13 いざ参ろう、あやかしの暮らしを守るため
緑色のさやがつき始めた豆畑。その隣、滾々と湧き出る泉の脇を通り過ぎた時、不意に水音が鳴り、一尺五寸(約四十五センチ)ほどの二体の龍が顕現した。
「無事に誤魔化せたみたいだな」
「まあ、怪しまれてはいるだろうけどね」
強気で言ったのは
「みごとな水隠れであったな、龍よ。それで、水封じの
「それが、見つからねえんだよな。呪具やら呪符やらがあるかと思ったんだが」
「僕たちが調べたのは主に建物外だから。もしかすると本坊やお堂に何か仕掛けがあるのかも」
剛厚は唸る。
「うむ、そうなるとやはり、客人として堂々と屋内に入れる我らが手がかりを得るしかないか」
「あのう」
なつめが、おずおずと手を上げた。
「申せ、なつめ」
「あ、はい。そのう、呪具というのは具体的にどのようなものなのでしょうか」
二体の龍は水の鼻面を突き合わせる。しばしの間が空いた後、北藍が首を振った。
「全く見当がつかねえ」
「しかし、南蒼川が涸れた理由が水封じの
剛厚の言葉に、北藍はあっけらかんと答える。
「だって、そうとしか考えれねえだろ。雨は降っているのに、突然川の水が消えたんだぞ」
「なっ……では、この山寺が怪しいと申すのも、全てはあてずっぽうなのか?」
「あてずっぽうなわけねえだろ! ここの山寺に急に水が湧き始めたと教えてくれたやついるんだよ。それにな、南蒼川が涸れる前に分流点辺りで怪しい動きをする山伏らを、俺も見かけている。これで勘違いなことがあるか」
「まあ。つまり憶測ということなのね」
雪音の言葉に煽られて、北藍がいっそう語気を強めた。
「うっせえな。けどよ、少なくともあの
剛厚は眉根を寄せる。もしや、少年たちが何かに怯えた様子であったのはそのためだろうか。普段から無理強いされているのであれば、哀れである。けれども男色は、寺のみならず城でも行われることであり、それが理由で雲景らを怪しげな呪術師と断定するのは不適切だ。
「とにかく、実際に目で見るしかありませんわね」
難しい表情で空を眺めていた雪音が、口を開いた。
「時間が惜しいですわ。二手に分かれて手がかりを探しましょう。頑健な殿と北藍は石段の上を調べていただけませんか。そして、私となつめ、南蒼はこの近辺をもう少し探ってみるのはいかがでしょう」
「いや、しかし」
どこへでも果敢に乗り込んで行こうとする雪音のことだ。剛厚の目の届かない場所で危険に見舞われることもあるだろう。できることならば側においておきたいところだが、夜は永遠ではない。日が昇る前に白黒つける必要がある以上、二手に分かれるのは合理的な判断だ。
剛厚は、青白い月影に照らされた雪音の愛らしい顔を見つめてから、軽く嘆息して頷いた。
「いや、何でもない。そなたの言う通りだ、雪音。しかし、危険なことはしないでくれよ」
「もちろん、心得ておりますわ」
にっこりと微笑む雪音に一抹の不安を覚えつつ、剛厚は北藍を伴い薄暗い石段を上り始めたのだった。
「こうして肩を並べてはいるけどな、俺は人間のことが大嫌いなんだ」
人型を取り、背中に赤子を背負った北藍が、心底忌々しげに言い捨てる。
「妖山のあやかしは昔から、何にも縛られずに生きてきたんだ。それが気づいたら、領主だ何だって人間の決めた枠組みに勝手に入れられてさ。横暴にもほどがある」
「うむ、それは……返す言葉がない。しかしな、確かに白澤家は妖山を領有しているが、代々の当主は誰に進言されても妖山に手を加えることを拒絶していたと聞く。横暴とは言いがたかろう」
「山ん中はな」
梢で月光が遮られた坂道を上りつつ、北藍は舌打ちした。
「俺は川だ。下流域は人里に囲まれてるんだよ。山中のあやかしが白澤家に尻尾を振ってんのは知ってるさ。だが俺は騙されねえ」
「なるほど。ではそなたは、下流域に暮らす人間が川の水を利用するのが嫌なのだな」
「別に俺だって、常識的な範囲内で水を汲むくらいなら許すさ。だけど人間たちは度を越してんだよ。川を汚し、必要以上に水を奪う。それくらいならまだ可愛いもんで、流れを変えて堰き止めることだってする。浸食や氾濫で新しく生まれようとした支流に堤防を築き、弟妹の命をまだ種のうちに刈り取った。それもこれも全部妖山城主の命令だし、川の側に住む人間の利益だけを見た施策だった」
「抗議はしたのか」
