2 謀の真相は

「……どうしたのだ、急に黙り込んで」


 襖の向こう側から怪訝そうな声がして、物思いから浮上する。深刻な態度は柄ではない。雪音は意図して軽薄な調子で笑い声を立てた。


「まあ。情がどうのだなんて、改めて訊ねられると照れてしまいますわ。それよりも、いつまで襖越しなのかしら。ああ、もどかしい。あなた様の逞しいお姿を拝見したいわ」

「対面しても、妖狐ようこの餌にはならぬぞ」


 愉快そうな声と同時に、襖が開かれる。剛厚つよあつとよく似た大柄な男が現れて、室内に足を踏み入れた。雪音は畳の上に端座して指を突き、平伏して呼びかける。


「お久しゅうございます、義兄上様」

「ああ」


 軽く顔を上げ、上目遣いに男の顔を見上げた。奥野国主おくのこくしゅ狭瀬はざせ源太郎厚隆あつたかが、妖狐の眼差しを浴びて口の端を持ち上げる。


「相変わらず妖艶なことよ。人間のふりをして、その愛らしい顔で剛厚を騙していたのだろう。ああ哀れ。純朴すぎる我が弟は今頃、本性も明かさぬ妻のため、幸厚ゆきあつに討たれていることだろうな」


 狭瀬三兄弟の次男、源次郎幸厚。なぜ今その名が出るのかと訝しむ。雪音の眉間に刻まれた皺を見て、厚隆は饒舌になる。


「おまえが生気を吸って気絶させた男。奴は幸厚のところから借りて来た臣なのだ。幸厚は家臣を危うく殺められかけて黙っているほど軟弱ではない。それにあいつは、以前からあやかしをよく思っていないのだ。きっと剛厚の元に直談判に行くだろう。そうなれば、人間だと信じている妻を殺人妖狐扱いされた純粋な剛厚は、間違いなく反発するはずだ」

「目的は何ですの」

「無論、奥野国を富ませることだ。そのために、弟らには争ってもらわねばならぬ。わしは、誰にも関与されずに妖山あやかしやまを自由にできる立場が欲しいのだ」


 厚隆は雪音から畳一枚隔てた辺りに胡坐をかいた。どうやら、腰を据えて会話をする気になったらしい。


「白澤家は人間からもあやかしからも慕われる、古参の家臣。主家の当主とはいえ、わしがその領地を強奪すれば今後の統治に影響する。それゆえ、先代白澤当主を衰弱死させ、剛厚を婿養子にして城主に据えた。しかし剛厚は、これから始まる兄弟喧嘩の末、白澤領に混乱をもたらしてしまう。そうなればもう、わしが奥野国主として騒乱を静め、白澤領を直轄地とするしかない」

「聞いているだけで気分が悪くなるようなお話ですこと」

「まさに鬼の所業とでも思っただろう。ああ、化け上手な妖狐であればとうに気づいているだろうが、わしは比喩ではなく真の鬼だ。末弟の剛厚も両親が鬼。幸厚は母親だけ人間だがな」

「先々代、狭瀬鬼十郎おにじゅうろう様が鬼であったという噂は真実なのですわね」

「話が早くて助かる」


 厚隆は頷き、淡々と続けた。


「あやかしは本来、人間なんぞとは比べものにならぬほど、肉体的にも精神的にも強い存在だ。それなのに我らの暮らしはどうだ。山間部の田舎に追いやられ、原始的な生活に甘んじている。町で暮らすあやかしもいるが、蟻のように数の多い人間らから遠巻きにされ、肩身の狭い思いをしている。立身しようとすれば、我らのように、あやかしであることを隠さねばならぬ。おかしいとは思わぬか。あやかしとて、奥野国の領民。白澤領に至っては、あやかしの方が数多く住まうというのに」


 わからなくはない。そのような不満を抱くあやかしは以前から存在した。けれども、奥野国から一歩出て、島国全体に目を向ければ、あやかしの比率はぐんと下がる。結局、この島国は人間のものなのだ。


「わしは奥野国に、あやかしも堂々と暮らせる国を作りたい」

「ご家来衆たちは、義兄上様のお気持ちをご存じの上でお仕えなさっているのですか?」

「真実は、ごく僅かなあやかしらにのみ伝えてある。一方、人間の重鎮には、近頃のわしの策略は妖山を手中に治めあやかしに対する統治を強めるための行いであると偽りを告げてある」


 妖狐を憎み厚隆に仕える喜助きすけの姿が脳裏に浮かぶ。かつての思い人が何も知らされずに利用されていると聞けば、胸に重苦しい靄が湧く。


 雪音は軽く瞑目して気持ちを切り替えてから、首を傾けた。


「ですが、義兄上様は国主です。あやかしであってもおおやけに活躍できる国を作りたいのなら、何もこのような根回しをしなくても、独自の国法を定めればよいだけではありませんの?」

「だが、隣国が黙ってはおるまい」


 厚隆の言わんとすることを理解して、雪音は頷いた。隣国の国主は無論、人間だ。所領のすぐ近くにあやかしの国ができたとなれば、突然生じた不穏の芽を摘み取ろうと、周辺諸国と結束して奥野国に攻め入るかもしれない。しかし。


