第19話天狗 その壱

「望月氏。京都に行きませんか?」

「突然なんだよ……?」


 氷田巡査の事件から数日後。

 もうすぐ夏休みという時期になっていた。

 もはや日常となりつつある従吾のオカ研通いだが、唐突にとんでもないことを言われるのは慣れない。

 ひかげはいつもの椅子に座って「この前言ったでしょう」と話を進めた。


「望月氏の仲間になってくれる妖怪を紹介すると。それで僕の知り合いが見繕ってくれたんです」

「その妖怪が京都にいるのか? どんな妖怪なんだ?」

「有名な妖怪です。望月氏も知っているでしょう――天狗です」


 天狗――鼻が長いのが印象的な妖怪としか従吾は知らない。

 しかし疎い人間でも認識しているということは相当有名である。

 知名度という点では随一と言えるだろう。


「天狗か。一筋縄では行かなそうだな」

「ええ。彼らは妖気を操ります。それに人間を化かすのも得意です」

「彼ら? なんだ、何人かいるのか?」

「もちろんです。流石に人間と同じとまではいきませんが」


 興味が湧いた従吾は「へえ。そりゃ会いてえな」と不敵に笑う。


「だけどよ。京都まで行くのに金がかかるだろ。俺持ってねえぜ」

「旅費は僕が渡します。それに案内してくれる方もいますよ」

「至れり尽くせりってやつだな……いいのか?」

「望月氏には強くなってもらわないと困りますから」


 ひかげはずれた眼鏡をくいっと上げた。


「おあつらえ向きに三日後には夏休みが始まります。長期休暇の旅行も兼ねて行ってきてください」

「良いけどよ……その天狗ってどんな奴なんだ?」

「人間と一緒で性格が同じな方はいません。直接確かめて子分にしてください」


 従吾は立ち上がって背伸びをした。

 十二分に伸ばした後、ひかげに「案内してくれる奴は誰なんだ?」と訊ねた。


「それに京都のどこに行けばいいんだ?」

「君もご存じの方ですよ。東京駅に行けば会えます。集合場所はスマホに送ります」

「なんだよ。全部内緒ってわけか?」

「不安ですか? それともわくわくしますか?」

「面白くはあるな」

「それと京都のどこへ行けばいいのか、ですが――それは言いましょう」


 少しの間を溜めて――従吾を試しているようだった――ひかげはにやにや笑って言う。


「京都の北に位置する鞍馬山です」

「鞍馬山……? 京都市街じゃねえのか……いや、当たり前だな」

「詳しくは案内の方に聞いてください。それと鎌田氏は一緒ではないです」


 従吾は怪訝そうに「あいつも一緒に行くんじゃあねえのか?」と問う。

 てっきり案内してくれるのは直志だと思っていたのだ。


「彼は岩崎会長の元で常識を学んでもらわないといけませんから」

「そういや授業についていけなかったな」


 従吾と直志は一緒のクラスである。

 転入生がいきなり番長の子分になったのでみんな騒然としていた。


「ま、頭は悪くないのですぐに追いつけるでしょう。それでは望月氏。よろしくお願いします」


 ひかげは机の引き出しから封筒を取り出した。

 受け取った従吾は中身が一万円札だと気づく。それも一枚ではない。十枚前後はあるだろう。


「こんな大金、いつ用意したんだ?」

「今日ですね。ま、気になさらないでください」


 そうは言っても十万円以上の大金を持ったことなど従吾はない。

 気を付けねえとな、と従吾は白学ランの内ポケットに仕舞った。


「そういえば、期末試験の結果はどうでしたか?」

「お前は親か何かか? ……芳しくなかったよ」



◆◇◆◇



 そして三日後の朝九時。

 東京駅の集合場所に行くと、水色のワンピースを着たトイレの花子さんが立っていた。

 少々面食らいながらも「なんだ。お前が案内してくれるのか?」と気さくに従吾は話しかけた。


 トイレの花子さんは背中にピンクのリュックを背負っている。

 高い底がついたサンダルを履いていて、装飾品は少ないがこれから旅行に行く雰囲気があった。

 同じく荷物が入ったリュックを背負って現れた従吾に花子さんは呆れた顔になった。


「あんた、その格好は何なの?」

「なにって……いつもの白学ランだ」


 夏休みだというのに白学ランを着ている従吾。

 花子さんは「それしか服を持っていないの?」とジト目で見つめる。


「持っているけどよ。一応気合入れておかねえとな」

「その格好で隣にいられると恥ずかしいんだけど」

「どこが恥ずかしいんだ? かっこいいだろ」

「前々から思っていたけど、なんで白学ランなのよ」


