3 三異母兄弟の会合①

 冬が深まり始める時期とはいえ、北藍川ほくらんがわにはまだ氷は張らない。その鋭く冷えた水の流れを挟み、狭瀬はざせの次男と三男が兵を動員して睨み合っている。


 狭瀬源次郎幸厚ゆきあつの異母弟、白澤源三郎剛厚つよあつは、争いを好まぬ男であるとの噂。けれども領地に攻め込まれたとなれば籠城か迎え撃つかの二択である。百姓らは、突然の徴兵に動転しながらも、戦場に馳せ参じた。


 鈍色の空からは、はらはらと雪が降りしきる。戦を始めるには寒すぎる季節である。陣の規模は互いに小さく、未だ弓矢も交わしていない。


 それもそのはず、これはただの睨み合うふりなのだから。


「来ましたぞ、小兄者しょうあにじゃ


 異母弟剛厚の声に、幸厚は腰を上げた。


 布陣のさらに下流側。川幅が広くなる辺りに、物流のために築かれた河川港がある。その一画に古くから建ち、狭瀬家とも関連深い寺の一室でのこと。住職が、舶来物なのだと言い貸してくれた単眼鏡たんがんきょうで野外を眺めていた剛厚が、表情を引き締めて振り向いた。


 幸厚は袖の下で組んでいた腕を解き、単眼鏡を受け取り右目に当てる。遠方の物が大きく見えるという舶来の筒の向こう側、白と灰に染められた雪景色が広がっている。


「ほら、あちらです。もう少し北」


 剛厚の太い指が指し示す方へ筒を向けると、内陸方面から、数騎を引き連れた男が雪煙を上げつつこちらへ向かっているのが見える。奥野国主、狭瀬源太郎厚隆あつたかだ。


 先日、幸厚と剛厚は長兄にそれぞれふみを出し、己の陣営に助力してくれるようにと偽の嘆願をしたのである。


 異母弟らが仲違いの末、季節外れの戦を始めようとしていると聞き及んだ厚隆は、この寺を指定して合議を設けることを命じた。


 国主自ら白澤領までやって来たのは他でもない。異母弟らの喧嘩に深く介入することで、妖山あやかしやま地域を接収する機を狙っているからだ。


 幸厚は手を下ろし、剛厚のごつごつとした顔に視線を向けた。


「いよいよこの時が来たな。心の準備はいいか」

「無論です」

「実の兄を騙し、陥れるのだぞ。そなた、本当にできるのか」

「それは……叶うことならば兄弟で争いたくなどありません。ですが、つゆの言葉が真実ならば、黙っているわけにはいかぬのです。断固として抗議し、血を見ることも厭いません。それがしには守るべきものがありますゆえ」


 常日頃、煮え切らない態度が多い異母弟の、いつになく勇ましい声。幸厚はこのような時だというにもかかわらず感心した。


 異母弟剛厚は幼少期から、実の母親と長兄の母との諍いを身近に目の当たりにしてきた。側室と正室という立場の違いはあったものの、彼女らは共に鬼であり、幸厚たちの父親である先代の寵愛を巡り、激しい舌戦や嫌がらせの応酬を繰り広げていたのである。


 そのように激しい環境下で育ったこともあり、剛厚の人格は逆に、争いを好まぬ少し気弱なものとなった。


 侍女の小袖に隠れてもじもじとしていた幼い剛厚。けれども今や、弱々しい異母弟の姿は影を潜めた。決して仲睦まじい兄弟ではないものの、妙に感慨深くなり、幸厚は思わず呟いた。


「変わったな、源三郎。領主としての覚悟か。いいやむしろ、白澤の姫が囚われたせいか」


 剛厚は一瞬表情を失う。続いて、凛々しい眼差しはどこへやら。頬を紅潮させてしどろもどろになった。


「なっ、そ、そそそそ某は昔から、自らのやるべきことに責任を持つ男です。無論、領民のために強くあらねばと己を律しているにすぎません。断じて雪音がどうのというだけでは」

「そうか」


 昔から剛厚は純朴で、むしろ愚直すぎるところがあった。頼まれごとを断れず、損をしたこと数知れず。美味そうな死肉を見つけて食おうとするも、遺族がいるとなれば途端に哀れみその場を去り、空腹に涙を呑んで野菜で腹を満たす。


