第17話氷田巡査 その弐

 いつもの駅前交番にいるだろうと、当たりをつけた従吾と直志は歩いて向かうと氷田巡査は窓際の席で何やら書類仕事をしていた。真剣な表情である。特段、異常は見られなかったので「別になんともねえな」と従吾は笑った。


「心配し過ぎたか。ま、別に俺が心配する義理なんざ――」

「待ってください。あの女変じゃないですか?」


 あの女と言われてつい氷田巡査を見た――そうではないことに気づく。直志が言ったのは駅前交番の近くに佇む『女』のほうだった。


 主婦だろうか、そのぐらいの年齢と格好をしている。髪は束ねずに整えてもいない。背は女性にしては低い。氷田巡査のほうをちらちら見ている。二人の位置からして氷田巡査も見えてもいいはずなのに気づいていなかった。


「幽霊か?」

「そうですね。何やら氷田巡査に執着しているみたいです」

「学生時代は女子にモテたとか抜かしていたが、そんな感じには見えねえな」


 どうしようかと考えた結果、従吾は「話しかけてくる」とそのまま女のほうへ歩いていく。直志は驚いたが一応後ろについて行った。


「なあ。お前何者だ?」


 まるで気の置けない友人に話しかけるように従吾は女に投げかけた。


『……私が見えるの?』


 女が怪訝そうに問う。

 従吾は胸を張って「ああ、見えるぜ」と応じた。


「これでも俺は――」

『良かった! あの女に返してって言って!』


 突然、従吾の腕を掴んで訴えかけてくる女。その激しさに圧倒されてしまった――


「待て! い、痛てえよ! 落ち着いて話せ!」


 力強く握りしめられたので従吾は話すどころではない。


『返して返して返して返して返して返して返して返して返して返して――』


 女のほうも興奮気味なのか聞く耳を持たなかった。何度も同じ言葉を繰り返す。


「いい加減に――しろ!」


 従吾は思いっきり女を突き飛ばした。

 すると女は地面に伏しながら恨めしそうな目で見つめてくる。


『許さない……私の大切な――』

「どうしたの、従吾ちゃん?」


 そのときタイミング悪く氷田巡査が出てきた。従吾がやばいと思う間もなく、女が氷田巡査に襲いかかる。


『返して! 私の――』


 最後まで言い終わる前に交番前に突風が吹き荒れた。この場所だけが台風真っ只中と思われるようだった。びゅんびゅんと音が鳴り響く中、従吾は咄嗟に氷田巡査を庇った――


『返して、返して……』


 その言葉と共に女の気配は消えた。

 前後不覚となっていたが、なんとか立ち上がる従吾。そこへ「大丈夫ですか、従吾さん!」と直志が駆け寄る。


「ああ……あれやったのお前か?」

「咄嗟だったんで手加減できませんでした。すみません」

「いや、ナイスな判断だった。俺はともかく、氷田が危なかった……」


 ちらりと横目で見ると氷田巡査は目を回して気絶していた。

 そこへ巡回から戻ってきた警察官二人が「お前たち! 何しているんだ!」と駆けてくる。


「面倒だな……逃げるぞ直志!」

「了解しました!」


 二人は風のように素早く警察官とは反対の方向へ逃げ出した。

 氷田巡査に憑いている黒い影のことは頭から消え去っていた。



◆◇◆◇



 逃走に成功した従吾と直志はそのまま岩崎菊子の家で話し合うことにした。菊子の家はかなり豪勢、いや豪勢という言葉では言い表せないほどの豪邸だった。菊子の祖父が皿屋敷学園の理事長をしていると聞かされた従吾は「いいとこのお嬢さんだったのか」と驚いた。