 従吾は「番長だからな」と答えになっていないことを言った。

 大きくため息をついて、花子さんは面倒くさそうな顔になった。


「まあいいわ。とりあえず行きましょう。チケットあるわよね」

「ひかげさんに言われて買っておいた。当日券は高いからな」


 従吾と花子さんは改札をくぐり新幹線に乗り込んだ。

 普通の電車と違って振動が少なく、また車内販売も充実していたので、従吾は駅構内で買った弁当以外にもいろいろと買い食いした。


 窓際のE席に座っている花子さんは隣の従吾に「あんたも大変ね」と話しかけた。

 もうすぐ名古屋駅に着こうとかという時刻だった。


「大変? ああ。天王寺蛇子のことか?」

「それもあるけど。わざわざ京都まで行くことよ」

「ひかげさんが見繕ってくれたしな。それに京都なんて行ったことなくてよ。楽しみだったりするぜ」

「気楽な旅になればいいけどね。そうは問屋は卸さないわ」


 従吾は「天狗って厄介なのか?」と訊ねた。


「俺も調べたけどよく分からねえ。昔の偉い人が天狗になったとか……」

「そこまで強力な天狗は子分にならないわ。精々、上の下ぐらいの実力者よ」

「それでも、あの女に対抗できるんだろ」

「あんたはまだ、妖怪を知らないわ」


 花子さんはアンニュイな表情となって景色を眺めた。

 それが見た目よりも大人に見えたので従吾は変だなと思ってしまった。


「妖怪は人を化かす。それこそが妖怪の存在意義であり――全てなの」

「…………」

「あんたのよく知るかまいたちだって、傷口を作って化かす。私だって人が望むようにトイレで化かすのよ」


 従吾は「まるで人間の付属品みたいな言い方じゃあねえか」と言う。

 心の奥底にほんの少しのせつなさを覚えている。


「妖怪だって生きているんじゃねえか? そりゃ幽霊は生きてないだろうけど。直志の奴を見ていると普通に思えるぜ」

「どうしてそんなことが言えるの?」

「情が通っている野郎は生きているんだと思う。そうじゃなきゃ直志は母親が死んだとき悲しまなかった」

「感情があるから、生きているってこと?」

「まあ幽霊は恨みとか悲しみとかの感情があるから、一概には言えねえけど……裏を返せば、暗い感情だろうと――ある限り死なねえってことじゃねえのか?」

「……あっそ」


 その答えに満足したのか、それとも不足に思えたのか、定かではないがそれっきり花子さんは黙ってしまった。

 なんだこいつ案外気難しい女だなと従吾は思い、そのまま座席に身を預けた。


 そして数時間後。

 従吾たちは京都駅に着いた。

 古都と呼ばれるけど駅は近未来的だなと、従吾は月並みな感想を持った。


 それから電車とバスを乗り継ぎ、従吾と花子さんは鞍馬山へと向かった。

 市内はバスとタクシーが多く、自家用車では移動が難しいんじゃないかと従吾は思った。碁盤状の町並みはきっちりしているけど、何故か東京のごちゃついた道や建物のほうが落ち着くとも思えた。慣れない環境にいることでそう考えてしまうのも無理はない。


 着いたのは昼時をとうに超えた時刻だった。

 盆地ゆえの湿った暑さに辟易しつつ、鞍馬山の入り口で立っている従吾。

 隣で暑さを感じていないように思える花子さんは「ここから異界に向かうわ」と告げた。


「異界? どういうことだ?」

「あの不気味なオカ研の部長から何も聞いてないの?」

「案内してくれる人に聞けって言われた」

「……そもそも、サラワの森でかまいたちが暮らしていると思っていたの?」


 獣ならばともかく、人間の姿をしたかまいたちが暮らせるとは想像つかない。


「サラワの森もまた、異界に通じる扉があるのよ」

「扉ねえ。どうやって開くんだ?」


 花子さんは「ちょっと待ってて」と言って両の掌を入り口に向けた。

 気がつくと周りに人はいない。

 観光地なはずなのに――


「開きなさい。異界の門よ」


 花子さんが唱えると、目の前を眩い光で照らされる。

 従吾は思わず目を閉じた。


「目を開けなさい」


 花子さんの声に従吾はゆっくりと目を開けた。


「……どういうことだ?」


 驚きのあまり、そんな言葉しか出ない。

 さっきまで山の入り口だったのに、広がる光景は――歓楽街だった。

 ビルが立ち昇り、ネオンの光が輝いて、大勢の妖怪が歩いている。

 花子さんは慄く従吾に現実を知らせた。


「ようこそ。ここが――鞍馬山よ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る