 生き物を殺すのが駄目な理由は、必然性がないに尽きる。理由なくしていいことは、楽に生きることくらいだ。


 ゆえに必然性のある殺生を探す。そう思った私は、シェリーシャちゃんを伴い海に向かった。


「じゃあシェリーシャちゃん、この絵のお魚だけ狙ってみよっか」


 私は絵本を広げ、シェリーシャちゃんに見せた。本には毒々しい色の魚が描かれている。いわゆる、外来種だ。


 外来種というのは外の世界からやってきた生き物で、種類によっては在来種を食べ尽くし、生態系を大きく崩してしまう。


 そしてこの海の場合、飼育目的で買った魚を、無責任な飼い主がここで逃がしたことで毒魚が大繁殖し、在来種が毒魚により圧倒され、漁に甚大な被害をもたらしていた。


 だから駆除が必要だけど、数も多く、国仕えの魔法士は災害や人間の犯罪者対応で手が回らない。


 ということでシェリーシャちゃんの殺意衝動を知った私は、殺意衝動の発散と外来種の駆除を一挙に行う作戦を実行した。


 シェリーシャちゃんは無言で海の毒魚を殺し始める。どうやら凍結魔法が得意らしい。氷柱で毒魚の脳天を突いて、殺し終えたら氷柱を溶かし、また魚を突いてを繰り返している。


 私たちの後方には毒魚に悩まされていた漁師さんたちがいて、シェリーシャちゃんが殺意の衝動を発散するたびに歓声が上がっていた。


「シェリーシャちゃんは氷の魔法が得意なの?」

「みず」

「お水の魔法も出来るの?」

「ん」


 シェリーシャちゃんの久しぶりの「ん」だ。彼女は頷いた後、ヒュンッと弾丸のような水の塊を打ち出し、飛び跳ねる毒魚の頭に穴を開けた。


「いいんですか、あんなに殺させて……人間狙ったりしませんか?」


 カーネスが恐々耳打ちしてくる。


「人間狙わないようにするしかないでしょ、下手に殺すの駄目だよ‼ って言っても、何でってなるじゃん。本人殺すの好きなんだから。好きなものはどうしようもないし。性癖との共生に舵切るしかないよ」

「店長……」

「それにもう、関わっちゃったし、手尽くしようない状況ならもう、そうやって生きていくだけだし、それより今後のお店のことなんだけど、町中で屋台出して他の店と競い合うよりこういう海のそばとか町の外れに屋台構えて、ちょっとお腹空いたな、って人を狙おうと思うんだよね」


 カーネスのおかげで調理に関する戦力が大幅に増強した。


 その一方、大量に調理出来たとしても、器具やお皿の洗浄が追いつかず、結果的に提供時間の短縮は思うようにできていない。


 水魔法による支援が必要だけど、幼女を働かせるわけにはいかない。洗い物があまり出ない、しばらくは食べ歩きが出来るものを売っていきたい。


「魔物の駆除代で稼ぐのどうですか。そもそも俺も駆除できますよ」

「そしたら私のいる意味なくなるじゃん。魔法使えないし。それにシェリーシャちゃんの稼いだお金はシェリーシャちゃんのこれからの成長のために使うべきでしょ」


 今私は、彼女を保護しているにすぎない。子供にお金を稼がせて、それを自分の店の経営に使うなんて絶対嫌だ。


「シェリーシャちゃんはやりたい鬱屈を晴らす、それでたまたまお金貰えたら、それはシェリーシャちゃんが今後したいことの資金にすべきだよ。シェリーシャちゃん、大きくなったら何になりたいとかある?」

「もう大きい」

「もっと大きくなれるよ」


 シェリーシャちゃんはまだ小さい。これから先自分が大人になっていく姿が想像できないのだろう。


「ね」


 シェリーシャちゃんが私を見上げる。話しかけられたのは初めてだ。可愛い。


「なあに」


 私は彼女に視線を合わせるべく腰を下した。


 昨日までぼろぼろだったのに、今はほっぺがふっくらだ。もちもちしているのが見ているだけで分かる。そして彼女は私を見ているけど、海では毒魚たちが彼女の魔法で貫かれている。器用だ。


