I.T.P-2


 煙草を吸い終わった後、俺はもう味わうことのできない吸殻を地面に落とした。まだ火種が残っていたフィルターの残骸は地面に落ちた後、小さい花火のように一瞬爆ぜていく。その燃えカスを完全に殺すために、俺はそれを上靴で撫でてなかったことにした。


 ミカは、そんな俺の様子をずっと眺めているようだった。


 彼女はここにきてから何もしていない。強いて挙げるのならば、俺のことを見つめ続けている。


 彼女の視線の先には必ず俺がいて、その行動を監視するかのように、呆然としたような目で、もしくは感情がないとも言える瞳で、ただただ見つめ続けている。そのような視線なのに、どうしてか表情は慈しむような笑顔を浮かべている。それがどうしても俺には不気味にしか思えなかった。


「そろそろ帰る時間だ」


 俺はそう言った。屋上にいることはこれで終わりであることをわかりやすく示すように、ミカに向けてそう言った。無視すればいいだけの話なのだろうが、いつまでも俺を見てくる彼女の視線を躱すことは難しかったのだ。


「そうですねぇ」とミカは相槌を打つ。


 けれど、相槌は打たれるだけで、それ以外に何か変化らしいものは彼女には生まれない。


 相槌を打った、ということは理解が及んだということだろう。それならば、この屋上に佇む理由はないはずだ。……単純に、俺という存在に対して感心がある、という自意識の過剰さから、そんなことを考えてしまう。


 屋上なんていう場所を利用するのは、俺のような隠し事があるような人間か、それとも孤独であることを噛みしめるように振舞う人間くらいである。それならば、きっとミカは後者であり、隠し事もない彼女はそのまま屋上という場所に立ち尽くすのだろう。


 俺が帰るという選択肢をとっても、それは何も彼女には関連しない。だから、言葉を吐いたところで彼女が動かないのならば、きっと俺には関係のない話なのだ。


 はあ、と俺はあからさまなため息を吐いた。口の中に残る苦い匂いをかき消すようにして、そうして爪先を出口のほうへと向けていく。彼女がここに残るというのならば、俺には何も関係がないのだから、俺はただ帰ればいい。


 俺は彼女に用はない。そして、彼女も俺に用はない、とはっきり言葉にしていた。それならば長居は無用なのだ。


 俺は屋上の滑る床の感触を確かめながら、靴音を風に紛らせて、黙ってその場を去ることにする。


 けれど、そんな時だった。



 唐突に、ミカはそんなことを言った。





 見ないんですか、という言葉を耳にした後、俺は立ち止まる。彼女の言葉を頭の中で咀嚼して、その意味合いについて考えてみるけれど、結局それを理解することはできなかった。


「……何の話?」と俺は彼女にそう聞いてみた。彼女の言葉に、一度視線を泳がせて、屋上からの外の景色を眺めてはみたけれど、その意味合いが理解できそうなものは、外の世界には見つからない。それでも彼女は「見ないんですか?」と続けて言葉を吐くので、俺は「何を?」と聞いてみる。


「すべて」


 すべて、とミカは言った。俺ははぐらかすようで、その実意味のなさそうな、雰囲気しかない言葉に苛立ちを覚えた。はあ? と憤りを含めた声音で息を吐き出して、俺は言葉を続けてみる。


「何のことだよ」


「だから、ここですべてを見ないんですか、と聞いています」


「……具体性がない。意味が分からない」


「すべてはすべてです。わかりませんか?」


「分からないと言っているんだけどな」


 俺の言葉に、ミカは一瞬首を傾げた。その様子を一瞬でも可憐であるように感じたけれど、やはり感情を持たないまま見つめ続ける笑顔の視線に、俺は理性を取り戻す。


「……そのすべて、とやらについてはわからないけれどさ。俺がそれを見る必要とかってあるの?」


「あるといえばありますし、ないといえばないですね」


「……」


 またはぐらかすような、中途半端な言葉。そんな会話の応酬に思わずため息を吐きそうになってしまう。煙草を吸い終わったばかりなのに、もう一度肺に煙をため込んで、眩暈を求めてしまいそうな衝動。


「見る必要がないというのなら、俺はもう帰る」


「じゃあ、見る必要があります」


「……何のために?」


「すべてのために」


 ミカは淡々と答え合わせをするかのように言葉を吐く。


 けれど、その言葉に対する理解ができなくて、結局俺は二本目の煙草を吸うことにしてしまった。



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