「名文」とか「文章力」とかうるせえ! ~「悪文家」の逆襲~

妄想機械零零號

本編

 名文名文うっせえんだよカス、私はそう思った。

「文豪」「文学」「名作」「名文」「文章力」「語彙力」「表現力」「美しい日本語」「文章のプロ」「大人の国語力」……これらの単語を使って作文すれば誰でも有り難いお説教が書ける。

『文豪のヤバい語彙力』なんて本もあるけどどうでもいい。こういう本は中身だけマトモな可能性がある。


「名文」を巡る言説を丹念にまとめていくと

まず「文豪なる傑作小説を書く者がおり」「その傑作小説が傑作たるゆえんは名文だからだ」という大前提がある。

もっといろいろ言うことはあるが、要はそんなところである。


 するとカクヨムのような〈小説を書きたい人〉のサイトだとこういう話が生まれる。

「小説の書き方! まず国語辞典を読みましょう……」

というのは冗談だが、本当に「国語」のお勉強が始まってしまうのである。


 次にひどい話がある。

それなりに小説として面白いのに悪文であるというだけでこの世の終わりのような罵倒を受けているパターンだ。

目も当てられない。悲惨だ。

私は群衆に分け入って「待て! たかが文章力だ!」と叫んでやりたい。

しかし冴えない小説書きをいじめている集団は小説がわかる連中である。

だから

「ふふん、小説っていうのはね。文章力なのさ。名文をひり出せばどんなクソでも大傑作。それが小説の世界なのさ」

と言ってくれるであろう。


 一理ある。

こうして小説を評価するポイントを一つに絞れば読者も作者もやりやすい。

スポーツのルール明文化とスコアみたいなもので、とにかく「早ければ勝ち」とか「遠ければ勝ち」とか前提してしまえばそれ以上は問題にならないのだ。

小説はスポーツではないものの大いに勝負の要素を含んでいる。〈売れる/売れない〉、〈面白い/つまらない〉等々だ。

小説という複合的で様々な様相を持った存在を単純化して捉えるツールとして「文章力」なる概念は便利である。


 また、「文章」は小説を構成する重要な要素ではある。

私ですらそれは認めるのである。たしかに文章はものすごく重要だ。


しかし思う。

その文章、本当に作家の責任なの? と。


 こうしてしまうと身も蓋もない。

問いを変えてしまいたい。


 小説家って本当に文章のプロなの? と。

形が大きく変化したが、私の言いたいことはたった一つなのだ。

小説家はみんなが思うほど文章職人、文章のプロというタイプの仕事ではない。

例えば辞書編集者や国語学者と呼ばれる人たちのほうが文章には詳しいのではなかろうか。そしてなにより「文章で食っている」のではないか。

彼らこそ文章のプロと言えるかもしれない。


 それだけではない。もっと重要なプロが居る。

校正さんだ。

校正とは原稿を整え、場合によっては些細な矛盾までを解消し、テニヲハや主述の関係を整えるのが仕事である。


 極論すれば小説家は原作者、文を書くのは校正さんということになる。

あまりにも極端なもの言いだ。素材はあくまで小説家が書いている。それに一流作家なら校正が変わっても文章は変わらない。

しかしだからこそ思うのである。


「小説家、お前文章のプロ自称すんのやめろ」と。

文章は校正さんという専門技術を学んできた人間に任せ、その辺の馬の骨に過ぎない小説家どもは「原案」「アイデア」「ネタ」「キャラクター」などを提供する。

アイデアだけなら本当に小学生でも出せる。

小説家とはここまで単純化できる仕事なのだ。

書くことは小説家の仕事の本質ではない。その本質は漫画の原作者のような位置にある。


 そうしたとことんまでユルいワークスタイルこそがネット時代にふさわしいのではないか。

例えばどこぞの馬の骨が「俺、小説家になりたい!」と言い始めたとする。

どうせ理由は「楽そうだから」とか「漫画を描きたいけど絵が描けないから」とか、「寝る前の妄想が佳境に入ってきたから」とかしょうもないものである。


 理由などどうでもよい。重要なのは結果だ。

我らが作家志望クンがちゃんとしたラノベをカクヨムに投稿し、見事書籍化に至ったとしよう。

しかしこの馬の骨、やはり素人作家志望らしく文章が拙い。

ハサミとノリでザクザク校正するプロフェッショナルの必要は明らかである。

そこで校正さんである。

あるいは編集者が監督する場合もあるだろう。


 このように「よくいる馬の骨がネットで拾われて作家になる」という権威もクオリティもクソもプライドも無いケースにおいて、専門性が高いなどまずは一旦捨て置くべきだ。

ちゃんとした文章、美しい日本語、読める文、なるほど結構だ。