「怖くないの、殺すの」

「そりゃ怖いよ」


 あれで貫かれたら痛そうだし。


「ならなんでさせてくれるの」

「たとえば、シェリーシャちゃんが何にも関係のない、そこの漁師のおじさんを殺したい、ってなったら、やめてほしいって止めるよ」


 私は漁師のおじさんたちに聞こえないよう、こっそり言う。


「なんで」

「そういう決まりだから」

「なんで決まってるの?」

「決まりがないとシェリーシャちゃんも、酷いことされちゃうかもしれないの。だから

皆で生きていけるように、決まりを作って、皆それを守ってるんだよ」

「皆で生きる?」

「うん。シェリーシャちゃん今、殺すの好きだけど、生き物作る……っていうのは良くない言い方だけど、育てたりするのは好き?」

「好きじゃない」

「生き物、殺すってことはいなくさせることっていうのは分かる?」

「ん」

「殺してばかりだと殺すもの、なくなっちゃうんだよ。でもこうしてシェリーシャちゃんが魚を殺せるのは、魚を生んだり、生き物を育てる生き物あってこそなんだ。シェリーシャちゃんが殺すの好きなようにね。だからこそ、お互い、ここは嫌だってところは守らなきゃいけないんだ」

「ん」

「シェリーシャちゃんは、一番、これされると嫌だと思うことは何?」

「わかんない。そのときによる」

「そっか。じゃあその時になったら教えてね」

「ん」


 シェリーシャちゃんは話をしている間にも、毒魚を殲滅している。カーネスが「なんかこの子供はしゃいでません?」というけれど、分からない。


「殺すの好きなら外来種専門狩人とかいいかもね」


 そう言って、シェリーシャちゃんの頭を撫でた瞬間のことだった、そばにいたカーネスが虚空に向かって手をかざし、爆炎を起こす。


「え、何」

「蛾が飛んできたので」

「視力どうなってんの⁉」


 頭おかしいのか視力がおかしいのか分からない。カーネスもカーネスでやっぱりおかしい。呆れていれば爆炎からものすごい勢いで黒い触手のようなものが伸びてきた。


 こちらに向かってきた蛸のような触手はすべてカーネスが焼き焦がし炭にするけれど、残った触手は海沿いの小屋や民家を貫いていく。


「……は?」


 目の前の光景に愕然としていると、爆炎の中心から露出の多い女性が現われた。彼女はその背中から無数の黒い蔦を伸ばしていて、腰や足には鱗が並んでいる。


「毒魚の親玉……? なんでこんなこと……」

「こんなこと? それはこっちの台詞よ。こちらはせっせと奴隷市で商売をしていたのに、全部計画を台無しにして……‼」


 女性はとんでもなく怒っている。大人の怒りを見せるのは子供の教育によくない。私は「聞かなくていいよ」とシェリーシャちゃんにこちら側へ向いてもらい、抱きしめるようにすると彼女の耳を塞いだ。


「ずるい‼」


 横でカーネスの絶叫が響く。いい加減にしてほしい。


「私があの人の気を逸らしてるから、漁師の人の避難をよろしく」

「嫌ですよ燃やしましょう‼ 触手なんて‼ 絶対店長になにかするでしょ‼ あの触手絶対服とか溶かしたり変な液噴出させて悪さしますよ‼ 俺は知ってる‼」

「店長命令、はやくしろ」


 カーネスは、すごい形相をしながら民家を襲う触手を焼き始めた。


 彼は炎魔法が得意。だから多分、水系を操る魔法の使い手とは相性が悪い。前に兄から聞いた。水魔法相手に炎の魔法は分が悪いと。そして触手は服を溶かすどころか民家を溶かしている。


「シェリーシャちゃんいざとなったら、魔法でカーネスのほうに飛んで行って」

「なんで」

「生きててほしいから」

「なんで」

「そのほうがいいと思うから」

「わかんない」

「私もシェリーシャちゃんがなんで殺すの楽しいか分かんないから一緒だ」


 私はシェリーシャちゃんを背に庇った。私の屍をのりこえ強く生きていってほしい。普通は目の前の人がと溶けたら心の傷になるけど、彼女は殺すことが好きだから、喜ぶかもしれない。


 どうしよう。殺しの衝動が押さえられなくなったら。いやでも今は目の前の問題を片付けるのが先だ。


「奴隷市の計画ってなんですか」


 客が荒ぶった時、すぐ謝るのも対抗するのも悪手だ。聞く姿勢を見せなきゃいけない。


「他の馬鹿な魔物と違って、私は聡明なの。わざわざ魔力の高い生き物を探して狩りをするのではなく、奴隷市やオークションを開いて、貴重な種をかしこく集めているってわけ」

「毒魚を放流して、人間が奴隷市を開くよう仕向け……?」

「毒魚の放流なんてしないわよ。なにそれ気持ち悪い」

「あ、ごめんなさい」


 濡れ衣を着せてしまった。てっきり、毒魚を放流してこのあたりの地域の経営を妨害し、人間が勝手に奴隷市を開くようにした、みたいな感じだと思ったけど悪知恵を働かせすぎた。毒魚は普通に責任感のない飼い主の都合だったようだ。


