第10話 シルフィアの治療

「羽をやられています。飛べなくなった竜は衰えて死んでいくだけ。今楽にしてやったほうがいいかもしれません」


 フレヤが二人に追いつくと、竜医師の説明が始まっていた。


 竜医師は白衣を着た眼鏡の男性で、一人しかいないようだ。


 大きな訓練場には他の竜たちも待機しており、シルフィアを囲むように騎士たちが見守っている。


「シルフィアが苦しむくらいなら、楽にしてやったほうがいいのか……」


 ユリウスが辛そうな顔でシルフィアの身体を撫でた。


「兄上! そんなことをしたらエアロンが!」


 ノアが異を唱える。フレヤは後ろで首を傾げた。


「なんでエアロン?」

「シルフィアはエアロンの番なんだ」


 なるほど。


 同じく後ろのほうで見守っていたキリが教えてくれて納得する。


 竜は決めた一頭としか番わない。絶滅危惧種に指定されるほどなので、それは奇跡のようなものなのだろう。そしてフレヤはそんな竜のロマンチックな逸話が大好きだ。


 シルフィアに目をやれば、苦しそうに頭を地面に下ろし、身体を丸めるように伏せている。


 諦めた竜医師は薬を持っているが、シルフィアが手当てされた様子はない。つまり、見立てだけでシルフィアは命を落とそうとしているのだ。


 シルフィアを撫でてあげることしかできない己に腹を立てているのだろう。ユリウスは悔しそうに顔を歪めていた。

 ノアは顔が見えないが、背中から悲しみが伝わってくる。


 やはり竜を神とするアウドーラと魔物として研究をしてきたフレヤとでは見解が異なるようだ。


「大丈夫よ」


 リュックを肩から下ろし、先ほど調合したばかりの薬を手にシルフィアへと足を進める。


 すれ違いざまにノアが叫んだ。


「シルフィアに触るな! ――っ!」


 ノアは振り返ったフレヤを見て口を結ぶ。


 任せて。


 フレヤはそう伝えるように微笑んだ。


 シルフィアの横には長い階段状のステップが二本に分かれた梯子が置かれている。一番上の天板に座れば作業もできそうだ。


 その梯子に手をかけたところで、剣の切っ先がフレヤに向けられた。


「シルフィアは私の大事な相棒です。何かしたら切ります」


 いつもは穏やかなユリウスが剣を抜いてすごんでいた。


「楽にさせようと言っていたのに?」


 フレヤの発言で騎士たちの殺気が集まる。しかしユリウスは違うようだ。悲しそうにフレヤを見ている。


 シルフィアはユリウスにとって大事な存在だ。


 大丈夫。そんな選択はさせない。


「はい。何かあれば切ってください」


 フレヤは微笑むと、梯子を登り始めた。ユリウスは剣を構えたまま微動だにしなかった。


 「どうせ触れりゃしませんよ」と医師がユリウスに言うのが聞こえた。


 しかしユリウス・ノア・エミリアの三人はすでにフレヤがシルフィアに認められたことを知っている。もしかしたら、と期待の眼差しが注がれているのを感じる。


 どのみち楽にしてやる道しかないのなら、フレヤに賭けてみてもいいと思ってくれたのかもしれない。


 てっぺんまで辿り着くと、ちょうど怪我をした箇所に手が届く。

 今このときもシルフィアの翼からは血が流れていた。


「シルフィア、よく頑張ったね。偉いよ」


 布に殺菌効果のあるハーブ液を染みこませ、傷口に触れる。


 梯子の下からは、「シルフィアが触らせた!?」 と医師や騎士たちのどよめきが聞こえる。


 ピュイイと鳴き声を漏らしながらも、シルフィアは痛みに耐えている。


「痛かったね」


 次に竜の身体に効く塗り薬をつける。


(えっ?)


 フレヤは目の前の光景に目を疑った。


 薬を塗った箇所から傷が消えていく。


(アウドーラのハーブが良いの? それとも竜の再生能力!?)


 勉強をしてきたとはいえ、竜を前に実践するのは初めてだ。


 確か本には傷口に効く、としか書かれていなかった。


 驚いている場合ではない。傷口全体に薬を塗ると、血は完全に止まった。


 シルフィアも顔色を取り戻したようだが、体力が尽きて動けないようだ。頭だけ起こすと、フレヤに顔を近付け額にキスをした。


「……!」


 シルフィアの金色の瞳と目が合い、フレヤは目をぱちくりとさせた。


 確か竜からのキスは祝福と呼ばれ、めったにお目にかかれるものではないはず。


「…………!!」


 目の前で起きた光景は夢じゃない。温かい感触が額に残る。


 嘘、嘘、嘘、うそ……!


 全身の血がぐわっと沸騰したかのようにフレヤは興奮した。


 力尽きたかのように再び頭を地面に下ろしたシルフィアを見て、我に返る。


(早く竜房で休ませてあげないと!)


 ここでは風に晒されるし衛生的にもよくない。


 フレヤは急いでシルフィアに包帯を巻きながら梯子の下を見た。


 騎士たちが騒いでいる。シルフィアがフレヤに祝福を贈ったことがよほどショックだったのだろう。


「誰か……! シルフィアを竜舎に運ぶ手筈を……」


 何で敵国の女にとか、とにかく大騒ぎだ。


 竜の祝福がいかに希少なものなのか身をもって経験した。しかし今はシルフィアを休ませるのが先だ。


「誰か……っ、」


 誰もフレヤの言葉を聞こうとしない。焦れるフレヤに声をかけたのは意外な人物だった。


「僕に何かできることはあるか!」


 梯子の下からノアが声をあげてこちらを見上げている。


「シルフィアを竜舎に転移させたいので、魔石を持ってきてもらえますか?」

「待ってろ!」


 ノアはそう言うと、騎士たちをかきわけどこかに走っていった。


 自転車があるのに、慌てていたのだろうか。


 フレヤはぽかんとしながらも、ノアの背中を目で追った。

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