第2話 腐敗する国

「よし、ここで最後ね」


 街に出たフレヤは、手製の結界を確認して回っていた。


 魔物にも弱点はあって、嫌うハーブがある。結界とは、そのハーブを拡散させる装置のことだ。


 その昔、聖女がそのハーブに聖力を注いだところ、魔物が寄り付かなくなり国ができた。それがイシュダルディアだ。


 ハーブの調合は神殿の文献に残っており、歴代の聖女が受け継いできた。それとともに、魔石加工の発展を遂げたイシュタルディアは、ハーブの香りを拡散させる装置を造り上げた。

 装置は国を覆うように香りのドームを作り、魔物の侵入を許さなかった。それにより国は発展し、平和で豊かになったのだ。


「こんなのでも、いざというとき役に立てばね」


 お粗末な陶器の壺にハーブを詰め、城下門の横に置く。見張りの兵が訝し気にフレヤを見ているが、ローブのおかげで問いただされることはない。


 兵は大きなあくびをすると、またぼんやりと視線を前に戻した。この間まで戦争をしていたとは思えないほど平和だ。

 それでも、結界装置があるこの城下町は何としてでも守らなければならない砦だ。

 フレヤの足で国中に結界を設置するのには限界がある。せめてここだけは強固にと始めたことだ。


「結界があるというのに、聖女様は何をしているんだ?」

「しっ、魔物なんかを研究している気味悪い聖女だ。知らない方が良いこともあるだろう」


(まったく、自国のことなのにこの関心の無さ!)


 アウドーラとの戦争は、一方的にイシュダルディアが仕掛けたものだった。魔道具に頼り切った戦法で、隣国の国境線を侵したものの、竜騎士団との圧倒的な戦力を見せつけられた。それもそのはずだ。魔物が出ないイシュタルディアで騎士はお飾りの存在なのだ。彼らが訓練する様をフレヤは見たことがない。


(それもこれも、あの王太子が生まれてからおかしくなったのよね)


 国王夫妻の元に望まれた男児が誕生したのは、国王陛下が五十歳を過ぎたころ。それはそれは甘やかされて育った。


 王太子のために莫大な国家予算が注ぎ込まれ、神殿の予算が削減されていく中、結界の老朽化を神官が進言するも無視され、魔石は王太子の道楽のために投じられていき、ついに魔石が枯渇寸前までいった。


 焦った国は、隣国のアウドーラへ侵略することを決めた。


(でも、完全にこちらが悪いのに、何でアウドーラは魔石を援助してくれるのかしら)


 敗戦国に対して、破格の温情だと思う。


「フレヤ、いらっしゃい」


 神殿に戻る途中、なじみのパン屋に顔を出した。


「アンナさんこんにちは」


 出迎えてくれたアンナは、夫と二人でパン屋を経営している。


「はい、これ。余りもので悪いけど」

「いつもありがとうございます」


 アンナからパンを受け取り、お礼を伝える。

 フレヤの貴重な食糧源だ。


 アンナとは、空腹のフレヤが街で行き倒れていたときに助けてもらって以来の付き合いだった。

 旦那は寡黙で、実直にパンを焼き続ける職人気質だが情に厚い。夫婦に子供はおらず、フレヤはよくしてもらっていた。


「こちらこそ、聖女様の加護を分けてもらえてありがたいよ」

「そんなこと言ってくれるの、アンナさんだけだよ」


 レジ裏の棚に置かれていた小さな壺をアンナから受け取り、フレヤはハーブを詰めていく。


「あの新しい聖女様、また馬車でパレードしていたよ。王太子殿下と一緒に」


 アンナの話にげんなりする。


「あの聖女様が手をかざすだけで、この国が守られていると王都では評判だよ。まあ、私らはそんなの信じちゃいないけどね」


 アンナに壺を返し、フレヤは鞄から大量のハーブが入った袋を取り出した。


「アンナさん、私隣国へ行くことになったの」

「は!?」


 驚くアンナに袋を手渡す。


「いつ戻って来られるかわからないから、お守り渡しておくね。定期的に交換して」

「ありがたいけど……。隣国って戦争相手だろ? なんで……」

「勉強に行くのよ! 留学みたいなものかな?」


 本当は人質としてだが、アンナに心配をかけないようにと嘘をついた。


(私的には竜について見分を深められたらいいなとは思っているけど)


