第18話氷田巡査 その参
「よう。お邪魔するぜ、氷田」
「あら従吾ちゃんに鎌田くん……学校は?」
翌日。学校をサボって昼間から駅前交番にやってきた従吾は、驚いている氷田巡査に「ちょっとした用があってな」と言う。一緒について来た直志はそっと椅子を引いて従吾に座るように促した。幸いなことに他の警察官はいない。
「悪いな……それでだ。今日はお前に訊きたいことがある」
「昨日の件なら誰にも言ってないよ。ていうか、あの風はなんだったの?」
「そうじゃねえけど、黙っててくれてありがとうな」
従吾はじっと氷田巡査を見つめる。
正確に言えば後ろの黒い影を見つめている。
悪いものではない。しかし気になってしまう。
「……前に交通事故の処理したよな。親子二人が轢かれたやつ。そんときの話を聞きたい」
「なんで知っているの? うん、したけどさ……」
「現場から持ち帰ったもんとかあるのか?」
氷田巡査は「事故現場からはいろいろ持ち帰ったけど」と怪訝そうに答える。
「例えば……車の破片や被害者の持ち物は警察署で保管しているよ」
「個人で持ち帰ったもんとかねえのか?」
「あるわけないでしょ。犯罪じゃない。私は警察官なんだよ」
「金目のもんじゃなくて……何気なく持ち帰ったもんとか」
氷田巡査は真剣な顔で「ない」と首を振った。
従吾が考え込む中、直志は「最近、変わったことはないですか?」と高い声で訊く。
「昨日のこと以外で何かありますか?」
「変わったこと……そういえば変な夢見たかも」
「どんな夢ですか?」
思い当たることがあるのか、氷田巡査は「あの事故交通事故の後からなんだけど」と言う。
「女の人が私を追いかけてくる夢。追いつかれそうになったら起きちゃうんだけど、なんか不気味だよね」
「その女って、主婦みたいな恰好の三十代くらいか?」
「……えっ?」
従吾が言っていることが当たっているのか、氷田巡査の顔が青ざめる。
続けて従吾は昨日見た女の特徴を言う。
「背は低くて髪を束ねてねえ。それから『返して』と何度も繰り返す」
「……何で知っているの? 私が見た夢だよ?」
交番内の空気が一段と冷えた。
それは三人とも感じた。
従吾は「その女はさっき言った交通事故に遭った母親と同じだと思う」と断言した。
「そいつがお前を狙っているんだ。昨日の出来事は――」
「従吾ちゃん? これ以上変なことを言うと怒るよ。いくらなんでも亡くなった人を冗談に使うのは良くない」
氷田巡査は大人として怒っていた。
従吾がふざけているのか、あるいは驚かそうとしているのだと思っている。
けれど従吾は「心当たりあるんだろ」とやめなかった。
「もし俺の推測が間違っていたら謝る。だけどお前が狙われている以上、ほっとくことはできない」
「……馬鹿馬鹿しいよ。幽霊が襲うだなんて。現実にあり得るんなら警察官は手も足も出ないじゃない」
「だから俺たちが手も足も出してやろうって言ってんだ」
「ふざけないで!」
普段従吾の生意気な口調も流せるほど温厚な氷田巡査だが、流石に事故の被害者を冗談のネタに使うのは我慢ならないようで、叱ろうと立ち上がった――
「従吾さん。あの女です」
それを遮るように直志が端的に注意を促した。
氷田巡査もその言葉に反応する。
そして一瞬見間違えだと思ってしまった。
女が交番の外からこちらを窺っている。
それ自体はおかしくはない。
おかしかったのは女の位置である。
交番の上の窓からこちらを見ている。
逆さ向きで張りつくように。
ヤモリのようだと氷田巡査はぼんやりと思った。
『返して――』
次の瞬間、女は氷田巡査の目の前にいた。
顔をぴったりと近づけて、吐息がかかる距離で。
しかし呼吸は感じられない。
死んでいるからか――
「きゃ、あああ、ああああ!?」
そのまま氷田巡査はひっくり返ってしまった。
従吾は咄嗟に「氷田!」と叫んで身体を支えた。
長身の氷田巡査との対格差はあったが、後頭部を打たないように庇ったので大丈夫だった。
『返して、返して……』
「お前……何を返してほしいんだ!? はっきり言わねえと――」
従吾が言い終わる前に女は氷田巡査に飛びつこうとした――咄嗟に直志が腕を掴んだ。
ねちょっとした触感。手を見ると血みどろになっている。
「こいつは交通事故で亡くなった幽霊に間違いないですね」
「それは分かってる。だけどよ、こいつが何をしたいのか分からねえ……」
じたばたと暴れる女にため息をつきながら、従吾は氷田巡査を見た。
気絶しているのか、目を閉じてぐったりと寝ている。
そのとき、氷田巡査の背中にとり憑いている黒い影が動いた。
少しの間だけだが、黒い影が手の形になったのが従吾には分かった。
「まさか……直志、その女を押さえてくれ」
「はい。どうかしたんですか?」
従吾は氷田巡査の黒い影に手を伸ばす。
ゆっくりと、それでいて弱々しい塊が、従吾の掌に乗る。
そして――形が成されていく。
「……なるほど。子供の霊ですか」
直志が納得したように頷いた。
黒い影は三才くらいの男の子になった。
両手で抱える従吾は――とてもやるせない気持ちになった。
