第3話


 カーネスが泣いた後、彼に料理を作り許しを乞い、「気にしてないですよ」と大人な対応を受けた。


 それから二十日が経過し、カーネスがおかしくなった。


 夜、テントを張り、寝袋の中、瞳を閉じようとすると、うなじに吐息がかかる。


「何か距離近くない?」

「そうですか?」


 思い切って振り返ると、鼻先が触れ合うほどの位置にカーネスが居た。それどころじゃない。振り返る途中で、足ががっつりぶつかった。こいつ人の寝袋に入ってる。


「いや何で平気で人の寝袋に潜り込んでくんの?」

「え?」

「えじゃなくない? 寝袋買ったじゃん? 見えてない? っていうかこんな近くにいなきゃいけないほどテントも狭くないよ?」


 カーネスを泣かせたあと、大きめの街に向かいカーネスの身なりに関するものと寝袋を買った。正直赤字に赤字を重ねる結果だけど、火力係が増えたのだし、大丈夫だと思って大きめのテントも買った。


 だから別に密着しなくてもいいし、寝袋に潜り込む必要などないのに、カーネスは密着してくるし寝袋に潜り込んでくる。夜泣きしちゃうとか、寂しくてっていう歳じゃないし、普通に邪魔だ。カーネスが泣いてしばらくしてから、途端にこういうことが増えた気がする。


「でも、近くないと守れなくないですか? 分からせられません? 寝取りとか業者ものとか、店の評判がどうなってもいいのかとか、脅されたとき怖くないですか」


 悪びれもせずに、カーネスはそう言い放つ。


 分からせ、寝取り、業者もの。全部意味が分からない。彼がこうして訳の分からないことを言い出したのは、カーネスの身の回りのものを街で購入した日から始まった。


 何かを買う時、カーネスは「申し訳ない」「俺なんか」とうるさかった。


 うるさかったので、図書館で待っているよう伝えていたら、そこで変な本を読んでしまった。


 今までカーネスは村おこしで、閉鎖的な、特殊な環境の中にいた。乾燥しきった土と一緒。水でさえあれば、どんな水ですら吸収してしまう。それと同じように、読んだ本を常識として吸収してしまったのだろう。


「だから、それはそういう本の世界だけなの。ここは現実! 自分の寝袋と現実にお戻り」

「ぐぅ……」

「ねえ、起きてカーネス、人の寝袋で眠るんじゃない!」

「うるさいです、早く寝てください……」

「おおおおおまえ!」


 すうすうと寝息を立て始めるカーネス。本当に何なの? 村でごっこ遊びしてた反動か何かだろうか。思い返せば俯くことも無ければ、「モヤシテシマウンデス……」みたいなことも言わなくなった。