「私は魔王軍直属の幹部、竜巫女ジョセフィーヌよ。私がそんなくだらない真似するわけないじゃない」


 設定つきで名乗り始めた。たまにこういう人いる。「私は魔王軍なんちゃらかんちゃらの《なんちゃら》」と言って、食事中のお客さんに絡んでくるあれだ。


 でも、今まではこんな被害を出すことは無かった。せいぜいお客さんが呆れた調子で「やれやれ、料理が冷めないうちに戻ってくる」と言って転移魔法で迷惑な人と共に消え、本当に料理が冷めない間に戻ってくるのがいつものことだった。


 絡まれるお客さんはたいてい異世界人。飲食店あるあるに絶対入ってくると思う。異世界人絡まれがち。


 でも、私もカーネスも別に異世界からやってきたわけじゃないから、本当にただ一方的に絡まれている。いい加減にしてほしい。


「ならどうしてここで、触手を出しているのですか」

「そんなの当然よ。貴女が私の崇高な計画の場で歴戦の賢者や錬金術師たちを召喚したからでしょう⁉」


 濡れ衣だ。濡れ衣着せた結果着せられてる。


 私が呼んだのは、はみ出し者の社会不適合者だ。死にかけの奴隷を見たら助けようとする、という一応の善性保証がある日陰者集団。私と同じ。違うのはあっちは魔力があるという点くらい。


 歴戦とかつくキラキラ集団じゃない。


 というか歴戦の人々が集まってたならあの人たち死んじゃうんじゃないだろうか。常々「自分なんか」「駄目だから」が口癖になっているのに。酷いことをしてしまった。


「違いますね」

「嘘おっしゃい‼ 貴女が隠し持っているその高等術式召喚結晶は、一体なんだと言うのよ‼」


 女性が声を荒げる。


「こうとう……けっしょう、これのことですか」


 私は懐から石の詰まった巾着を取り出した。女性の反応を窺うにこれが《こうとうウンタラカンタラ》らしい。


「これは、石です」

「はぁ⁉」


 女性は怒るけれど、そう答えるしかない。これは「石」だ。お客さんたちが「いざとなったら割ってね」と言って置いて行った石。たたそれだけ。


 強盗にぶつけるのか聞いたら、「危ない時、床に、ぶつける」と念を押された。割れなければどうにもならないらしい。防犯石と呼んでいるけど私が勝手に名付けた名称だから通じないだろう。


「それより貴女、何なの、まるで魔力が体内に微塵も存在してないようだけれど……」


 女性が私を怪訝な目で見る。魔力が無くて嫌だったこと、誰かが困ってる時、あんまり役に立たないとか色々あるけど、魔王軍幹部設定で絡んでくる成人女性にここまでの目で見られるのも中々辛い。


「そりゃ無いですからね……あの、ジョセフィーヌさん、でしたっけ……」

「敵軍発見‼ 敵軍発見‼ 海上西の方角に浮上中‼ 一名、市民の生体反応有り‼ 至急至急‼」


 成人女性をなだめようとしていると、光の玉がふよふよと浮遊し始めた。前にカーネスがふざけて飛ばしていた玉より小ぶりだ。


 これは騎士団が到着した時、周囲の状況を把握するために使うものだ。


 どうやら救援がきたらしい。良かった。まだ騎士団の姿が見えないけど、待ってれば来るだろう。


「わたしをはめたのね……!」


 成人女性が唸る。はめてない。


「どこまでも私を愚弄して……‼」


 そうして成人女性が触手をこちらに向けてくる。私は咄嗟にカーネスの名前を呼んだ。


「カーネス焼け‼」


 私はシェリーシャちゃんを庇うように抱きしめる。


 私の背中がこんがり焼けてもいい。シェリーシャちゃんが大丈夫なら。いやカーネスの火力調整的に問題ないだろう。考えられる限りの最悪は、民家を溶かす液体がかかることだ。でもシェリーシャちゃんと私の体格差から考えるに、彼女を守れるはず。

「大丈夫だよシェリーシャちゃん」

「……私は、化け物だから助けなくていいのに」

「化け物でもなんでもいいから‼」


 ぎゅっと抱きしめた瞬間、彼女は私の背に手を回した。だめだ。それだとシェリーシャちゃんの手が溶けてしまう。


 なんとか幼気な命を守ろうとすると、あたりが白い光に包まれた。

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