第3話 撒き餌

  少女の夢を壊したく無かったその時の気持ちは間違いでは無いだろう。


「まあ、そうだと思う」


「アリス、嘘ついても仕方ないでしょ。お嬢ちゃん、私達の世界はあなた達人間が空想するのに飽きたせいで潰れたわ」


・・・!

確かにそうだけど。


「そうなの・・・?」


少女は問う。


「どこにも無いんだ。お話の世界」


そう、手に持つ本を見つめる。

茶色く黄ばんだ、年季を感じさせる装丁。


私は何故かその言葉を聞いていたたまれなくなった。

現実への、諦めのような物を感じたから。


「お母さんを探してるって言ってたけど。今はどこに住んでるの?」


「おじさんのお家だけど、お家だったけど・・・あそこが嫌で、だから絵本の、お母さんの・・・!」


静かに涙の雫をこぼす少女。

大方、ひどい事をされて逃げてきた所だろう。

私が読んできた物語の始まりもそういう物が多かった。

でもそれは大抵ハッピーエンドを迎える物だ。


「名前は?」


片膝を付き少女に目線を合わせる。

地面が冷たい。氷に足を突っ込んだみたいだ。


「レイラ」


「レイラちゃんね、一緒に探しに行こ」


「ちょっとアリス、優先事項は私でしょ、私達の帰還」


やや不機嫌そうに言葉を投げかけてくる女王様。

でもこういう時は。


「女王様、私にやきもち焼いてます?」


「別にそんなんじゃないけど・・・ その現実の子を連れて、何とかなる算段があるかって事。今の私達は物語が途切れてる。この先どうなるかなんて分かんないんだよ?」


女王様の言葉に照れと僅かに交じる恐れを感じた。

実際どうなるかは分からない。でも。


「あのワンダーランドも大概だったから大丈夫だよ」


「・・・あなたはそういう子だったわね」


三人並んで更に街奥へ行く。

何故か、先程まで点いていたイルミネーションの装いは消えて真っ暗になっていた。



再び強い北風が吹き、体に寒さと疲労を蓄積していく。

私達は灯りにひかれてやってきた蛾のような物なのに、その灯りが消えてしまっては不安だ。

ここにいるかもしれないと思ったんだけど。



・・・大丈夫、まだ大丈夫だ。


「そういえば女王様、こっちに来てから大人しくなりましたよね」


私は心の不安を、そんな軽口で押し殺す。


「ふふっ、今思えばなんであんなに怒ってたか全く思い出せない」


こちらに来てから記憶は消えていく一方。

続きの無い物語。それは死と同じだからだろうか。


「お姉ちゃん怒りんぼなの?レイラは怒りんぼの人嫌い!」


「なっ・・・!?」


「女王の称号もここでは効果ありませんね」


でもこうして誰かと話している今、それは私自身の物語であるように感じる。

私達はキャラクター。でも作られたキャラクターにも自分自身の世界があって。


そこでふと気になった。

この子は空想や、お伽噺が好きかどうかが。


「ね、お話は好き?」


レイラちゃんはパッと目を輝かせる。


「うん、大好き!!」


やっぱり子供の笑顔を見るのは良い物だ。


「ふん、どうせ子供は好き勝手空想してすぐ飽きるんだから。レイラ、そんな事言ってられんのも今の内だからね?」


「そんな事ないよ、ハートのお姉ちゃん」


「女王ね」


さっきの仕返しとばかりに女王様が子供相手に本気になる。

空気が悪くなるのは避けたいな。


「そういえばレイラちゃん、その本は?」


お茶濁しに前から気になっていた、大切そうに抱えているその本の事を聞いてみた。


「これ、ひいおばあちゃんがくれたの。レイラもこんな世界にお母さんと行けたらいいな」


成程。それだけ古い物なら年季が入っているわけだ。


「ちょっと見てもいい?」


本を受け取り、表紙を見る。

それは、「不思議の国のアリス」。

動悸と共に、ページを捲る。

中は絵本だった。

私のような少女が所々挿絵で載っている。だが今の私より二回りほど小さい、小学生くらいの姿。


巻末を見る。

作者の手がかりを探す。

原本、ルイス・キャロル、1865年。

今は、何年?


「レイラちゃん、今って何年?」


「えっと、2100年?」


たった一言。

それだけでこんな簡単に、こんな偶然に、希望が打ち砕かれていくはめになるとは。それではもう、私達にとって本当の親はいないじゃないか。


・・・隠しておこう。女王様には。

別のやり方だってある筈だ。

いつも私は機転を利かせてきたじゃないか。

そうだ、レイラちゃんは小さいから間違っている事だってあるだろう。


「アリス、やっぱり寒い?暖めてあげよっか」


「大丈夫だよ」


黒色が灯った街の西の方で、灯りの大群が点る。

七色に光る、大きな観覧車。

歓楽街のような様々な色の輝き。

その遊園地は、私達がかつて住んでいた場所を幻視させた。


これから頑張るから。何とかしてみるから。

今のうちに、少し甘い夢を見に行こう。


「あっちに行こっか」


遊園地を指差す。


「ここの電気が消えたって事は、人があっちに沢山いるかもしれないね」


「遊園地!」


とりあえず誤魔化して、その間に策を練ろう。



歩く。歩く。歩く。

そうしている間に、手の感覚が無くなっていた。寒さで真っ赤になっていた。

それと同時に遊園地の前に着く。




「姿、確認できました」


電話越しからのような潰れた声が、近くから聞こえる。


遊園地の門の前。

奥に広がる綺羅びやかな御伽の国に入る前に、私達は沢山の人工の照明に囲まれた。

写真機のような物を担いだ大人の人達がいる。


「知ってます?最近世間を騒がせてるお話。私達が捕らえた奇妙な動物達の動向を調べた所、側にはいつもあなたがいたみたいでしてね、少々付き合っていただけませんか?」

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