「抗議? もちろんしたさ。雷雲を呼んで天守閣に雷をぶっぱなしたり、堤防を決壊させるほどの雨を降らせたり、あとは」
「い、いやいや待つのだ北藍。それでは逆効果だろう」
「何が」
「領主としては、理由もわからぬ豪雨が続くのならば、なおいっそう治水に尽力するものではないか。正当な理由があって抗議するのなら、たとえば陳情書をしたためてだな」
「そんな人間みてえな回りくどいことするか。俺は龍だぞ!」
声量は抑えつつも語気は激しい。ふん、と鼻息を荒げる北藍の背で、夢の世界を
剛厚は、石段の最後の一段に足をかけて嘆息した。
「龍だから、というよりも性格の問題では?」
「うっせえぞ人間風情が! 陳情なら今ここでしただろうが。何とかしろ、妖山城主!」
「うむ……」
図体に似合わず争いごとを厭う剛厚である。北藍の境遇を思えばその憤りももっともなことだろうと思え、反駁せずに口を閉ざした。
北藍も体格はいい方だが、剛厚の分厚い肉体には及ばない。屈強な男を言い負かしたことに気をよくし、いくらか心を落ち着かせた様子の北藍は、道脇の石碑やら古びた小道の跡やらを真面目に調べ始めた。剛厚も強張っていた全身を平常時まで緩め、水封じの手がかりがないものかと探索する。
やがて、夜が更ける。
半刻ほど境内を見回ったのだが、何の不審も見当たらない。木々の間から、ヒョーという鳥の声が響いた。剛厚は、下草をかき分けていた手を止めて、額の汗を拭いながら梢を見上げた。
「トラツグミか」
まるで人の悲鳴のような甲高い鳴き声だ。人間らはその不気味さに怯えるものなのだが、あやかしである剛厚らにとってはさほど恐ろしいものではない。それよりも。
――ヒョー、ヒョーッエ。ヒョーエ……。
「しゃっくりみてえな鳴き声だな。鳥にも音痴がいるとは」
「ヒョ、ヒョー、誰が音痴じゃ!」
「うおっ!」
トラツグミがしわがれ声を上げるのと、北藍が、眼前に現れた丸々とした影に驚き上体を仰け反らせたのはほとんど同時だった。月影の中、どろん、と
音痴、という単語に激怒した老声には聞き覚えがある。剛厚は丸々とした影に歩み寄り、目を丸くした。
「
そう、人間のように直立し腰に手を当てて、眉の辺りを怒らせているのはほかでもない。剛厚たちの祝言の晩、妖狸屋敷で酒宴を催してくれた狸爺だった。
「やいやい、妖山殿。これは奇遇じゃ。雪音は元気かのう」
「うむ、我らは変わりなく……ではなくてなぜここにおる。それにそなた、先ほどまでトラツグミに化けていたのか? いったい何のために」
「うむ。
「あんな音痴だったら意味ねえんじゃねえの。逆に笑える」
「まあそう言ってくれるな」
呆れ顔の北藍の側で茂みが揺れた。窘める声と共に姿を現したのは、音が出ないよう錫杖の代わりに太枝を手にした天狗である。
「おお、
「妖山殿、遅参となり申し訳ございませぬ」
戸喜左衛門は顎を引いて一礼し、剛厚たちの横に並んだ。その背後から、屈強な天狗とふわふわの妖狸らが数名現れた。次々と集まる仲間の姿に、剛厚の胸が熱くなる。
「戸喜左衛門と天狗の皆、それと狸爺にお仲間たち。そなたらもしや、水を封じたと思しき術師らを成敗するために来てくれたのか」
「いかにも」
戸喜左衛門が頷いた。
「わしら妖山の住人にとって、
戸喜左衛門は北藍に目を向けて、力強く頷いた。視線を受けて、意外そうに眉を上げた藍色髪の青年は、ぷいと視線をらし、照れ隠しのように言い捨てた。
「馬鹿じゃねえの。せっかく逃がしてやったのに」
北藍にも案外可愛らしいところがあるものだ。剛厚は妙なところで感心してから狸爺に訊く。
「して、狸爺とお仲間はどのような心意気で来てくれたのだ」
「わしらか? 無論、心置きなく山伏を化かせるなど、愉快も愉快だからじゃ。ひひひ」
「う、うむ、まあそれでもいいが、あやかし三箇条はしっかり守るのだぞ」
剛厚は咳払いをして取り繕い、居並ぶ面々に順に顔を向けた。
少し照れた顔のままの龍、北藍。血を滾らせ瞳を炯々とさせた天狗の戸喜左衛門とその仲間たち。さらには、浮ついた調子で忍び笑いを漏らす妖狸軍団。
彼らと力を合わせれば、事態は好転するに違いない。剛厚は拳を握り、高らかに宣言した。
「いざ、参ろう。あやかしの暮らしを守るため、これより戦の始まりだ!」
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