『根古間神社祭禮』由良智治 破


伯父の家、つまり ◽️◽️本家 を

オレが訪れたのは、あったとしても

生まれて一、二回が精々だったろう。

 

 正直な話、全く記憶になかった。


実父はオレを由良家へ養子に出して

程なく他界したが、オレが生家を訪う

事はなかった。それは実父のっての

希望であったと聞いている。



只、広い屋敷内に立ち籠める線香が

思考の解像度を奪って行く中、何やら

酷く  が蘇りそうに

なるのを、自身の無意識が止めている。


そんな重苦しい感覚があった。



伯父の鷹允たかよしには、確か五人の子供が

いた筈だった。尤も、そう

だけで、その従兄弟達とも全くの

没交渉なのだ。

 ひっそりとした大きな屋敷の中には

不相応な 線香の匂い ぐらいしか

人の気配はなかった。



「…ッ。」オレに当てがわれたのは

二階奥にある八畳敷の客間だったが

線香の匂いは、容赦なく部屋の

中までも入り込んで来る。寧ろ濃く

なった様に感じられた。

 「全く…寺じゃないんだからよ。」

生業が  なのだ。この際

仏にでもすがらなければやっては

行けないものかも知れない。実際に

この屋敷には神道のわりに、さっき

表で見た鬼瓦の様な  が其処

彼処に仕掛けられている。そもそも

鬼瓦は飛鳥時代にものだ。




「智治様、失礼致します。」そんな

事を熟々つらつらと考えていると、部屋の

外から常田ときたの声がした。

「はい。」オレが返事をするや襖が

開かれて、彼が入って来た。「…。」

先程の喪服の様なスーツとは違って、

今は檜皮色ひわだいろ狩衣かりぎぬに着替えている。


「これから鷹允様にお目に掛かります

が、その前に一つ申し上げて置かねば

ならない事が御座います。どうか

心して、お聞き下さい。」常田はそう

断ると、意を決した様に話し始めた。

「鷹允様は目下、とても重篤な状態に

あります。数々の 神殺し の激しい

祟りを御身に受けられた、

とご理解下さい。

決して……いえ、兎に角、今から

お連れ致します。」


「…。」オレは常田の言葉に得体の

知れない 不安 を覚えた。

 確かに、緊急を要するから呼ばれた

訳だ。それが一転、面会をするのに

含み置かねばならない 何 があると

言うのだろうか。


 一体、何が。



俺は広い屋敷の中を常田の後について

黙って歩いた。線香の匂いは、其処

彼処にわだかまっている。それどころか

次第に濃くなって行く。



オレが由良家の養子になったのは

今は亡き実父と北海道の養父との間で

何やらの取り決めがあった様だが、

オレには知る由もない。

抑、由良の家に入ったのは、オレが

 神隠儀かみかくしのぎ つまり七五三を終えて

すぐの頃だ。


以来、関係は完全に絶たれている。




「常田さん。」遂にオレは彼に声を

かけた。「はい。」檜皮色の狩衣は

まるでホラー映画に出てくる不気味な

クリーチャーを想像させる。

「何故、伯父上はオレを?」至極、

真っ当な疑問だった。

「…直接、お聞きになって下さい。

鷹允様はこちらにおいでになります。」

常田はそう言うと、屋敷の最も奥の

部屋の前で歩を停めてかしずいた。

いつの間にか、目当ての部屋の前に

来ていたらしい。


「鷹允様。智治様をお連れ致しました。

襖を開きますが宜しいでしょうか。」


「ハイレ」


それはまるで人間味のない、機械の

様なこえだった。


そろそろと襖が開かれた瞬間。


線香の匂いに混じって消毒液の様な

無機質で人工的な臭いが鼻を衝いた。

二十畳もあるだろうか、広い和室の

中には布団が敷かれ 主人 らしき

者が伏しているのが伺えたが、それは

何とも言い難い困惑を齎した。


「トモハル カ エンロ ハルバル

ゴクロウ ダッタ」


明らかに人の声ではなく、声帯の

代替を機械に担わせている。それは

目の前にある布団に身を横たえている

から発せられていた。


「伯父上…ご無沙汰しております。」

言って更に近寄ってみると、それが

かなり  だという事が

知れた。

布団に横たわる身の丈が、余りにも

短い。それだけでなく、辛うじて

布団から出ている頭部の殆どが、

白い包帯で覆われている。

線香や消毒液の匂いに混じり微かに

腐敗臭の様な、生理的嫌悪感を催す

厭な臭いが。僅かではあるものの

確かに主張していた。


「コノヨウナ スガタ サラスハ

マコトニ イカン ダ」


「…。」神殺しが一体どんな作法を

以ってなされるのかオレは知らない。

敢えて知らされず家系から出された。

そもそも、相手は奉祀も調伏も、更には

神籠める事も敵わない程の荒神だ。

その祟りたるや、のは

容易に想像できる。

 それでも、代々 神殺し を生業と

して来た ◻️◻️本家当主 鷹允の、

思わず目を背けたくなる程の姿は

少なからずオレに衝撃を与えた。


それだけではない。


本来大勢いるであろう使用人はおろか

明らかに付添が必要に見える伯父の

側には看護師の姿もない。


「ヨク モドッ タ」


「オレは『猫魔大明神』様を

由良の人間です。もう◻️◻️の家とは

えにしが切れている。」

「……、ガ ゥ ブブブ、 」機械の

調子が乱れると共に、布団の膨らみが

微かに身動ぎする。

「鷹允様!本日は、もうこれにて!

智治様には後程、私の方からご説明を

致します故、御了承下さい。」

常田が言うや、布団の微かな煽動は

静止した。「…。」何だか申し訳ない

事をしてしまった様だが、この先の

展開 を想像すると、オレは更に

暗澹たる気持ちになって行った。





オレは常田に連れられて、初めに

当てがわれた二階の部屋へと戻った。


それが、丁度あの伯父の寝ている

部屋の真上だと知ったのは、襖を

開けると同時に線香の匂いが鼻先を

掠めた時だった。それは何とも

形容し難い感情をもたらした。


「…ショックを受けられたかも

知れませんが。」部屋の襖を静かに

閉じながら、常田がオレに言った。

「夕刻には通いの使用人と看護師が

参ります故。」「そうですか。」

「智治様は、幼い頃に猫魔の明神様に

養子に出られた。ですので、本来なら

知るべき事ではないのですが…。」

常田は沈痛な面持ちで現状を語った。



人による 神殺し など本来決して

あり得ない、いや、あってはならない

禁忌なのだ。



「…鷹允様があの様なお姿になられた

原因は ◾️◾️◾️ノ荒神 の屠りを

引き受けられた事に因るのです。」

「◾️◾️◾️ノ荒神?」「はい。御身を

引き換えに今も荒神を屠り続けて

いるのですよ。」「…今も?」

「ええ、命のり合いと言っても

決して過言ではないでしょう。そして

長引けば長引くほど 祟り も

濃縮され周囲をも浸潤して参ります。

五人いたお子様達も、それに貴方の

ご兄弟も既に。」「…そんな。」




オレはこの時、初めて実家の親兄弟が

もう既に死に絶えていた事を知った。









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