1.0/In The Parallel

I.T.P-1


 世界は無限に存在する、と誰かが言っていた。その誰か、というのは誰のことなのかは思い出せないし、その言葉の意味も理解できそうにない。その誰かは俺にとっては知人なのかもしれないし、もしくは俺とはかかわりのない偉人のような人間なのかもしれない。そのすべてを思い出すことは不可能であり、ただ頭の中に刻まれたような、そんな台詞を何度も繰り返している。


 世界は無限に存在する、その言葉の意味合いを考えてみたことがある。何度も頭の中に反芻して仕方のない言葉だったから、眠る間際に考えたことが何度もあるのだ。別に眠る間際でなくとも、そんな言葉を思い出すたびに、適当に空いた時間であっても、その言葉の意味を考えてみた。


 けれど、その答えにたどり着いたことは、未だにない。


 世界とは、どこまでが世界なのか。無限とは、どこまでが無限であるのか。そもそも無限というものが存在するのだろうか。それが存在したところで、意味合いがあるのだろうか。その言葉のすべてに意味があるのだろうか。


 結局、答えのない問いを考えても時間の無駄でしかない。無駄でしかないというのならば、かんがえる意味合いというのも存在しないのだろうから、次第に俺はその言葉を忘れるように努力した。




 そう、あの日までは。





 地平線が見えない景色を覚えている。


 太陽が沈む夕焼け時、屋上から見渡した景色のすべてが記憶の中に刻み込まれている。生まれてこの方、地平線なんて言うものは見たことがなくて、周りにある建物の影ばかりが世界を闇として染めていたことだけは、なんとなく幼心でも理解していた。


 夕焼けが飾られている空の下で、俺は黄昏ていた。


 黄昏ていた、とは言いつつも、その言葉を使いたかっただけかもしれない。屋上という、どこかよりかは高い場所で、孤独にいる環境の中で、黄昏ている、という表現を使うことができれば、どこか格好がつくような感覚がした。その感覚に従うように、俺はすべての景色を見下しながら、隠し持っていた煙草をポケットから取り出して、咥えて火をつける。これで黄昏の風景は完成するような気がしたのだ。


「──不良だ」


 そんな時に声が聞こえてきた。


 揶揄うように、悪戯をするみたいな声音で、くすぐる言葉を俺は耳にしていた。驚きながらその声に振り向いてみれば、見慣れない制服を着ている少女が、屋上の扉前に立ってこちらを笑っているのが視界に入る。


「……誰?」


 俺は訝し気、というよりも、少しの憤りを孕ませながらそう言葉を吐いた。焦燥感が汗として滲んでいた。見られてはいけないものを見られてしまった後ろめたさに、俺は憤りで彼女へと威圧することしかできなかった。


 そんな俺の幼稚さを、彼女はくすくすと笑っていく。


 見慣れない制服で、見慣れない表情。見慣れない背丈。俺の通っている高校の指定服とは異なっているセーラー服の女の子。


 どこまでも俺の知り合いではないことを示すような、それでいて俺の、もとい学校の関係者でもないことを示すような格好に、俺はより困惑してしまう。


 俺の言葉を彼女は、うんうん、と頷きながら、考えていることを示すように、手で顎をさすりながら、えーと、と間延びした声を上げる。


 どうして、こんなところに生徒が? ましてや同じ学校ならまだしも、違う制服を着ている生徒がいるのだろうか?


 そんな疑問をぶつけようと、立て続けに声を出そうとした。けれど、それよりも先に彼女が「あー、そうだそうだ」と思い出したように話すので、結局俺の言葉は喉に仕舞われていく。そうして俺は彼女が次に吐くであろう台詞に耳を傾けると。


「ミカ、と呼んでください」


 改まったように、彼女は、ミカはそうつぶやいていた。





 肺に煙が滲んでいた。何度も味わった感覚は、すでに習慣として確立されており、初めの頃に体感したような軽い眩暈のような衝動は、いつの間にか覚えることはなくなっていた。


 はあ、とため息を混じらせながら煙を吐けば、夕空が確かに白に汚れていく。太陽の光に紛れて暗くなる煙を、俺はぼうっと見つめながら、更に視線の先にいるミカをとらえた。


「それで、何の用だよ」


 俺はぶっきらぼうな口調でそういった。もしくは声音かもしれない。明らかに初対面の人間に行うべきではない態度で、あからさまな威圧感を彼女に与えていく。それは、俺が彼女という人間を警戒していたからに過ぎない。


 もっと、聞くべきことはあったはずだ。先ほど浮かんだ疑問をそのまま口に出せば、だいたいの疑問は晴れるかもしれない。その質問に彼女が答えてくれるかどうかは知らないけれど、それでも口に出せばなんとかなるはずだ。


 だが、俺はそれを選択しなかった。聞くことに対して躊躇が生まれた。聞いてしまえば、何かとんでもないことが起こるのではないか、もしくは取り返しのつかないことに巻き込まれるのではないか、そんな思考が俺の心を占有していたのだ。


「別に用なんてありませんよ」


 彼女はにやけた表情をしながら言葉を続ける。


「あなたはここで煙草を吸っているだけ。私はここであなたを見つめているだけ。ただ、それだけのことでしかないです」


 どこか、すべてを理解しているかのように、偉そうな教師が諭すような口調に、俺は苛立ちを隠すことができなかった。


「それが不快なんだけどな」


「不快でもなんでもいいですよ。あなたの不快は私には届かない。私の行動も、あなたの行動も、誰かによって制限されることはないのですから、どうでもいいことでしょう?」


「……そうかい」


 ミカの言っていることはよくわからなかった。それらしい雰囲気の言葉で誤魔化しているとも思ったけれど、その言葉が的を射ているような気もした。変に反応をしてしまえば、ミカの思うつぼなのではないか、そんな気持ちになって、俺は無難な返事をすることしかできなかった。

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