 カーネスが読んだ本と、カーネスの村、どちらが教育に悪いんだろう……。


 どちらも悪い。


 私はそう結論付け、寝に入る。流石にカーネスを放り投げて寝袋に入れて眠るのも面倒臭い。カーネスをそのままにして、そのまま目を閉じた。



-------


 すっかり眠りに落ちてしまったクロエをじっと見つめる。


 クロエが一緒に行こうと言ってくれた時、嬉しかった。


 でも、俺の力を見たら離れていくと思っていた。


 だって、両親も村人も、皆俺を化け物だと言って、避け、忌み嫌っていたのだから。


 でもクロエは、俺が炎を操るところを見ても気味悪がらない。俺の魔法を見て、「命を削っているのでは」と心配してくれた。


 俺なんか死んだほうがいい化け物なのに。


 最近では俺の炎を頼りにして、積極的に使おうとしてくれる。俺の隣に立ち、俺に働き方を教えて、一緒に働かせてくれる。


 俺の傍に、いてくれる。


 そんな人間は、初めてだった。俺の事を、化け物扱いしない。それどころか、一緒に食事をしようとしてくれたのも、初めてだった。


 触れられるのは、嬉しいこと。


 傍に人がいるのは、温かいこと。


 食事をともにすることで、心が満たされること。


 一緒に歩くだけで、幸せだということ。


 全部、クロエが教えてくれた。


 だから俺も何かクロエに返したくて、彼女と一緒に街へ行ったとき、図書館に行った。そこで読んだ本によると、女は放っておくと「寝取られる」らしい。


 治療と称して薬を飲ませて襲い掛かる医者。物を盗んだと言いがかりをつけ好き勝手する店員。酒場で酔わせ持ち帰り集団で襲う破落戸。


 世の中は、危険でいっぱいだ。村が世界のすべてだった俺には、知らないことが沢山ある。


 たくさん世界のことを知って、クロエに恩返しがしたい。


 あわよくば、本にあったこともしたい。


 クロエの寝顔を瞼に焼き付けるべく眺めていると、空気の揺れる感覚がした。誰かがテントに近付いてきている。


 そっと寝袋から抜け、テントから出て少し歩く。


「何か御用ですか」


 声をかけると、クロエに魔法を見せるきっかけになった集団を統率しているらしい男が、物陰から姿を現した。


「……夜分遅くに、奇襲同然のように参じたこと、お詫び申し上げる。私はユグランティス王家直属騎士団241代団長セフィム・ドラゴニール。此度の救援の感謝を伝えたく……」

「あなただけで?」


 この男は魔獣遣いの化け物にやられている集団の中で最も魔力を持っていた。だから、長だと思っていた。予想通りだ。そして周囲に人間の魔力を感じない。


「……俺が何をするか分からないから、一人で来たんですよね」


 騎士団長はずっと俺を警戒している。少しでも変な動きを見せれば、攻撃しようとしている。すぐわかる。皆そうだから。俺が少しでも手を動かそうとしたりしただけで攻撃し殺そうとしてきた。


「……君が倒したのは、魔王軍幹部の魔獣遣いだ。騎士団全員……そして私ですら、傷一つつけられなかった」

「はい」


 クロエは「賊」と言っていたが、騎士団だったらしい。ぼろぼろで賊のような見目だったから、誤解するのも無理はない。王家直属なのにあそこまでやられていたのか。騎士団なんかあてにならない。


「君は何者なんだ」

「分かりませんよ。そんなこと」


 ずっと、どうして自分がこんな状態なのか、疑問だった。誰か教えてほしかった。理由が分かったら、どうして自分がこんな目に遭わなきゃいけないのか分かって、まだ、我慢できただろうから。


 でも、もう理由なんていらない。それより大切なものを見つけた。


「答えたくない……ということか?」


 黙っていると騎士団長が勝手な結論を出す。


「いえ、俺も……ずっと……知りたいと思ってるので」

「なら……一度、一緒に来てくれないか。君の魔力は……桁違いだ。人間の保有できる魔力の限度を大きく超え……」

「嫌です」


 俺は即答した。


「研究するような扱いは絶対にしない‼ 力を貸してほしいんだ‼ 今代の魔王軍は手ごわく、魔王は最も力を持つとされている。このままだと国が……世界が危ない‼」

「だから?」

「えっ……」

「国や世界が、俺に何をしてくれた?」


 騎士団長が目を丸くした。すべて面倒で、俺はその足元に火を放つ。


「早くここから立ち去れ。そうすれば命は助けてやる」

「ど、どうしてこんなことを」

「不愉快だから」


 このままだと、クロエが起きてしまう。


 男に手をかざして、その腕輪とやらを燃やしてやる。それと同時に逃げられないよう、周りに火柱を起こす。男は驚き、恐れ、叫びだした。水魔法だのなんだのを必死にかけ、炎に抗おうとするが、そんなもの、一切効かない。


「ばっ、化け物! 化け物!」

「知ってるよ」


 男に再度手をかざして、今度は燃やし尽くす。すると以前の獣のように、一瞬にして黒い塵となり消え去った。


 化け物。


 自分が化け物だなんて、痛いくらいに知ってる。無限に出せる炎がおかしいことだって、閉じた村にいても分かる。俺が、魔力が欠片も無いクロエの傍にいることが、クロエを危なくすることも。



