第2話商店街の忘れ物名人
早朝の花屋「山口フラワーショップ」。私は父より少し早く店に入り、いつも通りの開店準備を始めていた。水やりをしながら、心地よい花の香りに包まれていると、なんとも言えない幸福感が湧き上がってくる。やはり、ここに戻ってきてよかったと改めて思う。
開店準備が整い、店先に花を並べていると、通りの向こうから見慣れた小柄な女性が歩いてくるのが見えた。商店街では知らない人がいないであろう有名人、松井さんだ。彼女は年配の女性で、いつも落ち着きのない様子で、誰もが「夢咲商店街の忘れ物名人」として親しんでいる。彼女は商店街を行き来して、しょっちゅう何かを忘れていくことで有名なのだ。
「おはようございます、松井さん!」
松井さんは私に気づくと、大きな手を振って元気よく挨拶を返してくれた。
「おはよう、陽菜ちゃん。今日も元気そうだね!」
松井さんは笑顔を浮かべながら店先に近づいてきた。そして、どこか思いつめたような表情で私に話しかけてきた。
「実はね、陽菜ちゃん、昨日大事なカバンをどこかに忘れてしまったのよ。」
「え、カバンですか?」
松井さんの忘れ物癖には商店街の人々も慣れているが、今回はどうやらいつも以上に重要なものを失くしてしまったらしい。
「あの中には、お金や通帳、大事なメモが入ってるのよ。もうどうしようって困ってたの。」
それは確かに一大事だ。私はすぐに心配になり、松井さんにどこで失くしたか心当たりがないか尋ねた。
「うーん、昨日は青木ベーカリーでパンを買って、それから八百屋さんに寄ったの。でも、気がついたらカバンがなくなってて……」
「夢咲商店街」には松井さんのような年配のお客さんも多く、彼女がどこかにカバンを忘れてしまうことは、特に珍しいことではない。だが、今回ばかりは見つからなければ困る内容だ。
「私も一緒に探しますね。どこかに落とし物が届いてるかもしれませんし、商店街の皆さんにも声をかけてみましょう!」
私の言葉に、松井さんはほっとした様子で頷いてくれた。
「ありがとう、陽菜ちゃん。若い子に迷惑かけて申し訳ないけど、助かるわ……」
私はまず、隣の「青木ベーカリー」に向かい、青木さんに松井さんのカバンについて尋ねた。青木さんはすぐに心当たりを思い出し、少し考えた後、にやりと笑った。
「ああ、松井さんなら確かにカバンを持っていたような気がするけど……実際、店に忘れて行った記憶はないなあ。」
私は青木さんの言葉に首を傾げた。彼女がベーカリーでカバンを置き忘れた可能性が消えると、次は八百屋の「新田八百屋」へ向かうことにした。青木さんもついでに一緒に来てくれると言い、私たちは二人で八百屋さんへと向かった。
「新田八百屋」に着くと、元気な声で店主の新田さんが私たちを迎えてくれた。彼は夢咲商店街で一番明るい男で、いつも笑顔を絶やさない。
「おお、陽菜ちゃんと青木さんじゃないか!何か用かい?」
「実は、松井さんがカバンを忘れてしまったらしいんです。ここに心当たりはありませんか?」
新田さんは少し考え込んだ後、頭を掻きながら首を横に振った。
「いや、うちには届いてないなあ。確かに昨日来てたけど、カバンは持って帰ってたような気がするよ。」
私たちはさらに考え、もしかしたら他の店で忘れていったのかもしれないと、商店街の他の店舗にも尋ねに行くことにした。
その後も「夢咲商店街」のあちこちを回り、各店に松井さんのカバンについて聞き込みを続けたが、どこも心当たりがないという答えだった。私たちは少し疲れてきたが、青木さんは私に笑顔で励ましの言葉をかけてくれた。
「まあ、諦めずに探してみよう。商店街の人たちは皆、困ってる人を見捨てるような人たちじゃないからな。」
青木さんの言葉に、私も前向きな気持ちが湧き上がった。たとえ見つからなくても、こうして商店街の皆さんが協力してくれることで、松井さんが少しでも安心できればと思ったのだ。
「おーい、見つかったぞー!」
そうして、私たちが商店街の通りを歩いていると、遠くから誰かが大声で叫ぶのが聞こえた。振り向くと、クリーニング屋の守(まもる)さんが大きなカバンを持ってこちらに走ってきているではないか。
守さんは「夢咲商店街のヒーロー」として知られており、困っている人がいれば必ず助ける頼もしい存在だ。
「おお、守さん!それはまさか……」
守さんは大きなカバンを掲げ、得意げに私たちに見せつけた。
「間違いないぜ。松井さんのカバンだ。うちの前のベンチに置いてあったんだよ。」
私たちはほっと胸を撫で下ろし、守さんに感謝の言葉を伝えた。
「本当にありがとうございます、守さん。これで松井さんも安心すると思います!」
守さんはにっこりと笑い、軽く肩をすくめた。
「いいってことよ。こういうのが俺たち商店街の役目だからな。」
私たちはすぐに松井さんのもとへ向かい、守さんが発見したカバンを無事に届けた。松井さんは涙ぐみながら、何度も何度もお礼を言ってくれた。その姿に、私は胸が温かくなるのを感じた。小さな商店街だけれど、ここには支え合い、助け合う温かい心が確かに存在している。
「ありがとうね、陽菜ちゃん、青木さん、守さん。本当に皆さんにお世話になって……」
松井さんはそう言いながらも、またどこかほっとした様子で笑顔を見せた。その表情を見て、私も笑顔を返す。
その日の営業を終え、花屋に戻った私は、父に今日の出来事を話した。父も松井さんの忘れ物名人ぶりには慣れているようで、にやにやと笑っていた。
「松井さんはな、昔から商店街の皆を巻き込むような人だったんだ。けど、彼女の存在のおかげで皆が一つになれるっていうのも事実なんだよ。」
父の言葉を聞き、私は今日一日の出来事を振り返った。人と人がつながり、支え合いながら生きていく。そんな当たり前のことが、夢咲商店街には当たり前のように存在している。それが何よりも心地よく、私がここで働く意味を再確認させてくれた。
「明日もまた頑張ろう」
そう思いながら、私は静かに夜の商店街を見渡した。
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