 さて。直志に宛がわれた部屋で二人が話し合うのはあの女のことだ。

 明らかに氷田巡査を狙っている――それは由々しき事態だった。

 何故なら氷田巡査は霊体に対して何の対抗策を持たないからだ。

 それは従吾が痛いほど知っている。


「氷田が関わることなく解決したいんだが……難しいか?」

「難しいでしょうね。そもそも、どうしてあの女は氷田さんを狙うんでしょうか?」


 氷田巡査は警察官である。職務上誰かの恨みを買っている可能性は高い。

 しかし死人に恨まれるいわれはないはずだ。

 いつも世話になっている従吾は、彼女が善人であると分かり切っていた。


「逆恨みもあり得るが……情報が足らねえな」

「こんなとき、あのオタク野郎がいれば仕入れてくれそうですが」

「ひかげさんもオカルト関係以外は疎いだろうよ」


 喧々諤々と話し合う中、ふと従吾は「氷田巡査が関わった事件を調べればいいんじゃねえか?」と思いつく。


「なるほど。それで恨みを持つ人間を探すと。いいじゃあないですか」

「ああ。問題は――」

「問題は家主に黙って人を入れたことね」


 その言葉が聞こえたと同時に従吾と直志の脳天に拳骨が落とされた。


「ぐえぁああああ!?」

「ぎゃあああああ!?」


 ガンガンと鐘が物凄く頭の中に鳴るくらいの痛さに二人は悶絶した。

 いつの間にか、岩崎菊子が部屋に中に入っていた。

 話に夢中で気づかなかったようだ。


「なにすんだよ! 痛てえじゃねえか!」

「玄関に見知らぬ靴があると思ったら……勝手に入ってくるんじゃないわよ!」


 怒声を発する菊子に対して「す、すんません、姐さん……」と謝る直志。

 数日の間で上下関係を叩きこまれたようだ。


「ていうか、なんで直志を殴れるんだ? こいつ妖怪だろ?」

「私はね、そんな趣味の悪い腕輪付けなくても殴れるのよ。おあいにく様。でもそんなことより、氷田さんが危ないらしいわね」


 話に入ってきた菊子に「氷田さんのことを知っているんですか?」と直志が訊ねる。


「ちょっとした知り合いなのよ」

「……話を戻すぜ。俺は氷田が関わった事件を調べれば、女のことが分かるんじゃねえかなと思うんだ」

「へえ。番長のくせにいい考えね。だけど問題は二つあるわ」


 菊子の返しに「二つの問題ってなんだよ」と口を尖らせる従吾。

 直志は「教えてください」と頭を下げた。


「一つはいつから女の幽霊につきまとわれているのか。それが分からないとどこまで調べればいいのか見当つかないわよ」

「そりゃあそうだな。ここ最近ならまだしも、一年とか二年とかだと膨大過ぎて調べようがねえ」

「そうですね……もう一つはなんですか?」


 直志の問いに「もう一つはね」と菊子は無表情で答えた。


「どうやって氷田さんの関わった事件を調べるのか。情報提供なんてしてくれないでしょ。守秘義務があるんだから」

「…………」

「じゅ、従吾さん! 俺はいい考えだと思いましたよ!」


 下手な慰めはかえって傷つくものだ。

 従吾は「そこまで考えてなかったな……」と頭を抱えた。


「でもいい考えだわ。ちょっと待ってて。調べてくるから」

「はあ? どうやって――」

「警察署のデータベースにハッキングして調べるわ。数分でできる」


 とんでもないことを菊子はさらりと言った。

 従吾は「……本気で言っているのか?」と疑いの目を向ける。


「ハッキングなんてできんのか?」

「その手の技術は五才のときにお祖父様に習ったのよ」


 そう言い残して菊子は部屋から出た。

 直志は「よく分かりませんが」と恐る恐る言う。


「姐さんは良くないことをしようとしているんですか?」

「犯罪ど真ん中だ。バレたら実刑ものだな」


 そして数分後。菊子は「一年分のデータ取ってきたわよ」とスマホを直志に渡す。


「ついでにあなたのスマホ。課金はしないでね」

「課金? なんですか?」

「あとで教えてやる……とりあえず見せてくれ」


 従吾が代わりに操作すると最近の事件がデータで残っていた。

 警察のデジタル化は進んでいるなと従吾は思いつつ、スライドしていく。


「あん? この女じゃねえか?」

「もう見つけたんですか――確かに似ていますね」


 映っていたのはさきほどの女の上半身の写真だった。

 それは交通事故だった。親子二人が轢かれて亡くなったと書かれている。

 現場を処理したのは氷田巡査で、犯人は捕まっている。酔っぱらってハンドルの操作を誤ったようだ。


「なんてことだ……子供は幼稚園児らしいぜ」

「酷い事件ですね……しかし、何を返せばいいんでしょうね?」


 二人が考え込むと菊子が「まあ常識的に考えて」と言い出した。


「自分の命とか人生とかじゃないかしら」

「でもそれなら男のほうにとり憑くんじゃないですか?」

「それこそ逆恨みでしょ。理由が分かれば話は早いわ。その女を物理的に倒せばいいのよ」


 相変わらず乱暴というか暴力的な女だと声に出さずに従吾は思った。

 それと同じく何か引っかかるところを感じた。

 他に女には目的があるのではないか――


「直志。とりあえずまた明日、駅前交番に行くぞ」

「氷田巡査、いますかね?」

「さっきついでに調べたけど非番じゃなかったわ」


 従吾は小さく頷いた。

 氷田巡査がいるのならあの女もいるはずだ。

 絶対に決着をつけねば。

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