第8話

「……泣かないでよ」

「だって、悠、が……」

「ごめんって」


 いつもおしとやか。優しくて落ち着いていて滅多な事じゃ感情が荒ぶる事のない永遠とわの瞳から大粒の涙が流れ落ちる。

 いつ頃からか子どもっぽさが無くなって淑女らしさでいっぱいになった永遠。


 今、目の前にいるのは、お金持ちでも和風美人でも性格の良い子でも、何でもない。ただの女の子の永遠がそこにいた。


 自分でもこの感情が分からないけど、私は流れるような仕草で永遠の事をギュッと抱きしめた。

 そうする事が当然で、義務とは違うけど、とにかく私は永遠の涙を止めたかった。

 肩口に押し当てられた永遠の顔。じんわりと肩口が熱く湿っていく。


 泣いて、泣いて、泣いて。

 不器用に、しゃくり上げながら永遠が少しずつ今の気持ちを私にぶつけてくる。


「ゆ、悠がねっ」

「うん」

「悠が、すき。すきなの……」

「……うん」

「誰のっ……彼女、にも、なって、ほしくない」

「…………」

「悠、なんで? こんな、すき、なのに、どおして?」

「……なんで、かな」

「悠の馬鹿ぁ……」

「馬鹿でごめん」

「ど、して? どうして、、羊子、なの?」

「…………」


 私は答えられなかった。

 多分、羊子ちゃんと永遠の間には確執があるんだろうって予感はしてた。

 それが永遠をここまで追い詰めていた事に胸が苦しくなる。

 私が羊子ちゃんを好きな事が永遠を苦しめる事実に心がグラグラ揺れ動く。


 喉がカラカラに渇いた。ようやく絞り出したセリフは何ともお粗末で。


「……永遠は、友達、でしょ?」

「友達以上、には見れない……?」

「…………」


 グシャリ。永遠の表情が怒ったように歪む。

 泣いても、怒っても、どんな時でも永遠は美人だった。


 ダン!

 激しい音がして視界が一瞬にして揺れ動いた。鈍い背中の痛みと永遠の後ろに見える天井に、床に無理矢理押し倒された事を理解する。


 その後の事はよく覚えていない。

 ううん。思い出したくないだけだ。忘れたい。無かった事にしたい。……それなのに鮮明に蘇る。


 熱く湿ったちょっとしょっぱい永遠の唇が私の唇を塞ぐ。

 かたく唇を閉めた私の唇を割って、無理矢理、永遠の舌が私の唇をこじ開けた。

 

 押さえつけられた手首が痛い。ジタバタと暴れても手首だけじゃなく体も永遠に抑え込まれる。

 身長は私よりあるとは言え、あんなに細い体のどこにこんな力があるのか。


 恋愛面もも私と同経験値しかないはずなのに、圧倒的強者は永遠の方だった。


 逃げ惑う私の舌を永遠の舌が絡め取る。

 重なった唇から粘り気のある水音が漏れる。


 しつこく何度も舌をねぶられて、段々と訳が分からなくなってきた。

 酸欠状態になって押さえつけられた体の力が抜けていく。


 ようやく唇が離れても頭の芯がぼんやりとしていて、空気を吸うのに精一杯になっていた。


 苦しいだけなら、良かったのに。


「悠……、好き」


 耳元で囁かれた永遠の言葉に小さく頷いた。知っている、昔から。永遠が私を好きな事は


 もう一度、永遠が唇を重ねてきた。

 抵抗する気力もなく、私は永遠との二度目のキスを受け入れる。

 二度目のキスは深くて優しいキス。舌を絡められ、頬の内側や上顎を舌で撫でられると体がゾクゾクした。

 永遠とのキスに夢中で何も考えられない。何も考えたくない。


 慈しむようなキスが何度も何度も繰り返される。私は永遠とのキスが心地よくて、唇が離れる時はキスをせがむように目線で永遠の唇を追いかけた。


「悠、いい……?」


 『いい』の意味するところが分からなかった。

 私が返事を返さないでいると、永遠は私のシャツをめくって、そしてブラの中に手を――。


「……っ!? や、やめてっ」


 私は永遠を突き放す。私はまだ混乱していた。

 なんで? どうして?

 そう言った疑問は永遠へ向けたものではなく、全部自分に向けたものだった。

 永遠は友達で、認めたくないけど、大切な友達で、友達だから一緒にいられて、友達じゃなくなったら――。


 私は荷物をかき集めると永遠の部屋を飛び出した。

 後の事は今度は本当に覚えていない。

 出て行く時に永遠の事は見なかったから永遠がどんな表情をしていたかも分からない。


 ただ唇に残る永遠の唇の感触に自分の感情の行方が分からなくて、制服がシワになるのも気にせず着たまま怖くなってベッドに潜り込む。


 あのまま永遠を受け入れていたらどうなっていたのか。


 それが怖くて、悲しくて、不安で。

 なのに、体と心はバラバラで。


 あの時、確かに私は、永遠からの行為に、そして好意に、

 気持ち良くて、そのまま流されて永遠とエッチしちゃってもいいんじゃないかって考えてた。いや、何も、後の事は考えてなかった。


 私にはようやく出来た彼女の羊子ちゃんがいて、羊子ちゃんの事がすごく好きで大切なのに、裏切ってしまうところだった。というか半分以上、裏切ってる。


 そして間の悪い事に、羊子ちゃんから明日の勉強会についてメッセージが来ているのだ。

 それも私が永遠に押し倒されて気持ち良くなっている時間に。……最低だ、私。


 頭の中がぐちゃぐちゃなのに、どんな顔をして羊子ちゃんに会えば良いんだろう?


 そうしているうちにいつの間にか眠っていたようで、少し落ち着きを取り戻した私は羊子ちゃんに返事を返してから家事やらお風呂やらをこなした。


 少し眠ったにも関わらず、どっと疲れが押し寄せてきて眠気が酷い。

 考えなければならない事はたくさんあるけど、今は何も考えたくない。

 私は再び睡魔に体を預けて束の間の安楽の時を得た。

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