第3話 竜との出会い

 地下にある狭い部屋は寝る場所を除いて、足の踏み場もないほどの本で埋め尽くされている。


「片付ける時間はないから、着替えと……」


 机の上のノートを手に取る。


 魔物の研究といっても、歴代の聖女、特に大昔の文献を読み漁ることしかフレヤにはできない。自分が見聞きできる機会は少ないのだ。


「懐かしいな」


 小さい頃から魔物のことを書き綴ってきたノートは、これで何冊目になるかわからない。荷物をまとめる中で、一冊目のノートに目がいく。

 ページをめくると、へたくそな絵で竜が描かれている。銀色のうろこに綺麗な青い瞳、フレヤが魅了された始まりの竜だ。


 イシュダルディアは魔物が出ない平和な国だが、辺境ではたまに出没することがあった。辺境領の騎士たちは魔物と戦うべく、独自に研鑽を積んでいた。


 フレヤは、その辺境伯の娘だった。


 魔物である竜を信仰するアウドーラと相容れないイシュダルディアは、昔から微妙な関係であまり交流を持たなかった。


 竜騎士団がこちらを偵察するため国境付近に現れていると、よく王都から通達が来ていたが、辺境伯である父はよくフレヤに言い聞かせていた。


「我が国は結界のおかげで魔物から守られているが、アウドーラは違う。竜騎士と呼ばれる人たちが魔物と戦っているんだよ」

「竜は魔物じゃないの?」

「竜は良い魔物なんだ。それはそれは美しいんだよ」

「へえ~!」


 父のおかげでフレヤは、イシュタルディア人の「アウドーラは野蛮」という偏見を持たずに育った。


 母は薬師で、辺境騎士団のために薬を作っていた。フレヤはよく手伝いで薬草を取りに行っていた。

 『魔物よけ』のお守りは、地方領では持ち歩くのが当たり前で、当然フレヤも身に付けていた。


 ある日、とても重要な薬草が王都から入荷しなくなった。困っている母のために、フレヤは薬草を取りに行った。


 その薬草は、アウドーラとの国境沿いにある谷に自生していると知っていたのだ。


 自領の山はフレヤにとっては庭で、よく駆けまわっていた。その日も薬草を採取しながら谷へと向かった。



「困ったわ……」


 目的地に辿り着いた幼いフレヤは途方に暮れた。


 その薬草は、谷の岩肌にしか生えていなかった。


「この前まではすぐそこに生えていたのに……」


 この渓谷は、国境の境にちょうど川が流れている。


 その高さにフレヤはごくりと息を呑む。


「あ、あそこなら手を伸ばせば届くかもしれないわ」


 なだらかな道から一変、狭い道を渡った先の崖から、手が届きそうな薬草を見つける。


 フレヤは慎重に足を進め、崖から岩肌に手を伸ばした。


「やった――」


 薬草を手にした瞬間、強い風が吹き、ぐらりと世界が反転した。


 足を滑らせたフレヤは崖から転落していた。


「っっっ!!」


 叫びにならない声を吐き出しながら、死ぬ、と思った。


「掴まれ!」


 ぎゅっと目をつぶっていると、男の子の叫び声がした。


 思わず伸ばした手を掬い上げられ、フレヤの身体はゴツゴツした温かい何かに下ろされた。


「生き……てる?」

「大丈夫か?」


 目を開ければ、男の子の顔がすぐ目の前にあった。手綱を握る男の子の腕の中に自分が収まっていることに気づく。


「あ、ありがとうございました……」

「何でこんな無茶したんだ」


 男の子のお説教に、フレヤはしゅんとする。


「ごめんなさい……」

「いやっ! あの、ぶ、無事ならいいんだ!」


 慌てる男の子はぶっきらぼうにそう言ったが、優しい人だとフレヤは感じた。


「それよりお前、イシュダルディアの人間か? 騒ぐなよ?」

「えっ?」


 視線を下に向ければ、フレヤはまだ空の上にいる。


「!?!?」


 無風のため、自分が空を飛んでいるなんて気づかなかった。そして、自分が乗っているものの正体に気づく。


「もしかして、竜!?」


 ゴツゴツとした銀色のうろこは、触っても痛くない。


(この温かさは、竜だったんだ)


 初めて見た竜の身体は、父の言う通り美しかった。

 まじまじと竜を見る。くるりと首を回し、こちらに顔を見せた竜の瞳は綺麗な青で、フレヤは魅入った。


「うわあ……宝石みたい」


 気づけば言葉にしていた。


「気味悪いとか、野蛮とか言わないのか?」

「え? 何で?」


 ぽかんとして、すぐに思い至る。


「竜は良い魔物だってお父様が言ってたもの」

「竜は魔物なんかじゃない! 守護神だ!」


 フレヤの言葉に男の子が怒る。


「ごめんなさい……」

「いや……僕も怒鳴って悪かった」


 しゅんとするフレヤにすぐに謝ってくれた男の子は、やっぱり良い人だと思った。


(私、魔物よけを持っているのに……やっぱり竜は他の魔物と違うんだ)


 綺麗な竜に、フレヤは完全に魅了された。


「あれ、この子、怪我をしてるよ!?」


 右側の翼に傷を見つけ、男の子に顔を向ける。


「ああ。魔物討伐の帰りだからな。この国境沿いは魔物が出没しやすいから」

「そうなんだ……」


 竜騎士団はイシュダルディアの偵察じゃなく、魔物討伐で頻繁に国境沿いに現れていたのだとフレヤは理解した。


「あなたも竜騎士なの? 私と同い年くらいなのにすごいね!」

「! すごく……ない。僕が未熟なせいでこいつが怪我したんだから」


 フレヤは表情を曇らせた男の子に胸がきゅうと締め付けられた。彼のために何かしたいと思った。


「あ、そうだ! 私、薬草を持っているの! これ、竜さんに!」

「竜は人間とは違う構造だから、効く薬草も違うらしい」

「そうなんだ……」


 フレヤは何もできない自分がふがいなく思えた。


「帰れば竜医師がいるから心配するな」


 落ち込むフレヤの頭を撫でてくれた男の子に、宣言する。


「私、いっぱい勉強して、今度は竜さんを治せるようになるね!」

「……お前が?」


 男の子はぽかんとしてフレヤを見た。


「怪我してるのに、助けに来てくれてありがとう」


 竜を撫でると、嬉しそうに「ぴゅい」と鳴いた。


「……イシュタルディアにもお前みたいな奴がいるんだな」


 男の子はそう言うと、優しく微笑んだ。


「僕も立派な竜騎士になると誓う。お前は竜騎士団を支える竜医師だな。いつかアウドーラに来るか?」

「いいの?」

「ああ約束だ」


 フレヤは男の子と指切りをした。

 それからイシュタルディア側に下ろしてもらうと、姿が見えなくなるまで手を振った。

 また会えると信じて。



 それが、フレヤが魔物研究を始めたきっかけだ。

 その後、聖力を発現させたフレヤは神殿へ行くことになり、結界と魔物研究の繋がりを知り、ますます研究にのめり込んだ。


 両親が病気で他界し、後ろ盾がなくなり平民となっても、聖女の地位だけは奪われず、悲しみを忘れようとますます研究に没頭した。


 そうこうするうちにアウドーラとの戦争が勃発し、聖女としても国を出られないフレヤは、男の子との約束を果たせずにいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る