2 色欲の女魔王に初キスを奪われる


 僕は学園の鍛錬場にやって来た。


 僕のクラスは魔法使いなので、当然魔法の訓練をする。


 で、その訓練方法はいくつかあって、『魔力アップ』や『魔法の威力上昇』『魔法の精度上昇』などが主なものだった。


『魔力アップ』の訓練をしたところで、僕はもともとの魔力が小さく、あまり効果が期待できない。


『魔法の威力上昇』も同じだ。


 ただ、『魔法の精度上昇』に関しては、魔力の大小とはあまり関係がないので、まずこのメニューを選択した。


 魔法の鍛錬場はいくつかの部屋やレーンに分かれている。


『魔法の精度上昇』訓練は細いレーン――イメージとしてはボウリングのレーンが近いだろうか――で行うので、空いているレーンに入った。




『10メートル先の的に正確に命中させてください』




 前方に小さなメッセージウインドウが現れ、そう表示された。


 的に正確に当て、攻撃魔法のコントロールを養う――シンプルだけど効果的な訓練だ。


 僕はさっそく訓練を始めた。




「はあああっ……!」


 僕は気合を込めて魔法弾を放つ。


 ぷしゅんっ。


 ピンポン玉くらいのサイズの、めちゃくちゃ小さな魔法弾が出た。


 魔法弾は術者の魔力に比例する。


 この小さな弾は、そのまま僕の魔力の少なさを意味していた。


 こんな魔法弾じゃ、たぶん最弱モンスターの『バット』や『スライム』ですら倒せないだろう。


 とはいえ、正確に弱点をつけば、多少威力が弱くても倒せる場合もある。


 だからこそコントロールを磨きたいわけだけど――。


 ひゅー……ん。


 残念ながら的にかすりもしない。


「クスクス……何あれ?」

「あれでも魔法弾のつもりかしら?」

「あれなら直接殴った方がマシだろ?」

「そもそもコントロール悪すぎ」


 背後から嘲笑がいくつも聞こえる。


 うう、これだから鍛錬場に行くのは嫌なんだ。


 絶対、周囲から馬鹿にされるからね。


 かといって、魔法の訓練はこういう鍛錬場以外でやるのは禁止されている。


 まあ、実際には空き地とかでこっそり訓練してる生徒もいるけど――。


 バレたら停学や退学になる可能性もあるから、僕としては鍛錬場以外での修行はやりたくなかった。


「ねえ、あっちでプリセラ先輩が剣の試合をするって」

「あの人、もうすぐSランクになるって噂でしょ?」

「しかも超美人なんだよな。見に行こうぜ」


 と、僕を嘲笑していたグループはあっという間に去っていった。


 これで集中して練習できる。


 僕はホッとしながら、ふたたび魔法弾を放つ。


 やっぱりピンポン玉くらいのサイズだった。


 はあ……やっぱり小さい。


 そして、案の定……的にかすりもしないのだった。




 修行を終えて、僕は帰宅の途中だった。


 これから、どうしようか――。


 僕は今後のことをぼんやりと考えていた。


 今の僕は冒険者学園に所属している。


 順調にいけば、卒業後は冒険者として生活していくことになるだろう。


「やあ、さっきは頑張っていたね」


 と、背後から突然声をかけられた。


「えっ……?」


 振り返ると、そこには一人の男子生徒の姿がある。


 黒髪に紫の瞳、美しく整った顔立ち――。


「アイゼリック……くん?」


 そう、このゲームの主人公であるアイゼリック・ホルスだ。


「俺は隣のレーンで魔法の精度上昇訓練をしていたんだけど……気づかなかった?」

「あ、うん……自分の訓練で精いっぱいだったから……」


 答える僕。


「そうか。随分と集中してやっているから、ちょっと驚いて……それで印象に残っているんだ」


 アイゼリックが微笑んだ。


 爽やかで、人好きのする笑顔だった。


 誰からも好かれそうな素直さや明るさを感じる。


 こういうのが『主人公』の人徳なんだろうな。


 実際、僕も初対面の彼に早くも好感を抱き始めている。


 まあ、僕の場合、アイゼリックはゲームで慣れ親しんでいるし、何よりも自分の分身ともいえるプレイヤーキャラクターだから、それだけ愛着が深いという理由もあるけど。


「もしかして、ずっと見てたの……?」


 僕は苦笑交じりにたずねた。


「僕、魔法の才能ないから……見られるのは恥ずかしいな」

「恥ずかしがることはない。君は懸命に努力していたじゃないか」


 アイゼリックが力説した。


「俺は心が洗われる思いだったよ。ああ、俺ももっと頑張らなきゃ、って――」

「アイゼリック……くん」

「ひたむきな君を見て、大いに刺激を受けた。そのことに礼を言いたくてさ」


 アイゼリックが爽やかに微笑む。


 彼はゲーム開始時点では最底辺のFランクで、そのあとイベントごとにランクを上げていって、最終的には世界最強のSランクになるんだけど――。


 今はどのランクなんだろう?