こんなに小さい子供が車に轢かれてバラバラになってしまった。
もう二度と元通りに離れない。姿も、人生も。
おそらく氷田巡査にとり憑いたのは、彼女ならばきっと助けてくれると思ったからだ。
母親と再会させてくれると思ったのだろう。
小さくて弱い力を振り絞って――背中に乗ったのだ。
さながら母親に負ぶるように。
「ほら。お前の大事な子供だよ」
そう言って従吾は両手に抱えた男の子を母親に手渡した。
母親の頬に涙が伝う――
『ああ。私の大事な――』
『――ママ』
二人が抱き合った瞬間、眩い光が交番に広がった。
従吾と直志は親子が成仏することを祈った。
「よっしゃ。これで――」
従吾は言葉を止めた。
なんだろうと直志は従吾の視線の先を見る。
氷田巡査が上体を起こしていた。
そして親子が消えた空間を呆然と見ている。
やばい……二人が思ったとき、交番内に「な、なにがあった!?」と警察官が二人入ってきた。
「き、貴様! 昨日の! 何をした!? あの光はなんだ!?」
「やべえな……」
直志に頼んで風でも呼んでもらって気絶させるか……
従吾の脳裏に物騒な考えが浮かんだ。
「あ、あの! 大丈夫です!」
氷田巡査が机を支えにして何とか立ち上がった。
警察官二人に「もう心配ありません!」ときっぱり言った。
「先ほどの悪戯は被害ありませんでした! 私はこの二人を署まで補導します!」
「え、あ、氷田さん……?」
「御ふた方のお手数はかけません! 失礼します!」
素早く従吾と直志の手を引っ張って、氷田巡査は交番から出ていく。
あまりの勢いに警察官二人は何も言えなかった。
「お、おい。氷田――」
「説明、してもらうから」
静かだが迫力のある声に従吾たちは何も言えず、手を握ったまま歩くしかなかった。
◆◇◆◇
「つまり、私に子供の幽霊がとり憑いていて、さっきの女の人は親だった。それで二人を会わせたら成仏したってこと?」
「ああそうだ。もうお前にはとり憑いていない」
一通りの説明を聞いた氷田巡査は顎に手を置いてしばらく考え込んだ。
三人がいるのは交番から離れた公園だった。
周りには主婦と幼児がいて、こちらを見ながらひそひそ話している。
「なんで従吾ちゃんには見えたの? 鎌田くんも見えていたの?」
「俺はこの銀の腕輪を付けていたから。そっちの直志は……」
「いいですよ。正体明かしても。困ることはありませんし」
直志のあっさりとした態度に「正体ってなに?」と氷田巡査は疑わしい顔になる。
「そうか? 直志は……妖怪なんだ。かまいたちって妖怪だ」
「冗談、じゃないよね?」
「そうです。だからこんなこともできる」
直志が手をかざすとこちらを見ていた主婦に突風が吹く。
唐突の風に主婦たちは悲鳴を上げた。そして子供の手を引っ張って逃げ去っていく。
「風を操ることができます。ま、小さな力ですけど」
「従吾ちゃんは、普通の人なの?」
「最近、変なことに巻き込まれてな……以来関わっている」
氷田巡査は眩暈を覚えたらしく額に手を置いた。
従吾は「図々しいお願いだが」と切り出した。
「このことは黙っててくれよな」
「図々しいお願いだって自覚あるなら分かるよね。黙っていられないよ」
「そこをなんとか頼む」
従吾の目に熱が籠る。
頭をゆっくりと下げた。
氷田巡査は大きなため息をついた。
「私はみんなの安全を守るために警察官やっているんだよ」
「そのみんなに俺を含めなければいい」
「四則演算じゃないんだから、割り切れないよ」
「そこを曲げてほしい」
従吾の懇願に対し、直志も「お願いします」と頭を下げた。
「従吾さんのことを見逃してください」
「見逃すも何も、あんなこと上に報告なんてできないよ……分かった。一つ約束してくれたらいい」
従吾と直志は頭を上げて氷田巡査の言葉を待った。
急かさないところはずるいよねと氷田巡査は内心思いつつ、二人に対して言う。
「決して死なないこと。いいね?」
「ああ。約束する」
「俺もします」
「破ったら……」
氷田巡査は続けられず、ぐっと涙をこらえた。
危険を顧みず自分を助けてくれたのは二人だ。
本来ならありがとうと言うべきだ。
だけど警察官として、人を守る者として、それはできない。
何故なら警察官ではない二人の行動を認めることになるからだ。
しかし二人は氷田巡査を守ってくれた。
危険な幽霊かもしれないのに、命の危険があるかもしれないのに、守ってくれた。
それがどんなに勇敢なことだろうか。強盗犯に立ち向かうよりも勇気がいることだ。
しかも止めても聞かないと分かっている。だから矛盾しているようだけど、認めるしかない――
「……破ったら、許さないから。あの世で説教するからね」
「うん。絶対守る。だからさ、氷田……姉ちゃん」
従吾は申し訳なさそうに、昔の呼び方で氷田巡査を呼んだ。
「泣かないでくれよ。泣くところなんて見たくねえ」
「うるさいっ。泣いてなんかないんだから!」
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