 人質だからそんな自由はないのかもしれない。


「そう……。気を付けて行くんだよ」


 アンナはそう言うと、フレヤを抱きしめた。

 両親がいないフレヤにとっては、本当の母のような存在で。この国を離れる唯一の心残りがあるとすれば、アンナだった。その温かさを存分に堪能して、別れた。


 一日はあっという間に過ぎてゆき、フレヤがパン屋を出るころには夕暮れが城下町を照らしていた。


 春は魔物が活発になるので、聖女はより忙しくなる。

 毎日大量にハーブを調合しなくてはならない。聖力をこめながら作るので、聖女以外には作れないのが難点だ。先代たちが引退してからはそれをフレヤ一人でこなしている。


 フレヤが神殿に帰ると、華やかなパーティーが開かれていた。


 チェルシーを神官たちが取り囲み、こびへつらっている。テーブルには食べきれないほどの食事が並んでおり、フレヤはパンが入った袋の口をぎゅっと握りしめた。


「あら、人質さん、最後の日は楽しめたかしら?」


 フレヤに気づいたチェルシーが、シャンパングラスを片手に寄って来た。


「……やるべきことはたくさんあるのに、またこんな無駄な贅沢をしているの?」


 大聖女の冠を戴きながら、なんて傲慢なんだろう。

 フレヤの軽蔑の眼差しは、チェルシーには羨望の眼差しに見えたのだろう。


「あなたのやるべきことって、魔物研究なの?」

「結界は、その魔物研究から生まれたものなのよ!」

「やあだ、神殿の変わり者がなにか言っているわ!」


 ぷっと吹き出したチェルシーに続き、神官たちも笑い出す。


(ほんと、腐っているわ!)


 こんな国でも、フレヤには夢があった。

 大聖女になって、魔物研究に予算を増やしてもらうことだ。


 神殿への予算が減らされ、貧しい生活を強いられても、みんな力を合わせてやってきた。そんな神殿が様変わりしたのは、チェルシーがやって来てからだ。


 仕事もせず、王太子と遊んでばかり。しまいには彼女が贅沢をするために神殿の予算を使うようになってしまった。苦言を呈した者は地下の部屋へと追いやられ、チェルシーに付いた者は優遇された。


 そして真の神官たちは皆辞めていった。最後まで残っていた者たちもついには追い出され、フレヤは一人になった。フレヤは魔物研究さえできれば良かったので、食べる物さえ与えられなくなっても耐えた。


 その間にもチェルシーは結界の功績を自分のものとし、大聖女の地位を掴んだ。


「そうだ、聖女に伝わるレシピ、あんたが改良したんでしょ? 置いて行きなさいよ。神官たちにやらせるから」


 神官たちを追い出しても、チェルシーがフレヤを置いていたのは、その功績を横取りするためだ。


「あれは聖女が作らないと意味がないのよ」

「あんたはそればっかりね。平民のあんたにできるなら、他の人にもできるでしょ。大聖女で尊いわたしが手を汚すなんて考えられないもの。……やだ! 怖い!」


 睨んだフレヤに、チェルシーが大げさに声をあげる。


「大聖女様!」

「大丈夫ですか!?」


 後ろで見守っていた神官たちがチェルシーの元へと集まる。


「私はただ、この国のことは任せてって言っただけなのに!」


 大げさに嘆いてみせるチェルシーを守るように、神官たちからフレヤへ非難の目が注がれる。


「あなたたちも神官なら、チェルシーの機嫌ばっかり取ってないで、国を守ることに注力しなさい!」

「んなっ!?」


 フレヤはそう言い捨てると、表情をこわばらせるチェルシーと神官たちを置いて、地下の部屋へと降りて行った。


「あんなのでも、国に危機が迫れば動くわよね?」


 そう思いながらも不安しかない。一つでも多く残していこう。

 フレヤは徹夜でハーブを調合した。

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