「なにお腹痛いの? 死にそうな顔してるけど、冷えた?」

 振り返ると、半分目が閉じかかっているクロエが立っていた。

「店長……」

「お腹痛いの? 薬いる?」

「違います」

「じゃあ寝てる間に徘徊する癖?」

「いいえ」

「なら寝るよ、明日も早いんだから。こんなに身体冷えちゃってんじゃん。びっくりしたわ隣見たらいないし、寝相で蹴り飛ばしたのかと思ったわ」


 べた、と俺の腕に触れ、そのまま掴むと、ぐいぐいと引っ張っていく。そんなクロエが、おかしくて、温かくて、俺はされるがまま、腕を引かれていた。


--------




 カーネスが働き始めてから、仕事が随分楽になった。


 カーネスは物覚えが抜群に速く、計算も出来て、料理の名前を覚えるのも早かった。


 最初は「野菜の汁」「魚焼いた奴」「葉と肉の卵ぐちゃぐちゃ」などと美味しさが半減どころか抜き取る料理の呼び方をしていたのに、ちゃんと「スープ」「ソテー」「キッシュ」と今ではしっかり覚えている。


 調理の火力調整も完璧にやってのける。一瞬私いらないのでは、とも思ったけど、味付けが壊滅的に下手だった。ちょっと安心した。


 でも、転移魔法が食い止められた訳じゃない。転生者などという異界のバカ共が、「ふぇんりる」だとか「セイジュウ」とかいう訳の分からない目付きの悪い大きい犬を連れてきて、その犬に馬鹿みたいに食べさせる為、行列は出来てしまうし、それを捌くのは大変だ。


 それに、料理には洗い物がつきものだ。


 カーネスは加熱殺菌は出来るけど洗浄ができない。洗う人間がいないのはやっぱり困る。


 ここは水魔法がいい感じに使えて、意思疎通が可能で、距離感が死んでない、性格に難の無い人間を雇いたい。


「今日は仕事が終わったら街で水魔法に特化した人を探しに行きます」


 数少ない休憩時間にカーネスにそう伝えると、カーネスは静かに私を睨みつけた。店長に向かってなんとも反抗的な態度である。


「俺がいらないってことですか?」


 どんな理論?


「水魔法に特化した人だよ。カーネス火力係、炎魔法の人じゃん。一言も言ってないからねカーネスがいらないなんて。必要な人材だからねカーネスは。水場の係が欲しいって話」

「そうですかあ……へへ」


 やや嬉しそうなカーネス。距離感もだけど情緒もおかしい。今だって私の右肩をえぐるように隣に座ってくる。


「近い」

「近くはないですよ」


 哲学? それとも変な薬でもやってんの?


 言い返したくなるけどこういう時のカーネスはもう手に負えないので、私は話を進める。


「水魔法に特化した人を連れて来て、洗い物お願いしたり、食材冷やしてもらったりしたいんだよ。川の水汲みから解放されたくない?」

「それは……そうですね。川辺で水汲みしてるとき……お姉さーん俺たちが手伝おうか? みたいな展開になって、報酬もなく水汲みしてもらえるなんて都合のいいこと考えてねえよな、そんな……お金なんて……払えるものあるじゃん、ほら……水を弾きそうな眩い店長の太腿に這う骨ばった手、決して豊かとは言えないお淑やかな胸が無遠慮にまさぐられていくなか俺は街で呑気に買い物をしていて──忘れ物をした俺は店長に魔法で連絡を取るわけですが、どうも店長の声が断続的にしか聞こえず、店長大丈夫ですか、か、カーネスッ何でもないの、なんでもないわけないだろみたいな感じで……」

「おい」


 全部が最悪だ。何もかも。少年を追い詰めこんな風にしたハギの村の責任は重い。


 私は呆れながらカーネスに妥協案を提示した。


「じゃあ、カーネスもどんな人か条件出していいよ。一緒に働く訳だし」

「幼女!」

「こっわ」


 即答だった。幼児性愛者だ。殺したほうがいい奴の速度だった。


 欲望に忠実な発言だ。完全に引いていると、カーネスは心外そうな顔で見てきた。


「なにが怖いんですか。あなたと寝泊まりするんですよ! 駄目です! 俺、本で読みました! はら……」

「それ以上言ったらもう二度と口を聞かない。大きな声で言える理由にして」


「店長に何も出来ない無力な幼女が一番」


 どうしよう。すごい気持ち悪い。これを大声で言えると思ってるのも問題がある。ずっと気持ち悪さを更新し続けてくる。幼児性愛者とどっちがいいんだろう。どっちも捕まってほしい。少年をこんなにしたハギの村、罪が重いどころか滅んだほうがいい。