 泣く子も黙る純血の鬼がこうも情に弱ければ、さぞかし生きづらいことだろう。幸厚は哀れみと同時に軽蔑すら抱いていた。だがしかし。


(こうして歩み寄ろうとしてみれば、案外可愛いものだな)


 三兄弟一の巨漢を真っ赤にして肩を縮こまらせる剛厚に、思わず笑みが零れた。


 やがて、寺の周りが騒がしくなる。長兄が到着したらしい。住職に先導されて異母弟らの待つ一室へ通された厚隆は、大仰に肩を怒らせていた。


「いったい何があったというのだ、幸厚、剛厚。兄弟で争うなど、愚かだぞ」


 白々しいことこの上ない。露の葉の言葉が真実ならば、幸厚と剛厚を争わせようと画策したのは厚隆のはずだ。幸厚はひそめた眉を隠すため、剛厚と共に平伏した。


「兄上、このような場所までご足労いただき、もったいのうございます」

「ああ」


 幸厚の言葉に鷹揚に返し、厚隆は腰を下ろす。衣擦れの音と共に、着物に染みついた雪降る外界の名残がひんやりと部屋に広がった。


「おまえたち二人から届いた文を読み、目を疑ったぞ。いったいどういうことなのか説明しろ」


 幸厚は顔を上げ、剛厚を冷たく一瞥してから言った。


「源三郎の妻女が、我が家臣を危うく殺しかけました。本人からの事情説明を要求したのですが、城にはいないとぬかすのです」

「何を白々しい! 雪音を不当に捕らえたのは小兄者でしょう。証拠もある!」


 剛厚が激高したふりをして、手のひらで畳を叩いた。ばこん、と激しい音が鳴る。ほんの一瞬で藺草いぐさに微かな手形がついた。


 性根は善良で気弱な剛厚である。縁ある寺院の畳を陥没させるという予期せぬ粗相に束の間顔を曇らせたが、すぐに気を取り直し、上体を前傾させる。


「雪音の鏡台の引き出しに、これがありました」


 剛厚は懐から一本の矢を取り出し両端を握り、ぐにゃりと曲げた。


「ご覧ください、この強靭さ。某が真っ二つにしようとしても、なかなかに骨が折れます。そしてよく見れば、普通の矢竹よりも節が詰まっている。どう見ても、観山みやま城固有の矢竹。大兄者おおあにじゃが以前から観山の誇りとされていた上等な矢です。この矢を使うには、狭瀬当主の大兄者から下賜されねばなりません。そしてここ」


 剛厚は太い指で矢の羽根を撫でた。


「墨がついています。おそらくこれは、矢文として利用されたのでしょう。雪音は、観山城主に連なる何者かから極秘の文を受け取っていた。無論、いつ受け取ったものなのかはわかりません。ですが、争った形跡もなく忽然と姿を消したことを考えると、雪音はこの矢文に誘い出されたのではないかと思います。いかがですが、小兄者しょうあにじゃ。お心当たりがあるのでは」

「あるものか」


 幸厚は吐き捨てる。


「あの矢竹は観山城地域にしか育たぬ貴重な種だ。戦乱の折ならまだしも、平時から、これほど貴重な矢を手にできるものか。そうですよね、兄上」


 水を向ければ、厚隆は顎を撫で、うむと唸る。幸厚は剛厚に向き直る。


「そもそも、恐れ多くも観山の竹を矢文になど利用しない。足がつくのは火を見るよりも明らかなのだ。そんな者がいるとすれば、この矢の価値を知らない阿呆者。少なくとも、我ら兄弟ではない」

「では、観山の矢竹を知らぬ、小兄者の下級家臣者の仕業でしょう」

「無理があるぞ、源三郎。先ほども言った通り、私の屋敷には観山の矢は存在しない。調べてくれてもいい。そもそも大兄者なら、私がこの矢を頂戴していないことをご存じのはず。そうですよね」

「ああ……」

「どうせ盗みでもしたのでしょう。それに、もう一つ怪しいものがあるのです」

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