12 潜入がばれました
不意に割り込んだ低い声に、
その途端、龍の兄弟の姿がかき消える。ぴちゃんと水の跳ねる音が二つ響いた。どうやら龍の姿に戻り、近くの水場に身を潜めたらしい。
残されたのは、鬼と人間と河童娘。もっとも、相手は人間のようなので、剛厚の正体が鬼だとは気づいていない様子である。
「ご参拝の方か。しかし夜更けに、このような山奥にお越しとはいかがなさった」
「い、いいや」
隠密行動のはずが、早々に不審者として見咎められてしまった。剛厚はもごもごと口ごもってから、腹を決めて言った。
「某は
「道に迷われた?」
「うむ。山道を下っていたはずなのだが、こう、行っても行ってもなぜか気づいたら同じ場所に戻って来てしまうのだ」
剃髪の男はいくらか表情を緩め、ああ、と頷いた。
「
先達、ということはこの山寺の有力者か。怪しげな術で水を封じられたという龍たちの訴えが本当ならば、何か聞き出せるかもしれない。剛厚たちは雲景の背中に続き、薄暗い本坊内を進んだ。
足を進める度、床が軋む。人の気配を感じたのだろう、部屋の中から見習いと見える若者たちが眠たげな顔を覗かせた。雲景は彼らに向けて命じる。
「妖山殿のご来駕だ。寝具の準備をしてくれるか」
「へっ!?」
若者らは束の間頬を引きつらせ、顔を見合わせてから剛厚の顔をまじまじと見る。それから礼を失したことに気づいたのか、飛び跳ねるようにお辞儀をして廊下を駆けて行った。
貴人への畏怖、というよりもただ単に顔立ちが恐ろしかっただけかもしれない。
「夜更けにかたじけない」
「お気になさらないでください」
ゆったりと先を進む雲景が、肩越しに振り返る。手燭の薄明りにより生まれた陰影に消され、その表情は読めない。
「実は今宵、本坊へのお客人は二組目なのです。普段は日中ですら参拝客の少ない山寺なもので、彼らも驚いているだけですよ。皆、妖山殿と奥方様のご来駕を光栄に思っております」
「はあ。もう一組は、どのようなお客人なのだ」
「若い
「ああ、それは」
寺に駆け込む女人。夫や父親から逃げようとしたのかもしれない。実際、そういった例は枚挙にいとまがない。
「さあ、着きました。狭苦しい場所ですが、どうかご容赦を。侍女殿はあちらへ」
案内されたのは、庭に面した一室だ。軽く室内を見回してから、雪音がしずしずと声を上げた。
「なつめ、後で用があります。人心地ついたらまたここへ」
「あ、はひ、かしこまりました。おゆ……奥方様」
心細そうに眉尻を下げ、なつめは雲景と共に廊下奥の闇へと溶ける。入れ替わるようにして、少年が寝具を抱えてやってきた。剛厚の顔に視線を掠らせてからすぐに目を逸らす。やはり怯えているらしい。
「夜間に大儀であった」
寝具が整い終わり、部屋を辞する少年に労いの声をかける。剛厚としては精いっぱい柔らかな声を出したつもりなのだが、少年は大きく肩を揺らして、挙動不審気味な一礼をして去って行く。どうもままならぬことだ。
「
若干しおれつつぼやいた夫の顔を、雪音は目を丸くしてまじまじと見る。やがて、袖で口元を覆って鈴を転がすような声で笑った。
「領主なのですから、貫禄があるのはいいことですわ。それに彼らの態度が妙なのは、殿のお姿が原因ではないと思います。あれはきっと、やましいことがある時の振る舞いです」
「やましい?」
灯台の火を弾き、雪音の瞳が朱金に煌めいた。
「つまり、
「やはり、雲景らが怪しげな術を?」
「その可能性は高いですわ。境内のいたるところに湧いていた水をご覧になりました? このような崖に建つ山寺に、あれほどの水が出るなどおかしなことです。畑の実りも相当ある様子でした。調査いたしましょう」
「しかし、雲景たちに見つかってしまったら」
「夜陰に紛れれば大丈夫です。それにあなた様は妖山領の主ですのよ。領主が領内を検地して何を咎められましょうか」
「うむ、まあそれもそうか」
どちらにしても、川の問題を解決しないことには、どうにもならないのだ。調査の結果、濡れ衣だと判明するならばそれでいい。
しばらくしてからやって来たなつめを交え、三人はひっそりと本坊を抜け出して、険阻な高地に築かれた山寺の探索を始めたのだった。
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