「いやどの口が言ってんの? 寝袋に潜り込んで距離感が死んでる火力係の誰が言ってんの?」


「俺はいいんです! いちゃらぶ派ですから! 無理矢理も女の子からじゃないと嫌なんですよ! 俺は全然勇気出なくて手が出せないけど、店長が……こんなに一緒に過ごしてるのに全然手出してこない……私のこと好きじゃないんだって誤解して無理やり身体で繋ぎ止められたい!」

「犯罪。私が捕まる」

「それか俺が寝てて、不意に目が覚めたときうっかり媚薬飲んだり催淫魔法かけられた店長が! ごめんなさいって謝りながら欲には抗えず俺は店長のなすがまま……」

「犯罪。ずっと私が有罪。それ以上言ったら解雇」

「……とにかく、男は駄目です! 変な従業員を連れてこないように、ずっと傍で監視してやりますからね!」


 カーネスはどん、と自分の胸を叩き訴えてくる。元々カーネスは私を監視してるようなものだ。いつも隣を歩いているし、お手洗い以外は四六時中一緒に居る。


 さらに、お手洗いに行ってくると言えば、普通について来ようとする。


 危険なのはカーネスだと厳重に注意すれば「でも一緒にいてくれるんでしょう?」と嬉しそうにするわで手に負えない。いまさら監視されてもどうということはない。


 何言ってんだカーネスは。





 日が暮れ始めた頃、私たちは街の求人案内所を目指し出発した。


 案内所には掲示板があり、常日頃「こういう人材探してます!」という買い手側の求人票、「私こんな魔法適性があります! お仕事募集中です」という売り手側の売り込みがひしめき合っている。


 とりあえずそこで水魔法適性のある人を探す算段だ。


 しかし、道中、というか今現在、ある大きな問題が発生していた。


「いや近いな、距離感死んでるとかじゃなくもう、なにこれ!?」


 隣を歩くカーネスは、私にぴったりとくっつくどころか、最早私の腕にめり込んでいた。普通に歩き辛い。


「監視です」

「いやもうただめり込んでいるだけだよね? 頭おかしいの?」

「でもこうしていれば変な奴は寄ってきません」

「いや、変な奴どころか人に避けられてるから。こっちが変な奴らになっちゃってるから」

「我儘言わないでくださいよ……」

「はったおすぞ」


 構えを取ると、カーネスは目に見えて膨れた。やや可愛い。けど、このままだとずっとめり込まれることは勘弁願いたい。ただでさえ私はステータスなどという個人情報強制開示魔法が使える人間から、魔力なしと馬鹿みたいな偽装をしている奴に見られている。


 つまり生きているだけで馬鹿の看板を下げている。恥を晒して歩いているのと同じだ。これ以上恥は重ねたくない。


「じゃあもう手を繋ごう。それで妥協だ。人生には譲歩と妥協が肝心だから。ほら。これ以上の譲歩と妥協はしない」

「いいですねえ! それで勘弁しましょう! へへ」


 納得したカーネスの手を掴むとそのままカーネスは自分の口に入れようとする。睨みつけると大人しく普通に手をつないだ。


 姉弟、姉妹というのは、本来こんな感じなんだろうなと思う。私は無能だったから、弟や妹から「どう接していいか分からない謎年上」としてかなり気を遣われていた。


 申し訳なかったなと思う。生まれつきだからどうしようもないけど、自分が少しでも変なことしたら死ぬかもしれない相手がそばにいるのは大きな負担だ。


 少し切ない気持ちになっていると、カーネスが呟いた。


「店長俺気付いたんですけど」

「なに」

「店長、手、繋ぎ慣れてないですか?」


 それまでヘラヘラしていたカーネスが唐突に真顔になった。


 なんだこいつ。


「なんで」

「だって普通、手繋ぐって選択肢中々出なくないですか? 手首をしめ縄とか手錠とかで」

「普通は手を繋ぐ選択肢のほうが出るよ。しめ縄とか手錠より。私は初だけど」

「どうしてです?」

「機会がなかった」

「初めてってことですか!? 俺が!? 店長の‼ 初体験を⁉」

「うるさい早く行くよ」


 カーネスに感傷を吹き飛ばされた私は彼の腕を引き、歩みを進めていった。

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