「あやかしの能力をもって迎え撃てば、敵わないこともないですわ」

「武力面ではな」


 厚隆は太い指で顎を撫でた。


「奥野国は島国の北部に位置する。当然寒冷であり、作物の実りもよいとはいえぬ。ゆえに、山や海の幸に頼り日々の糧を得、鉱山を掘り地金を売って富を築いてきた。隣国との通商がなくなってしまえばこの国は立ち行かぬ」

「ではどうするのです」

「北だ」


 厚隆は口の端を不敵に持ち上げた。


「妖山の北には、広大な海があり、北方にある異民族の土地との交易が細々と行われている。妖山を切りひらき、街道を通せば交易も漁業も盛んになり、奥野国は隣国に頼らずともよくなるはずだ」

「妖山を、切りひらく」

南蒼川なんそうがわが涸れたのは、あの場所に港と妖山城下を繋ぐ街道を普請しようとしたからだ。それと同時に、幸厚と剛厚の不仲が招ければ一石二鳥だったのだが」


 悪事を暴露し続ける厚隆の瞳の色は暗いが、どこか愉快そうな光を宿している。雪音は黙ったまま、耳を傾ける。


「南蒼川の地下水位操作のため、山寺へ送った書状。わしは、あれの差し出し人として幸厚の名を書いた。それを剛厚の目に触れさせることで、兄弟の戦いを誘発しようとしたからだ。残念なことに署名は、おぬしに消されてしまったらしいが」


 実は、山寺でのあの晩、雪音は手がかりを探すために一芝居打った。遭難して寺に一晩の宿を得ていた女人の姿に化けて、雲景うんけいに接近したのだ。


 妖狐は人間に化けるものとはいえ、その容貌には生まれついての性質がある。妖狐雪音は人間雪音の姿をとるのが最も自然。それゆえ、他人に化けるのは骨が折れた。薄闇でなければ、別人であると見抜かれてしまっただろうが、雲景はまんまと罠にかかってくれた。


 色欲に溺れた愚か者の生気を吸い取り失神させて手に入れた書状には、南蒼川を涸れさせよという命令が、狭瀬源次郎幸厚の名で記されていた。けれども雪音は妙に思った。


「義兄上様とは、源三郎様の婿養子入りが決まる前後から、頻繁に文のやり取りをさせていただいておりました。それゆえ、一目見てあれは義兄上様の筆跡だと確信しましたわ。けれど、記されていたのは源次郎様のお名前。何かよからぬ企みで、源次郎様と源三郎様を争わせようとなさっているのではないかと思い、咄嗟に署名を墨で塗りつぶしましたの。少し早計でしたが、あの時は時間がなかったもので、ああするより他になく」


 そしてくだんの文を、見ず知らずの女人に握らせた。雪音自身はただ、哀れな女人を介抱するように装って、書状を手に入れたのだ。


「さすが、妖狐は知恵も回るらしい。しかしそうなれば、異母弟らを争わせるために他の策が必要だった。そこで考えたのが、此度の夜間不審死事件。妖狐と雪女の関与を仄めかせながら、あえて無理のある状況を作ったのだ。あやかしが何者かに陥れられていると察したおぬしはきっと黙ってはおられまい。そうしておぬしに幸厚の家臣の生気を吸いとってもらい、異母弟らの関係を悪化させようとした」

「あの事件はやはり、あやかしのせいではなかったのね」

「狙ったのは下戸げこばかりだ。天狗の酒を就寝前の水に混ぜて飲ませてな、身体を少し湿らせてやれば、眠っている間に凍死する。ならば雪女が犯人かと思われるだろうが、夜には狐が鳴き、雪の上にも足跡が残っている。明らかに妙な事件だが、愚かな人間たちは、とにかくあやかしのせいだと言って騒ぎ立て、憎悪が憎悪を招く大騒動となる。正直ここまでとは思わなんだが、首尾は上々だ」

「それで、なぜ私にそのような重要なことをお話してくださるのでしょう。懺悔なのかしら」

「まさか」


 厚隆は朗らかにすら見える調子で笑い声を立てた。


「無駄にべらべらと真相を話したわけではないぞ。おぬしはこれから、我らの同志となり、ともにあやかしの国を作るのだ。すでにあやかしの仲間が続々と集まっておる」

「なぜ私を?」

「おぬしの妖狐としての技量に感服したからだ。一瞬で生気を極限まで吸い尽くし、殺すことなく失神させる。見事な手腕だった。これぞ、新たなあやかしの世を統べる中枢に相応しい」

「お断りいたしますわ」

「では、剛厚の命と引き換えならば?」


 雪音は口を閉ざし、厚隆に鋭い目を向ける。彼は芝居がかった仕草で眉を上げた。


「おお、言ってみるものだな。まさか妖狐が獲物に情を移したか? いいや、ただ美味い餌場を失いたくないだけか。まあどちらでも興味はないが、とにかく首を縦に振るまで、おぬしはここから出られぬぞ。さかしい妖狐ならば、身の振り方を誤りはせぬな?」


 一方的に言い終えて、厚隆は腰を上げる。一瞬、その首に食らいつき、生気を吸い尽くしてしまおうかと考えたが、狭瀬の当主はそこまで不用心ではないだろう。雪音が牙を剥けば、どこかに潜ませた近習が刀を抜くはずだ。


 冷えた畳の上、雪音はなす術なく、無防備な背中を向けて去って行く肩衣かたぎぬ姿を見送った。

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