 それが分かれば、今がゲーム内の時系列のいつごろなのかが分かる。


「あの、ところでアイゼリックくんって、ランクはなんだっけ?」

「? なんだよ、唐突に」


 苦笑するアイゼリック。


 しまった、不快にさせたか……?


「俺はBランクだよ。次の昇格クエストでたぶんAに上がれると思う」

「Bランク……」


 じゃあ、ゲーム中盤くらいか。


 ええと、このころって、どんなイベントが起きるんだったかな。


 確か、アイゼリックが初めて中ボスに遭遇するんだっけ……?


 前世のことはボンヤリとしか思い出せないんだよな。


 アイゼリックにはこの後、どんなイベントが訪れるのか――。


 なんて、記憶をたどっていたそのときだった。




 ざしゅっ!




 突然――そう、あまりにも突然の出来事だった。


「えっ……?」


 僕はその場に呆然と立ち尽くす。


 立ち尽くすことしか、できなかった。


「ぐっ……!?」


 アイゼリックが苦鳴をもらす。


 その胸元が大きく裂け、血があふれていた。


「勇者の素質を持つという少年……ふふ、思ったよりも大したことないのね」


 かつ、かつ、かつ……。


 足音と共に一人の女が歩いてきた。


「こいつは――」


 僕は息を飲んだ。


 知っているぞ。


 ゲームに登場する【七大魔王】の一人。


【色欲】を司る魔王エルメリアだ。


 ゾクリとするほど整った顔立ちは妖艶その者の雰囲気をまとい、長く伸ばしたピンク色の髪が風にたなびいている。


 身に付けているのは黒いハイレグ水着みたいな衣装だ。


 露出度が非常に多く、たわわな胸は今にもこぼれそうなほど。


 両足の付け根も、きわどい部分がギリギリ見えそうなデザインだった。


「まさか、伝説の魔王……!?」


 アイゼリックがつぶやいた。


 僕の方は呆然と立ち尽くしている。


 なんで、前世のことを思い出した早々に……そして今後の人生に向けてがんばろう、って気合いを入れたとたんに、こんな大ピンチイベントに遭遇しちゃうんだよ。


 ああ、生まれ変わった早々に、僕はこの新たな人生から退場しちゃうのか――?


「アーロンくん、ここは俺がやる! 君は逃げるんだ!」

「えっ? えっ?」

「Fランクじゃ殺される! 俺が時間を稼ぐから――ぐあっ!?」


 アイゼリックは僕をかばって魔王に立ち向かうつもりだったみたいだけど、彼女が放った無形の衝撃波一発で吹き飛ばされた。


「ぐっ……」


 そのまま気絶したようだ。


「アイゼリックがこんな簡単に――」


 僕は呆然となった。


「そうだ、これってゲーム中盤の『負けイベント』……!」


 ハッと思い出す。


『負けイベント』と言うのは、その名の通り主人公の敗北が確定しているイベントだ。


 主人公が初めて遭遇する【七大魔王】の一人。


 その圧倒的な強さに打ちのめされつつ、一矢報いてその場を去る――というのが、おおまかなストーリーだ。


 けれど、現実にはアイゼリックはあっさりと敗北してしまった。


 本来のシナリオとは違う――。


 もしかして、僕がいるからなのか?


 僕の存在がノイズとなって、本来のシナリオを狂わせた……?


「そんなに怯えないで。可愛いわね……」


 女魔王が艶然と微笑みながら、僕に近づいてきた。


 殺される――。


 僕は一歩も動けなかった。


 せっかく目標ができて、人生に張り合いもできたのに。


 こんなところで、僕の今世が終了するのか――?


「ああ、食べてしまいたい……たまらないわね――」


 エルメリアが僕のすぐ前までやって来た。


 艶めかしい吐息が僕の顔に吹きかかった。


 こんなときなのにゾクリとした興奮が背筋を駆け抜ける。


 そして、次の瞬間、


「んっ……!?」


 僕は女魔王に唇を奪われていた。



****

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