しかしそれらを書ける人間はおそらく三年ほどは人文系の大学なり職業的実践なりで修行を積んでいるはずだ。


 文章は専門技術である。

日本語だから誰でも扱えるとは限らない。

皆テキトーに言葉を使って、テキトーなのに意思疎通はできているのが普通である。

そこをレベルアップして「文章のプロ」に仕上げようとするととんでもない時間と労力が必要になる。


 そんな苦労をするくらいなら最初からプロに任せたほうが良い。


 だいたい、今の業界は才能の使い捨てを目指すべきなのだ。

このサイクルをいかに効率よく回転させるか、それが重要なのである。


 さて、それでもやる気のある作家志望クンは言うであろう。

「私は使い捨てのゴミみたいな作家ではない。

ちゃんと三年間なり四年間なり修行して素晴らしい日本語を書けるようになるのだ。

そして作家として生き残ってやる」


 ふむ、実にまともだ。

しかしそれにも私は反論したい。

「その労力、ストーリー構成のテクニックを学ぶのに使った方が良いぜ」


 先に書いた私の「文章は校正さん、アイデアは作家」という分業スタイルが進めば作家に必要な能力は「おもしろい話を持ってくる力」になる。

だからストーリーを三年なり四年なりかけて学習したほうが有利なのである。

少なくとも文章を磨くよりは良いであろう。

「出版社には校正さん含む文章のプロがいるのになぜか小説家まで文章力を誇っている」という才能の重複は無駄である。


 さて私にはまだ言いたいことがある。

作家志望関係のカクヨムらしい話は以上だが、読書人一般すなわち消費者一般においてもこの「文章力」「名文」「(名文家としての)文豪」への信仰が見られる。


 私は言いたいのである。

小説とは何百万文字という言葉を山のように積み上げられる。

その全てが金である必要などないではないか。

。しかしその全容は素晴らしく美しい。

汚い言葉で満ちているのに全体としては素晴らしい内容を伝えている。

そんな奇跡がありえる数少ないジャンルがある。

それが小説だ。


 小説が俳句に勝っている点はなにか? 長さである。

短歌より長い。長歌より長い。

評論は著者の思惑をそのままに叙するが小説なら回りくどく書く分長さの面で有利である。


 小説は長い。とにかく長い。無駄だ。回りくどい。

しかしだからこそがありえてしまう。


 私は世間一般の人の小説への見方を変えたい。

小説の読み方を変えたい。

小説は美しい文章を何度も朗読し書写し舐め回す等して楽しむ芸術ではないのではないか。


 そうした名文の塊のような作品はある。

「羅生門」だとか「金閣寺」だとか、現在(未来は知らないが……)において読書人に愛されている名作群がそれである。


 しかしもっと挑戦心を持ってほしい。

小説にはもっと可能性がある。名文による小説の評価はあまりに一面的だ。

小説はを唯一表現できるではないか。

このの創作と評価は今後の読書界の課題としたい。


 クソクソと述べてきた私はおそらくふざけているのだろう。

だから真面目に書くが、「名文」を重視する読書人の態度は確実に文学への評価基準を変える。


 例えば「当時における革新性」「政治性」「ストーリー的な面白おかしさ」といった本来評価されるべき作品の美点が無視されてしまうのである。


「昔の小説を読むのは美しい日本語を学ぶためだ」などとされては困る。

美しくない傑作が埋もれるのみならず、美しい日本語なる不可思議の存在を認めてしまうからだ。


 美しい日本語、この言い方をもうやめてしまおうではないか。

そんなものはない。

あったとしてもそれは「美しい日本語」だ。

「教科書的な美しい日本語の使い方が一つだけ存在する」という考え方、また「その美しい日本語を学ぶには古き良き名作を読むのが良い」という考え方をやめようではないか。


 美は様々だ。

花を見よ。様々に美しいではないか。

そして美しい日本語を探そうとするときどうして過去へ遡るのだろうか?

私にはその考え自体がナショナリズム的に思えてならないのである。

国家の礎となる美しい文化、伝統的な言語の仮定と擁護、これこそナショナリズムではないか。


 ナショナリズムはろくなものだと思わないが、もっとクソなことがある。

それは自身がナショナリストだと気付かずにナショナリズムに加担する、その無知極まりない行為である。

つまり現在多数の読書人どもである。


 現代は終わっている。クソだ。

いや、クソがもっと必要だ。

私は言っておく。

もっとクソをよこせ、と。

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